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未完成のビリーフ 3
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期末テストが終わると授業も大して進まずに、テストの返却とその答え合わせが殆どで、普段は真面目に黒板の文字をノートに書き落としている自分もボーっと窓の外を眺めているだけだ。
外では体育が行われており、陸上のハードルが行われていた。この学校は体操服も学年毎に色が分けられており、今年度は肩のラインが、三年生が黄、二年生が青、一年生が赤という風になっている。三年生が卒業すると、黄が一年生の色になるという風にローテーションされる。今体育を行っているのは肩のラインが青だから二年生だ。暑い中、外で行う体育は僕は大っ嫌いだな、なんて考えていると、非常に奇妙な存在を見つけた。木陰の下で、冬用の長袖長ズボンの体操着を着て見学している人がいた。こんな暑いのによくそんな恰好で居られるなと観察していると、近野先輩だった。
「えぇ…」
思わず感嘆してしまう。見学は仕方ない。女性には色々あるだろうしね。しかしそれでも今日は相当に暑い日だ。僕もカッターシャツを二の腕まで捲りあげなきゃやってられないぐらいには暑い日だ。なのに先輩は冬用を着ている。流石におかしくないか。というか見ていてこっちまで暑くなってくる。
「沢藤」
テストの返却が僕の番になったようで名前が呼ばれる。今は数学のテストの返却だ。そこそこの出来の自信はあったから適当に返された答案も見ると、右上にでかでかと八十二の数字が書かれていた。まぁまずまずといったところか。最後の難問、やっぱり出来ている人の方が少なかった。授業はテストの問題の解説に入った。最後の設問だけ聞ければいいや、という認識だったのでそれまでは先輩を観察することにした。変態ではない、と言い足しておこう。
先輩はずっと木陰の下から動く様子はない。やはり見学しているのか。何故なのだろう。風邪であるのならテストも終わっていることだし、休めばいいのに。仮に休むほどでないにしろ、何故冬用の体操着を着ているのだろうか。普通に夏用の体操着で良いのではないか。他に女性特有の身体的不調によるものでも同じだ。冬用の体操着を着る理由が無い。一体なんだ。実際先輩、何度も持ち込んでいるタオルで拭っている。暑い証拠だ。
色々考えてみるが答えに行きつくことが無いまま、結局、最後の設問の解説に入ったため、僕も話を聞くことに。あぁ、そんなとこに補助線を入れればよかったのか。
テストは満遍なく平均点よりちょっと上を取れていてよかった。自分でも驚いたのは古典が一番点を取れていたことだ。先輩様々だ。ということで放課後。
結局、なぜ先輩が冬用の体操着を着ていたのかは謎のままだった。まぁ部室で直接聞けばいいだけの話だ。この胸に残るモヤモヤを早く晴らしたいがために足はいつもより早めに動く。そしていつもより早く部室に着き、戸を開く。
この時後悔した。いや、部室に来たことを後悔したのではなく、全く学習していなかったことをだ。前回のような二の舞にならない様にノックしてから入るべきだった。逸る気持ちのせいでその事をすっかりと忘れていた。そんな自分の愚かさが嫌になってしまった。
「あ?ノックぐらいしろよ」
及川先輩と桐生先輩が不順異性交遊を部室で行っていた。まだ始めたばかりだったのが幸いだったかな。そんなに服も開けていない状態で、お互いの身体を弄り合っている程度の物ではあったが、立派な不純異性交遊の範囲に入っているだろう。
「部室でしないでくださいよ…」
流石に一年の身分と言えども口を出してしまう。それと桐生先輩、睨まないでください。悪いのは間違いなくそちらですって。
「今日は篠崎も沙月も来ねぇぞ」
及川先輩が投げやりに言ってきた。要約すると、今日はその二人が来ないから部活は休止になる。だからお前もさっさと失せろ、といった所か。どうせ二人はその後にまた続きでもするんだろうけど、僕のいない所でなら好きなだけしてもらっていい。今日はここで退散させてもらうとしよう。
と、まぁ、僕としてはそれ以上に少し気になる点があった。近野先輩を「沙月」と呼び捨てにしていたところだ。普段は「沙月ちゃん」と呼んでいたのに。これはきっと、近野先輩に気に入られている僕への当てつけ、威嚇のようなものだろう。嫌われたなぁ。僕としてもなぜ近野先輩に気に入られているのか甚だ不思議で仕方ないのに。
僕を嫌っている人と必要以上に同じ空間にいる意味もないだろう。僕は帰宅することにした。テストも終わり、一学期も残すところあと僅か。気兼ねなく夏休みも迎えられるのだから、部活も休みなった今日はどこか寄り道していくのもありではないだろうか。
学校は都心部から少しだけ外れた住宅街の傍にある山の麓に建っているのだが、歩きでも十分に繁華街に出ることができる立地だ。自転車があるとなると、街に出やすい事請負だ。早速街に向かって自転車を漕ぎ始める。テストからの解放感か、結構同じ制服を着た生徒を見かける。まぁ、放課後遊ぶとなるとこの一帯に出るのが定石だから当たり前と言えば当たり前か。
一人でうろつくには少し物寂しさを感じるが、目的は本屋だ。ならば一人で寄るのも平気な方だ。元より僕はクラスでは当たり障りのない程度の人付き合いを徹底している。嫌われているわけでもなく、かといって特別仲の良い友人がいるわけでもない。二人で組作って、と授業で言われて困らない程度には人間関係を築いている。
さて、本屋に来たのは先輩にオススメされた本を探しに来たのだ。この街で一番大きなショッピングセンターの二階のフロアを殆ど占拠している本屋に行けば、大抵の本は置いている。そこに行くことにした。というより、この辺に住んでいる人間が「本屋に行く」と言ったらほぼ間違いなくここだ。
自転車を止め、きちんと鍵をかける。そして中に入ると適当な温度に設定された空調が僕の火照った身体を落ち着かせてくれる。後でアイスでも買おうかな。
しかしまずは目的の本だ。先輩のオススメしてくれた本は確か「ハサミ男」だったかな。何とも不思議なタイトルではあるが、ミステリ小説の中で相当面白いらしい。はてさて、ミステリはあまり読まない僕に合うのだろうか。折角だし、他にも適当の本を見て回ることにした。「館シリーズ」も良いって先輩は言ってたかな、確か。他には「クリムゾンの迷宮」なんかも面白いと言っていたかな。
どうやら何れも代表的作品のようでものの数分で見つけることにした。館シリーズって多いんだな…。どれが一番最初何だろう。とりあえず端っこにある十角館でいいかな。と適当に手に取って買い物籠に入れていく。先輩のオススメはどれも面白く、外れがない。特に最初に勧められた「葉桜の季節に君を想うということ」には驚かされた。まさかあんな仕掛けが施されていたなんて。と、読破した次の日に先輩にそう感想を言うと、「やっぱり沢藤君はミステリ初心者なんだね」と笑われた。確かにホームズとアガサ・クリスティーぐらいしか読んだことはないから初心者同然だ。しかしあれほどのレベルで初心者と言われると、どれほどミステリという分野は奥が深いのだろうかと、恐怖半分、好奇半分といった所だった。
本屋は結構好きで、何かと本棚を見ているだけで時間を潰せる。タイトルを見て中身を想像したりするのも一興だ。それにタイトルだけで心をがっしりと持っていく作品もある。そんな本に出会えた時の喜びは何ものにも代え難いと思える。しかし、一時間見て回ったが、今日はそういった本には出会えなかった。先輩にオススメされた本だけを購入することに。さて、早く帰って読もう。「ハサミ男」は先輩がオススメしてくれた本の中でも特に強く勧められた本だ。読むのが楽しみで仕方がない。
目的は達成したことで、ここにはもう、用がなくなった。帰ることにするが、その前に、入るときに考えていたアイスを買うことにする。アイスは一階が丸々食品売り場になっているため、そこで買うことができる。といっても一階はスーパーマーケットのような雰囲気になっているので学生服のまま、一人で入るのは気が引けるが、幸いにもこの区画には知り合いはいないだろう。今日の献立のために頭を回転させている主婦の方に何と思われようが構わない、と図々しく食品売り場に入ろうとしたところで、何という事か。見知った顔がいた。近野先輩だった。スーパーマーケットの外からでも見える位置で野菜を睨んでいた。そのためか、こちらには気づいていない。折角だ、声をかけてみよう。
「こんにちは、先輩」
「あぁ、沢藤君。こんにちは、奇遇ですね」
確かに奇遇だ。僕はアイスを買おうと思って寄っただけなのだから、偶然の一致でしかないのだから。いや、ひょっとすると、先輩の存在を感知していて、無意識に先輩に声をかけるための口実を作ったのかもしれない。エスパー
か、僕は。いやむしろストーカーか。
「沢藤君も買い物ですか?」
「えぇ、まぁ。本屋に行ったついでにアイスでも買おうかと」
そして先輩の持っている買い物籠の中を見ると、キャベツに人参、玉ねぎ、豚バラ肉、塩に醤油、味噌といった完全に自炊する用のラインナップだった。
「母親がいないんです。ですから私が家事をしているんです」
僕の目線に気付いた先輩が先にそう言った。何と、それはびっくりだ。では父親と二人暮らしなのか。
「大変ですね」
気の利いた一言でもかけるべきだったのだろうか。それとも同情とかせずに普段通りにするべきだったのだろうか。今回は後者を選んだわけだが。
「大丈夫ですよ。あ、でも、トイレットペーパーの特売が一人につき一個だけなんです」
「僕で良ければご協力致しますとも」
どうやら先輩もそんなに気にしていないようなので間違いではなかったようだ。それにしても学校帰りのまま買い物に来ているので制服のままだ。制服姿で夕飯の買い出しするというシチュエーションは中々に良い。若奥様というやつだろうか。しかもその買い物に付き合って並んで歩いている。家庭の買い物に付き合うなんて何だか、親しい仲の様に思える。
「沢藤君は何が好きですか」
「え?」
「献立の参考にしようかと思いまして」
あ、あぁ、うん。知ってたとも。予想してたとも。決して先輩が作ってくれるのかなんて期待してない。
「グラタンが好きです」
「グラタンですか。美味しいですよね。ただ、父が乳製品だめなので…」
あら残念。先輩の父君とはうまくいきそうにないな。
「後、デミグラスソース使った料理も好きですよ」
僕はソースが好きなのかもしれない。グラタンはホワイトソース。そしてデミグラスソース。うん、やっぱり僕はソースが好きなのだろう。
「デミグラスソースですか…。良いかもしれません」
先輩はそう言って缶詰のコーナーに足を運んだ。流石にデミグラスソースは作らずに缶詰のものを使うようだ。と思っていたら、先輩はトマト缶を手に取っていた。
「ソースから作るんですね」
「?えぇ、まぁ」
先輩からすると、それが当然のようだった。
姑息にも二人で別々に並んでお得なトイレットペーパーを購入し、買い物は終了となった。しかしトイレットペーパーを二つも買っていると、結構な荷物の量になる。実際、先輩は両手一杯に加え、抱きかかえるように様にして何とか購入したものを持っていた。この状態の先輩をみすみす放って帰るのは男として以前に人間として失格な気がする。幸い僕は自転車で来ていることだ。
「先輩、家まで送りますよ」
特に課題も出てない事だし、夕餉までには家に帰れば大丈夫だ。だから先輩の荷物持ちになろうと思った次第だ。
「ではお言葉に甘えて…」
数秒間悩んだ結果、先輩は渋々僕の自転車の籠に買ったものを入れる。素直なのは良いことだ。本当は二人乗りして送り届けられれば良かったのだけど、そうするにもトイレットペーパー二つの存在が邪魔していた。だから、必然的に自転車を押して二人並んで歩く形になる。
先輩と二人で並んで買い物袋を引っ提げて歩く姿は中々に貴重なのではないだろうか。傍から見たらどう見えるのだろうか。買い物袋を抱え、制服姿で並んで歩く男女二人組。ちょっと特殊ではあるが、恋人同士にも見えなくもないだろうか。
だが、思っているよりお互い特に話すことがなく、無言のまま歩いていた。僕の場合は何だかこのシチュエーションが恥ずかしくって。では先輩はどうなのだろうか。買い物袋を抱え、少し俯きがちに顔を下げ、何を考えているのだろうか。ひょっとしたらお節介だったのかもしれない。もしクラスメイトに今の状況を見られでもしたら、なんて考えているかもしれない。
会話がないまま、半時間が過ぎようとしていた時。
「今日はありがとうございます。ここまでで大丈夫です」
僕が何かを言う前に先輩は籠から買い物袋を取って、走って行った。数メートル先の曲がり角を曲がって行った。先輩がそう言うんだ。きっと家はその曲がり角の先すぐにあるのだろう。でもなぜか、その曲がり角の先を確認してしまった。
曲がり角の先は一軒家が並ぶただの住宅街。ごく一般的な家庭が並ぶその街並みの中にどうしても違和感のある一軒家があった。作りは平屋で、良く言えば少し古風な感じの。悪く言えばボロい家の中に先輩が入っていくのが見えた。
(母親がいないって言ってたし、そのせいかな)
事情も何も知らない僕があれやこれやと勝手な憶測を広げるのは如何なものか。ということで今日は退散しよう。先輩の様子を鑑みるに、あまりあの平屋を見られたくなかったのだろう。
そして踵を返したその時。ガラリ、と平屋の玄関が開いた。出てきたのは先輩だった。
「さ、沢藤君…」
「先輩…どうしたんですか…」
買い物は済んでいる。家に入ってまだ数分しか経っていない。なのに、どうして財布を片手に。制服も着替えずに。そして、そんなにも、右の頬を腫らしているのか。
外では体育が行われており、陸上のハードルが行われていた。この学校は体操服も学年毎に色が分けられており、今年度は肩のラインが、三年生が黄、二年生が青、一年生が赤という風になっている。三年生が卒業すると、黄が一年生の色になるという風にローテーションされる。今体育を行っているのは肩のラインが青だから二年生だ。暑い中、外で行う体育は僕は大っ嫌いだな、なんて考えていると、非常に奇妙な存在を見つけた。木陰の下で、冬用の長袖長ズボンの体操着を着て見学している人がいた。こんな暑いのによくそんな恰好で居られるなと観察していると、近野先輩だった。
「えぇ…」
思わず感嘆してしまう。見学は仕方ない。女性には色々あるだろうしね。しかしそれでも今日は相当に暑い日だ。僕もカッターシャツを二の腕まで捲りあげなきゃやってられないぐらいには暑い日だ。なのに先輩は冬用を着ている。流石におかしくないか。というか見ていてこっちまで暑くなってくる。
「沢藤」
テストの返却が僕の番になったようで名前が呼ばれる。今は数学のテストの返却だ。そこそこの出来の自信はあったから適当に返された答案も見ると、右上にでかでかと八十二の数字が書かれていた。まぁまずまずといったところか。最後の難問、やっぱり出来ている人の方が少なかった。授業はテストの問題の解説に入った。最後の設問だけ聞ければいいや、という認識だったのでそれまでは先輩を観察することにした。変態ではない、と言い足しておこう。
先輩はずっと木陰の下から動く様子はない。やはり見学しているのか。何故なのだろう。風邪であるのならテストも終わっていることだし、休めばいいのに。仮に休むほどでないにしろ、何故冬用の体操着を着ているのだろうか。普通に夏用の体操着で良いのではないか。他に女性特有の身体的不調によるものでも同じだ。冬用の体操着を着る理由が無い。一体なんだ。実際先輩、何度も持ち込んでいるタオルで拭っている。暑い証拠だ。
色々考えてみるが答えに行きつくことが無いまま、結局、最後の設問の解説に入ったため、僕も話を聞くことに。あぁ、そんなとこに補助線を入れればよかったのか。
テストは満遍なく平均点よりちょっと上を取れていてよかった。自分でも驚いたのは古典が一番点を取れていたことだ。先輩様々だ。ということで放課後。
結局、なぜ先輩が冬用の体操着を着ていたのかは謎のままだった。まぁ部室で直接聞けばいいだけの話だ。この胸に残るモヤモヤを早く晴らしたいがために足はいつもより早めに動く。そしていつもより早く部室に着き、戸を開く。
この時後悔した。いや、部室に来たことを後悔したのではなく、全く学習していなかったことをだ。前回のような二の舞にならない様にノックしてから入るべきだった。逸る気持ちのせいでその事をすっかりと忘れていた。そんな自分の愚かさが嫌になってしまった。
「あ?ノックぐらいしろよ」
及川先輩と桐生先輩が不順異性交遊を部室で行っていた。まだ始めたばかりだったのが幸いだったかな。そんなに服も開けていない状態で、お互いの身体を弄り合っている程度の物ではあったが、立派な不純異性交遊の範囲に入っているだろう。
「部室でしないでくださいよ…」
流石に一年の身分と言えども口を出してしまう。それと桐生先輩、睨まないでください。悪いのは間違いなくそちらですって。
「今日は篠崎も沙月も来ねぇぞ」
及川先輩が投げやりに言ってきた。要約すると、今日はその二人が来ないから部活は休止になる。だからお前もさっさと失せろ、といった所か。どうせ二人はその後にまた続きでもするんだろうけど、僕のいない所でなら好きなだけしてもらっていい。今日はここで退散させてもらうとしよう。
と、まぁ、僕としてはそれ以上に少し気になる点があった。近野先輩を「沙月」と呼び捨てにしていたところだ。普段は「沙月ちゃん」と呼んでいたのに。これはきっと、近野先輩に気に入られている僕への当てつけ、威嚇のようなものだろう。嫌われたなぁ。僕としてもなぜ近野先輩に気に入られているのか甚だ不思議で仕方ないのに。
僕を嫌っている人と必要以上に同じ空間にいる意味もないだろう。僕は帰宅することにした。テストも終わり、一学期も残すところあと僅か。気兼ねなく夏休みも迎えられるのだから、部活も休みなった今日はどこか寄り道していくのもありではないだろうか。
学校は都心部から少しだけ外れた住宅街の傍にある山の麓に建っているのだが、歩きでも十分に繁華街に出ることができる立地だ。自転車があるとなると、街に出やすい事請負だ。早速街に向かって自転車を漕ぎ始める。テストからの解放感か、結構同じ制服を着た生徒を見かける。まぁ、放課後遊ぶとなるとこの一帯に出るのが定石だから当たり前と言えば当たり前か。
一人でうろつくには少し物寂しさを感じるが、目的は本屋だ。ならば一人で寄るのも平気な方だ。元より僕はクラスでは当たり障りのない程度の人付き合いを徹底している。嫌われているわけでもなく、かといって特別仲の良い友人がいるわけでもない。二人で組作って、と授業で言われて困らない程度には人間関係を築いている。
さて、本屋に来たのは先輩にオススメされた本を探しに来たのだ。この街で一番大きなショッピングセンターの二階のフロアを殆ど占拠している本屋に行けば、大抵の本は置いている。そこに行くことにした。というより、この辺に住んでいる人間が「本屋に行く」と言ったらほぼ間違いなくここだ。
自転車を止め、きちんと鍵をかける。そして中に入ると適当な温度に設定された空調が僕の火照った身体を落ち着かせてくれる。後でアイスでも買おうかな。
しかしまずは目的の本だ。先輩のオススメしてくれた本は確か「ハサミ男」だったかな。何とも不思議なタイトルではあるが、ミステリ小説の中で相当面白いらしい。はてさて、ミステリはあまり読まない僕に合うのだろうか。折角だし、他にも適当の本を見て回ることにした。「館シリーズ」も良いって先輩は言ってたかな、確か。他には「クリムゾンの迷宮」なんかも面白いと言っていたかな。
どうやら何れも代表的作品のようでものの数分で見つけることにした。館シリーズって多いんだな…。どれが一番最初何だろう。とりあえず端っこにある十角館でいいかな。と適当に手に取って買い物籠に入れていく。先輩のオススメはどれも面白く、外れがない。特に最初に勧められた「葉桜の季節に君を想うということ」には驚かされた。まさかあんな仕掛けが施されていたなんて。と、読破した次の日に先輩にそう感想を言うと、「やっぱり沢藤君はミステリ初心者なんだね」と笑われた。確かにホームズとアガサ・クリスティーぐらいしか読んだことはないから初心者同然だ。しかしあれほどのレベルで初心者と言われると、どれほどミステリという分野は奥が深いのだろうかと、恐怖半分、好奇半分といった所だった。
本屋は結構好きで、何かと本棚を見ているだけで時間を潰せる。タイトルを見て中身を想像したりするのも一興だ。それにタイトルだけで心をがっしりと持っていく作品もある。そんな本に出会えた時の喜びは何ものにも代え難いと思える。しかし、一時間見て回ったが、今日はそういった本には出会えなかった。先輩にオススメされた本だけを購入することに。さて、早く帰って読もう。「ハサミ男」は先輩がオススメしてくれた本の中でも特に強く勧められた本だ。読むのが楽しみで仕方がない。
目的は達成したことで、ここにはもう、用がなくなった。帰ることにするが、その前に、入るときに考えていたアイスを買うことにする。アイスは一階が丸々食品売り場になっているため、そこで買うことができる。といっても一階はスーパーマーケットのような雰囲気になっているので学生服のまま、一人で入るのは気が引けるが、幸いにもこの区画には知り合いはいないだろう。今日の献立のために頭を回転させている主婦の方に何と思われようが構わない、と図々しく食品売り場に入ろうとしたところで、何という事か。見知った顔がいた。近野先輩だった。スーパーマーケットの外からでも見える位置で野菜を睨んでいた。そのためか、こちらには気づいていない。折角だ、声をかけてみよう。
「こんにちは、先輩」
「あぁ、沢藤君。こんにちは、奇遇ですね」
確かに奇遇だ。僕はアイスを買おうと思って寄っただけなのだから、偶然の一致でしかないのだから。いや、ひょっとすると、先輩の存在を感知していて、無意識に先輩に声をかけるための口実を作ったのかもしれない。エスパー
か、僕は。いやむしろストーカーか。
「沢藤君も買い物ですか?」
「えぇ、まぁ。本屋に行ったついでにアイスでも買おうかと」
そして先輩の持っている買い物籠の中を見ると、キャベツに人参、玉ねぎ、豚バラ肉、塩に醤油、味噌といった完全に自炊する用のラインナップだった。
「母親がいないんです。ですから私が家事をしているんです」
僕の目線に気付いた先輩が先にそう言った。何と、それはびっくりだ。では父親と二人暮らしなのか。
「大変ですね」
気の利いた一言でもかけるべきだったのだろうか。それとも同情とかせずに普段通りにするべきだったのだろうか。今回は後者を選んだわけだが。
「大丈夫ですよ。あ、でも、トイレットペーパーの特売が一人につき一個だけなんです」
「僕で良ければご協力致しますとも」
どうやら先輩もそんなに気にしていないようなので間違いではなかったようだ。それにしても学校帰りのまま買い物に来ているので制服のままだ。制服姿で夕飯の買い出しするというシチュエーションは中々に良い。若奥様というやつだろうか。しかもその買い物に付き合って並んで歩いている。家庭の買い物に付き合うなんて何だか、親しい仲の様に思える。
「沢藤君は何が好きですか」
「え?」
「献立の参考にしようかと思いまして」
あ、あぁ、うん。知ってたとも。予想してたとも。決して先輩が作ってくれるのかなんて期待してない。
「グラタンが好きです」
「グラタンですか。美味しいですよね。ただ、父が乳製品だめなので…」
あら残念。先輩の父君とはうまくいきそうにないな。
「後、デミグラスソース使った料理も好きですよ」
僕はソースが好きなのかもしれない。グラタンはホワイトソース。そしてデミグラスソース。うん、やっぱり僕はソースが好きなのだろう。
「デミグラスソースですか…。良いかもしれません」
先輩はそう言って缶詰のコーナーに足を運んだ。流石にデミグラスソースは作らずに缶詰のものを使うようだ。と思っていたら、先輩はトマト缶を手に取っていた。
「ソースから作るんですね」
「?えぇ、まぁ」
先輩からすると、それが当然のようだった。
姑息にも二人で別々に並んでお得なトイレットペーパーを購入し、買い物は終了となった。しかしトイレットペーパーを二つも買っていると、結構な荷物の量になる。実際、先輩は両手一杯に加え、抱きかかえるように様にして何とか購入したものを持っていた。この状態の先輩をみすみす放って帰るのは男として以前に人間として失格な気がする。幸い僕は自転車で来ていることだ。
「先輩、家まで送りますよ」
特に課題も出てない事だし、夕餉までには家に帰れば大丈夫だ。だから先輩の荷物持ちになろうと思った次第だ。
「ではお言葉に甘えて…」
数秒間悩んだ結果、先輩は渋々僕の自転車の籠に買ったものを入れる。素直なのは良いことだ。本当は二人乗りして送り届けられれば良かったのだけど、そうするにもトイレットペーパー二つの存在が邪魔していた。だから、必然的に自転車を押して二人並んで歩く形になる。
先輩と二人で並んで買い物袋を引っ提げて歩く姿は中々に貴重なのではないだろうか。傍から見たらどう見えるのだろうか。買い物袋を抱え、制服姿で並んで歩く男女二人組。ちょっと特殊ではあるが、恋人同士にも見えなくもないだろうか。
だが、思っているよりお互い特に話すことがなく、無言のまま歩いていた。僕の場合は何だかこのシチュエーションが恥ずかしくって。では先輩はどうなのだろうか。買い物袋を抱え、少し俯きがちに顔を下げ、何を考えているのだろうか。ひょっとしたらお節介だったのかもしれない。もしクラスメイトに今の状況を見られでもしたら、なんて考えているかもしれない。
会話がないまま、半時間が過ぎようとしていた時。
「今日はありがとうございます。ここまでで大丈夫です」
僕が何かを言う前に先輩は籠から買い物袋を取って、走って行った。数メートル先の曲がり角を曲がって行った。先輩がそう言うんだ。きっと家はその曲がり角の先すぐにあるのだろう。でもなぜか、その曲がり角の先を確認してしまった。
曲がり角の先は一軒家が並ぶただの住宅街。ごく一般的な家庭が並ぶその街並みの中にどうしても違和感のある一軒家があった。作りは平屋で、良く言えば少し古風な感じの。悪く言えばボロい家の中に先輩が入っていくのが見えた。
(母親がいないって言ってたし、そのせいかな)
事情も何も知らない僕があれやこれやと勝手な憶測を広げるのは如何なものか。ということで今日は退散しよう。先輩の様子を鑑みるに、あまりあの平屋を見られたくなかったのだろう。
そして踵を返したその時。ガラリ、と平屋の玄関が開いた。出てきたのは先輩だった。
「さ、沢藤君…」
「先輩…どうしたんですか…」
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