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第5部 厳しさにこめられた優しい想い
5-4車いすの少女が持つささやかだけどとても素敵な夢
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午前中の仕事を、全て終えたあと。私は、練習飛行で〈北地区〉に来ていた。ちゃんと、リリーシャさんにも、全エリアの飛行許可をもらっている。まだ、高度やスピード制限付きだけど、安全運転を心がけているから、特に問題はない。
以前は、魔力制御に自信がついたせいもあり、結構スピードを出して、勢いよく飛んでいた。でも、墜落事故があってからは、ゆっくりと慎重に飛ぶようになった。
どんなに慣れても、100%の安全はないし、慣れているからこそ、気の引き締めが大事だからだ。
あと、飛行する前には、必ず『マナ・チェッカー』を使って、魔力コンディションをチェックしていた。これは、『安全飛行講習』以降、毎日、欠かさず行っている。
おニュー機体にも、すっかり慣れて、新しい機能も全て把握していた。スピードはゆっくりだけど、以前よりも、操縦が安定した気がする。上昇・下降・旋回も、前に比べ、かなりスムーズだ。
機体の性能もあるけど、自分の心境の変化で、魔力制御の安定感が、変わったからだと思う。やっぱり、気持ちって大事だよね。
私は、高度を低めに取り〈北地区〉の住宅街の上を、ゆっくり飛んでいた。観光客が行くような所は少ないけど、誰かの自宅に、案内する機会があるかもしれない。遠くから、知り合いに会いに来る人も、たまにいるもんね。
なので、住宅街の配置も、ある程度、覚えておこうと思う。他地区の、主だった施設や建物はだいぶ覚えたから、焦らず地道にやっていこう。〈北地区〉に住んでいるんだから、ここも、ホームみたいなもんだし。
下のほうを見ると、やはり、古い建物ばかりだ。道幅が狭かったり、道自体も古いものが多い。ここら辺は、レンガ造りの道が多く、所々割れていたり、レンガの隙間に草が生えていたりする。
中には、まだ未舗装の道もあったりと、整備が進んでいない場所も多かった。〈北地区〉は、最も広いエリアだし、観光客も来ないので、あまり整備には、力を入れていないのかもしれない。
でも、ある意味、こういう余計な手の入っていない、自然な風景のほうが〈北地区〉らしくていいと思う。見ていて、何かホッとするし。ここだけ、田舎みたいな感じで、他の地区とは、全く雰囲気が違うんだよね。
ゆっくり北に進んで行くと、やがて住宅街が終わり、農場エリアに入る。急に視界が開け、田園風景が広がった。
ここからは、家がポツポツと点在するだけで、舗装されていない、あぜ道も多い。相変わらず、畑と農場だらけで、とんでもなく広大なエリアだった。
私は、スピードはそのままに、少しだけ高度を上げ、そよぐ風を楽しんだ。病院の屋上の一件があって以来、残念ながら、マナラインが見えたことは、一度もない。
でも、以前よりも、風の流れを、正確に感じられるようになった。何となくだけど、風がどこからどこに向かっているか、分かるようになったのだ。最近、風予報や天気予報と、自分の予想が合うことが、多いんだよね。
風は微風、北東の風、1.5メートルってところかな? 少し雲が出てるけど、風は乾いているから、雨の心配はなさそう。
私が、エア・ドルフィンの計器に目を向けると、
『北東1.5m 曇りのち晴れ』
と表示が出ていた。思った通り、ピッタリだ。
『これも、安全飛行講習の賜物かなぁ?』なんて、考えながら飛んでいると、少し先のほうで、人の姿を発見する。あぜ道の途中で、止まっているようだ。
私は、ゆっくりとそちらに回頭し、近付いて行った。そこには、車いすに乗った少女が、道の途中で、立ち往生していた。
「もしかして、何かあったのかな?」
大事だと困るので、少し離れたところに、急いで着陸する。
私は、エア・ドルフィンを降りると、
「あの、大丈夫ですか?」
近づきながら、そっと少女に声を掛けた。
「その――車輪が上手く動かなくて」
彼女は車輪に手を掛け、必死に動かそうとしている。
それにしても、車輪付きとは珍しい。こちらの世界は、車輪のある乗り物は、ほとんどない。車いすも、マナフローター・エンジンを搭載した『浮遊型』のものが、使われているからだ。
近づいて、よく観察してみると、左の車輪が、ぬかるみにハマっていた。さらに、車輪の前には、大きな石が、引っ掛かっている。
「ちょっと、待っていてくださいね」
私は、石をどかしたあと、後ろに回って思い切り力を入れ、車いすを押し出した。すると、ゆっくりぬかるみを抜け出し、前に進んで行った。
「あの、ありがとうございます。とても助かりました」
「いえ、お役に立てて、よかったです」
笑顔を浮かべる彼女に、私も笑顔で返す。
「どこかに、向かっていたんですか? よろしければ、私が押して行きますけど」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。自分で動かさないと、体力がつかないので」
「なるほど。それで、車輪付きの車いすに、乗っていたんですね」
「それも、あるんですけど。私は、普通の車いすには、乗れないので……」
彼女は、少し複雑な表情を浮かべた。
何か、訊いちゃいけないことを、言ってしまったのかな? でも、普通の車いすに乗れないって、どういうこと? エア・ドルフィンと違って、ほんの少し浮遊するだけだから、子供でも乗れるはずだけど……。
「その――私、フリージング病なんです」
「ええと、ふりーじんぐ……?」
「正式名称は『魔力凍結症』で、現代医学では治らない、難病なんです」
「な、なるほど――」
『魔力凍結症』なんて、初めて聴く病名だ。もちろん、魔力の概念が存在しない、私のいた世界には、なかった病気だ。よく分からないけど、何か重い病気なのだろうか……?
「大地の魔女、レイアード・ハイゼルは、ご存知ですよね」
「はい。この町を作った、偉大な魔女ですよね?」
「彼女も、フリージング病で。そのせいで、命を落としたと言われています」
「えぇっ!? そんなに、重い病気なんですか――?」
あの、偉大な魔女が、命を落としたって……。そんなに深刻な病気だったの? 彼女を見る限り、歩けないことを除いては、そんなに具合悪そうには、見えないけど。
「今すぐ、命を落とすようなことは有りません。ただ、体内の魔力が、正常に循環しなくなるので、魔力が必要な機器は、使えないんです」
「あぁ、なるほど。それで、手動の車いすに、乗っているんですね」
私は、ホッと息を吐き出した。治すことのできない難病、なんて言うから、命の危機にあるのかと思った。こんな、若い子が命を落とすなんて、絶対にあってはいけない事だ。私よりも、年下みたいだし。
でも、この世界にある物は、ほとんどが、マナで動いている。マナが使えないとなると、日常生活は、かなり不便なはずだ。
マナは、誰もが持っていて、自由に使えるものだと、私は学んだ。現に、魔法の存在しない世界で育った、私にだって使えている。だから、まさかこの世界に、マナの使えない人がいるとは、思わなかった。この世界では、確かに難病だ。
「でも、この車いすは、嫌いじゃないんです。何か、自分の力で歩いている。そんな気分になれるので」
「その気持ち、分かります。私も自分の足で散歩すると、そんな気分になるので」
エア・ドルフィンなどの乗り物は、とても便利だ。ある程度の、魔力コントロールができれば、アクセルを開くだけで、楽々目的地に行けてしまう。でも、自分の足で、歩いたり走ったりして移動するのは、また、別の充実感や喜びがある。
「ただ、こんな所で、つまづいていたら、どうしようもないですよね。助けて貰わなければ、ずっと、立ち往生していたでしょうし」
「これは、道がぬかるんでたからで。しょうがないですよ」
「でも、こんなんじゃ。夢は、いつまで経っても、果たせないんです……」
「えっ――夢……?」
彼女は、少しうつむきながら呟いた。
しばらくの静寂のあと、
「少しだけ、お話を聴いていただいても、いいですか? 優しいシルフィードさん」
彼女は、私を見つめながら、とても真剣な表情で声を掛けてきた。
彼女の目からは、切実な想いが伝わって来る。『夢』と言っていたから、何か大きな望みが、あるのだろうか? 同じく、夢を追っている身として、放ってはおけなかった。
「えぇ、喜んで。私なんかでよければ、何でも聴きますよ」
私は、笑顔を浮かべながら答える。
「ありがとうございます、シルフィードさん。申し遅れましたが、私は、エリー・キャンベルと言います。中学三年生なんですが、体が不自由なので、学校には行っていません。家で、通信教育を受けています」
「私は〈ホワイト・ウイング〉所属の、如月風歌です。今年の三月までは中学生で、今年、入ったばかりの新人です。エリーちゃんって、呼んでもいいかな?」
なるほど、一個下だったんだ。中三と言えば、進路を考えなければならないから、結構、大変な時期だよね。彼女は、学校も行ってないみたいだし、将来どうするつもりなんだろうか――?
「はい。じゃあ、風歌さんと、呼んでもいいですか?」
「うん、もちろん。ところで、どこかに、行くつもりだったんじゃないの? 私、目的地まで、押していくよ。移動しながら、お話ししない?」
練習時間は、たっぷりあるし。こうして、体の不自由な人を、案内してあげるのも、立派なシルフィードの仕事だよね。今後も、こういう人とのお付き合いも、あるかもしれないし。
「実は、そのことなんですけど。私は、自分の力で移動しないと、意味がないんです。夢を果たすために」
「夢……? どんな夢か、教えてもらってもいいかな?」
「その、普通の人から聴いたら、くだらない夢だと思いますけど――」
「夢に『くだらない』とか、ないと思うよ。どんな夢だって、凄いことだもん」
夢とは、他人には、その価値は、なかなか理解できないものだと思う。私の夢だって、他人から見たら、おかしなことに、見えるかもしれない。旅行ならまだしも、わざわざ異世界に、就職しに行く奇特な人間は、まずいないので。
でも、どんな夢だって、本人にとっては、とても大切で真剣なものだ。そもそも、夢を持つだけでも、凄い勇気やエネルギーがいるんだから、くだらない訳がない。
彼女は、少し考えてから、
「実は私、海に行きたいんです。自分の力で……」
小さな声で答えた。
「エリーちゃんは、海に行ったことがないの?」
〈グリュンノア〉は、四方を海に囲まれた、海上都市だ。〈中央区〉以外は、全てが海と接しており、行こうと思えば、いつでも行ける距離にある。もっとも、それは健常者の場合の話だ。
「はい。乗り物から、見下ろしたことはあります。でも、実際に行ったことは、一度もありません。フリージング病のせいで、子供のころから、家を出る機会が少なくて。海を見るのも、病院の往復の間に、空から眺めるだけで――」
「そうだったんだ……。なら、本物の海を見てみたいのは、当然だよね」
空から見る海も美しい。でも、やっぱり、実際に目の前で見る、海の雄大さと自然の美しさは、別次元だと思う。
「だから私、体を鍛えていたんです。海まで、自力で行くとなると、相当な体力が必要なので――」
「そういう事だったんだ。確かに、海までは、かなり距離があるからね。ところで、どの地区の海に行きたいの?〈北地区〉の海なら、割と近いと思うけど」
〈北地区〉の海岸は、特に何もない。でも、海を見るだけなら、十分だと思う。
「私〈西地区〉の海に、行ってみたいんです」
「なるほど。でも〈サファイア・ビーチ〉までは、かなり遠いよ……」
〈北地区〉からだと〈中央区〉を、通過して行かなければならない。しかも〈サファイア・ビーチ〉は〈西地区〉の一番、端っこにある。乗り物なら、割と早く行けるけど、車いすだと、どれぐらい時間が掛かるか、全く予想もつかない。
「やっぱり、普通の人から見たら、くだらないですよね?」
「そんなことない、とても素敵な夢だよ。絶対に、叶えるべきだと思う。でも、何で〈サファイア・ビーチ〉なの?」
ここを移動していたということは、家もすぐそばなのだろう。この場所からなら〈東地区〉の〈エメラルド・ビーチ〉のほうが近い。と言っても、やっぱり車いすだと、相当に大変な距離だけど。
「〈サファイア・ビーチ〉って『旋風の魔女』の像が、あるじゃないですか? そこで『この病気を治してください』って、お祈りしたくて」
「それなら、絶対に〈サファイア・ビーチ〉に、行ったほうがいいよね」
『旋風の魔女』フィーネ・カリバーンは、この町の医療を支えた人だ。今でも『生命の女神』や『医療の女神』として、多くの人たちから慕われていた。なので『旋風の魔女』の像には、健康祈願に訪れる人が多い。
「ただ、正直、自信がないんです。あんな遠くまで、自力で行けるかどうか――。今まで、自分一人で、遠出したこともないですし」
「でも、行きたいんだよね?」
体が不自由な人にとって、遠出するのは、とても怖いと思う。でも、誰だって、知らない世界に行くには、勇気が必要だ。
「はい。日に日に、行きたい気持ちが、強まっています。このままじゃ私、何もできないまま、人世を終えてしまいますから……」
彼女は、とても悲しそうな表情を浮かべる。
「なら、行こうよ! 私が手伝うから」
「えっ、手伝うって――?」
「自分の力で行くにしても、見守ってくれる人がいた方が、安心でしょ?」
手助けとは、必ずしも、自分が手を出すことでは、ないと思う。見守ってくれることの有難みは、私がよく知っている。私の場合、リリーシャさんやノーラさんに、いつも見守ってもらっているから……。
「でも――いいんですか? 物凄く、時間がかかると思いますし。お仕事も、忙しいのでは?」
「私、見習いで、時間たっぷりあるから大丈夫。取りあえず、いつ決行するのか、どんなルートで行くのか。計画することから始めようよ。道案内なら、私に任せて」
私は、彼女の今の状況を聴きながら、マギコンを開いて、記録していった。大変なのは、確かだけど。決して、できない事じゃないと思う。
夢をかなえるのに必要なのは、ただ一つ。最初の一歩目を、勇気を出して、踏み出すことだけなのだから……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『小さな少女の人生を懸けた新しい挑戦』
どんな無謀なことにも挑戦できる。これはまだ何も知らない素人の特権だな
以前は、魔力制御に自信がついたせいもあり、結構スピードを出して、勢いよく飛んでいた。でも、墜落事故があってからは、ゆっくりと慎重に飛ぶようになった。
どんなに慣れても、100%の安全はないし、慣れているからこそ、気の引き締めが大事だからだ。
あと、飛行する前には、必ず『マナ・チェッカー』を使って、魔力コンディションをチェックしていた。これは、『安全飛行講習』以降、毎日、欠かさず行っている。
おニュー機体にも、すっかり慣れて、新しい機能も全て把握していた。スピードはゆっくりだけど、以前よりも、操縦が安定した気がする。上昇・下降・旋回も、前に比べ、かなりスムーズだ。
機体の性能もあるけど、自分の心境の変化で、魔力制御の安定感が、変わったからだと思う。やっぱり、気持ちって大事だよね。
私は、高度を低めに取り〈北地区〉の住宅街の上を、ゆっくり飛んでいた。観光客が行くような所は少ないけど、誰かの自宅に、案内する機会があるかもしれない。遠くから、知り合いに会いに来る人も、たまにいるもんね。
なので、住宅街の配置も、ある程度、覚えておこうと思う。他地区の、主だった施設や建物はだいぶ覚えたから、焦らず地道にやっていこう。〈北地区〉に住んでいるんだから、ここも、ホームみたいなもんだし。
下のほうを見ると、やはり、古い建物ばかりだ。道幅が狭かったり、道自体も古いものが多い。ここら辺は、レンガ造りの道が多く、所々割れていたり、レンガの隙間に草が生えていたりする。
中には、まだ未舗装の道もあったりと、整備が進んでいない場所も多かった。〈北地区〉は、最も広いエリアだし、観光客も来ないので、あまり整備には、力を入れていないのかもしれない。
でも、ある意味、こういう余計な手の入っていない、自然な風景のほうが〈北地区〉らしくていいと思う。見ていて、何かホッとするし。ここだけ、田舎みたいな感じで、他の地区とは、全く雰囲気が違うんだよね。
ゆっくり北に進んで行くと、やがて住宅街が終わり、農場エリアに入る。急に視界が開け、田園風景が広がった。
ここからは、家がポツポツと点在するだけで、舗装されていない、あぜ道も多い。相変わらず、畑と農場だらけで、とんでもなく広大なエリアだった。
私は、スピードはそのままに、少しだけ高度を上げ、そよぐ風を楽しんだ。病院の屋上の一件があって以来、残念ながら、マナラインが見えたことは、一度もない。
でも、以前よりも、風の流れを、正確に感じられるようになった。何となくだけど、風がどこからどこに向かっているか、分かるようになったのだ。最近、風予報や天気予報と、自分の予想が合うことが、多いんだよね。
風は微風、北東の風、1.5メートルってところかな? 少し雲が出てるけど、風は乾いているから、雨の心配はなさそう。
私が、エア・ドルフィンの計器に目を向けると、
『北東1.5m 曇りのち晴れ』
と表示が出ていた。思った通り、ピッタリだ。
『これも、安全飛行講習の賜物かなぁ?』なんて、考えながら飛んでいると、少し先のほうで、人の姿を発見する。あぜ道の途中で、止まっているようだ。
私は、ゆっくりとそちらに回頭し、近付いて行った。そこには、車いすに乗った少女が、道の途中で、立ち往生していた。
「もしかして、何かあったのかな?」
大事だと困るので、少し離れたところに、急いで着陸する。
私は、エア・ドルフィンを降りると、
「あの、大丈夫ですか?」
近づきながら、そっと少女に声を掛けた。
「その――車輪が上手く動かなくて」
彼女は車輪に手を掛け、必死に動かそうとしている。
それにしても、車輪付きとは珍しい。こちらの世界は、車輪のある乗り物は、ほとんどない。車いすも、マナフローター・エンジンを搭載した『浮遊型』のものが、使われているからだ。
近づいて、よく観察してみると、左の車輪が、ぬかるみにハマっていた。さらに、車輪の前には、大きな石が、引っ掛かっている。
「ちょっと、待っていてくださいね」
私は、石をどかしたあと、後ろに回って思い切り力を入れ、車いすを押し出した。すると、ゆっくりぬかるみを抜け出し、前に進んで行った。
「あの、ありがとうございます。とても助かりました」
「いえ、お役に立てて、よかったです」
笑顔を浮かべる彼女に、私も笑顔で返す。
「どこかに、向かっていたんですか? よろしければ、私が押して行きますけど」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。自分で動かさないと、体力がつかないので」
「なるほど。それで、車輪付きの車いすに、乗っていたんですね」
「それも、あるんですけど。私は、普通の車いすには、乗れないので……」
彼女は、少し複雑な表情を浮かべた。
何か、訊いちゃいけないことを、言ってしまったのかな? でも、普通の車いすに乗れないって、どういうこと? エア・ドルフィンと違って、ほんの少し浮遊するだけだから、子供でも乗れるはずだけど……。
「その――私、フリージング病なんです」
「ええと、ふりーじんぐ……?」
「正式名称は『魔力凍結症』で、現代医学では治らない、難病なんです」
「な、なるほど――」
『魔力凍結症』なんて、初めて聴く病名だ。もちろん、魔力の概念が存在しない、私のいた世界には、なかった病気だ。よく分からないけど、何か重い病気なのだろうか……?
「大地の魔女、レイアード・ハイゼルは、ご存知ですよね」
「はい。この町を作った、偉大な魔女ですよね?」
「彼女も、フリージング病で。そのせいで、命を落としたと言われています」
「えぇっ!? そんなに、重い病気なんですか――?」
あの、偉大な魔女が、命を落としたって……。そんなに深刻な病気だったの? 彼女を見る限り、歩けないことを除いては、そんなに具合悪そうには、見えないけど。
「今すぐ、命を落とすようなことは有りません。ただ、体内の魔力が、正常に循環しなくなるので、魔力が必要な機器は、使えないんです」
「あぁ、なるほど。それで、手動の車いすに、乗っているんですね」
私は、ホッと息を吐き出した。治すことのできない難病、なんて言うから、命の危機にあるのかと思った。こんな、若い子が命を落とすなんて、絶対にあってはいけない事だ。私よりも、年下みたいだし。
でも、この世界にある物は、ほとんどが、マナで動いている。マナが使えないとなると、日常生活は、かなり不便なはずだ。
マナは、誰もが持っていて、自由に使えるものだと、私は学んだ。現に、魔法の存在しない世界で育った、私にだって使えている。だから、まさかこの世界に、マナの使えない人がいるとは、思わなかった。この世界では、確かに難病だ。
「でも、この車いすは、嫌いじゃないんです。何か、自分の力で歩いている。そんな気分になれるので」
「その気持ち、分かります。私も自分の足で散歩すると、そんな気分になるので」
エア・ドルフィンなどの乗り物は、とても便利だ。ある程度の、魔力コントロールができれば、アクセルを開くだけで、楽々目的地に行けてしまう。でも、自分の足で、歩いたり走ったりして移動するのは、また、別の充実感や喜びがある。
「ただ、こんな所で、つまづいていたら、どうしようもないですよね。助けて貰わなければ、ずっと、立ち往生していたでしょうし」
「これは、道がぬかるんでたからで。しょうがないですよ」
「でも、こんなんじゃ。夢は、いつまで経っても、果たせないんです……」
「えっ――夢……?」
彼女は、少しうつむきながら呟いた。
しばらくの静寂のあと、
「少しだけ、お話を聴いていただいても、いいですか? 優しいシルフィードさん」
彼女は、私を見つめながら、とても真剣な表情で声を掛けてきた。
彼女の目からは、切実な想いが伝わって来る。『夢』と言っていたから、何か大きな望みが、あるのだろうか? 同じく、夢を追っている身として、放ってはおけなかった。
「えぇ、喜んで。私なんかでよければ、何でも聴きますよ」
私は、笑顔を浮かべながら答える。
「ありがとうございます、シルフィードさん。申し遅れましたが、私は、エリー・キャンベルと言います。中学三年生なんですが、体が不自由なので、学校には行っていません。家で、通信教育を受けています」
「私は〈ホワイト・ウイング〉所属の、如月風歌です。今年の三月までは中学生で、今年、入ったばかりの新人です。エリーちゃんって、呼んでもいいかな?」
なるほど、一個下だったんだ。中三と言えば、進路を考えなければならないから、結構、大変な時期だよね。彼女は、学校も行ってないみたいだし、将来どうするつもりなんだろうか――?
「はい。じゃあ、風歌さんと、呼んでもいいですか?」
「うん、もちろん。ところで、どこかに、行くつもりだったんじゃないの? 私、目的地まで、押していくよ。移動しながら、お話ししない?」
練習時間は、たっぷりあるし。こうして、体の不自由な人を、案内してあげるのも、立派なシルフィードの仕事だよね。今後も、こういう人とのお付き合いも、あるかもしれないし。
「実は、そのことなんですけど。私は、自分の力で移動しないと、意味がないんです。夢を果たすために」
「夢……? どんな夢か、教えてもらってもいいかな?」
「その、普通の人から聴いたら、くだらない夢だと思いますけど――」
「夢に『くだらない』とか、ないと思うよ。どんな夢だって、凄いことだもん」
夢とは、他人には、その価値は、なかなか理解できないものだと思う。私の夢だって、他人から見たら、おかしなことに、見えるかもしれない。旅行ならまだしも、わざわざ異世界に、就職しに行く奇特な人間は、まずいないので。
でも、どんな夢だって、本人にとっては、とても大切で真剣なものだ。そもそも、夢を持つだけでも、凄い勇気やエネルギーがいるんだから、くだらない訳がない。
彼女は、少し考えてから、
「実は私、海に行きたいんです。自分の力で……」
小さな声で答えた。
「エリーちゃんは、海に行ったことがないの?」
〈グリュンノア〉は、四方を海に囲まれた、海上都市だ。〈中央区〉以外は、全てが海と接しており、行こうと思えば、いつでも行ける距離にある。もっとも、それは健常者の場合の話だ。
「はい。乗り物から、見下ろしたことはあります。でも、実際に行ったことは、一度もありません。フリージング病のせいで、子供のころから、家を出る機会が少なくて。海を見るのも、病院の往復の間に、空から眺めるだけで――」
「そうだったんだ……。なら、本物の海を見てみたいのは、当然だよね」
空から見る海も美しい。でも、やっぱり、実際に目の前で見る、海の雄大さと自然の美しさは、別次元だと思う。
「だから私、体を鍛えていたんです。海まで、自力で行くとなると、相当な体力が必要なので――」
「そういう事だったんだ。確かに、海までは、かなり距離があるからね。ところで、どの地区の海に行きたいの?〈北地区〉の海なら、割と近いと思うけど」
〈北地区〉の海岸は、特に何もない。でも、海を見るだけなら、十分だと思う。
「私〈西地区〉の海に、行ってみたいんです」
「なるほど。でも〈サファイア・ビーチ〉までは、かなり遠いよ……」
〈北地区〉からだと〈中央区〉を、通過して行かなければならない。しかも〈サファイア・ビーチ〉は〈西地区〉の一番、端っこにある。乗り物なら、割と早く行けるけど、車いすだと、どれぐらい時間が掛かるか、全く予想もつかない。
「やっぱり、普通の人から見たら、くだらないですよね?」
「そんなことない、とても素敵な夢だよ。絶対に、叶えるべきだと思う。でも、何で〈サファイア・ビーチ〉なの?」
ここを移動していたということは、家もすぐそばなのだろう。この場所からなら〈東地区〉の〈エメラルド・ビーチ〉のほうが近い。と言っても、やっぱり車いすだと、相当に大変な距離だけど。
「〈サファイア・ビーチ〉って『旋風の魔女』の像が、あるじゃないですか? そこで『この病気を治してください』って、お祈りしたくて」
「それなら、絶対に〈サファイア・ビーチ〉に、行ったほうがいいよね」
『旋風の魔女』フィーネ・カリバーンは、この町の医療を支えた人だ。今でも『生命の女神』や『医療の女神』として、多くの人たちから慕われていた。なので『旋風の魔女』の像には、健康祈願に訪れる人が多い。
「ただ、正直、自信がないんです。あんな遠くまで、自力で行けるかどうか――。今まで、自分一人で、遠出したこともないですし」
「でも、行きたいんだよね?」
体が不自由な人にとって、遠出するのは、とても怖いと思う。でも、誰だって、知らない世界に行くには、勇気が必要だ。
「はい。日に日に、行きたい気持ちが、強まっています。このままじゃ私、何もできないまま、人世を終えてしまいますから……」
彼女は、とても悲しそうな表情を浮かべる。
「なら、行こうよ! 私が手伝うから」
「えっ、手伝うって――?」
「自分の力で行くにしても、見守ってくれる人がいた方が、安心でしょ?」
手助けとは、必ずしも、自分が手を出すことでは、ないと思う。見守ってくれることの有難みは、私がよく知っている。私の場合、リリーシャさんやノーラさんに、いつも見守ってもらっているから……。
「でも――いいんですか? 物凄く、時間がかかると思いますし。お仕事も、忙しいのでは?」
「私、見習いで、時間たっぷりあるから大丈夫。取りあえず、いつ決行するのか、どんなルートで行くのか。計画することから始めようよ。道案内なら、私に任せて」
私は、彼女の今の状況を聴きながら、マギコンを開いて、記録していった。大変なのは、確かだけど。決して、できない事じゃないと思う。
夢をかなえるのに必要なのは、ただ一つ。最初の一歩目を、勇気を出して、踏み出すことだけなのだから……。
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次回――
『小さな少女の人生を懸けた新しい挑戦』
どんな無謀なことにも挑戦できる。これはまだ何も知らない素人の特権だな
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パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
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第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
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異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
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