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第9部 夢の先にあるもの
1-4人の想いは常にすれ違うものなのだろうか?
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仕事が終わったあとの夜。私は、自宅の二階の隅にある、物置部屋にこもっていた。背の低いテーブルの前に、座布団をしいて、複数の空中モニターと向き合っている。左手にはパンを持ち、食事をしながら、スピで調べ物をしている最中だ。
普段は、広々したリビングで食事しているが、今は、あまり広い場所には、いたくなかった。気持ちが沈んでいる時に、一人で広い所にいると、ますます、落ち込んでくるからだ。
先日、リリーシャさんが、エンプレス昇進の面接から、帰って来たあと。彼女の話を聴いて、大変な衝撃を受けた。あれから数日たったが、私は、いまだに、そのショックから、立ち直れていない。
エンプレスを辞退したことも、そうだけど。一番は、リリーシャさんが『シルフィードを、好きでやっている訳ではなかった』こと。これから先『ずっと続けていくつもりはない』と、言っていたことだ。
リリーシャさんは、シルフィードが大好きで、天職として、やっているのだと思っていた。私が、勝手に思い込んでいたのが、悪いんだけど。でも、誰がどう見たって、彼女は、楽しそうにやっているように、見えたはずだ。
リリーシャさんが、本心を出さない性格なのも、どんな時でも笑顔を絶やさないのも、私は、よく知っている。それにしたって、あれほど、活き活きやっていたら『本当に好きでやっているんだ』と、感じるのが普通だ。
単に、リリーシャさんの演技が、スバ抜けて上手かったのか。それとも、私が、空気を読めないのが原因なのか。その点は、よく分からなかった。
いずれにしても、リリーシャさんが、エンプレスになることは、もう、二度とないし。いずれは、この業界を、去ってしまうのも事実だ。いい加減、目の前の現実を、受け止めなければならない。とはいえ、実際には、物凄く難しいことだった。
リリーシャさんは、あの日以降も、いつもと、全く変わらない様子だ。でも、私は、彼女への態度が、ぎこちなくなってしまった。
いつも、辛い気持ちで、やっているのではないだろうか? 仕事として、仕方なくやっているのだろうか? そんなことを考えてしまうと、今までのように、素直な気持ちの笑顔を、向けられなくなってしまったのだ。
悶々とした日々を過ごし、リリーシャさんとの関係も微妙なまま。でも、仕事に影響が出てはマズイので、何とかして、解決しなければならない。特に、上位階級である、今の立場を考えると、早急な対策が必要だ。
そんなこんなで、今日は『人の気持ちを知る方法』『建前と本音』『円滑な人間関係』など、対人関係の情報を探している。
今までは、人との接し方は、特に意識したとはなく、ごく自然にやっていた。人付き合いには、割と自信があるからだ。でも、ちゃんと、勉強したことがないし、完全に自己流だから、正しいかどうかは、自信がない。
色々調べてみたけど、どの情報も、書いてある内容は同じだ。相手をよく観察すること。相手の意見を尊重すること。自己主張は抑えること。一応、どれも、やってるとは思うんだけど。
相手によって、ベストな接し方は違うし。普段は、特に計算して付き合っている訳ではないから、非常に難しい。
「はぁー。私って、人の気持ちが分からない、自分勝手な人間なのかなぁ……?」
空中モニターから目を離すと、私は、大きくため息をついた。
昔から、空気を読む努力はしている。特に、友達関係は大事にしているので、相手のことは、しっかり考えているつもりだ。でも、割と遠慮なく、踏み込むし。実際には、全然、相手を見ていなかったのだろうか――?
悶々と悩んでいると、メッセージの着信音が鳴った。確認すると、ユメちゃんからだ。ちょうどいいタイミングだったので、私は、急いで返信する。
『風ちゃん、こんばんはー! 元気してるっ?』
『こんばんは、ユメちゃん。ぼちぼちかなぁ』
今夜のユメちゃんは、ずいぶんと、テンションが高そうだ。
『どうしたの? 何かあった?』
『まぁ、あったような、なかったような……』
『何でも相談してよ。私たちの間に、隠し事はなしだからね』
『でも、楽しい話じゃないよ――』
何だかんだで、ユメちゃんも、リリーシャさんのエンプレス就任には、好意的だった。それが、完全に無くなってしまったのだから、いい話な訳がない。
それに、ユメちゃんに対して、ここのところ、重い話をする機会が多いと思う。素直に聴いてくれるとはいえ、やっぱり、頼り過ぎではないだろうか? そもそも、彼女のほうが、年下なんだし。心の傷だって、抱えているのだから。
『いいよ、別に。人生、楽しい事ばかりじゃないもん。私だって、よく風ちゃんに、重い話をしてるじゃん』
『そうだっけ?』
『私、結構、深刻的な話をしてるけどなぁ。単に、風ちゃんが、そう思ってないだけで。人によって、物事の重さや、捉え方が違うんだよ』
『でも、ユメちゃんの場合。よくある、軽い愚痴だけでしょ?』
ユメちゃんは、学校に通い始めてから、気の合う友人もでき、学校生活にも慣れ、かなり順調だった。悩みといっても、ちょっと運動が苦手とか、人と話すのが苦手とか、その程度だ。
『私にとっては、滅茶苦茶、深刻なの。運動音痴とか、コミュ力がないとか、超真剣に悩んでるんだから』
『でも、ちょっとトレーニングして、体を鍛えるとか。普通に話したりすれば、いいだけの話じゃない?』
『それが出来ないから、悩んでるの! 階段を上るだけで、息切れしたり。人と話すたびに、緊張する人間の気持ちなんて。風ちゃんには、全く分からないでしょ?』
『うーむ。それは、考えたことないかも……』
体を動かすのは、超大好きだし。精神的に疲れたりはあっても、肉体的に疲れることは、滅多にない。それに、偉い人と話す時以外は、緊張とかないし。そもそも、同年代の子と話すのに、どこに緊張する要素があるんだろうか?
『それが、物事の捉え方の違い。人によって、物事の重さが違うから。自分で重く考えていても、相手には、軽いことだったりするんだよ』
『ふむふむ』
『つまり、私と風ちゃんは、重さのポイントがズレてるから。私が重いことは、風ちゃんには軽いし。風ちゃんが重いことは、私には軽く感じるってこと』
『なるほど、そういうことね――』
何となく、思い当たる節がある。肉体派の私と、頭脳派のユメちゃんでは、悩みが全然、違うもんね。それで、お互いの相談事が、いつも上手く行っているのかもしれない。
『だから、何も隠す必要ないよ。風ちゃんの悩みの大半は、私にとっては、軽いことだもん。別に、無理して聴いてる訳じゃないよ。嫌なら嫌って、ハッキリ言うから』
ユメちゃんは、最初は、大人しい性格かと思ってたけど。好き嫌いや、やりたいこと、やりたくないことは、物凄くハッキリ言う性格だ。なら、私の話を聴いてくれているのは、本当に、好きでやっているのかもしれない。
『じゃあ、お言葉に甘えて。でも、今回の話は、本当に重いからね』
『オッケー、オッケー。ドーンと来いよ』
なんだか、ここ最近、ますますユメちゃんが、昔の私に似て来た気がする……。
『先日、ユメちゃんとお出掛けした時。ちょこっと、昇進の話をしたでしょ?』
『あぁ、リリーシャさんの昇進の件?』
『そうそう。先日、リリーシャさんが、面接を受けに行ってきたんだよね』
『おぉー! それで、どうだったの? もしかして、ダメだった?』
ユメちゃんも、私と同様に、物凄く結果が気になっていたはずだ。
『うーん、ダメじゃなかったんだけどねぇ。完全に、予想外の結果になって――』
『えー、なになに? もったいぶらずに、教えてよ』
『実は、辞退しちゃんだよね……』
『えっ? ええぇぇ――!? 嘘っ‼ ただの冗談だよね?』
『いや、紛れもない、事実なんだけど』
『ええぇぇーー!! 何でっ……何でーー?!』
いたって予想通りの反応だ。誰だって、驚くよね。
『色々考えたみたいだけど。「自分の進むべき道ではない」って、言ってた』
『えぇー? どういうこと? 訳わかんないよ』
『やっぱ、そう思うよね。私も訳が分からなくて、ずっと悶々としてて――』
『それは、完全に、予想の斜め上をいってるね。流石に、今回の話は重すぎるよ』
『じゃあ、この話、止めとく?』
『ううん、続けて。風ちゃんの思ってること、全部、話してよ』
流石は、ユメちゃん。かなり肝が据わってる。
『でも、私が、一番ショックを受けたのは、辞退したことじゃなくて。リリーシャさんの、本当の気持ちを、聴いたからなんだ……』
『何て言ってたの?』
『それがね「シルフィードは好きでやっている訳ではない」「いつまでやるか分からない」って。物凄く大好きで、天職でやっているんだと思ってたから。この言葉は、滅茶苦茶、ショックだったよ――』
私が、リリーシャさんこそが、シルフィードの理想像だと思っていたのは、単に技術的な問題だけではない。本当に、心から楽しそうにやっていたからだ。あの、活き活きして、きらきら輝く姿に、強く憧れたのだ。
『つまり「仕事として、割り切ってやっている」って、ことだよね? じゃあ、営業スマイルみたいに、演技で楽しそうに、振る舞ってたの?』
『おそらく、そうなんだと思う……』
『まぁ、仕事では、よくある話だよね。プライベートだって、愛想笑いや、人に合わせて、楽しそうに振る舞うことは、誰だって普通にするし』
『だよねぇ。接客業なら、なおさら、その機会が多いよね』
しかも、リリーシャさんの接客の腕は、超プロフェッショナルだ。本物か演技か、見分けがつかないぐらい、技術が高いのかもしれない。
『でも、それって、そんなにショックなことなの?』
『うん、私にとっては、一大事だよ。私は、毎日、凄く楽しくやってるから。リリーシャさんも、同じ気持ちでやってると思ってた。でも、それが、ただの勘違いだと分かって。どうしていいのか、全然、分からなくなっちゃって――』
『でも、人の気持ちって、難しいよね。なかなか、本音を言わない人もいるし』
『だよねぇー。特に私の場合、人の気持ちが、分からない性格みたいだから……』
何年もの間、毎日、一緒に仕事をしているのに。私は、いまだに、リリーシャさんの気持ちが、見えていない。ただ単に、私が、鈍感すぎるんじゃないだろうか?
『そんなことないよ! 風ちゃんは、ちゃんと相手の気持ちが、分かる人だよ。風ちゃんに分からないんじゃ、誰にも分からないよ』
『そうかなぁ……?』
『そもそも、人の気持ちなんて、絶対に分からないんだよ。結局は、予想するしかないんだから。人付き合いって「相手を予想しながら付き合う」ってことでしょ? 実際に、正解かどうかは、分からないんだから』
確かに、そうなのかも。『この人はこうなんだ』と予想して、それぞれの人と、ベストな付き合い方をしている。もしかしたら、リリーシャさん以外の人のイメージも、単なる思い込みで、間違っているのかもしれない。
『単に「そうあって欲しい」というイメージを、勝手に、リリーシャさんに、押し付けていたのかも。それに、リリーシャさんと、ずっと一緒にいたかったから。思い込みが、特別に強かったのかもしれない――』
『風ちゃんにとっては、理想の人だもんね。そういう場合、得てして、美化したり、必要以上に、期待して見ちゃうもんだよ』
まさに、その通りだ。私は、リリーシャさんを、本物の天使のように、神格化して見ていたから。普通の弱い人間として、見ていなかったのだと思う。
『でも、私にも分かるなぁ。私も、風ちゃんのこと、そういうふうに見てるから』
『えぇっ?! そうなの? ユメちゃんからは、私って、どう見えてるの?』
『とても完璧で、上品で、華麗なシルフィード』
『えぇぇ―?!』
『あははっ、冗談冗談』
『って、止めてよー! そういう、ドキッとする冗談は!』
もう、こっちは、真剣に相談してるのに。でも、きっと、私一人が、重く考え過ぎているんだと思う。やっぱり、人によって受け止め方が、全然、違うよね。
『でも、人の気持ちって、常に変化するものだし。永遠に同じままじゃないよ。別に「嫌い」とは、言ってないんでしょ? 今まで、風ちゃんが見て来た、リリーシャさんの姿は、本物だと思うよ』
『じゃあ、演技じゃなくて、本当に、楽しんでやってたってこと?』
『たぶん、そうだと思う。きっと、やっている内に、何か思うことがあったんじゃないかな? 風ちゃんだって、こっちに来たばかりのころと比べて、考え方は、変わってるでしょ?』
『まぁ、確かに。色々変わったかも……』
シルフィードが好きな気持ちや、天職だと思っている、根元の部分は、全く変わってないけど。考え方や行動は、だいぶ変わったと思う。
『出会いは別れの始まり、って言葉があるけど。それは、お互いの気持ちが、途中で変化するからだと思う。でも、悪いことばかりじゃないよ。そのお蔭で、新しい道が見つかったり、新しい人との出会いがあるんだから』
『変化は、悲しむべき出来事ではなく、楽しむべきじゃないかな? こらからも、どんどん変わって行くし。風ちゃんは、そうやって生きて来たんでしょ? だから、この世界に来たんだし』
そうだった。大きな変化を求めて、この世界に、一人でやって来たのだ。
『そうだよね――。ありがとう。なんか、胸のつっかえが、取れた気がするよ』
リリーシャさんの選択は、別に、そこで終わりではない。新しい道に進むために、起こした行動なんだから。ならば私は、その選択を祝福し、私自身も、新しい道を選んで、進んで行くべきだ。
人の想いは、近づくことはあっても、けっして、交わらないのかもしれない。それぞれに、考え方も価値観も、全く違うのだから。同じ、一本の道にならないのは、自然なことなのだろう。
きっと、今までは、リリーシャさんと私の道は、物凄く近くにあったんだと思う。それが今、明確に、方向が分かれようとしているのだ。
今後、どの方向に進むのか、どう変化するのかは、全く分からない。でも、どんなに離れたって、私のリリーシャさんに対する気持ちは、変わらない。
彼女の教えを見失わないように、ずっと心に抱きながら。でも、私は、私だけの道を、真っ直ぐ進んで行こう。結局、人は、自分の道を行くしかないのだから……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『別れるのは寂しいけど大好きな人には幸せになって欲しい』
別れの苦痛のなかで、ようやく私たちは愛の深さを見つめる
普段は、広々したリビングで食事しているが、今は、あまり広い場所には、いたくなかった。気持ちが沈んでいる時に、一人で広い所にいると、ますます、落ち込んでくるからだ。
先日、リリーシャさんが、エンプレス昇進の面接から、帰って来たあと。彼女の話を聴いて、大変な衝撃を受けた。あれから数日たったが、私は、いまだに、そのショックから、立ち直れていない。
エンプレスを辞退したことも、そうだけど。一番は、リリーシャさんが『シルフィードを、好きでやっている訳ではなかった』こと。これから先『ずっと続けていくつもりはない』と、言っていたことだ。
リリーシャさんは、シルフィードが大好きで、天職として、やっているのだと思っていた。私が、勝手に思い込んでいたのが、悪いんだけど。でも、誰がどう見たって、彼女は、楽しそうにやっているように、見えたはずだ。
リリーシャさんが、本心を出さない性格なのも、どんな時でも笑顔を絶やさないのも、私は、よく知っている。それにしたって、あれほど、活き活きやっていたら『本当に好きでやっているんだ』と、感じるのが普通だ。
単に、リリーシャさんの演技が、スバ抜けて上手かったのか。それとも、私が、空気を読めないのが原因なのか。その点は、よく分からなかった。
いずれにしても、リリーシャさんが、エンプレスになることは、もう、二度とないし。いずれは、この業界を、去ってしまうのも事実だ。いい加減、目の前の現実を、受け止めなければならない。とはいえ、実際には、物凄く難しいことだった。
リリーシャさんは、あの日以降も、いつもと、全く変わらない様子だ。でも、私は、彼女への態度が、ぎこちなくなってしまった。
いつも、辛い気持ちで、やっているのではないだろうか? 仕事として、仕方なくやっているのだろうか? そんなことを考えてしまうと、今までのように、素直な気持ちの笑顔を、向けられなくなってしまったのだ。
悶々とした日々を過ごし、リリーシャさんとの関係も微妙なまま。でも、仕事に影響が出てはマズイので、何とかして、解決しなければならない。特に、上位階級である、今の立場を考えると、早急な対策が必要だ。
そんなこんなで、今日は『人の気持ちを知る方法』『建前と本音』『円滑な人間関係』など、対人関係の情報を探している。
今までは、人との接し方は、特に意識したとはなく、ごく自然にやっていた。人付き合いには、割と自信があるからだ。でも、ちゃんと、勉強したことがないし、完全に自己流だから、正しいかどうかは、自信がない。
色々調べてみたけど、どの情報も、書いてある内容は同じだ。相手をよく観察すること。相手の意見を尊重すること。自己主張は抑えること。一応、どれも、やってるとは思うんだけど。
相手によって、ベストな接し方は違うし。普段は、特に計算して付き合っている訳ではないから、非常に難しい。
「はぁー。私って、人の気持ちが分からない、自分勝手な人間なのかなぁ……?」
空中モニターから目を離すと、私は、大きくため息をついた。
昔から、空気を読む努力はしている。特に、友達関係は大事にしているので、相手のことは、しっかり考えているつもりだ。でも、割と遠慮なく、踏み込むし。実際には、全然、相手を見ていなかったのだろうか――?
悶々と悩んでいると、メッセージの着信音が鳴った。確認すると、ユメちゃんからだ。ちょうどいいタイミングだったので、私は、急いで返信する。
『風ちゃん、こんばんはー! 元気してるっ?』
『こんばんは、ユメちゃん。ぼちぼちかなぁ』
今夜のユメちゃんは、ずいぶんと、テンションが高そうだ。
『どうしたの? 何かあった?』
『まぁ、あったような、なかったような……』
『何でも相談してよ。私たちの間に、隠し事はなしだからね』
『でも、楽しい話じゃないよ――』
何だかんだで、ユメちゃんも、リリーシャさんのエンプレス就任には、好意的だった。それが、完全に無くなってしまったのだから、いい話な訳がない。
それに、ユメちゃんに対して、ここのところ、重い話をする機会が多いと思う。素直に聴いてくれるとはいえ、やっぱり、頼り過ぎではないだろうか? そもそも、彼女のほうが、年下なんだし。心の傷だって、抱えているのだから。
『いいよ、別に。人生、楽しい事ばかりじゃないもん。私だって、よく風ちゃんに、重い話をしてるじゃん』
『そうだっけ?』
『私、結構、深刻的な話をしてるけどなぁ。単に、風ちゃんが、そう思ってないだけで。人によって、物事の重さや、捉え方が違うんだよ』
『でも、ユメちゃんの場合。よくある、軽い愚痴だけでしょ?』
ユメちゃんは、学校に通い始めてから、気の合う友人もでき、学校生活にも慣れ、かなり順調だった。悩みといっても、ちょっと運動が苦手とか、人と話すのが苦手とか、その程度だ。
『私にとっては、滅茶苦茶、深刻なの。運動音痴とか、コミュ力がないとか、超真剣に悩んでるんだから』
『でも、ちょっとトレーニングして、体を鍛えるとか。普通に話したりすれば、いいだけの話じゃない?』
『それが出来ないから、悩んでるの! 階段を上るだけで、息切れしたり。人と話すたびに、緊張する人間の気持ちなんて。風ちゃんには、全く分からないでしょ?』
『うーむ。それは、考えたことないかも……』
体を動かすのは、超大好きだし。精神的に疲れたりはあっても、肉体的に疲れることは、滅多にない。それに、偉い人と話す時以外は、緊張とかないし。そもそも、同年代の子と話すのに、どこに緊張する要素があるんだろうか?
『それが、物事の捉え方の違い。人によって、物事の重さが違うから。自分で重く考えていても、相手には、軽いことだったりするんだよ』
『ふむふむ』
『つまり、私と風ちゃんは、重さのポイントがズレてるから。私が重いことは、風ちゃんには軽いし。風ちゃんが重いことは、私には軽く感じるってこと』
『なるほど、そういうことね――』
何となく、思い当たる節がある。肉体派の私と、頭脳派のユメちゃんでは、悩みが全然、違うもんね。それで、お互いの相談事が、いつも上手く行っているのかもしれない。
『だから、何も隠す必要ないよ。風ちゃんの悩みの大半は、私にとっては、軽いことだもん。別に、無理して聴いてる訳じゃないよ。嫌なら嫌って、ハッキリ言うから』
ユメちゃんは、最初は、大人しい性格かと思ってたけど。好き嫌いや、やりたいこと、やりたくないことは、物凄くハッキリ言う性格だ。なら、私の話を聴いてくれているのは、本当に、好きでやっているのかもしれない。
『じゃあ、お言葉に甘えて。でも、今回の話は、本当に重いからね』
『オッケー、オッケー。ドーンと来いよ』
なんだか、ここ最近、ますますユメちゃんが、昔の私に似て来た気がする……。
『先日、ユメちゃんとお出掛けした時。ちょこっと、昇進の話をしたでしょ?』
『あぁ、リリーシャさんの昇進の件?』
『そうそう。先日、リリーシャさんが、面接を受けに行ってきたんだよね』
『おぉー! それで、どうだったの? もしかして、ダメだった?』
ユメちゃんも、私と同様に、物凄く結果が気になっていたはずだ。
『うーん、ダメじゃなかったんだけどねぇ。完全に、予想外の結果になって――』
『えー、なになに? もったいぶらずに、教えてよ』
『実は、辞退しちゃんだよね……』
『えっ? ええぇぇ――!? 嘘っ‼ ただの冗談だよね?』
『いや、紛れもない、事実なんだけど』
『ええぇぇーー!! 何でっ……何でーー?!』
いたって予想通りの反応だ。誰だって、驚くよね。
『色々考えたみたいだけど。「自分の進むべき道ではない」って、言ってた』
『えぇー? どういうこと? 訳わかんないよ』
『やっぱ、そう思うよね。私も訳が分からなくて、ずっと悶々としてて――』
『それは、完全に、予想の斜め上をいってるね。流石に、今回の話は重すぎるよ』
『じゃあ、この話、止めとく?』
『ううん、続けて。風ちゃんの思ってること、全部、話してよ』
流石は、ユメちゃん。かなり肝が据わってる。
『でも、私が、一番ショックを受けたのは、辞退したことじゃなくて。リリーシャさんの、本当の気持ちを、聴いたからなんだ……』
『何て言ってたの?』
『それがね「シルフィードは好きでやっている訳ではない」「いつまでやるか分からない」って。物凄く大好きで、天職でやっているんだと思ってたから。この言葉は、滅茶苦茶、ショックだったよ――』
私が、リリーシャさんこそが、シルフィードの理想像だと思っていたのは、単に技術的な問題だけではない。本当に、心から楽しそうにやっていたからだ。あの、活き活きして、きらきら輝く姿に、強く憧れたのだ。
『つまり「仕事として、割り切ってやっている」って、ことだよね? じゃあ、営業スマイルみたいに、演技で楽しそうに、振る舞ってたの?』
『おそらく、そうなんだと思う……』
『まぁ、仕事では、よくある話だよね。プライベートだって、愛想笑いや、人に合わせて、楽しそうに振る舞うことは、誰だって普通にするし』
『だよねぇ。接客業なら、なおさら、その機会が多いよね』
しかも、リリーシャさんの接客の腕は、超プロフェッショナルだ。本物か演技か、見分けがつかないぐらい、技術が高いのかもしれない。
『でも、それって、そんなにショックなことなの?』
『うん、私にとっては、一大事だよ。私は、毎日、凄く楽しくやってるから。リリーシャさんも、同じ気持ちでやってると思ってた。でも、それが、ただの勘違いだと分かって。どうしていいのか、全然、分からなくなっちゃって――』
『でも、人の気持ちって、難しいよね。なかなか、本音を言わない人もいるし』
『だよねぇー。特に私の場合、人の気持ちが、分からない性格みたいだから……』
何年もの間、毎日、一緒に仕事をしているのに。私は、いまだに、リリーシャさんの気持ちが、見えていない。ただ単に、私が、鈍感すぎるんじゃないだろうか?
『そんなことないよ! 風ちゃんは、ちゃんと相手の気持ちが、分かる人だよ。風ちゃんに分からないんじゃ、誰にも分からないよ』
『そうかなぁ……?』
『そもそも、人の気持ちなんて、絶対に分からないんだよ。結局は、予想するしかないんだから。人付き合いって「相手を予想しながら付き合う」ってことでしょ? 実際に、正解かどうかは、分からないんだから』
確かに、そうなのかも。『この人はこうなんだ』と予想して、それぞれの人と、ベストな付き合い方をしている。もしかしたら、リリーシャさん以外の人のイメージも、単なる思い込みで、間違っているのかもしれない。
『単に「そうあって欲しい」というイメージを、勝手に、リリーシャさんに、押し付けていたのかも。それに、リリーシャさんと、ずっと一緒にいたかったから。思い込みが、特別に強かったのかもしれない――』
『風ちゃんにとっては、理想の人だもんね。そういう場合、得てして、美化したり、必要以上に、期待して見ちゃうもんだよ』
まさに、その通りだ。私は、リリーシャさんを、本物の天使のように、神格化して見ていたから。普通の弱い人間として、見ていなかったのだと思う。
『でも、私にも分かるなぁ。私も、風ちゃんのこと、そういうふうに見てるから』
『えぇっ?! そうなの? ユメちゃんからは、私って、どう見えてるの?』
『とても完璧で、上品で、華麗なシルフィード』
『えぇぇ―?!』
『あははっ、冗談冗談』
『って、止めてよー! そういう、ドキッとする冗談は!』
もう、こっちは、真剣に相談してるのに。でも、きっと、私一人が、重く考え過ぎているんだと思う。やっぱり、人によって受け止め方が、全然、違うよね。
『でも、人の気持ちって、常に変化するものだし。永遠に同じままじゃないよ。別に「嫌い」とは、言ってないんでしょ? 今まで、風ちゃんが見て来た、リリーシャさんの姿は、本物だと思うよ』
『じゃあ、演技じゃなくて、本当に、楽しんでやってたってこと?』
『たぶん、そうだと思う。きっと、やっている内に、何か思うことがあったんじゃないかな? 風ちゃんだって、こっちに来たばかりのころと比べて、考え方は、変わってるでしょ?』
『まぁ、確かに。色々変わったかも……』
シルフィードが好きな気持ちや、天職だと思っている、根元の部分は、全く変わってないけど。考え方や行動は、だいぶ変わったと思う。
『出会いは別れの始まり、って言葉があるけど。それは、お互いの気持ちが、途中で変化するからだと思う。でも、悪いことばかりじゃないよ。そのお蔭で、新しい道が見つかったり、新しい人との出会いがあるんだから』
『変化は、悲しむべき出来事ではなく、楽しむべきじゃないかな? こらからも、どんどん変わって行くし。風ちゃんは、そうやって生きて来たんでしょ? だから、この世界に来たんだし』
そうだった。大きな変化を求めて、この世界に、一人でやって来たのだ。
『そうだよね――。ありがとう。なんか、胸のつっかえが、取れた気がするよ』
リリーシャさんの選択は、別に、そこで終わりではない。新しい道に進むために、起こした行動なんだから。ならば私は、その選択を祝福し、私自身も、新しい道を選んで、進んで行くべきだ。
人の想いは、近づくことはあっても、けっして、交わらないのかもしれない。それぞれに、考え方も価値観も、全く違うのだから。同じ、一本の道にならないのは、自然なことなのだろう。
きっと、今までは、リリーシャさんと私の道は、物凄く近くにあったんだと思う。それが今、明確に、方向が分かれようとしているのだ。
今後、どの方向に進むのか、どう変化するのかは、全く分からない。でも、どんなに離れたって、私のリリーシャさんに対する気持ちは、変わらない。
彼女の教えを見失わないように、ずっと心に抱きながら。でも、私は、私だけの道を、真っ直ぐ進んで行こう。結局、人は、自分の道を行くしかないのだから……。
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次回――
『別れるのは寂しいけど大好きな人には幸せになって欲しい』
別れの苦痛のなかで、ようやく私たちは愛の深さを見つめる
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パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
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