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第8部 分かたれる道
5-4どんなに願っても私は母のようにはなれない……
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仕事が終わったあとの夜。私は、自宅のリビングで、ボーッとしていた。ダイニングのテーブルには、沢山の料理が並んでいる。このあと、ツバサちゃんが、やってくる予定だ。ただ、料理の準備が終わったら、何もやることがなくなってしまった。
私には、何も趣味がないので、時間が余ると、ボーッとする以外にない。なので、休日も、仕事が終わったあとも、無為に時間を過ごすことが多かった。仕事を一生懸命、頑張っているのは、それ以外に、やることがないからだ。
私には、根本的に、欠けているものがある。単に、趣味がないだけではなく、生きる目的が、何もないのだ。夢も、希望も、目的も、何一つ持っていない。ただ、何となく、日々を生きているだけだった。
しかし、性格的に、中途半端なやり方はできない。なので、何事も細かく、きっちりこなしてしまう。几帳面というより、極度の神経質と心配性だ。
結果的に、学業も仕事も、全て完璧にこなしてきた。なぜか、それが周りからは、高く評価され、ここまで来てしまったのだ。
それでも、昔はよかった。いい結果を出せば、母に褒めて貰えたからだ。私の、唯一の生きる目的は、母に喜んでもらうことだった。それだけで、幸せだったから。しかし、母がいなくなってから、いまだに、新しい目的が、見い出せずにいた。
しいて言うなら、風歌ちゃんの、成長を見守ること。ただ、これも、もうじき、終わりそうな気がする。結局、目的らしい目的は、何もないままだ。
私は、棚に置いてあった写真立てに、そっと手を触れた。そこには、小さいころの私と母、ツバサちゃんの三人が、笑顔で映っている。
「あのころは、本当に楽しかった……。でも、それは、お母さんがいたから。いつも、素敵な笑顔を、私に向けてくれたから。私を、心から愛してくれたから――」
今、考えてみると、私は、母に依存し過ぎていた。母がいれば、何もいらなかったから。私は、何も考える必要が、なかったのだ。ただ、母の後ろに、ついて行けばよかった。それに、あの幸せな時間が、永遠に続くと、思っていたのだ。
だから、母を失った時、初めて、自分の空っぽさに気が付いた。私は、シルフィードが、やりたかった訳ではない。母と一緒にいられれば、母が喜んでくれれば、何でもよかったのだ。
「なのに、なんで……。お母さんが、ずっと、エンプレスをやってくれていれば、全て丸く収まったのに。私だけじゃない。世界中の人が、そのほうが良かったはず――」
私は、母のように、人の上に立つ柄ではないし。人々の希望になんか、なれはしない。そもそも、私自信が、何も希望を、持っていないのだから……。
その時、チャイムの音が聞こえて来た。私は、悩みを振り払い、無理やり笑顔を作ると、足早に、玄関に向かうのだった――。
******
ダイニングのテーブルの正面には、ツバサちゃんが座り、美味しそうに、ワインを飲んでいた。テーブルの上には、いつも通り、彼女が大量に買い込んできた、差し入れの食べ物も、所せましと並んでいる。
「今日は、突然、呼び出してしまって、ごめんなさい」
「別に、構わないよ。リリーの呼び出しなら、夜中だって、すぐに駆けつけるから」
彼女は、特に気にした様子もなく、笑顔で答えた。
「でも、計画的なリリーが、いきなり当日、呼び出すってことは、何かあったんでしょ?」
「えぇ……まぁ」
「何でも、遠慮なく言ってよ。僕らは、家族のようなものなんだから。隠し事も、遠慮もいらないよ。愚痴でも相談でも、喜んで聴くからさ」
私は、その言葉を聴いて、少しホッとする。今、私が唯一、本音を語れる相手は、ツバサちゃんだけだ。
私は、無言のまま、そっと、封筒を前に差し出した。
「見てもいいの?」
「えぇ、是非」
ツバサちゃんは、封筒から手紙を取り出すと、静かに読み始める。しばらくすると、難しい表情で口を開いた。
「親友としては『おめでとう』と、心から祝福したいけど。どうやら、リリー自身は、色々思うところが、あるみたいだね?」
「分かる――?」
「そりゃあね。本来なら、滅茶苦茶、おめでたい事なのに。まるで、この世の終わりのような、深刻な表情をしてるから」
「えっ……? そんなに、酷い顔をしてる?」
「たぶん、ここ最近で見た中で、一番ね」
ツバサちゃんは、軽く微笑む。
人前では、なるべく、嫌な表情を出さないよう、笑顔を心掛けている。でも、彼女には、嘘の笑顔は、見破られてしまう。
「その――ツバサちゃんは、どう思う?」
「どうって、今回のエンプレスの指名が、正当な評価かどうか、ってこと?」
「えぇ。他の上位階級は、私よりも、優れた人ばかりなのに……」
「何をもって、優れていると、判断するかによるよね。まぁ、今の上位階級たちは、とても個性的だし。一芸に秀でている人が、多いから」
「でしょ? 私なんて、無個性だし。何も秀でていないのに――」
おそらく、私は、現在の上位階級の中で、最も地味な存在だ。光る才能も、優れた特技も、何も持っていない。かと言って、強い存在感や、華やかさがある訳でもなかった。
「ただ、今回の判断は、非常に、公正だと思うよ。リリー以上に、エンプレスにふさわしい存在は、他にいないでしょ」
「えっ……?! どうして?」
私は、意外な言葉に戸惑う。最も、不向きなはずなのに。
「エンプレスは、シルフィードの頂点。最も優れたシルフィードを、選ぶんだから。クイーンのように、尖った個性や、一芸を評価するものではないし。今、最も、シルフィードらしいシルフィードは、リリーだけだよ」
「リリーは、本業だけで、ここまでやって来た。仕事は、細かく丁寧で、常に完璧。礼儀作法も、接客も、上品さも、人間性も、全てにおいて、文句のつけようがないし。無個性なんじゃなくて、何でも出来る癖に、謙虚なだけだから」
「ここまで、完璧なシルフィードは、他にいないでしょ? 確かに、他の上位階級も、みんな凄いけど。やっぱ、癖が強すぎるんだよね。まぁ、癖のある僕が言うのも、何だけどさ」
ツバサちゃんは、両手を広げ、おどけて見せる。
「私は、そんな完璧じゃないわ。それどころか、穴だらけだし、とても弱い人間よ。心配性で神経質だから、失敗しないように、気を付けているだけ。不器用だから、いつも、物凄く必死なの。それは、ツバサちゃんが、一番、知ってるでしょ?」
私は、完璧からは程遠い、不完全な人間だ。ただ、失敗に耐えられる、強い心がないから。常に、失敗しないよう、細心の注意を払ったり。危ないことには、絶対に、手を出さないようにしている。
完璧にできることしかやらない、無難な人生を、送って来ただけで。どんな時でも、失敗を全く恐れずに、果敢に立ち向かっていく、風歌ちゃんとは、真逆の生き方と言える。
「リリーが不器用なのは、昔から知ってる。それでも、その必死さは、努力の証でしょ? 今の上位階級の中で、文句なしに、リリーが一番、努力家だと思う。今回は、その評価じゃないかな。分かりやすく言えば、一番、優等生だってこと」
「一芸とか、派手な能力は、確かに魅力的だけど。見えないところで、地道に努力している人間こそ、本当に、評価されるべきだよ。どうやら、今の理事の中には、見る目のある人が、いるようだね」
その言葉を聴いた時、頭の中に『白金の薔薇』の顔が浮かんだ。とても、公正で、物事の真実を、的確に見る人だと言われている。だとしても、私の心の内までは、見えないはずだ――。
「私なりに、頑張っては……来たと思う。でもね、私は、ただ、流されていただけなの。シルフィードになったのだって、自分の意思じゃないわ。母を追い掛けていただけで。私は、今まで、一度も、自分の夢を持ったことがないの」
「本気で、シルフィードをやっている人。全力で、上を目指している人。大きな夢や希望を持っている人。そういう人が、エンプレスを、やるべきではないかしら? 結局、私は、ただ、仕事をこなしているだけなのよ――」
最近は、仕事と割り切ってやっている『職業シルフィード』が、増えている。おそらく、私も、その一人なのだと思う。
「でも、シルフィードの仕事は、好きなんでしょ? じゃなければ、あんなに、お客様の評判が、いい訳ないよ」
「好きは、好きだけど。本当に好きかは、分からないわ。他の仕事は、やった事がないし。単に、母が、シルフィードを、大好きだったから。私も好きだと、思い込んでいるのかも……」
「いいじゃん、それで。僕も、同じようなものだから」
「そうなの?」
ツバサちゃんは、いつも、物凄く楽しそうにやっている。間違いなく、好きでやっているのだと思う。
「そもそも、僕が、シルフィードになったのって、アリーシャさんの影響だから。飛ぶのが好きだから、空の仕事に就こうとは、思ってたけどさ。アリーシャさんを見てたら、凄く楽しそうで。それで、シルフィードになったんだよね」
「それ、初耳なんだけど――」
昔、活発なツバサちゃんが、シルフィードになると言い出した時は、物凄く驚いた記憶がある。運動神経も抜群で、アクティブな性格だったので、スポーツ選手にでも、なるのかと思っていた。彼女の性格からすれば、正反対の職業だ。
「あれっ、言ってなかったっけ? まぁ、何にしても、特別シルフィードが好きだから、なった訳じゃないよ。勢いと、成り行きだったし。あと、アリーシャさんと、リリーがいたから、ってのも、大きいかな」
「でも、仕事選びなんて、そんなもんじゃない? 身近な人の影響を受けるのは、よくあることだし。親と同じ仕事に就く人だって、一杯いるじゃん。明確な夢や目標を持って、仕事に就く人のほうが、少数派だと思うよ」
確かに、自営業をやっている場合は、親のあとを継ぐ人も多い。でも、私の場合、何から何まで、母親の真似ばかりだった。性格は、真似できなかったけど……。
「あと、どの業界だって、一流の人は、ちゃんと、仕事と割り切ってやってるよ。僕だって、どちらかというと、職業シルフィードだもんなぁ」
「そうなの? ツバサちゃん、いつも楽しそうだけど」
「ちゃんと、お給料分の仕事をしてるだけ。テキパキ動いて気が回るのも、上品に振る舞うのも、仕事としての演技だから。僕が怠け者なのは、よく知ってるでしょ? できることなら、週休六日は欲しいよー」
「ウフフッ、そうね。ツバサちゃんらしいわ」
そういえば、彼女が子供のころは、遊び以外のことは、物凄く怠惰だった。
「つまりさ。仕事に就く理由も、好きでやってるかも、どうでもいいってこと。リリーは、難しく考え過ぎなんだよ。他にも、まだ、引っ掛かる部分がありそうだね?」
「えぇ――まぁ」
「この際だから、洗いざらい、言っちゃいなよ」
「実は……風歌ちゃんのことが、気になって」
「やっぱ、風歌ちゃん絡みかぁ。そういえば、彼女もエンプレスを、目指してたんだよね。で、本人は、なんて?」
「物凄く、喜んでくれたわ。あと『一生ついて行く』って、言ってたけど――」
彼女は、本心から、そう言ってくれたのだと思う。いつだって、私のことを、立ててくれるから。
「やっぱり、いい子だね、風歌ちゃんは。でも、本人が納得してるなら、問題ないじゃん?」
「本当に、そう思う? 風歌ちゃんは、私と違って、いつも、大きな夢や目標を持って、必死に頑張って来たのよ。しかも、どんな困難があっても、けっして諦めない。そう簡単に、夢を諦められるとは、思えないわ」
「でもさぁ、夢って、必ずしも、叶うもんじゃないじゃん? 叶うかどうかよりも、それを目指して、頑張ってる過程が楽しんだよ。風歌ちゃんが、いつも楽しそうなのは、夢を追い掛けてるからじゃないの?」
「それは、そうだけど……。でも、夢を失ってしまったあとも、頑張ることが、できるのかしら――?」
私は、誰かの夢を奪ってまで、上を目指したいとは思わない。そもそも、私は、エンプレスになるのが、夢ではないのだから。
「大丈夫、大丈夫。夢を持ってる人間って、すぐにまた、新しい夢を見つけるから。夢追い人は、次々と、夢を追い掛け続けるもんだよ。これから先も、一生ね」
「そういうものなの?」
「そういうもんさ。僕がそうだから、よく分かるよ。まぁ、僕は、飽きっぽいから、すぐに、新しい夢に浮気しちゃうけど。でも、いくら変えようと、何個、持とうと、夢は自由だからね」
ツバサちゃんは、器用な性格だから、いいかもしれないけど。風歌ちゃんに、それが、出来るのだろうか……?
「リリーはさ、風歌ちゃんから、夢を奪っちゃうと、勘違いしてない?」
「でも、そうなってしまうでしょ?」
「それは、違うよ。リリーがならなきゃ、他の人がなるだけだから。結局は、同じことじゃん。知らない人がなるより、リリーがエンプレスになったほうが、風歌ちゃんは、絶対に喜ぶと思うよ」
「そう――かもしれないわね」
一席しかない以上、誰がなっても、他の人の夢は、潰してしまう。なら、いっそのこと、私がなったほうが、風歌ちゃんのために、なるのだろうか?
「あと、もう一つ。シルフィードのトップになるからって、一人で、全部を背負う必要ないよ。リリーは、今まで通りに、やればいいだけさ。必要なら、いつだって手伝うし、相談にも乗るから」
「それに、この業界の未来は、シルフィード全員で、作って行くものだよ。だから、何一つ、気負う必要はない。リリーは、リリーらしく、もっと自由に、好きにやりなよ。アリーシャさんだって、そうだったじゃん」
ツバサちゃんは、優しく微笑む。
確かに、母は、物凄く自由な人だった。『グランド・エンプレス』になったあとも、何一つ変わったところはなく、気ままに行動していた気がする。
「そうね。ありがとう、ツバサちゃん。少し、自信がついたわ」
「どういたしまして。リリーは、難しく考え過ぎ。もうちょっと、考えないようにして、適当にやったほうがいいよ」
ツバサちゃんの、言う通りかもしれない。でも、この神経質な性格と、心配性なのは、子供のころから、ずっとだ。いまさら、変わるとは思えない。
ただ、私の進むべき道は見えた。しかし、もう一つ、どうしても、考えなければならない、大事なことがあるのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『私にはルールよりも守りたい大切なものがある』
ただひとつだけ、守りたいものを最後まで守り通せばいい
私には、何も趣味がないので、時間が余ると、ボーッとする以外にない。なので、休日も、仕事が終わったあとも、無為に時間を過ごすことが多かった。仕事を一生懸命、頑張っているのは、それ以外に、やることがないからだ。
私には、根本的に、欠けているものがある。単に、趣味がないだけではなく、生きる目的が、何もないのだ。夢も、希望も、目的も、何一つ持っていない。ただ、何となく、日々を生きているだけだった。
しかし、性格的に、中途半端なやり方はできない。なので、何事も細かく、きっちりこなしてしまう。几帳面というより、極度の神経質と心配性だ。
結果的に、学業も仕事も、全て完璧にこなしてきた。なぜか、それが周りからは、高く評価され、ここまで来てしまったのだ。
それでも、昔はよかった。いい結果を出せば、母に褒めて貰えたからだ。私の、唯一の生きる目的は、母に喜んでもらうことだった。それだけで、幸せだったから。しかし、母がいなくなってから、いまだに、新しい目的が、見い出せずにいた。
しいて言うなら、風歌ちゃんの、成長を見守ること。ただ、これも、もうじき、終わりそうな気がする。結局、目的らしい目的は、何もないままだ。
私は、棚に置いてあった写真立てに、そっと手を触れた。そこには、小さいころの私と母、ツバサちゃんの三人が、笑顔で映っている。
「あのころは、本当に楽しかった……。でも、それは、お母さんがいたから。いつも、素敵な笑顔を、私に向けてくれたから。私を、心から愛してくれたから――」
今、考えてみると、私は、母に依存し過ぎていた。母がいれば、何もいらなかったから。私は、何も考える必要が、なかったのだ。ただ、母の後ろに、ついて行けばよかった。それに、あの幸せな時間が、永遠に続くと、思っていたのだ。
だから、母を失った時、初めて、自分の空っぽさに気が付いた。私は、シルフィードが、やりたかった訳ではない。母と一緒にいられれば、母が喜んでくれれば、何でもよかったのだ。
「なのに、なんで……。お母さんが、ずっと、エンプレスをやってくれていれば、全て丸く収まったのに。私だけじゃない。世界中の人が、そのほうが良かったはず――」
私は、母のように、人の上に立つ柄ではないし。人々の希望になんか、なれはしない。そもそも、私自信が、何も希望を、持っていないのだから……。
その時、チャイムの音が聞こえて来た。私は、悩みを振り払い、無理やり笑顔を作ると、足早に、玄関に向かうのだった――。
******
ダイニングのテーブルの正面には、ツバサちゃんが座り、美味しそうに、ワインを飲んでいた。テーブルの上には、いつも通り、彼女が大量に買い込んできた、差し入れの食べ物も、所せましと並んでいる。
「今日は、突然、呼び出してしまって、ごめんなさい」
「別に、構わないよ。リリーの呼び出しなら、夜中だって、すぐに駆けつけるから」
彼女は、特に気にした様子もなく、笑顔で答えた。
「でも、計画的なリリーが、いきなり当日、呼び出すってことは、何かあったんでしょ?」
「えぇ……まぁ」
「何でも、遠慮なく言ってよ。僕らは、家族のようなものなんだから。隠し事も、遠慮もいらないよ。愚痴でも相談でも、喜んで聴くからさ」
私は、その言葉を聴いて、少しホッとする。今、私が唯一、本音を語れる相手は、ツバサちゃんだけだ。
私は、無言のまま、そっと、封筒を前に差し出した。
「見てもいいの?」
「えぇ、是非」
ツバサちゃんは、封筒から手紙を取り出すと、静かに読み始める。しばらくすると、難しい表情で口を開いた。
「親友としては『おめでとう』と、心から祝福したいけど。どうやら、リリー自身は、色々思うところが、あるみたいだね?」
「分かる――?」
「そりゃあね。本来なら、滅茶苦茶、おめでたい事なのに。まるで、この世の終わりのような、深刻な表情をしてるから」
「えっ……? そんなに、酷い顔をしてる?」
「たぶん、ここ最近で見た中で、一番ね」
ツバサちゃんは、軽く微笑む。
人前では、なるべく、嫌な表情を出さないよう、笑顔を心掛けている。でも、彼女には、嘘の笑顔は、見破られてしまう。
「その――ツバサちゃんは、どう思う?」
「どうって、今回のエンプレスの指名が、正当な評価かどうか、ってこと?」
「えぇ。他の上位階級は、私よりも、優れた人ばかりなのに……」
「何をもって、優れていると、判断するかによるよね。まぁ、今の上位階級たちは、とても個性的だし。一芸に秀でている人が、多いから」
「でしょ? 私なんて、無個性だし。何も秀でていないのに――」
おそらく、私は、現在の上位階級の中で、最も地味な存在だ。光る才能も、優れた特技も、何も持っていない。かと言って、強い存在感や、華やかさがある訳でもなかった。
「ただ、今回の判断は、非常に、公正だと思うよ。リリー以上に、エンプレスにふさわしい存在は、他にいないでしょ」
「えっ……?! どうして?」
私は、意外な言葉に戸惑う。最も、不向きなはずなのに。
「エンプレスは、シルフィードの頂点。最も優れたシルフィードを、選ぶんだから。クイーンのように、尖った個性や、一芸を評価するものではないし。今、最も、シルフィードらしいシルフィードは、リリーだけだよ」
「リリーは、本業だけで、ここまでやって来た。仕事は、細かく丁寧で、常に完璧。礼儀作法も、接客も、上品さも、人間性も、全てにおいて、文句のつけようがないし。無個性なんじゃなくて、何でも出来る癖に、謙虚なだけだから」
「ここまで、完璧なシルフィードは、他にいないでしょ? 確かに、他の上位階級も、みんな凄いけど。やっぱ、癖が強すぎるんだよね。まぁ、癖のある僕が言うのも、何だけどさ」
ツバサちゃんは、両手を広げ、おどけて見せる。
「私は、そんな完璧じゃないわ。それどころか、穴だらけだし、とても弱い人間よ。心配性で神経質だから、失敗しないように、気を付けているだけ。不器用だから、いつも、物凄く必死なの。それは、ツバサちゃんが、一番、知ってるでしょ?」
私は、完璧からは程遠い、不完全な人間だ。ただ、失敗に耐えられる、強い心がないから。常に、失敗しないよう、細心の注意を払ったり。危ないことには、絶対に、手を出さないようにしている。
完璧にできることしかやらない、無難な人生を、送って来ただけで。どんな時でも、失敗を全く恐れずに、果敢に立ち向かっていく、風歌ちゃんとは、真逆の生き方と言える。
「リリーが不器用なのは、昔から知ってる。それでも、その必死さは、努力の証でしょ? 今の上位階級の中で、文句なしに、リリーが一番、努力家だと思う。今回は、その評価じゃないかな。分かりやすく言えば、一番、優等生だってこと」
「一芸とか、派手な能力は、確かに魅力的だけど。見えないところで、地道に努力している人間こそ、本当に、評価されるべきだよ。どうやら、今の理事の中には、見る目のある人が、いるようだね」
その言葉を聴いた時、頭の中に『白金の薔薇』の顔が浮かんだ。とても、公正で、物事の真実を、的確に見る人だと言われている。だとしても、私の心の内までは、見えないはずだ――。
「私なりに、頑張っては……来たと思う。でもね、私は、ただ、流されていただけなの。シルフィードになったのだって、自分の意思じゃないわ。母を追い掛けていただけで。私は、今まで、一度も、自分の夢を持ったことがないの」
「本気で、シルフィードをやっている人。全力で、上を目指している人。大きな夢や希望を持っている人。そういう人が、エンプレスを、やるべきではないかしら? 結局、私は、ただ、仕事をこなしているだけなのよ――」
最近は、仕事と割り切ってやっている『職業シルフィード』が、増えている。おそらく、私も、その一人なのだと思う。
「でも、シルフィードの仕事は、好きなんでしょ? じゃなければ、あんなに、お客様の評判が、いい訳ないよ」
「好きは、好きだけど。本当に好きかは、分からないわ。他の仕事は、やった事がないし。単に、母が、シルフィードを、大好きだったから。私も好きだと、思い込んでいるのかも……」
「いいじゃん、それで。僕も、同じようなものだから」
「そうなの?」
ツバサちゃんは、いつも、物凄く楽しそうにやっている。間違いなく、好きでやっているのだと思う。
「そもそも、僕が、シルフィードになったのって、アリーシャさんの影響だから。飛ぶのが好きだから、空の仕事に就こうとは、思ってたけどさ。アリーシャさんを見てたら、凄く楽しそうで。それで、シルフィードになったんだよね」
「それ、初耳なんだけど――」
昔、活発なツバサちゃんが、シルフィードになると言い出した時は、物凄く驚いた記憶がある。運動神経も抜群で、アクティブな性格だったので、スポーツ選手にでも、なるのかと思っていた。彼女の性格からすれば、正反対の職業だ。
「あれっ、言ってなかったっけ? まぁ、何にしても、特別シルフィードが好きだから、なった訳じゃないよ。勢いと、成り行きだったし。あと、アリーシャさんと、リリーがいたから、ってのも、大きいかな」
「でも、仕事選びなんて、そんなもんじゃない? 身近な人の影響を受けるのは、よくあることだし。親と同じ仕事に就く人だって、一杯いるじゃん。明確な夢や目標を持って、仕事に就く人のほうが、少数派だと思うよ」
確かに、自営業をやっている場合は、親のあとを継ぐ人も多い。でも、私の場合、何から何まで、母親の真似ばかりだった。性格は、真似できなかったけど……。
「あと、どの業界だって、一流の人は、ちゃんと、仕事と割り切ってやってるよ。僕だって、どちらかというと、職業シルフィードだもんなぁ」
「そうなの? ツバサちゃん、いつも楽しそうだけど」
「ちゃんと、お給料分の仕事をしてるだけ。テキパキ動いて気が回るのも、上品に振る舞うのも、仕事としての演技だから。僕が怠け者なのは、よく知ってるでしょ? できることなら、週休六日は欲しいよー」
「ウフフッ、そうね。ツバサちゃんらしいわ」
そういえば、彼女が子供のころは、遊び以外のことは、物凄く怠惰だった。
「つまりさ。仕事に就く理由も、好きでやってるかも、どうでもいいってこと。リリーは、難しく考え過ぎなんだよ。他にも、まだ、引っ掛かる部分がありそうだね?」
「えぇ――まぁ」
「この際だから、洗いざらい、言っちゃいなよ」
「実は……風歌ちゃんのことが、気になって」
「やっぱ、風歌ちゃん絡みかぁ。そういえば、彼女もエンプレスを、目指してたんだよね。で、本人は、なんて?」
「物凄く、喜んでくれたわ。あと『一生ついて行く』って、言ってたけど――」
彼女は、本心から、そう言ってくれたのだと思う。いつだって、私のことを、立ててくれるから。
「やっぱり、いい子だね、風歌ちゃんは。でも、本人が納得してるなら、問題ないじゃん?」
「本当に、そう思う? 風歌ちゃんは、私と違って、いつも、大きな夢や目標を持って、必死に頑張って来たのよ。しかも、どんな困難があっても、けっして諦めない。そう簡単に、夢を諦められるとは、思えないわ」
「でもさぁ、夢って、必ずしも、叶うもんじゃないじゃん? 叶うかどうかよりも、それを目指して、頑張ってる過程が楽しんだよ。風歌ちゃんが、いつも楽しそうなのは、夢を追い掛けてるからじゃないの?」
「それは、そうだけど……。でも、夢を失ってしまったあとも、頑張ることが、できるのかしら――?」
私は、誰かの夢を奪ってまで、上を目指したいとは思わない。そもそも、私は、エンプレスになるのが、夢ではないのだから。
「大丈夫、大丈夫。夢を持ってる人間って、すぐにまた、新しい夢を見つけるから。夢追い人は、次々と、夢を追い掛け続けるもんだよ。これから先も、一生ね」
「そういうものなの?」
「そういうもんさ。僕がそうだから、よく分かるよ。まぁ、僕は、飽きっぽいから、すぐに、新しい夢に浮気しちゃうけど。でも、いくら変えようと、何個、持とうと、夢は自由だからね」
ツバサちゃんは、器用な性格だから、いいかもしれないけど。風歌ちゃんに、それが、出来るのだろうか……?
「リリーはさ、風歌ちゃんから、夢を奪っちゃうと、勘違いしてない?」
「でも、そうなってしまうでしょ?」
「それは、違うよ。リリーがならなきゃ、他の人がなるだけだから。結局は、同じことじゃん。知らない人がなるより、リリーがエンプレスになったほうが、風歌ちゃんは、絶対に喜ぶと思うよ」
「そう――かもしれないわね」
一席しかない以上、誰がなっても、他の人の夢は、潰してしまう。なら、いっそのこと、私がなったほうが、風歌ちゃんのために、なるのだろうか?
「あと、もう一つ。シルフィードのトップになるからって、一人で、全部を背負う必要ないよ。リリーは、今まで通りに、やればいいだけさ。必要なら、いつだって手伝うし、相談にも乗るから」
「それに、この業界の未来は、シルフィード全員で、作って行くものだよ。だから、何一つ、気負う必要はない。リリーは、リリーらしく、もっと自由に、好きにやりなよ。アリーシャさんだって、そうだったじゃん」
ツバサちゃんは、優しく微笑む。
確かに、母は、物凄く自由な人だった。『グランド・エンプレス』になったあとも、何一つ変わったところはなく、気ままに行動していた気がする。
「そうね。ありがとう、ツバサちゃん。少し、自信がついたわ」
「どういたしまして。リリーは、難しく考え過ぎ。もうちょっと、考えないようにして、適当にやったほうがいいよ」
ツバサちゃんの、言う通りかもしれない。でも、この神経質な性格と、心配性なのは、子供のころから、ずっとだ。いまさら、変わるとは思えない。
ただ、私の進むべき道は見えた。しかし、もう一つ、どうしても、考えなければならない、大事なことがあるのだった……。
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次回――
『私にはルールよりも守りたい大切なものがある』
ただひとつだけ、守りたいものを最後まで守り通せばいい
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パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
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第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
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異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
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