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呪われたビデオ 出題編
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1
呪い、というのは実在するのだろうか。よく藁人形とかそういった任意の対象に危害を加える呪いというのは古来から言い伝えられているが、その効果のほどは如何なものなのだろうか。
少なくとも殺害にまでは至らないだろう。だけどひょっとしたら少しの不幸に見舞わせる程度の事なら可能なのかもしれない。だけど所詮はその程度の事でしかない。呪いは「のろい」とも読むし「まじない」とも読む。結局のところ「のろい」は「まじない」でしかないのだ。
だから僕は幽霊なんて存在は信じないし、ましてや死んだ人の怨念が~なんて戯言は聞き流す。
そんなもの、現実にあるわけがないんだ、と。
2
季節は冬、吐く息が白く染まるほどに寒くなった。僕はこの季節が嫌いではない。服を脱いでも暑いのはどうにもできないが、寒いのは着込めば凌げるのだから。まぁ、朝起きてベッドから出るのが億劫になってしまうのだけが唯一嫌いなところかもしれない。だけどそれ以外には基本的に夏よりは冬の方が断然良いと思っている。
何より、沙月さんの誕生日が十二月だからだ。今僕は学校終わりに隣町に出て、複合商業施設を彷徨っていた。何か沙月さんへの誕生日プレゼントを用意しようと思っての事だった。
しかし、沙月さんは何を上げたら喜ぶのだろうか。アクセサリー系は着けている所を見たことがない。服はレベルが高い。となると消費物か、小物系といったところになるのだろうか。僕の財布も心許ないことだし、その辺りが妥当か。
雑貨店を適当に回って、商品を物色しては棚に戻しを繰り返していた。いまいち、これといったものが何も見当たらない。
「せ~んぱい!」
聞きたくない声が後ろからかけられた。三年生になってから嫌というほど聞くことになった可愛い可愛い我らが新聞部一年生の紅一点、三河さんだ。
「奇遇だね」
「先輩こそ、こんなお店に来るんですね」
こんな、なんてお店に失礼でしょ。こういう、とかそういう言い方にしなきゃね。
「さては、彼女さんへのプレゼントですね!?」
こういう時の三河さんは非常に察しがいい。その察しの良さを厄介事に使って欲しいものだ。
しかし今回はラッキーかもしれない。異性への贈り物なんてしたことがない僕は、沙月さんが喜びそうなものが何も分からない。なら同じ女性に聞けば、いいのではないだろうか。
「彼女ではないけどお世話になってる人がいてね。その人の誕生日に普段の恩返しも兼ねてプレゼント送りたいんだけど、何がいいのか分からなくて」
「ふむ、どんな人なんです?」
簡単に話せる範囲で話した。もちろん去年や二年前の事件なんかは伏せて。
「ふむふむ。なるほどなるほど。ではこういうのはどうでしょう」
三河さんが手に取ったのはシンプルなデザインのマグカップだった。確かに使い勝手はいいだろう。悪くないチョイスだと思う。
「食器とか、そういうの揃ってないんじゃないですか?」
「あぁ、確かにそうだな…」
沙月さんが家でご飯を食べる時に使う食器類は確かに来客用のものばかりだ。すっかりその事が頭から抜け落ちていた。それならいい機会かもしれない。全種類、とまではいかないがせめてコップと箸ぐらいは専用を用意すべきなのかもしれない。
後は沙月さんの気に入る様なデザインの物を探すだけだ。といってもそれが非常に難易度が高いのだけれども。沙月さんはきっと女の子らしい様なデザインはあまり好かない気がする。シンプルで落ち着いたデザインを好むのではないだろうか。
様々なテナントを回ること一時間、ようやく自分観点から見て沙月さんにいいかなと思えるデザインのマグカップを見つけた。「不思議の国のアリス」のキャラが小さく所々に散りばめられていて、かつそれでいて派手すぎない、使おうと思えば普通に使える程度のデザインだった。これなら沙月さんでも気に入ってもらえそうだ。
どうやら同じテーマのデザインで作られた食器類がある様で大皿から小鉢まで、そしてお箸もあった。折角だし、お箸も揃えよう。僕はマグカップとお箸を手に取ってレジに向かった。
「さすが先輩!いいセンスですね!」
小脇から三河さんが顔覗かせてくる。三河さんも沙月さんと同じような身長なので僕とも結構身長差がある上に中腰になっているから、その、制服の襟元が緩くなっており、ピンク色のフリルが付いた布が見えた。その正体を僕は名言することはできなかったなので、目を逸らす程度にしておいた。
レジのお姉さんが丁寧にプレゼント用に梱包してくれた。うん、後は当日まで沙月さんにバレない様に隠しておこう。
「今日はありがとう、三河さん。お礼にジュースぐらいなら奢るよ」
「え?いいんですか?遠慮しませんよ、私!」
「まぁ、ジュースぐらいなら」
「ではあれで!一度飲んでみたかったんですよ!」
三河さんが指を差す方向を見ると、何やら長蛇の列ができている。その列を辿って先頭を確認する。長蛇の先頭にはテナントではなく、出店のような形で出店している、流行に疎い僕でも知っている、聞いたことのある、あの蛙の卵のようだなと思ったタピオカが入ったドリンクを販売しているお店だった。
お値段、なんと一杯六百五十円也。高くない?
「でもジュースですよ?」
「……」
口は禍の元とはまさに的を得た諺だな。
二人仲良く一時間近く長蛇の列に並び、そして、タピオカの入ったミルクティーを二人分購入した。
「なんでこれの為にあんなに並ぶの…?」
「さぁ、分かりません。ん、これそこまで並ぶ価値のあるほどの美味しさじゃないですね」
こいつ、人の金で飲んでおいてその言い草とは。
「いや、飲んでみたかったんですよ。友達がみんな飲んでその話で盛り上がってましたし」
「じゃあ、三河さんも一緒に飲めばよかったんじゃ」
「いやだって高いじゃないですか、これ。これ一杯買うお金があるなら、ちょっといいお肉買って弟に美味しいもの作ってあげたいですから」
「ん…」
そう言われると、何も言い返せなかった。彼女は両親の代わりに弟三人を世話をしている。そしてそのためには彼女は自分のしたいこと、やりたいこと全てを我慢し、犠牲にしている。
「いや、別に先輩が考えてるような崇高な考えはないですよ。単純です、私はブラコンなんです!」
「……」
そう言われると、何も言い返せなかった。
「私は友達と遊びに行くより、タピオカドリンクを飲みに行くことよりも。何よりも弟といることが好きで仕様がないんですよ。だって可愛いんですよ、弟みんな!」
目をキラキラとさせている。あぁ、この目は沙月さんが復讐を果たして、楽しくてどうしようもないという時の目と同じ目だ。これはもう真性だ。
三河さんは出まかせを言っているわけではない。気を利かせた嘘を言っているわけでもない。彼女はどうしようもなく弟が好きで、大好きで、これ以上なく愛しているのだろう。自分に使う金があるなら喜んで三河さんは弟の欲しい物を買って与える事だろう。何というか、僕の周りの女性はどうしてこうも一癖も二癖もあるような人ばっかりなんだろうか。
それでも話題に付いて行くために今回は都合よく僕の言葉があったので、飲んでみたという次第か。尚更ケチは着けられないな。
しかしそれにしてもタピオカというのは食感は確かにモチッとはしているが無味だ。一体これに何時間も並ぶ価値がどこにあるのだろうか。沙月さんの企て以上に難解ではないか、これって。
「ではでは先輩!夕飯の支度もありますので今日は失礼しますね!」
「ん、なら近くまで送るよ。後ろ乗りな」
今日も自転車できているので、まぁ少し前に買い物袋を半分持った仲だ。今回も送り狼になろうではないか。男は皆狼というしね。
「あ、いえ、今日は大丈夫です。一人で帰りますので!」
「え、でも、外結構暗いから危ないよ?」
「いやほんと大丈夫なんで!さようなら、先輩!」
三河さんはそう言って走って行ってしまった。ひょっとして、以前に僕と歩いているのを誰かに見られていて、変に噂になったとか…?うわ、ありそう。
勝手な自分の妄想に傷つきつつ、僕は帰宅した。
3
次の日、教室はいつもよりざわめきだっていた。なのにそれに反するように欠席している人数が多かった。その人数、なんと五人。受験本番ともなれば欠席する人数は必然的に多くなってくるものだけど、なんとなく今日のそれは違和感が大きかった。
「おはよう絵羽さん。今日はなんかあったの?」
思わず絵羽さんに聞いてしまう。
「おう、おはよう沢藤。何でもさ、『呪いのビデオ』ってのが見つかったらしいぜ」
……呪いのビデオ?しかも「見つかった」なんて言い方奇妙だな 。
「ほら、映研あるだろ?そこの部室の棚の奥から五年前の先輩が作った映像のテープが見つかったらしいんだ。でもその映像見た何人かが、体調を悪くしたらしいんだ。だから『呪いのビデオ』って呼ばれてるんだってさ」
「幽霊でも映ってのか…」
「いや、それが全く映ってない普通の映像なんだ」
と絵羽さんは言い切った。
「断定した言い方だね。ひょっとして見たの?」
「まぁね。お陰で恵美がね…」
そう言われて初めて気づいた。橋野さんの姿がどこにも見当たらなかった。
「私は何ともなかったんだけど、恵美が途中で吐き気するって言って断念したんだ。念のために今日は休むってさ」
「それはまぁ何とも…。お大事に」
「話聞いただけでどう思う?」
どう、と言われても…。
「呪いなんて馬鹿馬鹿しいよ」
「私もそう思う。だけど実際、害が出てるんだ。何かしら理由があるんじゃないかって」
「また僕に推論を?」
「いや、沢藤もう、入試近いでしょ?そんな奴にこんなこと頼めないって」
これはこれは。絵羽さんは聡い人間だ。特に人間関係には非常に敏感で、人の嫌がることなどは滅多にはしない人だ。だから僕の表情のどこかに嫌だ、と出ていたのだろう。
それに呪いのビデオなんて所詮何かの子供騙しだろう。感受性が豊かな人なら事前に「この映像を見たら気分が悪くなる」と言われていれば感化されてそうなってしまうこともあるだろう。だからきっとこんなふざけた様な話はすぐに風化されるはずに違いない。
そう思っていた。
「先輩!『呪いのビデオ』の噂聞きましたか!?」
その日の放課後、新聞部部室にて三河さんが開口一番にそう言った。正直来るだろうなとは思っていたので、僕は動じなかった。
「クラスで聞いたよ」
「気になりませんか!?」
「入試の方が気になるかな」
僕はもう受験生で、入試は目と鼻の先まで迫っている。受験勉強も仕上げのように苦手問題中心に沙月さんに徹底して教えてもらっている。模試も判定はA判定が出ているのでこのまま行けば大丈夫だろうと沙月さんからも太鼓判は貰っている。
しかし油断はしないように、という注意も貰っている。というわけで僕は今の時期、結構ピリピリしているのだ。ましてやそんな噂話に付き合っている暇は皆目ないのだ。
「え~…つまんない…」
そうは言われてもこればっかりは仕方ない。まだ夏休み期間とかであれば相手するかもしれないけれど、今は入試に向けて余所見をしている暇はないのだ。
今回ばかりは僕も頑なに折れなかった。それに今日は沙月さんの家庭教師の日だ。早めに部活も切り上げて帰宅することにした。
「学校で何かあったの?」
沙月さんに漢文を教えてもらって早一時間。休憩にしようとなったところで沙月さんがいきなりそう言った。
「いえ、特に何もないですよ」
「…そう。ならいいけど」
きっと嘘って見透かされてるんだろうな、なんて思いながら、追及してこないのでそのまま黙っておくことにした。
「なら悪いけど、私、少し仮眠させてもらうわ。昨日バイトであまり寝てないの」
沙月さんはもう一つバイトをしている。正しくは僕の家庭教師はお金を頑なに受け取ってくれないので、バイトとは呼べないのだけど。そのもう一つのバイトというのはファミレスでアルバイトしているらしい。沙月さんが接客というのがどうもイメージできないのだが、まぁ、沙月さんは何でも出来てしまう万能型だ。卒なくこなしているのだろう。
「別に寝込み襲ってもいいのよ?」
「早く寝てください」
なんで暖房付けてるとはいえ、真冬なのに胸元のボタンを一つ外して寝るのだろうか。ピンク色のひも状の何かが肩に見えてますよ沙月さん。
しかし沙月さんはすぐに寝入ってしまったようだ。きっと夜勤帯に入ってそのまま大学に行って、そして終わってすぐに家庭教師に来てくれたのだろう。なんとも有難い話だろうか。
そういえば沙月さんの寝顔見る機会なんて無かったから初めてだな。と邪な考えが浮かぶ。スマホのカメラを起動して静かにレンズを沙月さんに向ける。そしてシャッターを押そうと指に力を入れ________。
「すると思ってた」
思いっきり沙月さん起きていらっしゃった。これは不味いな。
「寝顔を撮るのは恋人の特権よ、健吾」
「はぁ、そういうもんなんですか」
しかし写真に収めることはできないが、見ることは叶うのだからそんな大した差ではないように思えるのだが、どういった違いがるのだろうか。
考えていると沙月さんは僕に顔を見えないように、ベッドに顔をうつ伏せて寝息を立て始めた。その体制凄く寝にくいように見えるのだけど、大丈夫なのかな。
それにしても、一人暮らしをして、バイトで生計を建てて、そしてこうして僕の家庭教師までしてくれている。沙月さんは本当に凄い人だ。こんなに凄い人の隣に僕の様な平々凡々極まりない人間がいていいのだろうか。沙月さんならもっといい人がいるに違いないだろうに。
なんて考えてしまうが、それはきっと沙月さんを呆れさせてしまうことだろうし、何なら怒られるまでありそうだ。それに、仮にそうなのだとしたら、僕だって沙月さんの事は好きだ。だから隣に居るに相応しい人間になれるように努力するまでだ。
今日はそのままずっと沙月さんを寝かせたまま、僕一人で問題集を解くことにした。
そしていつも、家庭教師を終える時間になり、リビングにいる母から夕飯に来いと呼ばれる。沙月さんはその声で起きた。
「え…?もうそんな時間…?なんで健吾起こさないのよ…」
ちょっと寝ぼけているのだろうか、まだ眠たそうに眼を擦っている。なんというか寝起きの沙月さんって新鮮だな。
「ごめんなさい。疲れているようでしたので」
「はぁ…。うん…ありがとう…」
やはりまだ寝起きで頭が回っていない様子だ。普段の沙月さんの凛々しさはどこかに成りを潜めていた。沙月さんってひょっとしたら寝起きはあまり良くない人なのかもしれない。
とりあえず僕と沙月さんは母が待つリビングに降りて行った。母は僕と沙月さんを一目見て、ニヤリと笑いはしたが特に何も言ってこなかった。
相変わらず来客用の素っ気ない食器で夕飯を食べた沙月さんを自転車で送っていく。後ろに乗った沙月さんは相変わらず僕の腰に腕を回し、抱き着く形でしがみついてくる。
「健吾」
「はい、なんでしょう」
「頑張ってね」
「はい、もちろんです」
沙月さんはそれ以上何も言わなかった。
4
「部長!見てください!『呪いのビデオ』手に入れました!」
放課後の部活で三河さんが意気揚々とDVDを持ってきた。これが先日噂に聞いた『呪いのビデオ』らしい。
「見ましょう!」
子供の様に目をキラキラに輝かせて言う。しかし僕はその誘いに乗ったら最後、この謎の真相を解明するまでは三河さんは解放してくれないと考えていた。
「嫌だ」
「じゃあここで一人で見ます」
もはや強硬手段染みた方法で勝手に新聞部唯一のパソコンを独占し始めた。このパソコンは月一で発行している校内新聞を作るのに使っているだけで、それ以外の用途で使うことはまずなかった。
それにしても三河さん、鍵を僕しか持っていないから、居座ればずっと僕がここにいなければいけない事を分かっててやっているな。
それなら僕も強硬突破を試みるまでだ。
「悪いんだけど三河さん、僕今日家庭教師の日なんだ。早く帰らなきゃいけないから、ビデオはまた今度に」
「あれ?先輩の家庭教師の日って月水金ですよね」
完全に把握されていた。しかしそれでも僕にはまだ手は残っている。
「いや、家庭教師に来てくれている先輩が都合悪いから今日にしてくれって言われてね」
「ふーん…本当ですかぁ…?」
漫画的表現でジト目、というのを現実世界で初めて目の当たりにした。こういうものなのか、ふーん。可愛いとかってよく聞くけど、実際には疑いの目を向けられているだけだから、気持ちのいいものではないもんだね。
しかし、それでも僕は今回は何が何でも引き下がるわけにはいかなかった。ここで折れたらダメだ。今さえ凌げば何とでも逃げられるはずなんだ。
そんな時だった。ピロン、という軽快な音が鳴った。出所は長机の上に置いていた僕のスマホからだった。
『沙月さん 明日は英語で良かったかしら?』
という沙月さんからのラインだった。明日の家庭教師の時に教えてもらう教科の話だった。
問題はこの内容を三河さんに見られた、という事である。
「へ~、二日連続で家庭教師来てもらうんですか、大変ですね~。へ~」
あからさまな棒読みが始まった。沙月さんと言い三河さんと言い、どうしてこうも女性のプレッシャーの掛け方というのは恐ろしいのだろうか。
「分かった分かった!嘘付いて悪かった!見よう!でも見るだけだからな!」
「はい!見ましょう!」
早速パソコンを開き、ディスクを挿入する。映像は短く、十分程度だと、タスクバーが教えてくれた。
そして映像が始まる。
数人の男女の声がする。どうやら校内をカメラ片手に歩き回って設備を紹介していく映像のようだった。
『やっぱ最初は学食じゃない?中学生の時学食憧れなかった!?』
『分かる!行こう行こう!』
『最初テンション上がったけど、先輩が怖くて行けなったわ~』
とまぁ他愛ない雑談しながら、設備に着いたらリポーターの様にきちんと説明するといった感じの長閑な映像だった。特に変な所は見当たらない。なぜこれが『呪いのビデオ』なのか。普通過ぎて逆にそこが気味悪く感じてしまう程だ。
しばらくこの高校の設備を数人でふざけ合いながら紹介している映像が流れ、僕もいよいよ飽きが募って欠伸が出てしまう。何が楽しくて三年間通っている学校の施設を名前も知らないいつぞやの先輩に紹介してもらわなくてはいけないのだろうか。
と、二回目の欠伸が出そうになったその時だった。
「うぅ…」
僕の横で同じくパソコンの画面を覗き込んでいた三河さんが口を抑えながら蹲った。
「どうしたの?」
「気持ち悪い…」
「え…?」
三河さんは確かに気持ち悪いと言った。しかしこの映像は決してスプラッタ映画ではない。意味不明で理解不能の謎な映像でもない。退屈ではあるが嫌悪感や不快感を覚えるような害悪の映像では決してない。ならば三河さんはなぜ気分を害したのだろうか。
「吐きそう…」
「ちょっと待って!」
顔を真っ青にしながら口を抑える三河さんの口元に慌てて部室内にあるごみ箱に使う用の袋を当てる。
見たいわけでもないし、見られたくもないであろうその行為から僕は目を逸らす。数秒後に必死に抑えているのであろう嗚咽と、袋に吐き出す音が聞こえる。微かに酸っぱい様な臭いがしたが、何も言わない。やがて全て吐ききったのだろう、ティッシュを数枚取る音も聞こえてきた。
「ちょっと、お手洗いと、水買ってきます」
「あぁ、うん、分かった。大丈夫?一緒に行こうか?」
「いえ、吐いたらスッキリしたので大丈夫です」
それだけを言い残し、三河さんは部室を出て行った。
パソコンの画面にはまだ紹介の映像が続いている。僕はそれを端から端まで何か見落としがないかを穴が開くほど見入った。しかし、最後の数分を凝視しても特に変な所は発見できなかった。
一体、この映像の何が三河さんの気分を害したのだろうか。もう一度最初から再生する。今度は最初から画面を凝視する。しかし、やはり心霊的な何かが映っているわけでもない。本当に至ってシンプルな映像だった。
三回目見返そうとしたところで三河さんが戻ってきた。
「まだ、見てたんですか…」
「うん。でももう辞めとくよ」
パソコンを閉じ、ディスクを取り出す。三河さんからケースを貰い、仕舞う。
「どの辺から気分が悪くなったの?」
「四、五分辺りで何故か急に…。おかしいですよね、ただの紹介映像だったのに」
三河さんが言うには特に映像に不可解なものであったり変なものを見つけたわけではないそうだ。だとしたらこの映像は一体何なんだろうか…。
しかしこれ以上は三河さんの顔色を見る限り、早く返して休ませるべきだろうと思い、家に帰すことにした。
5
結局三河さんは次の日は学校を休んだそうだ。僕にそうラインで連絡が来た。簡単に『お大事に』とだけ返しておいた。すると『それだけですか!』という一文を怒った顔のスタンプが送られてきた。僕はそっとラインを閉じてスマホをポケットに仕舞った。いやだってほら、休ませてあげないとね。
DVDは三河さんが気持ち悪がって、僕に押し付けて行った。普通なら怒る所なんだけど、今回は仕方がないとして、僕が持って帰った。
しかし僕だってこんなもの、ずっと持っていたくはないわけで、つまり結局は映研に返してしまうつもりでいた。
「あ、今沢藤が持ってたのか」
同じ学年の清隆君という映研所属の彼に返すことにした。彼らはこの映像を見てどう感じたのだろうか。
「あぁ、皆で見たよ。三人ほど体調を悪くしたね。僕は何ともなかったけど」
「この映像の出来自体はどう思う?」
「つまらないよね、凄く。見てて苦痛でさえあったよ」
清隆君は苦笑交じりにそう言った。結局見て体調を崩したという三人にも話を聞いたが、大体は三河さんと同じことを言うだけだった。
この映像は結局使われることはなく、没になってしまったというが、まぁ、当然だよね。少数とはいえ見た人間が体調を崩してしまう映像を使うわけにはいかないから。
そこで映研の人になぜこの映像が『呪われたビデオ』と言われるようになったのかを聞くことにした。
「あぁ、それがな、この映像に映っているこの人がな、卒業前に事故で死んでしまったらしいんだ。それからこの映像を見ると体調がおかしくなる人が出始めたんだ。その事故で亡くなったOBの怨念が込められているって話さ」
「なるほど、ありがとう」
「え、それだけか…?」
「ん?うん。それが何か?」
「いや、ほら、怖いとか…」
「はは、もっと怖いものを僕は知ってるんでね」
この映像は五年前に撮影されたもので、映像の中に映っているOBが事故死しており、その人の怨念が込められている、ねぇ…。なんともまぁ、ありきたりな話だろうか。
「あ、そうだ清隆君。もう一つ聞いてもいい?」
「ん?何だい?」
「どうして僕達のいない五年前の出来事をそんなに詳しく知っているの?」
「えっ、あ、あぁ!兄貴がいるんだ。俺の兄貴もこの高校出身でね、兄貴から聞いたんだ…」
「ふぅん、そっか。納得したよ、ありがとう」
僕がそう言って彼の元から立ち去るその瞬間、清隆君がホッと安堵したような顔をしたのを僕は見逃さなかった。
呪い、というのは実在するのだろうか。よく藁人形とかそういった任意の対象に危害を加える呪いというのは古来から言い伝えられているが、その効果のほどは如何なものなのだろうか。
少なくとも殺害にまでは至らないだろう。だけどひょっとしたら少しの不幸に見舞わせる程度の事なら可能なのかもしれない。だけど所詮はその程度の事でしかない。呪いは「のろい」とも読むし「まじない」とも読む。結局のところ「のろい」は「まじない」でしかないのだ。
だから僕は幽霊なんて存在は信じないし、ましてや死んだ人の怨念が~なんて戯言は聞き流す。
そんなもの、現実にあるわけがないんだ、と。
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季節は冬、吐く息が白く染まるほどに寒くなった。僕はこの季節が嫌いではない。服を脱いでも暑いのはどうにもできないが、寒いのは着込めば凌げるのだから。まぁ、朝起きてベッドから出るのが億劫になってしまうのだけが唯一嫌いなところかもしれない。だけどそれ以外には基本的に夏よりは冬の方が断然良いと思っている。
何より、沙月さんの誕生日が十二月だからだ。今僕は学校終わりに隣町に出て、複合商業施設を彷徨っていた。何か沙月さんへの誕生日プレゼントを用意しようと思っての事だった。
しかし、沙月さんは何を上げたら喜ぶのだろうか。アクセサリー系は着けている所を見たことがない。服はレベルが高い。となると消費物か、小物系といったところになるのだろうか。僕の財布も心許ないことだし、その辺りが妥当か。
雑貨店を適当に回って、商品を物色しては棚に戻しを繰り返していた。いまいち、これといったものが何も見当たらない。
「せ~んぱい!」
聞きたくない声が後ろからかけられた。三年生になってから嫌というほど聞くことになった可愛い可愛い我らが新聞部一年生の紅一点、三河さんだ。
「奇遇だね」
「先輩こそ、こんなお店に来るんですね」
こんな、なんてお店に失礼でしょ。こういう、とかそういう言い方にしなきゃね。
「さては、彼女さんへのプレゼントですね!?」
こういう時の三河さんは非常に察しがいい。その察しの良さを厄介事に使って欲しいものだ。
しかし今回はラッキーかもしれない。異性への贈り物なんてしたことがない僕は、沙月さんが喜びそうなものが何も分からない。なら同じ女性に聞けば、いいのではないだろうか。
「彼女ではないけどお世話になってる人がいてね。その人の誕生日に普段の恩返しも兼ねてプレゼント送りたいんだけど、何がいいのか分からなくて」
「ふむ、どんな人なんです?」
簡単に話せる範囲で話した。もちろん去年や二年前の事件なんかは伏せて。
「ふむふむ。なるほどなるほど。ではこういうのはどうでしょう」
三河さんが手に取ったのはシンプルなデザインのマグカップだった。確かに使い勝手はいいだろう。悪くないチョイスだと思う。
「食器とか、そういうの揃ってないんじゃないですか?」
「あぁ、確かにそうだな…」
沙月さんが家でご飯を食べる時に使う食器類は確かに来客用のものばかりだ。すっかりその事が頭から抜け落ちていた。それならいい機会かもしれない。全種類、とまではいかないがせめてコップと箸ぐらいは専用を用意すべきなのかもしれない。
後は沙月さんの気に入る様なデザインの物を探すだけだ。といってもそれが非常に難易度が高いのだけれども。沙月さんはきっと女の子らしい様なデザインはあまり好かない気がする。シンプルで落ち着いたデザインを好むのではないだろうか。
様々なテナントを回ること一時間、ようやく自分観点から見て沙月さんにいいかなと思えるデザインのマグカップを見つけた。「不思議の国のアリス」のキャラが小さく所々に散りばめられていて、かつそれでいて派手すぎない、使おうと思えば普通に使える程度のデザインだった。これなら沙月さんでも気に入ってもらえそうだ。
どうやら同じテーマのデザインで作られた食器類がある様で大皿から小鉢まで、そしてお箸もあった。折角だし、お箸も揃えよう。僕はマグカップとお箸を手に取ってレジに向かった。
「さすが先輩!いいセンスですね!」
小脇から三河さんが顔覗かせてくる。三河さんも沙月さんと同じような身長なので僕とも結構身長差がある上に中腰になっているから、その、制服の襟元が緩くなっており、ピンク色のフリルが付いた布が見えた。その正体を僕は名言することはできなかったなので、目を逸らす程度にしておいた。
レジのお姉さんが丁寧にプレゼント用に梱包してくれた。うん、後は当日まで沙月さんにバレない様に隠しておこう。
「今日はありがとう、三河さん。お礼にジュースぐらいなら奢るよ」
「え?いいんですか?遠慮しませんよ、私!」
「まぁ、ジュースぐらいなら」
「ではあれで!一度飲んでみたかったんですよ!」
三河さんが指を差す方向を見ると、何やら長蛇の列ができている。その列を辿って先頭を確認する。長蛇の先頭にはテナントではなく、出店のような形で出店している、流行に疎い僕でも知っている、聞いたことのある、あの蛙の卵のようだなと思ったタピオカが入ったドリンクを販売しているお店だった。
お値段、なんと一杯六百五十円也。高くない?
「でもジュースですよ?」
「……」
口は禍の元とはまさに的を得た諺だな。
二人仲良く一時間近く長蛇の列に並び、そして、タピオカの入ったミルクティーを二人分購入した。
「なんでこれの為にあんなに並ぶの…?」
「さぁ、分かりません。ん、これそこまで並ぶ価値のあるほどの美味しさじゃないですね」
こいつ、人の金で飲んでおいてその言い草とは。
「いや、飲んでみたかったんですよ。友達がみんな飲んでその話で盛り上がってましたし」
「じゃあ、三河さんも一緒に飲めばよかったんじゃ」
「いやだって高いじゃないですか、これ。これ一杯買うお金があるなら、ちょっといいお肉買って弟に美味しいもの作ってあげたいですから」
「ん…」
そう言われると、何も言い返せなかった。彼女は両親の代わりに弟三人を世話をしている。そしてそのためには彼女は自分のしたいこと、やりたいこと全てを我慢し、犠牲にしている。
「いや、別に先輩が考えてるような崇高な考えはないですよ。単純です、私はブラコンなんです!」
「……」
そう言われると、何も言い返せなかった。
「私は友達と遊びに行くより、タピオカドリンクを飲みに行くことよりも。何よりも弟といることが好きで仕様がないんですよ。だって可愛いんですよ、弟みんな!」
目をキラキラとさせている。あぁ、この目は沙月さんが復讐を果たして、楽しくてどうしようもないという時の目と同じ目だ。これはもう真性だ。
三河さんは出まかせを言っているわけではない。気を利かせた嘘を言っているわけでもない。彼女はどうしようもなく弟が好きで、大好きで、これ以上なく愛しているのだろう。自分に使う金があるなら喜んで三河さんは弟の欲しい物を買って与える事だろう。何というか、僕の周りの女性はどうしてこうも一癖も二癖もあるような人ばっかりなんだろうか。
それでも話題に付いて行くために今回は都合よく僕の言葉があったので、飲んでみたという次第か。尚更ケチは着けられないな。
しかしそれにしてもタピオカというのは食感は確かにモチッとはしているが無味だ。一体これに何時間も並ぶ価値がどこにあるのだろうか。沙月さんの企て以上に難解ではないか、これって。
「ではでは先輩!夕飯の支度もありますので今日は失礼しますね!」
「ん、なら近くまで送るよ。後ろ乗りな」
今日も自転車できているので、まぁ少し前に買い物袋を半分持った仲だ。今回も送り狼になろうではないか。男は皆狼というしね。
「あ、いえ、今日は大丈夫です。一人で帰りますので!」
「え、でも、外結構暗いから危ないよ?」
「いやほんと大丈夫なんで!さようなら、先輩!」
三河さんはそう言って走って行ってしまった。ひょっとして、以前に僕と歩いているのを誰かに見られていて、変に噂になったとか…?うわ、ありそう。
勝手な自分の妄想に傷つきつつ、僕は帰宅した。
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次の日、教室はいつもよりざわめきだっていた。なのにそれに反するように欠席している人数が多かった。その人数、なんと五人。受験本番ともなれば欠席する人数は必然的に多くなってくるものだけど、なんとなく今日のそれは違和感が大きかった。
「おはよう絵羽さん。今日はなんかあったの?」
思わず絵羽さんに聞いてしまう。
「おう、おはよう沢藤。何でもさ、『呪いのビデオ』ってのが見つかったらしいぜ」
……呪いのビデオ?しかも「見つかった」なんて言い方奇妙だな 。
「ほら、映研あるだろ?そこの部室の棚の奥から五年前の先輩が作った映像のテープが見つかったらしいんだ。でもその映像見た何人かが、体調を悪くしたらしいんだ。だから『呪いのビデオ』って呼ばれてるんだってさ」
「幽霊でも映ってのか…」
「いや、それが全く映ってない普通の映像なんだ」
と絵羽さんは言い切った。
「断定した言い方だね。ひょっとして見たの?」
「まぁね。お陰で恵美がね…」
そう言われて初めて気づいた。橋野さんの姿がどこにも見当たらなかった。
「私は何ともなかったんだけど、恵美が途中で吐き気するって言って断念したんだ。念のために今日は休むってさ」
「それはまぁ何とも…。お大事に」
「話聞いただけでどう思う?」
どう、と言われても…。
「呪いなんて馬鹿馬鹿しいよ」
「私もそう思う。だけど実際、害が出てるんだ。何かしら理由があるんじゃないかって」
「また僕に推論を?」
「いや、沢藤もう、入試近いでしょ?そんな奴にこんなこと頼めないって」
これはこれは。絵羽さんは聡い人間だ。特に人間関係には非常に敏感で、人の嫌がることなどは滅多にはしない人だ。だから僕の表情のどこかに嫌だ、と出ていたのだろう。
それに呪いのビデオなんて所詮何かの子供騙しだろう。感受性が豊かな人なら事前に「この映像を見たら気分が悪くなる」と言われていれば感化されてそうなってしまうこともあるだろう。だからきっとこんなふざけた様な話はすぐに風化されるはずに違いない。
そう思っていた。
「先輩!『呪いのビデオ』の噂聞きましたか!?」
その日の放課後、新聞部部室にて三河さんが開口一番にそう言った。正直来るだろうなとは思っていたので、僕は動じなかった。
「クラスで聞いたよ」
「気になりませんか!?」
「入試の方が気になるかな」
僕はもう受験生で、入試は目と鼻の先まで迫っている。受験勉強も仕上げのように苦手問題中心に沙月さんに徹底して教えてもらっている。模試も判定はA判定が出ているのでこのまま行けば大丈夫だろうと沙月さんからも太鼓判は貰っている。
しかし油断はしないように、という注意も貰っている。というわけで僕は今の時期、結構ピリピリしているのだ。ましてやそんな噂話に付き合っている暇は皆目ないのだ。
「え~…つまんない…」
そうは言われてもこればっかりは仕方ない。まだ夏休み期間とかであれば相手するかもしれないけれど、今は入試に向けて余所見をしている暇はないのだ。
今回ばかりは僕も頑なに折れなかった。それに今日は沙月さんの家庭教師の日だ。早めに部活も切り上げて帰宅することにした。
「学校で何かあったの?」
沙月さんに漢文を教えてもらって早一時間。休憩にしようとなったところで沙月さんがいきなりそう言った。
「いえ、特に何もないですよ」
「…そう。ならいいけど」
きっと嘘って見透かされてるんだろうな、なんて思いながら、追及してこないのでそのまま黙っておくことにした。
「なら悪いけど、私、少し仮眠させてもらうわ。昨日バイトであまり寝てないの」
沙月さんはもう一つバイトをしている。正しくは僕の家庭教師はお金を頑なに受け取ってくれないので、バイトとは呼べないのだけど。そのもう一つのバイトというのはファミレスでアルバイトしているらしい。沙月さんが接客というのがどうもイメージできないのだが、まぁ、沙月さんは何でも出来てしまう万能型だ。卒なくこなしているのだろう。
「別に寝込み襲ってもいいのよ?」
「早く寝てください」
なんで暖房付けてるとはいえ、真冬なのに胸元のボタンを一つ外して寝るのだろうか。ピンク色のひも状の何かが肩に見えてますよ沙月さん。
しかし沙月さんはすぐに寝入ってしまったようだ。きっと夜勤帯に入ってそのまま大学に行って、そして終わってすぐに家庭教師に来てくれたのだろう。なんとも有難い話だろうか。
そういえば沙月さんの寝顔見る機会なんて無かったから初めてだな。と邪な考えが浮かぶ。スマホのカメラを起動して静かにレンズを沙月さんに向ける。そしてシャッターを押そうと指に力を入れ________。
「すると思ってた」
思いっきり沙月さん起きていらっしゃった。これは不味いな。
「寝顔を撮るのは恋人の特権よ、健吾」
「はぁ、そういうもんなんですか」
しかし写真に収めることはできないが、見ることは叶うのだからそんな大した差ではないように思えるのだが、どういった違いがるのだろうか。
考えていると沙月さんは僕に顔を見えないように、ベッドに顔をうつ伏せて寝息を立て始めた。その体制凄く寝にくいように見えるのだけど、大丈夫なのかな。
それにしても、一人暮らしをして、バイトで生計を建てて、そしてこうして僕の家庭教師までしてくれている。沙月さんは本当に凄い人だ。こんなに凄い人の隣に僕の様な平々凡々極まりない人間がいていいのだろうか。沙月さんならもっといい人がいるに違いないだろうに。
なんて考えてしまうが、それはきっと沙月さんを呆れさせてしまうことだろうし、何なら怒られるまでありそうだ。それに、仮にそうなのだとしたら、僕だって沙月さんの事は好きだ。だから隣に居るに相応しい人間になれるように努力するまでだ。
今日はそのままずっと沙月さんを寝かせたまま、僕一人で問題集を解くことにした。
そしていつも、家庭教師を終える時間になり、リビングにいる母から夕飯に来いと呼ばれる。沙月さんはその声で起きた。
「え…?もうそんな時間…?なんで健吾起こさないのよ…」
ちょっと寝ぼけているのだろうか、まだ眠たそうに眼を擦っている。なんというか寝起きの沙月さんって新鮮だな。
「ごめんなさい。疲れているようでしたので」
「はぁ…。うん…ありがとう…」
やはりまだ寝起きで頭が回っていない様子だ。普段の沙月さんの凛々しさはどこかに成りを潜めていた。沙月さんってひょっとしたら寝起きはあまり良くない人なのかもしれない。
とりあえず僕と沙月さんは母が待つリビングに降りて行った。母は僕と沙月さんを一目見て、ニヤリと笑いはしたが特に何も言ってこなかった。
相変わらず来客用の素っ気ない食器で夕飯を食べた沙月さんを自転車で送っていく。後ろに乗った沙月さんは相変わらず僕の腰に腕を回し、抱き着く形でしがみついてくる。
「健吾」
「はい、なんでしょう」
「頑張ってね」
「はい、もちろんです」
沙月さんはそれ以上何も言わなかった。
4
「部長!見てください!『呪いのビデオ』手に入れました!」
放課後の部活で三河さんが意気揚々とDVDを持ってきた。これが先日噂に聞いた『呪いのビデオ』らしい。
「見ましょう!」
子供の様に目をキラキラに輝かせて言う。しかし僕はその誘いに乗ったら最後、この謎の真相を解明するまでは三河さんは解放してくれないと考えていた。
「嫌だ」
「じゃあここで一人で見ます」
もはや強硬手段染みた方法で勝手に新聞部唯一のパソコンを独占し始めた。このパソコンは月一で発行している校内新聞を作るのに使っているだけで、それ以外の用途で使うことはまずなかった。
それにしても三河さん、鍵を僕しか持っていないから、居座ればずっと僕がここにいなければいけない事を分かっててやっているな。
それなら僕も強硬突破を試みるまでだ。
「悪いんだけど三河さん、僕今日家庭教師の日なんだ。早く帰らなきゃいけないから、ビデオはまた今度に」
「あれ?先輩の家庭教師の日って月水金ですよね」
完全に把握されていた。しかしそれでも僕にはまだ手は残っている。
「いや、家庭教師に来てくれている先輩が都合悪いから今日にしてくれって言われてね」
「ふーん…本当ですかぁ…?」
漫画的表現でジト目、というのを現実世界で初めて目の当たりにした。こういうものなのか、ふーん。可愛いとかってよく聞くけど、実際には疑いの目を向けられているだけだから、気持ちのいいものではないもんだね。
しかし、それでも僕は今回は何が何でも引き下がるわけにはいかなかった。ここで折れたらダメだ。今さえ凌げば何とでも逃げられるはずなんだ。
そんな時だった。ピロン、という軽快な音が鳴った。出所は長机の上に置いていた僕のスマホからだった。
『沙月さん 明日は英語で良かったかしら?』
という沙月さんからのラインだった。明日の家庭教師の時に教えてもらう教科の話だった。
問題はこの内容を三河さんに見られた、という事である。
「へ~、二日連続で家庭教師来てもらうんですか、大変ですね~。へ~」
あからさまな棒読みが始まった。沙月さんと言い三河さんと言い、どうしてこうも女性のプレッシャーの掛け方というのは恐ろしいのだろうか。
「分かった分かった!嘘付いて悪かった!見よう!でも見るだけだからな!」
「はい!見ましょう!」
早速パソコンを開き、ディスクを挿入する。映像は短く、十分程度だと、タスクバーが教えてくれた。
そして映像が始まる。
数人の男女の声がする。どうやら校内をカメラ片手に歩き回って設備を紹介していく映像のようだった。
『やっぱ最初は学食じゃない?中学生の時学食憧れなかった!?』
『分かる!行こう行こう!』
『最初テンション上がったけど、先輩が怖くて行けなったわ~』
とまぁ他愛ない雑談しながら、設備に着いたらリポーターの様にきちんと説明するといった感じの長閑な映像だった。特に変な所は見当たらない。なぜこれが『呪いのビデオ』なのか。普通過ぎて逆にそこが気味悪く感じてしまう程だ。
しばらくこの高校の設備を数人でふざけ合いながら紹介している映像が流れ、僕もいよいよ飽きが募って欠伸が出てしまう。何が楽しくて三年間通っている学校の施設を名前も知らないいつぞやの先輩に紹介してもらわなくてはいけないのだろうか。
と、二回目の欠伸が出そうになったその時だった。
「うぅ…」
僕の横で同じくパソコンの画面を覗き込んでいた三河さんが口を抑えながら蹲った。
「どうしたの?」
「気持ち悪い…」
「え…?」
三河さんは確かに気持ち悪いと言った。しかしこの映像は決してスプラッタ映画ではない。意味不明で理解不能の謎な映像でもない。退屈ではあるが嫌悪感や不快感を覚えるような害悪の映像では決してない。ならば三河さんはなぜ気分を害したのだろうか。
「吐きそう…」
「ちょっと待って!」
顔を真っ青にしながら口を抑える三河さんの口元に慌てて部室内にあるごみ箱に使う用の袋を当てる。
見たいわけでもないし、見られたくもないであろうその行為から僕は目を逸らす。数秒後に必死に抑えているのであろう嗚咽と、袋に吐き出す音が聞こえる。微かに酸っぱい様な臭いがしたが、何も言わない。やがて全て吐ききったのだろう、ティッシュを数枚取る音も聞こえてきた。
「ちょっと、お手洗いと、水買ってきます」
「あぁ、うん、分かった。大丈夫?一緒に行こうか?」
「いえ、吐いたらスッキリしたので大丈夫です」
それだけを言い残し、三河さんは部室を出て行った。
パソコンの画面にはまだ紹介の映像が続いている。僕はそれを端から端まで何か見落としがないかを穴が開くほど見入った。しかし、最後の数分を凝視しても特に変な所は発見できなかった。
一体、この映像の何が三河さんの気分を害したのだろうか。もう一度最初から再生する。今度は最初から画面を凝視する。しかし、やはり心霊的な何かが映っているわけでもない。本当に至ってシンプルな映像だった。
三回目見返そうとしたところで三河さんが戻ってきた。
「まだ、見てたんですか…」
「うん。でももう辞めとくよ」
パソコンを閉じ、ディスクを取り出す。三河さんからケースを貰い、仕舞う。
「どの辺から気分が悪くなったの?」
「四、五分辺りで何故か急に…。おかしいですよね、ただの紹介映像だったのに」
三河さんが言うには特に映像に不可解なものであったり変なものを見つけたわけではないそうだ。だとしたらこの映像は一体何なんだろうか…。
しかしこれ以上は三河さんの顔色を見る限り、早く返して休ませるべきだろうと思い、家に帰すことにした。
5
結局三河さんは次の日は学校を休んだそうだ。僕にそうラインで連絡が来た。簡単に『お大事に』とだけ返しておいた。すると『それだけですか!』という一文を怒った顔のスタンプが送られてきた。僕はそっとラインを閉じてスマホをポケットに仕舞った。いやだってほら、休ませてあげないとね。
DVDは三河さんが気持ち悪がって、僕に押し付けて行った。普通なら怒る所なんだけど、今回は仕方がないとして、僕が持って帰った。
しかし僕だってこんなもの、ずっと持っていたくはないわけで、つまり結局は映研に返してしまうつもりでいた。
「あ、今沢藤が持ってたのか」
同じ学年の清隆君という映研所属の彼に返すことにした。彼らはこの映像を見てどう感じたのだろうか。
「あぁ、皆で見たよ。三人ほど体調を悪くしたね。僕は何ともなかったけど」
「この映像の出来自体はどう思う?」
「つまらないよね、凄く。見てて苦痛でさえあったよ」
清隆君は苦笑交じりにそう言った。結局見て体調を崩したという三人にも話を聞いたが、大体は三河さんと同じことを言うだけだった。
この映像は結局使われることはなく、没になってしまったというが、まぁ、当然だよね。少数とはいえ見た人間が体調を崩してしまう映像を使うわけにはいかないから。
そこで映研の人になぜこの映像が『呪われたビデオ』と言われるようになったのかを聞くことにした。
「あぁ、それがな、この映像に映っているこの人がな、卒業前に事故で死んでしまったらしいんだ。それからこの映像を見ると体調がおかしくなる人が出始めたんだ。その事故で亡くなったOBの怨念が込められているって話さ」
「なるほど、ありがとう」
「え、それだけか…?」
「ん?うん。それが何か?」
「いや、ほら、怖いとか…」
「はは、もっと怖いものを僕は知ってるんでね」
この映像は五年前に撮影されたもので、映像の中に映っているOBが事故死しており、その人の怨念が込められている、ねぇ…。なんともまぁ、ありきたりな話だろうか。
「あ、そうだ清隆君。もう一つ聞いてもいい?」
「ん?何だい?」
「どうして僕達のいない五年前の出来事をそんなに詳しく知っているの?」
「えっ、あ、あぁ!兄貴がいるんだ。俺の兄貴もこの高校出身でね、兄貴から聞いたんだ…」
「ふぅん、そっか。納得したよ、ありがとう」
僕がそう言って彼の元から立ち去るその瞬間、清隆君がホッと安堵したような顔をしたのを僕は見逃さなかった。
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