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第5部 厳しさにこめられた優しい想い
4-5決勝前夜の張り詰めた空気の中で語る拳の会話
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夜七時半。私は〈ATFジム〉の六階にある、トレーニングルームのリングの上に立っていた。先ほどから、ミラ先輩と二人で、ミット打ちを行っている。黙々と、ミットに向かって、パンチを叩きこんで行く。
大きなトレーニングルームの中には、私たち二人しかいない。そのため、ミットを叩く音だけが、室内に響き渡る。
いつもなら、とっくに上がっている時間だ。でも、私がミラ先輩に頼み込んで、特別にトレーニングに、付き合ってもらっていた。なぜなら、明日はいよいよ、MMAジュニア『決勝トーナメント』の、ファーストマッチが行われるからだ。
本来なら、さっさと上がって、体を休ませたほうがいいのは、分かっている。でも、どうせ家に帰っても、緊張と興奮で、まともに休みが取れやしない。だから、こうして体を動かしているほうが、むしろ、気分が紛れていいのだ。
私は、試合では、滅多に緊張しない。どんな相手だって、ミラ先輩に比べれば、何てことないからだ。でも、私は『決勝リーグ』に出るのは、今回が初めてだった。選び抜かれた、強者たちだけが出て来るため、今までとは、全くレベルが違う。
映像を見て、出場選手たちを研究したが、大変な猛者ぞろいだった。やはり『決勝トーナメント』の常連選手は、段違いに強い。特に、八強まで残る選手たちは、圧倒的な強さを持っている。
この一年間、やるだけのことは、全てやって来た。しかも、MMAオープン『アンリミテッド・スタイル』の、現チャンピオンから、直接、指導まで受けている。ここまで、恵まれた環境の選手は、他にいないだろう。
それでも、やはり不安は、拭い去れないでいた。なぜなら、一回戦の相手が、とんでもない強敵だからだ。ミラ先輩をいつも見ているから、たいていの敵には、ひるみはしない。
だが、今回の相手は、MMAジュニア『オフェンシブ・スタイル』の、世界チャンピオンだ。ミラ先輩が、ジュニアにいた時は、ワールドランク1位に甘んじていた。しかし、今では、不動のチャンピオンだった。
MMAの決勝トーナメントは、シード枠がないので、途中でチャンピオンと当たる場合もある。とはいえ、いきなり一戦目で、このカードは、流石に笑えない。くじ運が、いいんだか悪いんだか……。
もう、ここまで来たら、開き直るしかない。当たっちゃったもんは、しょうがないし。今出せる全力で、真正面から、ぶつかって行くだけだ。ま、粉々に砕け散る可能性が、大きいんだけど――。
私は、ミラ先輩の構えるミットに向けて、次々とパンチを放って行く。ミットを叩くたびに、心地よい音が響き渡る。
「よし、右左、ワンツー。かわして、ボディ。遅いっ、もっと隙なくつなげ! 今の攻撃に、集中し過ぎるな。打ってる最中に、次の攻撃をイメージしろ」
ミラ先輩に言われる通り、次々と攻撃を繰り出していく。十分、速さのある攻撃だと思うが、ミラ先輩曰く、私は攻撃は、つなぎが甘いらしい。
「最後はラッシュ、打て、打て、打てっ! 最後に、右アッパー!」
ズダンッという、大きな音を立て、ミットにアッパーカットが決まる。
「よし、今日は、ここまでにするか。あまり、やり過ぎて、明日に影響するとマズいからな」
「だ……大丈夫ですよ。まだまだ、行けますから」
「何言ってんだ。思いっ切り、息切らせてるじゃないか」
「いいんですよ。これぐらいのほうが、落ち着くんで」
練習に打ち込んでる間は、何も不安を感じない。でも、一度、冷静さを取り戻すと、対戦相手の表情が、リアルに思い浮かんでくる。心臓が握りつぶされそうなほどの、大きなプレッシャーだ。
彼女の名は、ミシュリー・ウォレス。かつては、ミラ先輩と彼女の頭文字をとって『MM対決』と言われ、滅茶苦茶、盛り上がっていた。もっとも、対戦成績は、ミラ先輩の全勝だった。
だが、彼女は、決して弱いわけではない。単にミラ先輩が、強過ぎただけだ。しかも、二人とも同じ、インファイターだった。接近戦において、ミラ先輩に勝てる相手は、現状、誰もいないだろう。
ちなみに、私は『ミドルレンジ』で戦うタイプだ。ギリギリ攻撃が当たる距離を保ちつつ、相手のスキをついて攻撃する。元々パワーがないので、接近戦は、あまり得意ではない。
ミラ先輩のように、強引に、力でねじ伏せるのではなく、相手の攻撃に合わせて、的確にカウンターを狙う。
しかし、今回は、ショートレンジの戦い方を、重点的に練習した。なぜなら、相手のほうが格上なので、自分の距離を、取らせてもらえない可能性が、高いからだ。万一、追い込まれたら、接近戦で対応するしかない。
「なんだ、緊張でもしてるのか?」
「そりゃ、するでしょ? 相手は、現チャンピオンですよ」
「チャンピオンなど、ただの称号だ。そんなものに、ビビるな」
「それは、ミラ先輩がチャンピオンだから、言えるセリフですよ」
ミラ先輩は、とにかく強い。なんせ、今まで一度たりとも、負けたことがない。『六連覇』の大記録の上に、いまだに『不敗』という、生きた伝説のファイターだ。負け知らずの強者が、何かにビビるはずもない。
「俺だって、最初から、チャンピオンだった訳じゃない」
「そりゃ、そうですけど。最初から、滅茶苦茶、強かったじゃないですか」
「強かったんじゃない。強くあろうとしただけだ」
ヒュンッと、空を切り裂くパンチが、私の顔の、目の前で止まる。
「強さは、心の強さ。そして、心の強さは、拳に宿る」
「――心ですか」
「やる前から、負ける気でいるようじゃ。へなちょこパンチしか、打てないぞ」
「別に、負ける気なんかじゃ、ありませんよ。ちょっと、不安なだけで」
負ける気は、全くない。でも、勝てるイメージも、全く浮かばなかった。実力差は、歴然としているからだ。
「不安を、負ける気って言うんだ。勝つ気でいる奴は、不安なんか持たないからな」
「じゃあ、勝つ気で戦えば、ミシュリー選手に、勝てると思います?」
「無理だな。実力が違いすぎる」
「って、即答?! そこは『お前なら勝てる』とか、励ますところでしょ!」
実に、ミラ先輩らしい答えだ。けっして、お世辞なんて言わない。いつだって、思ったことを、ストレートに口にする。
「励ましなんて、何の力にもならない。最後は、自分一人の力で、戦わなければならないんだからな」
「勝利インタビューでは『皆さんの応援のお蔭です』って、いつも言ってるじゃないですか?」
圧倒的な強さで、相手を瞬殺したとしても、勝利インタビューは、意外と謙虚だ。ただ、その分、リング上では容赦ないけど。
「あれは、リップサービスだ。しょせん、格闘技とは、孤独な競技。信じられるのは、己の心と拳のみ。それぐらい、お前でも分かってるだろ?」
「まぁ、分かってますけどね。漫画みたく、みんなの声援で、パワーアップしたりは、しませんから」
応援されるのは、凄く嬉しいことだ。でも、戦いの時には、声援など、耳に入って来ない。あるのは、目の前にいる敵と、自分の世界だけだ。
負ける時は、物凄くあっさり負ける。今まで、応援のお蔭で逆転できたり、復活したことなんて、一度もない。格闘技は、実力が全て。けっして、奇跡は起きないのだ。
「お前、初めて、リングに上がった時のこと、覚えてるか?」
「ジムの、入門テストですよね? あの時は、散々でしたよ」
「確かに、ど素人だったが、不安や負ける気で、やってたか?」
「いえ、食らいつくのに必死で。考える余裕すら、ありませんでしたよ」
初めてリングに立った時、私は、何の格闘知識も、持っていなかった。それどころか、喧嘩すらしたことのない、完全なド素人だ。
そんな人間が、いきなり『格闘経験者と戦え』なんていうのは、いくら何でも、無理ゲーすぎる。本来なら、怖くて足がすくむところだ。でも、憧れのミラ先輩がいたから、必死になって戦った。
ただ、拳を振り回すだけで、子供の喧嘩みたいな感じだったと思う。相手も、こっちが素人だと分かっていたから、本気は出していなかった。でも、結局、ボコボコにされたけど。
あの時は、勝つも負けるも、考えていなかった。ただ、前に進むこと、立ち続けること。それだけに、必死だった。
「それが、チャレンジャー精神だ。挑戦者は、ただ、相手に食らいつくだけでいい。とことん食らいついて、離さない。最後まで、食らいついてりゃ、挑戦者の勝ちだ。あの時、そうやって、お前は勝っただろ?」
「いや、ボッコボコでしたけど。『試合に負けて、勝負で勝つ』みたいな感じですか?」
あの時に屈辱は、今でも忘れない。と同時に、ミラ先輩に認めて貰った、嬉しさもある。
「まぁ、そんな感じだ。試合の勝敗なんて、結局は時の運。だが、勝負の行方は、本人の気持ちしだいだ。試合がどう転ぼうと、勝負には、絶対に負けるな」
「死ぬ気になって、相手に食らいついて。もう二度と、こいつとは戦いたくないと、相手に恐怖を刻み込め。その積み重ねが、試合の勝利に繋がるんだ」
ミラ先輩が言うと、実に説得力がある。というか、ミラ先輩と戦った相手は、みんな『二度と戦いたくない』と思うだろう。勝負だけじゃなくて、試合でも圧勝なんだから。
「あとな、試合は当日になってからだが、勝負は、試合の前から始まってんだよ。やる前から、不安だのなんだの言ってるやつは、すでに、勝負で負けている。実力でも負けて、気持ちでも負けて。そんな奴の、どこに勝ち目があるんだ?」
「相手のほうは、格下のお前なんかには、絶対に負けない。余裕で勝てる相手だと、思っているだろうよ。必勝の気持ちを持ってる時点で、相手の勝ちは、確定じゃないか?」
そりゃそうだ。チャンピオンから見れば、私みたいな無名の選手は、石ころみたいな存在だ。負ける気なんて、全く持っていないだろう。
相手の選手だけじゃない。見ている観客も、専門家も、どうせ、私の勝ちなど、1パーセントもないと、思っているはずだ。
「その通りかも、しれませんけど。格下扱いには、納得いきませんね。『うざい奴』と思われるぐらいには、しつこく食らいついてやりますよ」
私は、けっして強くはない。でも、舐められるのは嫌いだ。せめて、一矢報いてやらないと、終われない。そう考えると、メラメラと、心の中から、赤い炎が燃え上がって来た。
「そうだ、その意気だ。なら、特別に『必殺ブロー』を教えてやる」
「おおっ、マジっすか?! って、もっと早く、教えてくださいよ」
どんな攻撃だって、マスターするには、物凄く時間が掛かる。何も、前日に伝授しなくたって……。
「まずは、拳を構える。そして、拳に想いを込めるんだ。『死ねやっ!!』てな。そんでもって、相手を殺すつもりで殴る。まさに、必殺ブローだろ?」
ミラ先輩は、構えて、ブンッと勢いよく、拳を振り抜いた。
「って、何すかそれ? ただの、精神論じゃないですか?」
「馬鹿いえ。俺はいつだって、相手を殺すつもりで、殴ってんだよ。そして、その拳の想いは、相手に伝わる。試しにやってみろ」
殺すつもりって――。まぁ、ミラ先輩なら、本当にやってそうだけど。
私は拳を構えると、
「死ねやぁぁ!!」
シュッと拳を突き出した。
やっぱり、ミラ先輩ほどの、迫力も重さもない。体格も筋肉量も違うから、同じ威力になるはずが無かった。
「馬鹿っ、そうじゃねぇ、こうだ。声だけ出したって、殺意がなきゃ、意味ねえよ」
目の前に、ブンッと重い拳を、突きだして来る。
「こうですか?」
「だから違う、こうだっ!」
ミラ先輩は、あまり教えるのが、上手くない。結構、感覚的な教え方が、多いからだ。でも、天才ってのは、こう言うもんなのかもしれない。
結局、訳の分からないまま、必殺ブローの練習を続ける。その間に、夜が更けて行くのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『例え相手がチャンピオンでもぶっ倒すだけだ』
チャンピオンやなんて肩書き関係あらへんわっ
大きなトレーニングルームの中には、私たち二人しかいない。そのため、ミットを叩く音だけが、室内に響き渡る。
いつもなら、とっくに上がっている時間だ。でも、私がミラ先輩に頼み込んで、特別にトレーニングに、付き合ってもらっていた。なぜなら、明日はいよいよ、MMAジュニア『決勝トーナメント』の、ファーストマッチが行われるからだ。
本来なら、さっさと上がって、体を休ませたほうがいいのは、分かっている。でも、どうせ家に帰っても、緊張と興奮で、まともに休みが取れやしない。だから、こうして体を動かしているほうが、むしろ、気分が紛れていいのだ。
私は、試合では、滅多に緊張しない。どんな相手だって、ミラ先輩に比べれば、何てことないからだ。でも、私は『決勝リーグ』に出るのは、今回が初めてだった。選び抜かれた、強者たちだけが出て来るため、今までとは、全くレベルが違う。
映像を見て、出場選手たちを研究したが、大変な猛者ぞろいだった。やはり『決勝トーナメント』の常連選手は、段違いに強い。特に、八強まで残る選手たちは、圧倒的な強さを持っている。
この一年間、やるだけのことは、全てやって来た。しかも、MMAオープン『アンリミテッド・スタイル』の、現チャンピオンから、直接、指導まで受けている。ここまで、恵まれた環境の選手は、他にいないだろう。
それでも、やはり不安は、拭い去れないでいた。なぜなら、一回戦の相手が、とんでもない強敵だからだ。ミラ先輩をいつも見ているから、たいていの敵には、ひるみはしない。
だが、今回の相手は、MMAジュニア『オフェンシブ・スタイル』の、世界チャンピオンだ。ミラ先輩が、ジュニアにいた時は、ワールドランク1位に甘んじていた。しかし、今では、不動のチャンピオンだった。
MMAの決勝トーナメントは、シード枠がないので、途中でチャンピオンと当たる場合もある。とはいえ、いきなり一戦目で、このカードは、流石に笑えない。くじ運が、いいんだか悪いんだか……。
もう、ここまで来たら、開き直るしかない。当たっちゃったもんは、しょうがないし。今出せる全力で、真正面から、ぶつかって行くだけだ。ま、粉々に砕け散る可能性が、大きいんだけど――。
私は、ミラ先輩の構えるミットに向けて、次々とパンチを放って行く。ミットを叩くたびに、心地よい音が響き渡る。
「よし、右左、ワンツー。かわして、ボディ。遅いっ、もっと隙なくつなげ! 今の攻撃に、集中し過ぎるな。打ってる最中に、次の攻撃をイメージしろ」
ミラ先輩に言われる通り、次々と攻撃を繰り出していく。十分、速さのある攻撃だと思うが、ミラ先輩曰く、私は攻撃は、つなぎが甘いらしい。
「最後はラッシュ、打て、打て、打てっ! 最後に、右アッパー!」
ズダンッという、大きな音を立て、ミットにアッパーカットが決まる。
「よし、今日は、ここまでにするか。あまり、やり過ぎて、明日に影響するとマズいからな」
「だ……大丈夫ですよ。まだまだ、行けますから」
「何言ってんだ。思いっ切り、息切らせてるじゃないか」
「いいんですよ。これぐらいのほうが、落ち着くんで」
練習に打ち込んでる間は、何も不安を感じない。でも、一度、冷静さを取り戻すと、対戦相手の表情が、リアルに思い浮かんでくる。心臓が握りつぶされそうなほどの、大きなプレッシャーだ。
彼女の名は、ミシュリー・ウォレス。かつては、ミラ先輩と彼女の頭文字をとって『MM対決』と言われ、滅茶苦茶、盛り上がっていた。もっとも、対戦成績は、ミラ先輩の全勝だった。
だが、彼女は、決して弱いわけではない。単にミラ先輩が、強過ぎただけだ。しかも、二人とも同じ、インファイターだった。接近戦において、ミラ先輩に勝てる相手は、現状、誰もいないだろう。
ちなみに、私は『ミドルレンジ』で戦うタイプだ。ギリギリ攻撃が当たる距離を保ちつつ、相手のスキをついて攻撃する。元々パワーがないので、接近戦は、あまり得意ではない。
ミラ先輩のように、強引に、力でねじ伏せるのではなく、相手の攻撃に合わせて、的確にカウンターを狙う。
しかし、今回は、ショートレンジの戦い方を、重点的に練習した。なぜなら、相手のほうが格上なので、自分の距離を、取らせてもらえない可能性が、高いからだ。万一、追い込まれたら、接近戦で対応するしかない。
「なんだ、緊張でもしてるのか?」
「そりゃ、するでしょ? 相手は、現チャンピオンですよ」
「チャンピオンなど、ただの称号だ。そんなものに、ビビるな」
「それは、ミラ先輩がチャンピオンだから、言えるセリフですよ」
ミラ先輩は、とにかく強い。なんせ、今まで一度たりとも、負けたことがない。『六連覇』の大記録の上に、いまだに『不敗』という、生きた伝説のファイターだ。負け知らずの強者が、何かにビビるはずもない。
「俺だって、最初から、チャンピオンだった訳じゃない」
「そりゃ、そうですけど。最初から、滅茶苦茶、強かったじゃないですか」
「強かったんじゃない。強くあろうとしただけだ」
ヒュンッと、空を切り裂くパンチが、私の顔の、目の前で止まる。
「強さは、心の強さ。そして、心の強さは、拳に宿る」
「――心ですか」
「やる前から、負ける気でいるようじゃ。へなちょこパンチしか、打てないぞ」
「別に、負ける気なんかじゃ、ありませんよ。ちょっと、不安なだけで」
負ける気は、全くない。でも、勝てるイメージも、全く浮かばなかった。実力差は、歴然としているからだ。
「不安を、負ける気って言うんだ。勝つ気でいる奴は、不安なんか持たないからな」
「じゃあ、勝つ気で戦えば、ミシュリー選手に、勝てると思います?」
「無理だな。実力が違いすぎる」
「って、即答?! そこは『お前なら勝てる』とか、励ますところでしょ!」
実に、ミラ先輩らしい答えだ。けっして、お世辞なんて言わない。いつだって、思ったことを、ストレートに口にする。
「励ましなんて、何の力にもならない。最後は、自分一人の力で、戦わなければならないんだからな」
「勝利インタビューでは『皆さんの応援のお蔭です』って、いつも言ってるじゃないですか?」
圧倒的な強さで、相手を瞬殺したとしても、勝利インタビューは、意外と謙虚だ。ただ、その分、リング上では容赦ないけど。
「あれは、リップサービスだ。しょせん、格闘技とは、孤独な競技。信じられるのは、己の心と拳のみ。それぐらい、お前でも分かってるだろ?」
「まぁ、分かってますけどね。漫画みたく、みんなの声援で、パワーアップしたりは、しませんから」
応援されるのは、凄く嬉しいことだ。でも、戦いの時には、声援など、耳に入って来ない。あるのは、目の前にいる敵と、自分の世界だけだ。
負ける時は、物凄くあっさり負ける。今まで、応援のお蔭で逆転できたり、復活したことなんて、一度もない。格闘技は、実力が全て。けっして、奇跡は起きないのだ。
「お前、初めて、リングに上がった時のこと、覚えてるか?」
「ジムの、入門テストですよね? あの時は、散々でしたよ」
「確かに、ど素人だったが、不安や負ける気で、やってたか?」
「いえ、食らいつくのに必死で。考える余裕すら、ありませんでしたよ」
初めてリングに立った時、私は、何の格闘知識も、持っていなかった。それどころか、喧嘩すらしたことのない、完全なド素人だ。
そんな人間が、いきなり『格闘経験者と戦え』なんていうのは、いくら何でも、無理ゲーすぎる。本来なら、怖くて足がすくむところだ。でも、憧れのミラ先輩がいたから、必死になって戦った。
ただ、拳を振り回すだけで、子供の喧嘩みたいな感じだったと思う。相手も、こっちが素人だと分かっていたから、本気は出していなかった。でも、結局、ボコボコにされたけど。
あの時は、勝つも負けるも、考えていなかった。ただ、前に進むこと、立ち続けること。それだけに、必死だった。
「それが、チャレンジャー精神だ。挑戦者は、ただ、相手に食らいつくだけでいい。とことん食らいついて、離さない。最後まで、食らいついてりゃ、挑戦者の勝ちだ。あの時、そうやって、お前は勝っただろ?」
「いや、ボッコボコでしたけど。『試合に負けて、勝負で勝つ』みたいな感じですか?」
あの時に屈辱は、今でも忘れない。と同時に、ミラ先輩に認めて貰った、嬉しさもある。
「まぁ、そんな感じだ。試合の勝敗なんて、結局は時の運。だが、勝負の行方は、本人の気持ちしだいだ。試合がどう転ぼうと、勝負には、絶対に負けるな」
「死ぬ気になって、相手に食らいついて。もう二度と、こいつとは戦いたくないと、相手に恐怖を刻み込め。その積み重ねが、試合の勝利に繋がるんだ」
ミラ先輩が言うと、実に説得力がある。というか、ミラ先輩と戦った相手は、みんな『二度と戦いたくない』と思うだろう。勝負だけじゃなくて、試合でも圧勝なんだから。
「あとな、試合は当日になってからだが、勝負は、試合の前から始まってんだよ。やる前から、不安だのなんだの言ってるやつは、すでに、勝負で負けている。実力でも負けて、気持ちでも負けて。そんな奴の、どこに勝ち目があるんだ?」
「相手のほうは、格下のお前なんかには、絶対に負けない。余裕で勝てる相手だと、思っているだろうよ。必勝の気持ちを持ってる時点で、相手の勝ちは、確定じゃないか?」
そりゃそうだ。チャンピオンから見れば、私みたいな無名の選手は、石ころみたいな存在だ。負ける気なんて、全く持っていないだろう。
相手の選手だけじゃない。見ている観客も、専門家も、どうせ、私の勝ちなど、1パーセントもないと、思っているはずだ。
「その通りかも、しれませんけど。格下扱いには、納得いきませんね。『うざい奴』と思われるぐらいには、しつこく食らいついてやりますよ」
私は、けっして強くはない。でも、舐められるのは嫌いだ。せめて、一矢報いてやらないと、終われない。そう考えると、メラメラと、心の中から、赤い炎が燃え上がって来た。
「そうだ、その意気だ。なら、特別に『必殺ブロー』を教えてやる」
「おおっ、マジっすか?! って、もっと早く、教えてくださいよ」
どんな攻撃だって、マスターするには、物凄く時間が掛かる。何も、前日に伝授しなくたって……。
「まずは、拳を構える。そして、拳に想いを込めるんだ。『死ねやっ!!』てな。そんでもって、相手を殺すつもりで殴る。まさに、必殺ブローだろ?」
ミラ先輩は、構えて、ブンッと勢いよく、拳を振り抜いた。
「って、何すかそれ? ただの、精神論じゃないですか?」
「馬鹿いえ。俺はいつだって、相手を殺すつもりで、殴ってんだよ。そして、その拳の想いは、相手に伝わる。試しにやってみろ」
殺すつもりって――。まぁ、ミラ先輩なら、本当にやってそうだけど。
私は拳を構えると、
「死ねやぁぁ!!」
シュッと拳を突き出した。
やっぱり、ミラ先輩ほどの、迫力も重さもない。体格も筋肉量も違うから、同じ威力になるはずが無かった。
「馬鹿っ、そうじゃねぇ、こうだ。声だけ出したって、殺意がなきゃ、意味ねえよ」
目の前に、ブンッと重い拳を、突きだして来る。
「こうですか?」
「だから違う、こうだっ!」
ミラ先輩は、あまり教えるのが、上手くない。結構、感覚的な教え方が、多いからだ。でも、天才ってのは、こう言うもんなのかもしれない。
結局、訳の分からないまま、必殺ブローの練習を続ける。その間に、夜が更けて行くのだった……。
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次回――
『例え相手がチャンピオンでもぶっ倒すだけだ』
チャンピオンやなんて肩書き関係あらへんわっ
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