悪役令嬢は推しを愛でるのに忙しいので婚約破棄して構いません!~『推し活工房』を作って聖遺物を販売中!

水月

文字の大きさ
9 / 19

9 悪役令嬢、推しに事業計画を査閲される

しおりを挟む
 学院の時計塔が午後の訪れを告げる。
 私は、慣習という名の鎖を断ち切るように、最高学年の重圧が漂う学院を早退した。

 授業よりも、今は現実が私を待っている。

 向かう先は、王都の動脈とも呼べる商業区画の一角。
 そこに、私の理想を具現化した聖域が産声を上げたのだ。

 推し活工房。

 看板に刻まれたその文字は、見る者の心を和ませるような愛らしい曲線を描いている。
 重厚な扉を押し開ければ、そこにはインクの香りと魔力の残滓、そして何よりも情熱という名の芳香が満ちていた。

 壁面には、ユーフィが魂を削って描き出した肖像画が整然と並ぶ。
 鉄の意志を宿した騎士、真理を追究する魔術師、天上界の旋律を奏でる音楽家……。
 彼らは皆、この掌サイズの小さなキャンバスの中で、永遠の命を吹き込まれていた。

「アルマデリア様、ようこそお越しくださいました!」

 出迎えてくれたユーフィの瞳には、かつての迷いは消え、創造主としての誇りが宿っている。
 横では魔術師のリオンが、魔法加工の余韻に包まれながら不敵に微笑んでいた。

「準備は万全です。新作の『銀騎士の追憶』シリーズも、今まさに最終的な魔力定着を終えたところですよ」

 私は、清潔に整えられた店内をゆっくりと見渡した。
 陳列された商品の一つひとつが、前世の記憶と今世の宿命が交差して生まれた奇跡のように思えた。

 公爵令嬢としての地位を捨ててでも守りたかった、私だけの城。
 けれど、ここは終着点ではない。
 世界を変えるための最初の一撃なのだ。

「……アルマデリア様」

 不意に、背後から大気を凍てつかせるような凛冽な声が響いた。
 振り向いた私の視界に飛び込んできたのは、銀糸を紡いだような髪、そして冷徹な青灰色の瞳。

 レイナルド・シュタイナー。
 私の最推しであり、そしてこの事業の運命を左右する監督役。

「レイナルド卿……」

 心臓が、囚われた鳥のように激しく拍動した。

 お、お、推しが、私の聖域に足を踏み入れた。
 その事実だけで、肺が押し潰されそうなほどの幸福に襲われる。

「会議の刻限です……準備はよろしいか」

 彼の声は、氷の剃刀のように無慈悲で、それでいて不思議なほどの透明感を湛えていた。

 私は震える心を鎮め、彼を奥の事務室へと案内した。
 そこは、実務という名の現実が支配する、狭く、けれど濃密な空間。

「では、提出された計画書の精査を開始する」

 レイナルドは無言で書類の頁をめくり始めた。

 私の徹夜の結晶――情熱と論理を編み上げた渾身の書面。
 彼が一行読み進めるごとに、室内には爆発せんばかりの沈黙が膨れ上がっていく。

 私は、彼の長く美しい睫毛が刻む影を、祈るような心地で見つめていた。
 どうか、この想いは、ただの道楽ではないことを、認めてほしい。

 永遠とも思える静寂の果てに、レイナルドが低く呟いた。

「……よく練られている。感服した」

 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
 それが最推しの口から発せられた、肯定だと気づいた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

「本当ですか!?」

 叫びにも似た声が漏れる。
 レイナルドはわずかに眉を寄せたが、その瞳の奥には、初めて私を対等な存在として認める光が宿っていた。

「予算の配分、そして魔法素材の安定供給ルートの確保。公爵令嬢の座に胡坐をかいた者の仕事とは思えぬ。現実的かつ、強固な意志を感じる」

 嬉しくて、目頭が熱くなるのを必死に堪えた。
 最推しからの称賛。
 それは、どんな宝石を贈られるよりも私の魂を激しく揺さぶった。
 けれど、彼はそこで言葉を止めなかった。

「……だが」

 その一言で、再び温度が下がる。

「致命的な欠陥が一点。人員が、あまりにも不足している」

 レイナルドの指先が、書類の一部を鋭く指した。

「画家一名、魔術師一名。この少数精鋭では、熱狂という名の奔流に飲み込まれ、早晩、瓦解する。注文が増大した際、納期を遅延させれば、それは殿下への不敬に直結する。その覚悟はおありか?」

 私は言葉を失った。
 定期市での反応を考えれば、彼の指摘は正論を通り越して予言に近い。

「信頼できる技術者を確保するのは至難の業でしょう。さらに、人件費の増大は初期投資を圧迫する。……貴女の熱意が、この構造的な脆弱性に耐えられるか、私は危惧している」

 私は俯いた。
 彼の指摘は鋭い刃となって、私の甘さを切り裂いていく。
 けれど、その刃には、かつての冷笑は混じっていなかった。

「アルマデリア嬢」
 レイナルドが、少しだけ声を潜めた。
「勘違いしないでいただきたい。私は、この事業を葬るためにここにいるのではない」

「え……?」

「私の義務は、この『推し活』とやらを監視し、王家の威光を守ること。……そのためには、この事業が成功し、健全な形で民に受け入れられねばならぬ。貴女を厳しく律するのは、貴女という人間を、そして殿下の期待を守るためだ」

 その言葉が、凍えた心に熱い火を灯した。
 レイナルドは敵ではなかった。
 彼は、最も厳格で、最も誠実な伴走者として、私の傍に立とうと言っている。

「……ありがとうございます。人員の件、早急に手を打ちますわ。私の誇りにかけて、最高の同志を募ってみせます」

「期待している。次回の定例会議は一週間後だ。……手抜かりなきよう」

 彼は扉に手をかけ、一瞬だけ振り返った。
 その瞳には、どこか複雑な色が混じっていた。

「……一つだけ聞く。貴女をそこまで駆り立てるものは、なんだ?」
「え?」
「……いや、愚問だったな。……殿下への、忠誠心だろう」 

 彼は自ら答えを出し、納得したように去っていった。 

 ……え、違うけど。
 私の原動力は貴方ですけど!?

 その銀色の背中を見送りながら、私は深く息を吸い込んだ。
 彼の誠実さに応えるためには、私はさらなる高みへと昇らねばならない。



 その夜、私の部屋に、予期せぬ闖入者が現れた。

「アルマデリア様、私を仲間に入れて!」

 寮の応接室に飛び込んできたのは、社交界の華、ソフィア・ハーヴェイだった。
 彼女の瞳は、昼間の学院での様子とは打って変わって、真剣な情熱に燃え盛っている。

「ソフィア? こんな夜更けに、一体どうしたの?」

「推し活工房のことよ! 今日の学院でのお話を聞いて、私の魂が叫び出したの。……私、社交界という名の空虚な檻に、もう耐えられない。私も、誰かの幸せを願う情熱を形にする仕事がしたいの!」

 ソフィアは、私の手を取って身を乗り出した。

「あのね、私には、宮廷楽団の第一奏者という……推し?の方がいるの。彼を支え、彼の音楽を世界に広めるためなら、私はどんな泥に塗れても構わない! 人手が足りないのでしょう? 事務も、宣伝も、何でもやるわ!」

 その申し出は、まさに天からの福音だった。
 令嬢としての誇りと、オタクとしての熱狂。
 それらを併せ持つソフィアは最適任。

「ソフィア……貴女という心強い味方を得て、私の計画は真の完成へと近づいたわ!」

「任せてちょうだい! 王都中を、推しの光で塗り替えてみせるわ!」

 推し活という名の新しい信仰は、身分という名の壁を超え、人々の孤独な心に火を灯し始めていた。

 私は窓の外、レイナルドが守っているであろう、男子寮の最上階の灯りを見つめた。

 忙しくなる。

 推しのために、そして私が私であるために。
 悪役令嬢の真実の戦いは、まだ始まったばかり。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。

香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。 皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。 さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。 しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。 それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。 ※他サイト様にも掲載中です

「そうだ、結婚しよう!」悪役令嬢は断罪を回避した。

ミズメ
恋愛
ブラック企業で過労死(?)して目覚めると、そこはかつて熱中した乙女ゲームの世界だった。 しかも、自分は断罪エンドまっしぐらの悪役令嬢ロズニーヌ。そしてゲームもややこしい。 こんな謎運命、回避するしかない! 「そうだ、結婚しよう」 断罪回避のために動き出す悪役令嬢ロズニーヌと兄の友人である幼なじみの筋肉騎士のあれやこれや

わがままな婚約者はお嫌いらしいので婚約解消を提案してあげたのに、反応が思っていたのと違うんですが

水谷繭
恋愛
公爵令嬢のリリアーヌは、婚約者のジェラール王子を追いかけてはいつも冷たくあしらわれていた。 王子の態度に落ち込んだリリアーヌが公園を散策していると、転んで頭を打ってしまう。 数日間寝込むはめになったリリアーヌ。眠っている間に前世の記憶が流れ込み、リリアーヌは今自分がいるのは前世で読んでいたWeb漫画の世界だったことに気づく。 記憶を思い出してみると冷静になり、あれだけ執着していた王子をどうしてそこまで好きだったのかわからなくなる。 リリアーヌは王子と婚約解消して、新しい人生を歩むことを決意するが…… ◆表紙はGirly Drop様からお借りしました ◇小説家になろうにも掲載しています

【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた

22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。

悪役令嬢に転生したら手遅れだったけど悪くない

おこめ
恋愛
アイリーン・バルケスは断罪の場で記憶を取り戻した。 どうせならもっと早く思い出せたら良かったのに! あれ、でも意外と悪くないかも! 断罪され婚約破棄された令嬢のその後の日常。 ※うりぼう名義の「悪役令嬢婚約破棄諸々」に掲載していたものと同じものです。

殿下は婚約破棄した私を“横領犯”として追放しましたが、私が“王国の財布”だとご存じなかったのですか?

なかすあき
恋愛
王太子の婚約者であるレティシアは、愛ではなく“王国の財布”に選ばれた内政官だった。 干ばつ救済基金を管理し、徴税と支出の流れを整え、国が崩れないように回してきたはずなのに。 舞踏会の夜。 聖女セシルの涙と王太子の言葉が、レティシアを一瞬で“横領犯”に仕立て上げる。 反論しても届かない。空気が判決を下す場所で、レティシアは追放された。 落とされた先は、干ばつに喘ぐ辺境。 水のない井戸、荒れた配給所、怒りの列。 レティシアは泣く代わりに、配給と水路と記録を整えた。奇跡ではなく、段取りで。 やがて王都は、レティシアがいなくなった穴から静かに壊れ始める。 支払いは止まり、責任は溶け、聖女の“物語”だけが空回りする。 呼び戻しの使者が来ても、レティシアは従わない。戻る条件はひとつ。 ――公開監査。 記録水晶が映し出すのは、涙では隠せない日付と署名、そして“誰が何を決めたか”という事実。 この逃げ場のない復讐劇の先に残るのは、王都の再起ではなく、辺境の明日だった。 これは、道具として捨てられた内政官が、二度と道具に戻らず、“責任を固定する”ことで国を救い、自分の居場所を選び直す物語。

処理中です...