未完成のメソッド

紫苑色のシオン

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積み上げられた机 出題編

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  1

 三年生に進級してから約二ヶ月が経ち、三年生は受験に向けて更に勉強を本格化させる。そのせいか、教室も空気がピリついている。何とも居心地の悪い事この上ない。
 受験を甘く見ている訳では無いが、沙月さんという心強い家庭教師がいる僕は幾許か心が軽い。だからそんな刺さるような空気をしている教室が嫌で、登校するのが億劫だ。新聞部に来ると、現部長である僕の落ち着いた、もとい緩い雰囲気が伝播していた結果、微温湯の様な空気の部室はとても癒しだった。
 部長となった今では部室の鍵は僕だけが持っている。二年前までは職員室にあり、誰でも開ける事が出来たのだが、ある事を切っ掛けに鍵は部長が管理するようになった。何ともまぁ厄介な事をしてくれたもんだ、及川先輩は。
 今日も今日とて、部室で緩やかに参考書でも読みながら部員を待つ。今にして思えば、勉強をせずに読書に耽って待っていた沙月さんは肝が据わっているなと思う。

「おはようございます」

 次々と部員が入ってくる。適当に相槌を返しながら、どれだけの人数が入ってくるのを確認する。
 ひい、ふう、みい。うん、後はあの子だけか。
 数えてみると、残りは後一人となった。その一人というのは常に部室に来るのは最後。我らが新聞部の紅一点。正に今を時めく女子高生を体に成す、何故この新聞部に入部したのかが七不思議の一つになってもいいのでは思うぐらい、ギャルという単語がしっくりと来る女の子、三河加奈だ。

「おっそくなりましたー!」

 勢いよく部室の扉が開かれ、三河さんが入ってきた。今日も化粧をバッチリに、それでいて不潔感は一切ない。彼女曰く「キメてる」状態らしい。まぁ、桐生先輩の様な派手さは無いからいいんだけども。

「じゃあ始めようか」

 参考書をパタンと閉じて鞄にしまう。三年生は僕一人。二年生は三人。一年生は二人の計六人の新聞部員が揃った。残念ながら田縁君は去年の援交写真事件の際に自主退部してしまった。まぁ、あそこまで沙月さんと僕にプライドをバキバキにへし折られては新聞部でやっていこうという気概は消えてしまうというものだろう。気の毒に。彼には是非強く生きて欲しい。
 さて、来月号の校内新聞は社会科見学についての記事と決まったので新聞のレイアウトを決め、誰がどんな記事を書くかを決めるというものだ。と言ってもこれも大体はパターン化されているので、滞りなく決まっていく。
 一時間もかからない内に全て決まって後は各々が勝手に記事を書いて僕に提出する。そしてそれを僕がまとめて新聞にレイアウト通りに落としていけば月に一度発行されている校内新聞の出来上がりだ。まぁ、これからが提出まで時間のかかる部員がいたりで大変なんだけど。
 しかし始まる前からそんな先の事を憂いても仕方がない。今は兎に角自分の担当分をさっさと終わらせて、受験勉強に取り掛かりたい。というわけで今日は解散。といってもすぐに全員が帰る訳ではなく、部員同士でのお喋りに興じたり、家ですればいいのに何故か部室でソーシャルゲームを遊び出したり。まぁ、人それぞれだ。部員が帰ってくれないことには鍵を掛けることはできない。だが、帰れと強制することもできない。仕方ない。沙月さんに出されている課題を片付け____。

「先輩!」

 やぁ、三河さん今日も元気だね。何かいい事でもあったのかい。ところで少し声のボリュームを下げて貰えると助かるな。部室はただでさえ狭いんだから、そんな大声を出さなくても十分聞こえるよ。
 とまぁ、そんな早口で捲し立てられる訳もなく。

「やぁ、どうしたの」

 と軽く挨拶。いやほんと、情けない。

「聞いてくれますか!」

 三河さんは語尾に「!」が必ず付く呪いでもかけられているのかと不思議に思う。いやしかし、元気なのはいい事だ。
 僕の三河さんに対するイメージは最初こそ、先程言った通りの現代のギャルらしい女の子だったのだが、今では大型犬のように見える。ゴールデンレトリバーかな、見た目的にも。今にも尻尾をパタパタと大きく振ってるのが見えてきそうだ。
 三河さんはどういう訳か、僕に非常に懐き、部活で何をするにも何かとつけて僕に絡んでくるし、学校ですれ違おうものなら、友達と一緒で話の途中どあったとしてもこちらに飛びついてくる。理由は何だか恥ずかしくて聴けていない。まぁ、嫌われるよりは遥かにいい事なので、放っておく。
 一番恐ろしいのは、こんなに僕にベッタリと懐いてくる後輩がいる事を沙月さんに知られる事だ。沙月さんの事だ。きっと僕には何も言わないし、何も危害を加えない。僕の知らない所で、気付かない様にそっと三河さんを排除してしまう事だろう。

「面白い話を聞いたんです!」

 と目を輝かせながら言ってくる。あ、犬の耳が生えてるのが見えるぞ。

「へぇ、どんな話?」

 さて、何となくだけど面倒事を持ってこられる気がした。どうにかして躱したい。三河さんが持ってくるような面倒事を相手してられるほど、受験生の時間は安くないのだ。

「はい!屋上に続く階段があるじゃないですか!」
「うん、あるね」
「そこに行きましょう!」

 今ここでその階段に何が起きてるかをハッキリと話して欲しい。そうしてくれれば五秒ぐらいは見に行くか見に行かないかを考えるのに。まぁ、行かないけど。

「ごめんね、三河さん。見ての通り僕は今受験勉強の真っ最中なんだ。こう見えても受験生でね。悪いけど、そうだ、村田君。一緒に行ってあげてよ」

 村田君というのは二年生の新聞部男子だ。綺麗に揃えられたおかっぱにノンフレームの眼鏡。見た感じはお堅い委員長と言ったところだ。

「えぇっ、嫌ですよ。遠いですし」

 そう、屋上へ続く階段というのは部室から非常に遠いのだ。新聞部部室は化学室や音楽室、美術室といった特別棟の二階の端にある。対して屋上へ続く階段は教室棟四階の真逆方向の端にあるのだ。ほぼ対極にあると言っても過言ではないのだ。これが僕も渋る理由だ。

「そんな事言わずに行きましょうよ~...」

 あ、ビックリマーク無い。
 今し方、村田君に話を振ったというのにそんなのお構い無しに僕の腕を揺すってくる。辞めて、字が書けない。解答が書けない。本当に邪魔だ!

「はぁ...分かったよ...」

 これ以上振り払おうとする時間の方が無駄になると判断した。
 サクッと階段を見て、適当に何か感想でも言って退散すれば良いだろう。恐らく三河さん相手にはこうした方が時間は少なくて済むはずだ。
 参考書をしまい、三河さんに連れられて階段へと向かう。本来であれば階段を見た後にそのまま下校したかったのだが、如何せん、部室の鍵は僕が管理しなくてはならない。部員がまだ残っている以上、僕はまたこの部室に戻らなくてはいけない。この上なく面倒な事態だ。

「せめて、向かいながら、その階段で何が起きてるかを話してくれないかな?」

 一秒でも貴重な時間を節約したい。歩きながら話すのであれば三河さんでもしてくれるだろう。

「ん~、あれはどう説明したものか...。実際に見ればすぐに分かるものなんですけど、口で説明するのは中々難しいですね!」

 中々に頭の悪い回答が返ってきた。見ればすぐに分かるが説明が難しいとはどういう事なのか。
 例えばその階段が異世界に繋がるワープホールでも出来てたか。登っても登っても終わらない階段に成り果てたか。登っていると思ったらいつの間にか降りていたか。なんだその時間止めそうな超能力は。
 兎にも角にも説明はする気がないらしい。
 はぁ、とため息を一つ零して大人しく着いていくことにした。この間に参考書一ページは読み解けそうなものだが。
 対極にあると言っても精々校舎内の距離だ。五分も歩かない内に屋上へと続く階段に着いた。

「さぁ、見てください!」

 屋上に続く階段と言っても一階から屋上まで全て階段だ。具体的にどの位置の事なのかというと、僕が去年、援交写真事件の時に話を聞くのに使った、屋上へ出る扉がある踊り場の事だった。
 しかし屋上への扉は鍵がかかっており、その鍵も何年も前に紛失されたという事で、誰も出入り出来ないようになっている。実質この踊り場が屋上みたいなものだ。
 だからこそ、この光景に僕は呆気に取られた。

「何だこれ...」
「ね、不思議でしょ」

 屋上へ出るための扉が、封鎖されていた。ただの封鎖の仕方ではない。扉の前に天井に届くまでの机、机、机。机が積まれていたのだ。

「いや、え、なんの為に?」
「それが分からないから聞いてるんです!」

 屋上へ出る扉をこんなに机を積んで封鎖しなくても出ることは出来ない。なのになぜ、こんなに机を積んでまで扉を封鎖しているのか。

「えぇ...誰がやったとかは?」
「それも分かりません!」
「いつから?」
「分かりません!」

 つまり何も分からないという事か。いやはや、これは確かに圧巻の光景だ。よくこんなに机をここまで運び込んだものだ。いや待て、この机どこから?

「この机はどこから?」
「はい、空き教室のを使われたそうです!」

 我が校も少子化の影響を受けているようで、今年の新入生は例年より少ないらしく、一クラス分の教室が余ってしまったようで、空き教室として存在しているらしい。
 どうやらこの積まれた机はその使われていない空き教室の机を使っているそうだ。
 なるほど。となると...。いや待て待て。

「凄いね、きっと弛まない努力の成果という訳だね。その挑戦者には惜しみない拍手を送りたいね。じゃあこの話はそれで終わり。部室に戻ろう」

 僕がこの積まれた机の謎を解く義理などない。ましてやこの机を戻す義理もない。幸いにも使われていない教室の机に、この机が無くても出られない屋上への扉だ。放っておいても問題は無いはずだ。実際教員は放っておいてるしね。

「いや待ってくださいよ!気になるでしょ!?」
「ならない」
「私はなるんです!」
「なら三河さんが頑張って解いたらいいじゃないか」

 返す返す言うが僕は受験生だ。しかも第一志望の沙月さんが通う大学は結構偏差値は高い。少しでも時間は無駄にしたくないのだ。

「可愛い後輩が悩んでるのに先輩は力を、いえ、知恵を貸してくれないんですか!」

 自分で可愛いって言ったぞ。一瞬、沙月さんの顔が少し過ぎったじゃないか。殺されるぞ、僕。

「分かった分かった。考えておく。でも受験勉強を優先させてもらう。それでいい?」
「むー...分かりました、とりあえずはそれでいいです」

 なんとも厚かましい後輩を持ってしまったものだ。

 2

 部員が全員帰宅した後、僕はしっかりと部室の戸締りをし、鍵をかけて帰宅する。夕日は半分程沈みかけている。急いで帰らなくては。今日は沙月さんが家庭教師に来てくれる日なのだ。
 駐輪場に停めている自転車に乗り、少し急ぎ目に自転車を漕ぐ。時間にはまだ余裕があるけど、一応部屋の掃除ぐらいは簡単にだけどしておきたい。これでも沙月さんに憧れている身だ。建前ぐらいは建てておきたいさ。なら付き合えって?ハハハ。
 いつもの半分程度の時間で帰宅。何か言ってくる母に「ただいま」だけを言って部屋に。鞄はいつもの勉強机の真横に。そんなに散らかしてないとはいえ、多少物がごろついている。それらをササッと片付けて、掃除機をかける。机の上をウェットティッシュで綺麗に拭く。
 うん、最低限だけどこれぐらいはすればオーケーかな。
 さぁ、沙月さん、いつ来てもらっても大丈夫ですよ。

「終わった?じゃあ始めましょうか」

 ふー、と少し額に滲み出た汗を拭き取ったところでいきなり沙月さんの声が。
 おかしいな、インターホンの音、いつ聞えたかな。聞こえてないはずだけどなー。

「あんた、もう沙月ちゃん来てるよって言おうとしたのに、ただいまだけ言って部屋に行っちゃうんだから」

 と、母。母が僕に何か言っていたのは沙月さんがもう家に来ているって事だったのか...。
 え、じゃあ僕、張り切って掃除してるの微笑ましく沙月さんに見られてたってことになるのか。なんてこったい。

「掃除するのはいい事よ。さぁ、始めましょう。あ、お茶ありがとうございました。とても美味しかったです」
「いいのよ、沙月ちゃんならいつでも来てね」

 母はやけに沙月さんを気に入っている。まぁ、昔は女の子も欲しかった、なんて言ってたっけ。娘が出来たみたいで嬉しいのだろう。
 家庭教師の日はいつも勉強後に沙月さんを交えて夕飯を食べるのが習慣になっていた。もうほぼ我が家の一員と言っても差し支えないのではないだろうか。
 家庭を侵食されているというのに特段、不安や嫌な気持ちは特になく、僕自身も受け入れていた。外堀を埋められているという気持ち悪さはどうしてもあるが。
 しかし嫌な気分にならないのも、恐らく沙月さんの家庭環境を知っているからだろう。沙月さんは親の愛情を受けずに育ってきた。小学校を上がるときに母親が病気で他界。父親が男で一つで育てようと朝早くから夜遅くまで働き、基本的には家に居なかった。その父親が急激に変わったのは、七年前の事。仕事中に怪我をし、それを口実に仕事をクビになったのだという。それからの父親は荒れに荒れたらしい。今まで娘のために、という理念の糸がぶっつりと切れてしまい、人が変わったかのように酒やパチンコという典型的なダメな大人の方向へ落ちて行ったらしい。そして挙句の果てに沙月さんに対する暴力だ。どんなことをされたのかは流石に聞けずだけど、聞こうとも思わない。しかし沙月さんが一言、「大丈夫よ、健吾。初めては貴方のために死守したから」と言ってきた。何と返すべきか今までで一番困った瞬間である。

「健吾、集中してる?」

 英語の問題集を広げつつも、解答欄の空白は埋まっていなかった。全く持って集中できていなかった。

「すみません…」
「どうしたの?」

 沙月さんに怒られるかと思ったが、むしろ心配してくれていた。こういう時に普段の行いって出るんだろうな。

「沙月さんがあまりに美人で見惚れていました」
「あら、ありがとう。なら付き合いましょうか」
「返し方変わりましたよね」

 援交写真事件の前であれば、「ありがとう、集中なさい」と言ってデコピンでもしてくるものだと思っていたけど、あの日以来、隙あらば交際を迫ってくるようになってしまった。やりづらくてしょうがない。
 しかし効果は覿面で、それからは問題に集中できた。二時間、休むことなくぶっ通しでやり続けた。時刻は二十時半になっていた。

「今日はここまでにしましょう」

 トントン、と問題集を机で叩き、高さを揃える。それを鞄の中にしまう。
 いつもの流れならこのままリビングで夕食になるのだが、沙月さんがその前に聞いてきた。

「で、本当は何が原因で集中できていなかったの?」

 やっぱり沙月さんにはお見通しのようだった。

「やっぱり誤魔化せないですか」

 無言で大きな瞳をまっすぐこちらに向ける。逃がさない、と言われている気分だった。

「まぁ、その、沙月さんの境遇についてちょっと…」
「はぁ。そうですか。もう過ぎてしまったことですよ。気にするだけ損です。それに、今では両親のように優しくしてくださる方がいますから、寂しくないですよ」

 沙月さんがそっと僕の頭を優しく撫でる。二年前のあの日の時の様な柔らかい微笑を浮かべながら。
 こういう表情を沙月さんの大学の人は知っているのだろうか。もし誰も知らないのであればちょっとした優越感が沸き上がってくる。僕って小さい男だな、と自己嫌悪。

「さ、下で夕飯作って待ってくれてますよ。今日は私も作るのお手伝いしたんですから、ちゃんと食べてね?」

 それだけを残して沙月さんは先に一階に降りていく。今日は沙月さんも作ったのか。楽しみだな。
 机の上を簡単に片づけてから沙月さんの後を追う。テーブルの上には今日はオムライスだった。付け合わせにコンソメスープと豆腐サラダがある。どれが沙月さんの作ったものなのだろうか。

「さぁ、健吾、どれが私の作ったものなのか、当ててください」

 うん、そう来ると思っていた。だから外すわけにはいかない。もし外してみろ、沙月さんがどうなるか考えたくもない。
 とりあえず全て最低一口は食べる。オムライスは中はバターライスで、それに合わせたかのように卵は塩が効いているのかな、少ししょっぱい。だがこれはいつもの母が作るオムライスの味付けだ。お次のコンソメスープは具は鶏肉に人参、ジャガイモ、玉ねぎ、キャベツと至って普通のコンソメスープだ。胡椒もいい塩梅で野菜の甘さの中に少しピリッとした辛さが癖になりそうだ。母がいつもするような味付けかどうかは、コンソメスープという副菜まで覚えているほど僕の舌は優秀ではなかった。サラダはまぁ、うん、ドレッシングが美味しい。
 さて、この中に沙月さんが作ったものがある。それを当てなくてはいけない。ただ、大きな問題が一つ。僕は沙月さんの手料理を食べたことがあるのはあの、援交写真事件の時にお弁当を交換した二回だけだった。そしてお弁当というのは冷凍が多くの割合を占める上に、冷めてしまっている。更に冷めると味は大きく変わる。つまり、味で当てることはできないのだ。
 ならばどうするか。推理するしかない。この中に沙月さんの作ったものがある。オムライスは完全に母のいつもの味付けだった。だからこれは除外していいだろう。ならばコンソメスープかサラダのどちらかということになる。
 コンソメスープには母が作ったものなのか、沙月さんが作ったものなのか判断する材料がない。ならばサラダはどうだろう。それこそ判断する材料が無さそうだが、サラダという料理自体が推測を補強してくれそうだ。
 なぜならサラダは簡単に言ってしまえば切って盛り付けて完成の料理だ。誰が作っても見栄えこそ差は出るだろうが、味にそこまで差が出るとは思えない。果たしてそんな料理を沙月さんが「作ったものとして」出題するだろうか。
 きっと出さない。それは沙月さんのプライドが許さないはずだ。沙月さんはそういう人だ。
 ならば、答えは、コンソメスー……。本当に?
 待て、僕は大事な事を忘れていた。それは「沙月さんは一体何時ごろから家にいたのか」だ。確かに僕より先に家にいた。しかしそれは本来ならばあり得ない話なのだ。なぜなら沙月さんだって大学に通っており、特に今日はカリキュラムが一杯に詰まっており、終わるのが遅い日なのだ。だからこそ、沙月さんが先に家にいたことに僕は度肝を抜かれたというものだ。
 そんな日になぜ、どうやって沙月さんは僕より先に家に来れた?簡単に考えるなら沙月さんが今日の大学の授業をサボった。しかしそんなこと沙月さんはしないだろう。では他には。大学の事情に精通していない僕が思いつくのは、休講だ。最後の授業が休講になり、時間が空いたからこそ、僕より先に家につくことが出来た。これが一番現実的だろう。大学の授業は九十分と聞く。沙月さんの大学から家までの移動時間等を逆算すると、最大で一時間早く家に来れたことになる。
 しかしこのコンソメスープ。ジャガイモが若干肉崩れを起こしている。一時間前に着いて、料理を始める。そして煮込み始めるのは更にそこから少し時間が経ってからになるはずだ。しかも今回は勝手が分かっていない人の家のキッチンだ。いつもより更に時間が掛かったに違いない。恐らく四十分程しか煮込めていないはずだ。果たしてその程度の時間でジャガイモは肉崩れを起こすだろうか。自炊スキルはないから自信はないが、難しいと思う。カレーぐらいは作ったことあるから、その経験からそう考えた。
 ならば、消去法でサラダではないだろうか。そうだ、きっとそうだ。母はオムライスをするときは後はスープ系統の料理を一品足して終わりだ。サラダなんて出たことがない。
 きっと普段の沙月さんならサラダなんて問題としては出さないだろうけど、時間が無かったことと、僕への悪戯として出題したに違いない!だから答えは___!

「このサラダですかね」

 自信たっぷりに答えた。その僕の表情を見るなり、母と沙月さんが顔を合わせて大きくため息を吐いた。
 あれ?間違った?

「健吾、いくら私でもサラダを作ったのを出題にはしません」
「本当にこの子は…」

 凄い言われようである。

「え、じゃあコンソメスープですか?」
「それも違います。お邪魔したのは健吾が返ってくる三十分程前ですから、そんなに作っている時間はありませんでしたよ」
「それならオムライスも違うのでは?」
「えぇ、違います」
「じゃあ無くないですか!?」
「あるでしょう?サラダにかけたドレッシングが」

 絶句である。まさのドレッシング。これは完全に見落としていた。そもそも選択肢にないものが答えだっただなんて。いやしかし、ドレッシングも立派な料理だ。それを見落としていたのが僕の間違いだった。

「私秘伝のドレッシングです。どうですか、サラダが何倍も美味しいでしょう?」

 そう言われて改めてサラダを一口。オレンジの風味がある、爽やかなドレッシングが美味しかった。

 3

 次の日。いつも通り起き、いつも通り朝食を食べ、いつも通り学校へ行く。普段と何も変わらない日常。しかし僕は忘れていた。大きな変化ではなくとも、ちょっとした日常の変化を。

「おはようございます!」
「やぁ、おはよう、三河さん。なんで僕の席に座っているのかな」

 今年新聞部に入部してきた一年生の三河さんが僕の席に座っていた。クラスメイトからはジロジロと見られる。というか下級生が上級生の教室にたった一人の先輩を待つために陣取るだなんて中々のメンタルが無ければできない事だ。三河さんって実は大物なのかもしれない。

「昨日の話、考えてくれましたか?」
「受験勉強優先させてくれるって話だったよね…?」

 昨日の話では受験勉強を優先し、余裕があれば考えるというものだった。まさか昨日の今日で聞かれるとは。何も考えていない。

「昨日は家庭教師の日で考えてないんだ、ごめんね」
「そうですか、なら仕方ありませんね!では!」

 朝から非常に元気な子だなぁ。なんて感心していた。
 しかし三河さんが去ってからやけに周りがヒソヒソと話している。何だろうか。

「よう、沢藤。あの子一年?」

 クラスメイトの、えっと、森島君だったっけな。

「そうだけど。一年生で新聞部の後輩だよ」
「コクられたの?」
「はぁ!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし考えてみれば「昨日の話」や「考えてくれた」といった話題にしては曖昧な言い方で話をされると、確かに何も知らない周りからすると、告白されて、それを保留している様にも聞こえる。

「違うよ、ちょっと変わった話を聞いてね。それに対して知恵を貸してくれと頼まれただけだよ」

 説明すると森島君は「ふーん」と興味を失くしたようで、去って行った。三河さんには困ったよ、全く。
 そして次の日。

「おはようございます!私の事、ちょっとは考えてくれましたか…?」

 またも朝から僕の席を陣取って、意味深な事を言う。しかも涙目で。おい、目薬が左手に見えてるぞ。
 しかしそんな事クラスメイトはお構いなしに噂話を始める。噂の怖さは良く知っている。だからこそ三河さんのやり方は非常に僕の弱点を突いてきていると言える。

「分かった分かった、ちゃんと考えるから毎日教室に来るのはやめてくれ!」
「はーい!よろしくお願いしまーす!」

 三河さんはどうやら僕の弱点を知ったうえでこのやり方を取ってきたらしい。仕方ない。さっさと片付けるか。
 実際の現場をもう一度見に行く。相変わらず高く積まれている。試しにちょっと動かそうかと思って引っ張ってみたが結構重い。すぐに諦めた。どうせ開かない扉があるだけだ。
 ここに来る途中に適当にすれ違う先生を捕まえて話を聞いてみるのだが、大した情報は得られなかった。つまり全く情報が無い状態で犯人の目的を考えなくてはいけないようだ。
 開かない扉を封鎖する意味…。ふーむ。うん、分からん。これだけ大規模な作業を運んでいる所を誰も目撃していないところを考えると、行われたのは放課後に違いない。しかしだからなんだというのか。問題は「誰が」ではなく「なぜ」なのだから。
 机を運ぶ理由…。積む理由…。開かない扉…。ひょっとして…。
 仮定はできた。確認もすぐに済む。今しておこう。
 そう思って僕はあることを確認した。僕の推測を裏付けるように、期待通りに確認したものが普段とは違う形状になっていた。

 これは、結構深刻な内容かもしれない。
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