届かない手紙

白藤結

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1話

《親愛なるユリウス様へ
 届くのか分かりませんが、――いえ、きっと届かないでしょうが、こうして筆を取らせていただきます。これがただの自己満足だと、私自身分かっております。ですけど、書かずにはいられないのです。心を、整理したくて。……ごめんなさい。もう、あなた様と関わらないと言いましたのにね……。

 あら、私としたことが、時候の挨拶もなく、すみません。本来なら書き直すべきでしょうが、お恥ずかしいことに、手元にはもう、あなた様に送れるほど高価な紙を買うお金がありません。ですので、申し訳ありませんが、このまま続けさせていただきます。

 ――日差しが次第に夏めき、草木が瑞々しくなってまいりました。間もなく、あなた様と出会った夏がやって来ます。お元気でしょうか?
 広々とした庭で揺れるアガパンサスの花を見る度、私はあなた様を思い出します。――あのときのアガパンサスとは別のものですが、どんな辛いことがあったときでも、その青紫色を見ると私の心は安らぐのです。あなたとの、出会いの花ですから。

 ……本当に、随分と遠いところまで来てしまいましたね。私とあなた様と出会ったのは、確か七歳の頃――》





 さんさんと照る太陽に、レイチェルは思わず目を細めた。風が吹き、薄い金髪や、瞳と同じお気に入りの青いドレスが揺れる。だけどそれを気にすることなく、視線を前に向けると、子供らしい短い足でトコトコと駆け出した。

 今日は屋敷にお客様が来るから部屋にいなさい、と母である子爵夫人から言われていたが、そんなのはつまらなくて嫌だった。こもって勉強なんかをしているよりも、外で遊ぶ方が断然楽しい。そう思いながら、色とりどりの花が咲く庭を通り過ぎ、いくつかの角を曲がって、敷地の奥へと向かった。

 そして隅にある――だけど日当たりのいい小さな花壇の前でしゃがみこんだ。ピンク色のルピナスや紫色のブーゲンビリア、白いクレマチスなどが咲いている。

 これは彼女が庭師に頼み込んで、一から作った花壇だった。もちろん庭師にも手伝ってもらっているけれども、なるべく自分で世話をするようにして、大切に育てている。母は「そんなはしたないことを!」と言っていたけれど、どこがはしたないのか、レイチェルには分からなかった。ぷく、と頬を膨らませて、不満げな表情を浮かべる。お母様のことはよく分からないわ。お父様は何も言わないじゃない。それに庭師だって笑って色々と教えてくれるし……。

 そんなふうにレイチェルが花を眺めながら考えごとをしていると、後ろから足音が聞こえてきた。探しに来たメイドかと思い、部屋には戻らないという抗議の意味を込めて振り向かずにいると、声がかけられる。

「君は?」

 それは聞き覚えのない、柔らかな声で。レイチェルが慌てて振り返ると、そこには黒い髪に青い瞳を持つ少年がいた。服は青と白を貴重としたお出かけにでも向かうようなもので、年の頃はレイチェルより少し上だろうか? 何となく醸し出す雰囲気が大人で、どきり、とレイチェルの胸が跳ねる。なんだか気恥ずかしくなって、顔をうつむけた。頬が熱い。

 そんなふうにしていると、「えっと……」と困惑したような声が鼓膜を揺らした。どうしてそんな声を発するのかしら、と考えて、そういえば「君は?」と尋ねられたことを思い出す。サッと血の気が下がった。ずっと黙っていたから、もしかしたら無礼だって思われてしまったかもしれない。そんなの嫌だわ。慌てて顔を上げて、レイチェルは告げた。

「わた、私はレイチェルよ」

 噛みながらもなんとか名前を告げたが、何故だか、彼に見られていると思うと恥ずかしくて、胸がうるさくて、どうにかなってしまいそう。つい、と視線を僅かに彼から逸らした。それでも彼の目がこちらを向いているのが視界の隅に入っていて、落ち着かない。うう、と心の中で呻く。

 だけどそんなレイチェルのことなど気にすることなく、少年はにっこりと笑って言った。

「レイチェルね。僕はユリウス」
「ゆり、うす……」

 レイチェルの口から、彼の名前が零れ落ちる。――ユリウス。舌の上でコロコロと彼の名前を転がした。まるでとても甘い飴玉を食べているかのように、口の中に幸福感が広がる。

 きゅ、と右手で胸元を握りしめた。早鐘のように体を内側から揺らす心臓。ひどく熱くて、幸せで……。
 そのとき、ユリウスが頷くのが見えた。笑顔を浮かべたまま、朗らかに告げる。

「そう、ユリウス。ねぇ、レイチェル、君はこの家の子?」

 その質問に、レイチェルは小さく頷いた。声を発する余裕はなかった。すると、ぱぁ、とユリウスは年相応に顔を輝かせ、「やった!」と小さく歓声を上げる。理由が分からず、レイチェルは首を傾げた。どうしたのかしら?

 レイチェルがそうしているのに気づくと、彼は頭を掻いて、恥ずかしそうに答える。

「実は、僕、迷子になってたんだ。ちょっと目を離したら父様が消えてて……。だけど良かった。レイチェル、案内してくれる? 多分、玄関まで行けば父様がいるから」

 照れながら話すユリウスに、レイチェルの胸は高鳴った。だけどまたぼうっとして嫌われてしまったら大変、と、慌てて声を絞り出す。

「も、もちろんよ」

 レイチェルがそう言えば、ユリウスは「ありがとう!」と満面の笑みで告げた。また胸が高鳴る。どうしてだか彼の方を見ていられなくて、レイチェルは小さく頷くとそそくさと歩き出した。後ろからユリウスの足音が聞こえて、次に服の裾が目に入った。どうやらちゃんとついてきてくれているらしい。そのことに安堵しながら、歩みを進めた。

 屋敷の入り口までの道のりを進んでいると、ユリウスに話しかけられた。だけど話しかけられる度にレイチェルの胸はまるで早鐘のように暴れ回り、一言二言しか返せなかった。そのことが申し訳なくて、嫌われたりしていないかしらと不安になって、とうとう耐えきれなくなった。そっとうつむく。涙をこらえるだけで精一杯だった。
 そのとき。

「あ、……」

 ずっと隣にあった足音が止まった。視界から服の裾が消える。つられてレイチェルが振り返れば、ユリウスは立ち止まり、一輪の花を見つめていた。青紫色をした、いくつかの小さな花が集まったもの。かつて庭師が「お嬢様にも早く訪れると良いですねぇ」とニマニマ笑いながら言っていて、確か名前は……。

「アガパンサス、だね」
「そ、そうね。どうかしたの?」

 レイチェルが尋ねると、ユリウスは「ちょっとね」と言って、嬉しそうに笑った。そのことに、レイチェルの顔が歪む。何だか気に食わないわ。私には秘密なの……。
 レイチェルとユリウスは会ったばかりだから、秘密はあって当然。そのことは分かっている。分かっているけど、湧き上がる黒い気持ちは抑えきれない。

 ぷく、とレイチェルが頬を膨らませてそっぽを向いていると、突如頭にポン、と手が置かれた。そしてゆっくりと髪がかき混ぜられる。
 突然のことに呆然とすれば、耳元にそっと顔を寄せられた。甘く、優しい声が耳朶を打つ。

「元気出して。ね?」

 その言葉に、湧き上がった苛立ちは途端に消えて。それどころか、まるでボッと火がついたかのように頬が今までよりもずっと熱くなった。「あぅ」とよく分からない声が漏れる。だけどそれも、髪がぐしゃぐしゃになったこともまったく気にならない。なのに何故だか恥ずかしくて、ユリウスの顔が見られなかった。

 そんなレイチェルの様子に気づくことなく、彼は言葉を重ねた。

「ほら、行こう、レイチェル。僕のお姫様」
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