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第二章 1
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病気になってからの最初の数ヶ月間のことは思い出せません。ただ、母の膝の上に座ったり、家事をする母の服にしがみついていたことはわかっています。
私の手はあらゆるものを感じ、あらゆる動きを観察し、そうして私は多くのことを知りました。
やがて私は、他者との意思疎通の必要性を感じ、粗雑な合図をするようになりました。首を振れば「いいえ」、うなずけば「はい」、引っ張れば「来て」、押せば「行って」。
パンが欲しかったとしたら? 私は、パンを切り、バターを塗るまねをします。
母に夕食にアイスクリームを作ってもらいたかったら、(アイスクリームの)冷凍機を動かす真似をして、震えてみせて冷たさを表現しました。
加えて、母も、私にかなりの物事を理解させることに成功しました。
母が何か持ってきて欲しいと望んだとき、いつも私はそれを承知して、二階や、指示された場所のどこにでも走って行ったものです。
私の長い夜の中で、きらめくもの、良かったものは全て、愛に満ちた母の知慮のおかげです。
自分の周りの出来事は、よく理解していました。
五歳のとき、綺麗になった洗濯物が返ってきたら、たたんで片付けるということを学び、自分のものとそれ以外のものの区別もしていました。
母や叔母の服装の様子で外出しようとしていることを把握できましたし、そのときは例外なく、一緒に行きたいとせがみました。
来客があると必ず呼ばれ、客が帰るときには手を振りました。その仕草の意味を朧気ながら覚えていたのだろうと思います。
ある日、殿方が何人か母を訪ねに来たことがありました。彼らが到着した合図である、玄関のドアが閉まる音や他の音を感じました。
突然閃いて、私は誰かに止められる前に階段を駆け上がりました。自分流のおめかしを思いついたのです。
私は鏡の前に立って——みんなそうしていましたから——、頭に『塗油』をして、顔にも厚く粉を塗りたくりました。
そのあと、ベールを、顔が隠れるように頭の上にピン留めして、それをひだをつくるように肩まで降ろしました。それから、私の小さな腰にはスカートを膨らませるための大きな腰当てを巻きました。腰当ては後ろで垂れ下がって、その先がスカートの裾にかかるくらいになります。
こうして『盛装』をして、私は来客をもてなすために階下へ降りました。
自分が他の人と違うということに初めて気づいたのはいつだったか、覚えてはいません。ですが、(サリヴァン)先生が来る前には理解していました。
母や友人たちが、何かをして欲しいとき、私のように合図を使わず、口を使って話していることに気づいていたのです。
たまに、会話している二人の間に立って、二人の唇に触れることもありましたが、理解できず、もどかしさが募りました。
唇を懸命に動かして動作を真似してみても、何も起こりません。
時折、そのことに腹を立てて、疲れ果てるまで蹴ったり叫んだりしたこともありました。
『いつ自分が悪戯をしているか』という自覚はあったと思います。子守りのエラを蹴るということは傷付けることだと知っていましたから。そして、癇癪が治まったときには後悔に似た感情を抱いていました。
しかし、この感情が、望むものが得られなかったときに繰り返す私の暴挙の抑止力となった例は、一度として記憶にありません。
当時は、家の料理人の子供で『有色人種』(※1)のマーサ・ワシントンと、年老いたセッター(猟犬)で、全盛期には立派な狩人だったベルが、いつも私の仲間でした。
マーサ・ワシントンは私の合図を理解していたので、彼女を私の望むままに動かすことに手こずるような場面は稀でした。
私は彼女を支配するのが好きで、彼女は私と近接格闘戦を始める危険を冒すよりも、私の専制政治に従うのが普通でした。
私は強く、活発で、後のことなんて気にしません。
私は自分の意思を十分に理解しており、意に沿わないことには爪を立てて暴力に訴えてでも、常に自分の道を貫いていました。
多くの時間を過ごしたのは台所で、パン生地の玉をこねたり、アイスクリームを作るのを手伝ったり、コーヒーを挽いたり、ケーキの器のことで喧嘩をしたり、台所の階段の辺りに群がっている雌鶏や七面鳥に餌をやったりしました。
みんなとてもよく飼い慣らされていて、私の手から餌を食べ、触らせてくれました。
ある日、七面鳥の雄が一匹、私からトマトを奪って逃げ出したことがありました。
たぶん、この師匠の成功に触発されたのでしょう、私たちも料理人が糖衣を塗ったばかりのケーキを薪置き場に運んでいって、残さず平らげました。
その後、私はとても具合が悪くなったですが、七面鳥の方には天罰が下ったのでしょうか。
ホロホロチョウは突飛な場所に巣を作るので、茂った草むらの中で卵を探すのが私の大きな楽しみのひとつでした。
マーサ・ワシントンに「卵狩りに行きたい」と言えはしませんでしたが、両手の拳を握って地面に置くと、草の中の丸いものを意味し、マーサはいつも理解してくれました。
幸運にも巣を見つけることができたときは、彼女が転んで卵を割ってしまうかもしれないことを、合図で力説して理解させ、絶対に彼女には卵を持ち帰らせませんでした。
とうもろこしを保管する小屋と、馬が繋がれている馬小屋、朝夕に牛の乳搾りをする作業場は、マーサと私の期待を裏切らない興味の源でした。
乳搾り人たちが乳搾りをしている間、私の両手を牛に触れさせてくれるのですが、好奇心の代償として、よく牛に尻尾でぴしゃりと叩かれていました。
クリスマスの準備は、いつも心躍るものでした。
もちろん、それがどんなものかは知りませんでしたが、家中に漂う心地良い匂いや、マーサ・ワシントンと私を黙らせるために許されたつまみ食いも楽しみました。
悲しいかな、私たちは邪魔者だったのですが、そんなことは私たちの興奮には少しも影響しませんでした。
香辛料を挽いたり、干しぶどうを選別したり、かき混ぜスプーンを舐めたりさせてもらいました。
みんなと同じように靴下も掛けました。ですが、その儀式に特に興味を持ったという記憶はありませんし、好奇心に駆られて夜明け前に起きてプレゼントを探したということもありません。
※1 当時は白人か、有色(colored)かで分ける考え方だった。マーサは黒人。
私の手はあらゆるものを感じ、あらゆる動きを観察し、そうして私は多くのことを知りました。
やがて私は、他者との意思疎通の必要性を感じ、粗雑な合図をするようになりました。首を振れば「いいえ」、うなずけば「はい」、引っ張れば「来て」、押せば「行って」。
パンが欲しかったとしたら? 私は、パンを切り、バターを塗るまねをします。
母に夕食にアイスクリームを作ってもらいたかったら、(アイスクリームの)冷凍機を動かす真似をして、震えてみせて冷たさを表現しました。
加えて、母も、私にかなりの物事を理解させることに成功しました。
母が何か持ってきて欲しいと望んだとき、いつも私はそれを承知して、二階や、指示された場所のどこにでも走って行ったものです。
私の長い夜の中で、きらめくもの、良かったものは全て、愛に満ちた母の知慮のおかげです。
自分の周りの出来事は、よく理解していました。
五歳のとき、綺麗になった洗濯物が返ってきたら、たたんで片付けるということを学び、自分のものとそれ以外のものの区別もしていました。
母や叔母の服装の様子で外出しようとしていることを把握できましたし、そのときは例外なく、一緒に行きたいとせがみました。
来客があると必ず呼ばれ、客が帰るときには手を振りました。その仕草の意味を朧気ながら覚えていたのだろうと思います。
ある日、殿方が何人か母を訪ねに来たことがありました。彼らが到着した合図である、玄関のドアが閉まる音や他の音を感じました。
突然閃いて、私は誰かに止められる前に階段を駆け上がりました。自分流のおめかしを思いついたのです。
私は鏡の前に立って——みんなそうしていましたから——、頭に『塗油』をして、顔にも厚く粉を塗りたくりました。
そのあと、ベールを、顔が隠れるように頭の上にピン留めして、それをひだをつくるように肩まで降ろしました。それから、私の小さな腰にはスカートを膨らませるための大きな腰当てを巻きました。腰当ては後ろで垂れ下がって、その先がスカートの裾にかかるくらいになります。
こうして『盛装』をして、私は来客をもてなすために階下へ降りました。
自分が他の人と違うということに初めて気づいたのはいつだったか、覚えてはいません。ですが、(サリヴァン)先生が来る前には理解していました。
母や友人たちが、何かをして欲しいとき、私のように合図を使わず、口を使って話していることに気づいていたのです。
たまに、会話している二人の間に立って、二人の唇に触れることもありましたが、理解できず、もどかしさが募りました。
唇を懸命に動かして動作を真似してみても、何も起こりません。
時折、そのことに腹を立てて、疲れ果てるまで蹴ったり叫んだりしたこともありました。
『いつ自分が悪戯をしているか』という自覚はあったと思います。子守りのエラを蹴るということは傷付けることだと知っていましたから。そして、癇癪が治まったときには後悔に似た感情を抱いていました。
しかし、この感情が、望むものが得られなかったときに繰り返す私の暴挙の抑止力となった例は、一度として記憶にありません。
当時は、家の料理人の子供で『有色人種』(※1)のマーサ・ワシントンと、年老いたセッター(猟犬)で、全盛期には立派な狩人だったベルが、いつも私の仲間でした。
マーサ・ワシントンは私の合図を理解していたので、彼女を私の望むままに動かすことに手こずるような場面は稀でした。
私は彼女を支配するのが好きで、彼女は私と近接格闘戦を始める危険を冒すよりも、私の専制政治に従うのが普通でした。
私は強く、活発で、後のことなんて気にしません。
私は自分の意思を十分に理解しており、意に沿わないことには爪を立てて暴力に訴えてでも、常に自分の道を貫いていました。
多くの時間を過ごしたのは台所で、パン生地の玉をこねたり、アイスクリームを作るのを手伝ったり、コーヒーを挽いたり、ケーキの器のことで喧嘩をしたり、台所の階段の辺りに群がっている雌鶏や七面鳥に餌をやったりしました。
みんなとてもよく飼い慣らされていて、私の手から餌を食べ、触らせてくれました。
ある日、七面鳥の雄が一匹、私からトマトを奪って逃げ出したことがありました。
たぶん、この師匠の成功に触発されたのでしょう、私たちも料理人が糖衣を塗ったばかりのケーキを薪置き場に運んでいって、残さず平らげました。
その後、私はとても具合が悪くなったですが、七面鳥の方には天罰が下ったのでしょうか。
ホロホロチョウは突飛な場所に巣を作るので、茂った草むらの中で卵を探すのが私の大きな楽しみのひとつでした。
マーサ・ワシントンに「卵狩りに行きたい」と言えはしませんでしたが、両手の拳を握って地面に置くと、草の中の丸いものを意味し、マーサはいつも理解してくれました。
幸運にも巣を見つけることができたときは、彼女が転んで卵を割ってしまうかもしれないことを、合図で力説して理解させ、絶対に彼女には卵を持ち帰らせませんでした。
とうもろこしを保管する小屋と、馬が繋がれている馬小屋、朝夕に牛の乳搾りをする作業場は、マーサと私の期待を裏切らない興味の源でした。
乳搾り人たちが乳搾りをしている間、私の両手を牛に触れさせてくれるのですが、好奇心の代償として、よく牛に尻尾でぴしゃりと叩かれていました。
クリスマスの準備は、いつも心躍るものでした。
もちろん、それがどんなものかは知りませんでしたが、家中に漂う心地良い匂いや、マーサ・ワシントンと私を黙らせるために許されたつまみ食いも楽しみました。
悲しいかな、私たちは邪魔者だったのですが、そんなことは私たちの興奮には少しも影響しませんでした。
香辛料を挽いたり、干しぶどうを選別したり、かき混ぜスプーンを舐めたりさせてもらいました。
みんなと同じように靴下も掛けました。ですが、その儀式に特に興味を持ったという記憶はありませんし、好奇心に駆られて夜明け前に起きてプレゼントを探したということもありません。
※1 当時は白人か、有色(colored)かで分ける考え方だった。マーサは黒人。
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