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第3部 笑顔の裏に隠された真実
5-4MVカフェって初めて来たけど結構人気があるのね
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私はフィニーツァと二人で〈新南区〉にある、カフェ〈ニュー・アリーナ〉に来ていた。普段は、十時に開店だが、今日はイベントがあるため、八時からオープンしている。
店内の中央には、大きな空中モニターがあり、壁面にも、いくつもの空中モニターが表示されていた。どのモニターも、映っているのは『ノア・マラソン』の中継だ。
この店は、スポーツ・イベント・コンサートなどの、ライブ中継が行われる『MVカフェ』だ。食事やお酒を楽しみながら、観戦することができる。また、集まった人たちと、一緒に盛り上がるのが醍醐味らしい。
このタイプのカフェは、最近、かなり流行っているが、私は来るのが初めてだ。基本、うるさい場所は、あまり好きではないので。
なお、大きなイベントの時は、完全予約制になっている。今日の『ノア・マラソン』のライブ中継も、予約した客だけが入れるようになっていた。
スポーツには、あまり興味がないけれど、風歌が出ているので、見ない訳にもいかない。応援すると約束したし。どうせ出るのであれば、いい結果を出したほうがいいし。まぁ、一応、友人だし……。
もっとも、三万人以上が参加するので、映ることはまず無いと思う。おそらく、映るのは、先頭グループだけだ。
今日は会社が休みなので、自室で勉強をしながら、マラソンの中継を見る予定だった。ところが、珍しくフィニーツァから『一緒にMVカフェに行って、風歌を応援しよう』と、お誘いが来た。
どういう風の吹き回しか訊いてみたところ、メイリオさんが、予約を入れてくれたそうだ。しかも、私の分まで。
相変わらず、当たり前のように、お姉様に気を遣わせているフィニーツァが、何とも腹立たしい。とはいえ、ここまでしてもらって、断るのは失礼なので、渋々ついてきたのだ。
私は、騒がしいのは苦手なので、あまり気乗りしなかった。しかし、フィニーツァは、とてもご機嫌な様子だ。
なぜなら、料金は事前に支払い済みで、今日は全てのメニューが、食べ放題・飲み放題だからだ。実際のところ、単に飲食が目的なのではないだろうか?
フィニーツァの前には、ピザ・フライドポテト・フィッシュフライ・ハンバーガーなど、すでに料理の皿が並んでいる。しかも、朝っぱらから、重い物ばかりだ。本当に、応援する気があるのかしらね――?
「ちょっと、フィニーツァ。私たちは、風歌の応援に来たのでしょ? 食べてばかりいないで、モニターを見なさいよ」
私は食べるのに夢中のフィニーツァを、睨みつけた。もうすぐスタートなのに、全く中継を見ようとしない。
「大丈夫。風歌は、最後のグループ」
「そうじゃなくて、気持ちの問題でしょ。仲間が、これから大変な挑戦をしようとしているのだから、真剣に応援しなさいよ。食べに来た訳じゃないんだから」
「いっぱい食べて、いっぱい応援する」
「だから、食べることから離れなさいよ!」
フィニーツァは、店に来てから、ずっと食べ続けている。いつものことだから、いまさら驚かないけど。いくらなんでも、朝から食べ過ぎでしょ……。
「ゴールまで六時間以上。だから、栄養補給が必要」
「走ってない私たちが、栄養補給してどうするのよ?」
「ここのピザ、おいしいと評判。石がまで焼いてる」
フィニーツァは、大きなピザの皿を、私の前に差し出してくる。
あまりにも話が平行線なので、イライラしてきた。いつもなら、このタイミングで風歌が間に入って、話題を変えたりする。そういえば、フィニーツァと二人だけで出掛けるのは、今回が初めてだ。いつも必ず、風歌が一緒にいるので。
風歌がいないと、こうも噛み合わないものなのね――。フィニーツァは、食べ物以外に興味がないから、何を話せばいいか分からないし。六時間も、どうすればいいのよ?
私はピザに手を伸ばした。別にお腹が空いている訳じゃないけど、イライラしているから、やけ食いだ。だが、一口食べると、予想外に美味しいので驚いた。
「これ……意外と美味しいわね」
「ここは、他のMVカフェと違う。プロの料理人が作ってる」
「飲食店はどこも、プロが作っているんじゃないの?」
「こういう店は、バイトが作るか、作り置きがほとんど。でも、ここは、元三ツ星レストランのシェフが、作ってる」
「それで、この味なのね――。って、何でそんなに詳しいのよ?」
普段、無口でボーッとしているくせに、食べ物のことになると、とたんに饒舌になる。しかも、私も知らないことまで、かなり詳しく知っていた。
「前から、来てみたかった。MVカフェの中で、一番、口コミ評価が高い」
フィニーツァは、色んな店の口コミを見ているようだ。彼女がスピを見ている時は、たいていは、飲食店関係の口コミ情報だった。私は基本、口コミは当てにしないので、まず見ないけど……。
そんなやり取りをしている内に『ノア・マラソン』がスタートした。
「ほら、始まったわよ。食べるなとは言わないけど、ちゃんと見なさい。風歌の応援もあるけど、私たち見習いは、イベントの勉強をする必要があるのだから」
「風歌、まだスタートしてない。今のうちに、追加注文する」
フィニーツァは、中継を気にした様子もなく、店員を呼んで注文を始める。
まったく、このやる気のなさと自由過ぎる行動、どうにかならないの? 私は厳しい視線を送るが、気付いてすらいなかった。
いくら睨みつけたところで、空気を全く読まないので、通じやしない。風歌なら、すぐに空気を読み取って、反応するんだけど――。
「何とか、天気がもってくれれば、いいのだけど」
「たぶん、雨降る」
「何で分かるのよ?」
天気予報の降水確率は、二十パーセントだったはずだ。通常、これぐらいだと、まず降らない。もしくは、降っても小雨程度だ。
「朝、顔がしめっぽかった。ネコも顔を洗ってた」
「何なのそれ? 何の根拠もないじゃない」
「昔から、顔がしめっぽい時は、必ず雨降る」
相変わらず、言うことが非論理的すぎる。『猫が顔を洗うと雨が降る』なんて言う人もいるが、ただの言い伝えだ。私はそういう不確定な話は、一切、信じない。
しばらくして、全てのグループがスタートした。私は少し不安な気持ちで、人の波が動くさまを眺める。あんなに沢山の人がいて、風歌は大丈夫だろうか?
大人ばかりで、若い子の姿が全く見えない。大人ですら厳しい距離なのに、まだ体の出来上がっていない風歌が走るのは、とても大変だと思う。体力や運動神経は確かにあるが、それは、私たちの中ではの話だ。
本当は、止めさせたかったが、言って聴くような性格ではない。それに、変に負けん気が強く、根性もある。
辛くなったら、すぐリタイアすればいいが、かなり無茶をするに違いない。正直、完走なんてどうでもいいので、怪我をしないかだけが、物凄く心配だ……。
スタートして間もなく、接触して、何人もがバタバタ倒れるシーンが映し出された。非常に心臓に悪い。
「スタート直後は、本当に危ないわね。風歌は大丈夫なのかしら?」
「大丈夫。風歌、ネコみたいに、すばしっこい」
フィニーツァは、ピザを片手に気楽に答えた。相変わらず、中継は真剣に見ていない。
「まぁ、そうだけど。周りは、大人だらけなんだから。万一、接触したら、怪我をする可能性だってあるでしょ?」
今、怪我をするのは、シルフィード人生を棒に振りかねない。ただでさえ、色々と大変な環境で、生活しているのだから――。
「小さいほうが、むしろ避けやすい」
「だと、いいんだけど……」
毎年、ニュースでは『ノア・マラソン』の映像を見ていたが、特に何とも思わなかった。しかし、今年は違う。知り合いが一人出ているだけで、全く見え方が違っていた。つい、余計な心配をしてしまう。
考えてみれば『サファイア・カップ』の時も、随分ハラハラさせられたのよね。まったく風歌は、毎度毎度、ヤキモキさせて――。
「今は心配しても、しょうがない。三時間すぎてから、見ればいい」
フィニーツアは、ボソッと呟く。
「三時間って、ちょうど中間地点よね?」
「選手が減って、見やすくなる」
事前に色々調べてみたところ『ノア・マラソン』には、五十キロ地点のゴールの他に、二十五キロ地点の『ハーフゴール』がある。二十五キロ地点は道が二つに分かれ、真っ直ぐ進めば最終ゴールに。途中で曲がれば、ハーフゴールに到着する。
ハーフゴールでも『ノア・ハーフ』として、公式記録が残る仕組みだ。そのため、初心者や趣味で走る人は、ここで終了する場合が多い。また、フルマラソンの予定で走っていても、怪我や体調不良で、ハーフゴールに向かう人たちもいる。
無理に、五十キロ地点を目指してリタイアすると、失格となり記録に残らない。なので、確実に行くなら、ハーフゴールのほうが賢明だ。年にもよるが、全体の二、三割の人は、ハーフゴールに入る。
なお、先頭集団を走る、プロや一流選手たちは、最終ゴールまで『二時間台』で完走してしまう。
そのため、有力選手のゴール後は、後ろを走っている無名の選手にも、スポットが当たるようになる。最終とハーフの、ゴールに入る人が増えるにつれ、走る人が減り、映る確率も上がるのだ。
「おそらく、風歌のことだから、ハーフゴールに入る訳ないわよね」
「ハーフのこと、しらないかも」
「はぁ……それは、大いにあり得るわね」
五十キロの完走に、頭が一杯で、ハーフゴールの存在など、全く知らないかもしれない。なにより、元々何事においても、無茶をする性格だ。負けず嫌いというより、単に無知で、怖いもの知らずなのよね――。
「これ、凄くおいしい。たべると落ちつく」
今度は、大きなリンゴのタルトの皿を、私の前に押し出してきた。スライスされたリンゴが美しく並べられ、まるで花のように見える。皿に一切れとると、フォークで小さく切り、口に運ぶ。
「これ、甘すぎず上品な味ね。見た目もとても美しいし」
「菓子コンテストで金賞をとった、有名パティシエが作ってる」
「なるほど……。って、何であんたは、そんなことばかり知ってるのよ?」
シルフィードの勉強は適当なくせに、余計な知識ばかり身につけている。とはいえ、このタルトは本当に美味しい。
フィニーツァは、その間にも、また店員を呼び、さらなる追加注文をしていた。よく見ると、すでに何枚もの皿が空になり、重ねてあった。いったい、いつの間に?
「まったく、どれだけ頼んでるのよ?」
「マラソンと同じで、観戦もペース配分がだいじ」
「もっともらしいこと言って、明らかにペース配分を間違えてるわよ。まだ、始まったばかりじゃない」
「まだ、ウォーミング・アップ。本気だすのは、まだ先」
もう、十分に本気で食べてると思うけど。マラソンが終わるまでに、はたして何十皿、食べる気だろうか? もういい、放っておこう――。
私はモニターに映る、どんよりとした灰色の空を眺めながら、何事もなく無事に終わることを祈る。
『蒼空の女王』シルフィードよ。どうか風歌に、風のご加護を……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『何か知らないけど絶好調で力が全身にみなぎってきたー!!』
世の中って奴は、今日も吐き気がするほどに絶好調だな
店内の中央には、大きな空中モニターがあり、壁面にも、いくつもの空中モニターが表示されていた。どのモニターも、映っているのは『ノア・マラソン』の中継だ。
この店は、スポーツ・イベント・コンサートなどの、ライブ中継が行われる『MVカフェ』だ。食事やお酒を楽しみながら、観戦することができる。また、集まった人たちと、一緒に盛り上がるのが醍醐味らしい。
このタイプのカフェは、最近、かなり流行っているが、私は来るのが初めてだ。基本、うるさい場所は、あまり好きではないので。
なお、大きなイベントの時は、完全予約制になっている。今日の『ノア・マラソン』のライブ中継も、予約した客だけが入れるようになっていた。
スポーツには、あまり興味がないけれど、風歌が出ているので、見ない訳にもいかない。応援すると約束したし。どうせ出るのであれば、いい結果を出したほうがいいし。まぁ、一応、友人だし……。
もっとも、三万人以上が参加するので、映ることはまず無いと思う。おそらく、映るのは、先頭グループだけだ。
今日は会社が休みなので、自室で勉強をしながら、マラソンの中継を見る予定だった。ところが、珍しくフィニーツァから『一緒にMVカフェに行って、風歌を応援しよう』と、お誘いが来た。
どういう風の吹き回しか訊いてみたところ、メイリオさんが、予約を入れてくれたそうだ。しかも、私の分まで。
相変わらず、当たり前のように、お姉様に気を遣わせているフィニーツァが、何とも腹立たしい。とはいえ、ここまでしてもらって、断るのは失礼なので、渋々ついてきたのだ。
私は、騒がしいのは苦手なので、あまり気乗りしなかった。しかし、フィニーツァは、とてもご機嫌な様子だ。
なぜなら、料金は事前に支払い済みで、今日は全てのメニューが、食べ放題・飲み放題だからだ。実際のところ、単に飲食が目的なのではないだろうか?
フィニーツァの前には、ピザ・フライドポテト・フィッシュフライ・ハンバーガーなど、すでに料理の皿が並んでいる。しかも、朝っぱらから、重い物ばかりだ。本当に、応援する気があるのかしらね――?
「ちょっと、フィニーツァ。私たちは、風歌の応援に来たのでしょ? 食べてばかりいないで、モニターを見なさいよ」
私は食べるのに夢中のフィニーツァを、睨みつけた。もうすぐスタートなのに、全く中継を見ようとしない。
「大丈夫。風歌は、最後のグループ」
「そうじゃなくて、気持ちの問題でしょ。仲間が、これから大変な挑戦をしようとしているのだから、真剣に応援しなさいよ。食べに来た訳じゃないんだから」
「いっぱい食べて、いっぱい応援する」
「だから、食べることから離れなさいよ!」
フィニーツァは、店に来てから、ずっと食べ続けている。いつものことだから、いまさら驚かないけど。いくらなんでも、朝から食べ過ぎでしょ……。
「ゴールまで六時間以上。だから、栄養補給が必要」
「走ってない私たちが、栄養補給してどうするのよ?」
「ここのピザ、おいしいと評判。石がまで焼いてる」
フィニーツァは、大きなピザの皿を、私の前に差し出してくる。
あまりにも話が平行線なので、イライラしてきた。いつもなら、このタイミングで風歌が間に入って、話題を変えたりする。そういえば、フィニーツァと二人だけで出掛けるのは、今回が初めてだ。いつも必ず、風歌が一緒にいるので。
風歌がいないと、こうも噛み合わないものなのね――。フィニーツァは、食べ物以外に興味がないから、何を話せばいいか分からないし。六時間も、どうすればいいのよ?
私はピザに手を伸ばした。別にお腹が空いている訳じゃないけど、イライラしているから、やけ食いだ。だが、一口食べると、予想外に美味しいので驚いた。
「これ……意外と美味しいわね」
「ここは、他のMVカフェと違う。プロの料理人が作ってる」
「飲食店はどこも、プロが作っているんじゃないの?」
「こういう店は、バイトが作るか、作り置きがほとんど。でも、ここは、元三ツ星レストランのシェフが、作ってる」
「それで、この味なのね――。って、何でそんなに詳しいのよ?」
普段、無口でボーッとしているくせに、食べ物のことになると、とたんに饒舌になる。しかも、私も知らないことまで、かなり詳しく知っていた。
「前から、来てみたかった。MVカフェの中で、一番、口コミ評価が高い」
フィニーツァは、色んな店の口コミを見ているようだ。彼女がスピを見ている時は、たいていは、飲食店関係の口コミ情報だった。私は基本、口コミは当てにしないので、まず見ないけど……。
そんなやり取りをしている内に『ノア・マラソン』がスタートした。
「ほら、始まったわよ。食べるなとは言わないけど、ちゃんと見なさい。風歌の応援もあるけど、私たち見習いは、イベントの勉強をする必要があるのだから」
「風歌、まだスタートしてない。今のうちに、追加注文する」
フィニーツァは、中継を気にした様子もなく、店員を呼んで注文を始める。
まったく、このやる気のなさと自由過ぎる行動、どうにかならないの? 私は厳しい視線を送るが、気付いてすらいなかった。
いくら睨みつけたところで、空気を全く読まないので、通じやしない。風歌なら、すぐに空気を読み取って、反応するんだけど――。
「何とか、天気がもってくれれば、いいのだけど」
「たぶん、雨降る」
「何で分かるのよ?」
天気予報の降水確率は、二十パーセントだったはずだ。通常、これぐらいだと、まず降らない。もしくは、降っても小雨程度だ。
「朝、顔がしめっぽかった。ネコも顔を洗ってた」
「何なのそれ? 何の根拠もないじゃない」
「昔から、顔がしめっぽい時は、必ず雨降る」
相変わらず、言うことが非論理的すぎる。『猫が顔を洗うと雨が降る』なんて言う人もいるが、ただの言い伝えだ。私はそういう不確定な話は、一切、信じない。
しばらくして、全てのグループがスタートした。私は少し不安な気持ちで、人の波が動くさまを眺める。あんなに沢山の人がいて、風歌は大丈夫だろうか?
大人ばかりで、若い子の姿が全く見えない。大人ですら厳しい距離なのに、まだ体の出来上がっていない風歌が走るのは、とても大変だと思う。体力や運動神経は確かにあるが、それは、私たちの中ではの話だ。
本当は、止めさせたかったが、言って聴くような性格ではない。それに、変に負けん気が強く、根性もある。
辛くなったら、すぐリタイアすればいいが、かなり無茶をするに違いない。正直、完走なんてどうでもいいので、怪我をしないかだけが、物凄く心配だ……。
スタートして間もなく、接触して、何人もがバタバタ倒れるシーンが映し出された。非常に心臓に悪い。
「スタート直後は、本当に危ないわね。風歌は大丈夫なのかしら?」
「大丈夫。風歌、ネコみたいに、すばしっこい」
フィニーツァは、ピザを片手に気楽に答えた。相変わらず、中継は真剣に見ていない。
「まぁ、そうだけど。周りは、大人だらけなんだから。万一、接触したら、怪我をする可能性だってあるでしょ?」
今、怪我をするのは、シルフィード人生を棒に振りかねない。ただでさえ、色々と大変な環境で、生活しているのだから――。
「小さいほうが、むしろ避けやすい」
「だと、いいんだけど……」
毎年、ニュースでは『ノア・マラソン』の映像を見ていたが、特に何とも思わなかった。しかし、今年は違う。知り合いが一人出ているだけで、全く見え方が違っていた。つい、余計な心配をしてしまう。
考えてみれば『サファイア・カップ』の時も、随分ハラハラさせられたのよね。まったく風歌は、毎度毎度、ヤキモキさせて――。
「今は心配しても、しょうがない。三時間すぎてから、見ればいい」
フィニーツアは、ボソッと呟く。
「三時間って、ちょうど中間地点よね?」
「選手が減って、見やすくなる」
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無理に、五十キロ地点を目指してリタイアすると、失格となり記録に残らない。なので、確実に行くなら、ハーフゴールのほうが賢明だ。年にもよるが、全体の二、三割の人は、ハーフゴールに入る。
なお、先頭集団を走る、プロや一流選手たちは、最終ゴールまで『二時間台』で完走してしまう。
そのため、有力選手のゴール後は、後ろを走っている無名の選手にも、スポットが当たるようになる。最終とハーフの、ゴールに入る人が増えるにつれ、走る人が減り、映る確率も上がるのだ。
「おそらく、風歌のことだから、ハーフゴールに入る訳ないわよね」
「ハーフのこと、しらないかも」
「はぁ……それは、大いにあり得るわね」
五十キロの完走に、頭が一杯で、ハーフゴールの存在など、全く知らないかもしれない。なにより、元々何事においても、無茶をする性格だ。負けず嫌いというより、単に無知で、怖いもの知らずなのよね――。
「これ、凄くおいしい。たべると落ちつく」
今度は、大きなリンゴのタルトの皿を、私の前に押し出してきた。スライスされたリンゴが美しく並べられ、まるで花のように見える。皿に一切れとると、フォークで小さく切り、口に運ぶ。
「これ、甘すぎず上品な味ね。見た目もとても美しいし」
「菓子コンテストで金賞をとった、有名パティシエが作ってる」
「なるほど……。って、何であんたは、そんなことばかり知ってるのよ?」
シルフィードの勉強は適当なくせに、余計な知識ばかり身につけている。とはいえ、このタルトは本当に美味しい。
フィニーツァは、その間にも、また店員を呼び、さらなる追加注文をしていた。よく見ると、すでに何枚もの皿が空になり、重ねてあった。いったい、いつの間に?
「まったく、どれだけ頼んでるのよ?」
「マラソンと同じで、観戦もペース配分がだいじ」
「もっともらしいこと言って、明らかにペース配分を間違えてるわよ。まだ、始まったばかりじゃない」
「まだ、ウォーミング・アップ。本気だすのは、まだ先」
もう、十分に本気で食べてると思うけど。マラソンが終わるまでに、はたして何十皿、食べる気だろうか? もういい、放っておこう――。
私はモニターに映る、どんよりとした灰色の空を眺めながら、何事もなく無事に終わることを祈る。
『蒼空の女王』シルフィードよ。どうか風歌に、風のご加護を……。
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