声なし王女と教育係

白藤結

文字の大きさ
27 / 48
第一部

三章(5)

しおりを挟む
 ルークの背が徐々に遠ざかっていき、やがて人混みに紛れた。おそらくエッタの元に向かったのだろう。ちらりと先ほどまで三人組がいた場所に視線をやれば、そこにはすでに別の男女がいて談笑していた。もしかしたらあの三人組はルークを追っていったのかもしれない。

(大丈夫かしら……?)

 あの反応からしてルークはあまり彼らと関わりたくなさそうだったが……果たして捕まらずに済むだろうか? ……なんとなく無理そうだと思いつつ、クラリスはあたりを見回してエッタが来るのを待つことにした。本来ならば隣にいるオリオンと雑談をするのが〝社交〟だろうが、手話を使ったところで伝わらないためできそうになく、話そうとはしなかった。
 しかしそうはいかなかくて。

「――王女殿下」

 隣から降ってきた声に、クラリスはそちらを見上げる。オリオンの、闇のような、はたまた黒曜石のような瞳がこちらを見下ろしていた。どこか無機質に感じられるそれに、またもや肌が粟立つ。
 クラリスは彼のことが、少し恐ろしかった。どうしてだかは、はっきりとはわからない。わからないが、向けられる視線がどこか値踏みをするようなものに感じて。その瞳の奥にどろりとした粘着質なものを感じて。

 それが勘違いなら良いのだが……と思いつつ、クラリスは首を傾げた。話せないため視線で続きを促すが、果たして通じるかどうか。
 しかしどうやらきちんと通じたらしく、オリオンは「そのままお聞きください」と言う。

「王女殿下はルークのことをどう思っているのですか?」

 どう、思っているのか。そんなの簡単だ。
 頼りになる人、手話を教えてくれて世界を広げてくれた人、大切な人、……大好きな人。出会ってから二年。今ではエッタと同じくらい――もしかしたらそれ以上に彼のことを信頼している。そんな、そんな人。
 だからこそずっと一緒にいてほしい。それが無理なのはわかっている、それでも……
 ――願うことくらいは、許してほしい。

 そんなことを思っていると、それが顔に表れていたのだろうか。「……そうですか」と、オリオンが言う。ハッ、として彼のほうを見れば、ひどく不快そうな表情を浮かべていた。何か嫌いなもの――汚れたものを見るような目。そんな悪意のある視線を向けられたことはなくて、ひゅっ、と喉がなった。……こわい。
 彼の唇が言葉を紡ぐ。

「王女殿下、あなたがルークのことを本当に大切に思っているのなら、今すぐに教育係を辞めさせてください。こんなの、あいつの傷をえぐっているだけだ」

 クラリスのことを軽蔑しながらも、その瞳にはどこか心配するような色が窺えて。
 オリオンの言うことは正直よくわからない。さっぱりだ。だけどその双眸からルークのことを心配していて、おもんぱかっていることだけはわかって。
 クラリスは。

(わたし……)

 視線をさまよわせることくらいしかできなかった。
 ルークの過去について、以前気になって尋ねたことがある。そのとき彼はどこか寂しげな、苦しげな表情を浮かべていた。そこから彼の過去に何かがあったのだろう、とは容易に推測できるし、おそらくオリオンは・・・・・それを・・・知っている・・・・・からこんなことを言ったに違いない。だったら彼の言葉に従うべきだ。それくらいはわかるが……どうしても、離れがたくて。ルークは世界を教えてくれた。話せないことを負い目に思っていて部屋に引きこもってばかりだったクラリスに〝言葉〟を教えてくれ、外へと連れ出してくれた。そんな彼と離れるのは、寂しくて……嫌だった。

(どうしよう……)

 事情は詳しくわからないが、正しいのはオリオンの言葉に従うことだと、理性が叫ぶ。従うのがルークのためだ。本当に彼のことを大切に思っているのならば、彼を突き放してやるべきだ。
 しかしどうしても感情がそれを嫌だと拒絶して、素直に受け入れられなかった。

 沈黙がおりる。オリオンは何も言わずにただただじっとこちらを見つめていて、それが責められているように思えて――事実そうなのかもしれない。そう思えるほど視線は冷たかった――心苦しかった。
 そのとき、はぁ、と、大げさなため息が降ってきた。隣に立つオリオンのもの。彼は爛々と輝く瞳でクラリスを睨みつける。

「ルークは昔〝あること〟があって、そのせいで子爵家の嫡男であったにも関わらず廃嫡され・・・・家を勘当・・・・されています・・・・・・

 思わず目を見開いた。廃嫡されて勘当……そんなのよほどのことでない限り起こらないだろう。いったい彼の身に何があったのだろうか。
 呆然としている間もオリオンは話し続ける。

「その原因を作り、あまつさえあいつの心に消えない傷を残した相手に、あなたはそっくりなんですよ。――あいつは権力になんて興味はない。ただ研究さえできていればそれで良い。だから――」

 ――あいつを解放してやってください。
 その、言葉に。
 ……クラリスは頷くことができなかった。ルークは、彼はクラリスにとって大事な人だ。だから突き放すことが彼にとって良いことならば、彼を教育係から外すことは、まだ、少しは、我慢できる。自分という存在が彼を苦しめるのならば、それくらいは頑張って堪えよう。
 だけど、やはり離れたくなくて――
 そのときだった。「クラリス様」という声が、耳に届いた。ゆっくりとそちらを見れば、侍女服に身を包んだエッタがこちらに向かってきている最中で。

 ――エッタ。

 手話で呼びかける。彼女はその意味に気づき、少し足を早めてクラリスのそばに立った。
 クラリスはためらいがちに、けれど素早く手を動かす。

 ――わたしは、彼のことが大切です。だから少しだけ待ってください。
「……いつまででしょう?」
 ――……彼が、辞めたいと言うまで。

 はん、とオリオンは鼻で笑った。

「あいつが自分でそれを言い出すとは思えませんがね。あいつは優しい。あなたを傷つけまいと我慢するでしょう」
 ――そう、ね。だけど……彼の意思も確認せずここで約束するのも、おかしいと思うわ。

 視線が絡み合う。しばらく互いに無言の時が続いた。エッタは……途中からなためあまり話を把握していないだろうが、なんとなくは察したのだろうか。口を挟むことはせず、ただただクラリスと同じようにオリオンの言葉を待っていた。
 ……やがて。ふっ、とオリオンが息を吐いた。

「……わかりました。とりあえずはそれで受け入れましょう。――だけどおそらくその日はあまり遠くないと思いますよ」

 そう言うと、オリオンは一礼をして歩き出した。「約束、忘れないでくださいね」と、言葉を残して。

 ――もちろんよ。

 エッタが代わりに口にしたその返答に、オリオンは何も反応を示さず、そのまま背を向けて人混みに紛れていった。
 その背を、クラリスは見えなくなるまでずっと眺めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

永遠の十七歳なんて、呪いに決まってる

鷹 綾
恋愛
永遠の十七歳―― それは祝福ではなく、三百年続く“呪い”だった。 公には「名門イソファガス家の孫娘」として知られる少女キクコ。 だがその正体は、歴史の裏側で幾度も国を救ってきた不老の元聖女であり、 王家すら真実を知らぬ“生きた時代遺産”。 政治も権力も、面倒ごとは大嫌い。 紅茶と読書に囲まれた静かな余生(?)を望んでいたキクコだったが―― 魔王討伐後、王位継承問題に巻き込まれたことをきっかけに、 まさかの王位継承権十七位という事実が発覚する。 「……私が女王? 冗談じゃないわ」 回避策として動いたはずが、 誕生した新国王アルフェリットから、なぜか突然の求婚。 しかも彼は、 幼少期に命を救われた“恩人”がキクコであることを覚えていた―― 年を取らぬ姿のままで。 永遠に老いない少女と、 彼女の真実を問わず選んだ自分ファーストな若き王。 王妃になどなる気はない。 けれど、逃げ続けることももうできない。 これは、 歴史の影に生きてきた少女が、 はじめて「誰かの隣」を選ぶかもしれない物語。 ざまぁも陰謀も押し付けない。 それでも―― この国で一番、誰よりも“強い”のは彼女だった。

ローザリンデの第二の人生

梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。 彼には今はもういない想い人がいた。 私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。 けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。 あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。 吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ベルガー子爵領結婚騒動記

文月黒
恋愛
その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。 何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。 ちょっとだけ(当領比)特殊な領地の強面領主に嫁いで来たのは、王都の男爵家の末娘・マリア。 だが、花嫁は領主であるベルンハルトの顔を見るなり泣き出してしまった。 最悪な顔合わせをしてしまったベルンハルトとマリア。 慌てるベルンハルトの腹心の部下ヴォルフとマリアの侍女ローザ。 果たしてベルガー子爵領で彼らは幸せを掴めるのか。 ハピエン確定のサクッと読めるギャグ寄り恋愛ものです。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

7歳の侯爵夫人

凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。 自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。 どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。 目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。 王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー? 見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。 23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

処理中です...