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第壱蟲 『抑蟲』

手頭化抑蟲姿

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「ふふふ……なるほどねぇ。」

 ミゾレから一部始終を聞いた『蟲姫』は不敵に笑い、話し終えたミゾレの姿を見つめる。

 対しミゾレは、両手をグッと握って膝の上に乗せ、それを見るように下を見つめている。

「暴君と化した己が父……彼をかつてのように更生させたい……と。」

 『蟲姫』はそんなミゾレに対し、確認するように彼女に問い掛けた。

「はい……。」

 ミゾレは父の事を思い起こし、暗い表情を浮かべる。

「『生慈』……彼女に『抑蟲オサムシ』を。」

 『蟲姫』はニヤリと不敵に口角を上げ、背後に立つ『生慈』にそう告げる。

「了解致しました。」

 『蟲姫』の注文に『生慈』は胸に手を当てて頭を下げ、機械音声のような感情の無い声でそう応える。

 その後『蟲姫』の背後の空間へと歩み、その奥へと消えていった。

「オサムシ……?」

 ミゾレはゆっくりと顔を上げ、自らの耳で聞こえた単語を反復する。

 『オサムシ』

 彼女の知る『オサムシ』。

 コウチュウ目・オサムシ科に属する昆虫である『オサムシ』。

 または歴史に残る漫画やアニメを数多く生み出した漫画の神様『手塚治虫』。

 その二種であった。

「御待たせ致しました。」

 そのような思考の最中、『生慈』の声が右隣から聞こえる。

 見ると少し頭を下げた『生慈』が立っている。

 そして再び前を見ると、眼前にはテーブルの上に銀の蓋の被さった皿が置かれていた。

「こちら『抑蟲』で御座います。」

 『生慈』はそう言うと、銀の蓋の取っ手を持つ。
 そしてゆっくりと蓋を持ち上げ、その中身を露にさせた。

「ふぇ!?」

 ミゾレは眼前に現れた物体に、一瞬肩をビクつかせる。

 目の前にあるは趣味の悪い『虫』の模型。
 全体的に黒光りしており、大きさは3センチ程度。
 一目見ただけでは昆虫の『オサムシ』と見違えてしまう。
 しかし何故か眼球や脚先がニンゲンのものとなっており、本来六本ある筈の脚が四本のみしか生えてははいなかった。

 こういったモノを目にした場合、人によっては驚き椅子から転げ落ちる所かも知れない。

 だが普段からユキの悪趣味なオカルトコレクションの数々を目にしてきた彼女にはこういった類の造形物に耐性が付いており、肩を動かす程度の反応しかしなかった。

「……おもちゃ?」

 どころか彼女は手を伸ばし『ソレ』に触れようとさえした。

≪キャハハハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \!!≫

 彼女の手が今にも触れようとしたその時、目の前の『ソレ』は子供の笑い声のような鳴き声をあげた。

「キャアア!!」

 それに驚き『蟲姫』の『城』にて、彼女は初めて絶叫した。

 ミゾレを驚かせた『ソレ』は皿の上で首を左右に揺らし、眼球をグルグルと回し不気味に笑い声を出す。
 笑う度に身体を微かに震わせ、関節の擦れる音がカサカサと鳴り響く。

「あら?驚かせちゃったかしら?」

 『蟲姫』はニヤニヤと悪しき笑みを浮かべ、驚くミゾレを見つめる。

「な、な、な、なんですか……『コレ』!?」

 ミゾレは混乱した様子で眼前の物体を指さし、『蟲姫』にその正体を問う。

「『抑蟲』……今回アナタに渡す『蟲』よ。」

 我々の知る昆虫の『オサムシ』と同音。
 だがその実態は彼女が飼う『蟲』が一匹。

 『抑蟲オサムシ』であった。

「この『蟲』にはニンゲンの『負』の感情を抑えるチカラがある。」

 驚きを隠せないミゾレに対し、妖しく微笑んだまま『蟲姫』はそう続ける。

「『負』の……感情?」

 ミゾレは目の前で蠢く『蟲』を見下ろしつつ、そう『蟲姫』の言葉を繰り返す。

「恨み、嫉み、怨嗟、憎悪、自棄、破壊衝動……そういったニンゲンの抱えるマイナス面での感情。この『抑蟲』はそういった感情を喰い、そして『抑える』チカラを持つの。」

 『蟲姫』はそう言うと皿の中央にて蠢く『抑蟲』の方へと視線を下げる。

 すると『抑蟲』は笑い声をピタリと止め、そのまま一時停止したような状態となった。

「まぁ今回の場合でいう『負』は『怒り』ね。」

「怒り……」

 刹那、ミゾレの脳裏に数時間前の父の姿が浮かび上がる。
 確かに彼の行う虐待行為は何処と無く『怒り』に起因しているようにも感じていた。

「それで……この『蟲』……。」

 しかしミゾレにはまだ分からないことがあった。
 この奇妙奇天烈な蟲が『怒り』を抑える事は分かった。

「『抑蟲』で何を……?」

 が、しかし効能を如何なる方法で父に与えるのか……その点は分からずにいた。
 故に尋ねる。
 眼前にて座る白き姫に。

「『寄生』させるの。」

 『蟲姫』はニッコリと微笑みそうミゾレに告げる。
 その表情に一切の悪意は感じられない。

「ふふふ……。」

「『寄生』……。」

 ミゾレは不安げな表情を浮かべつつ、そう呟く。

「そう……とは言ってもアナタは父親に投げつけるだけで良いのよねぇ。」

 『蟲姫』はこの時、何故かテンションの下がった様子でそう告げた。

 まるでその利便さに不服があるかの様に。

「そうすれば『抑蟲』は自ら対象の口部から体内に入り込み、無事寄生は完了する。」

 だが『蟲姫』はすぐに話を続行し、自らの唇に指を触れ、そう説明する。

「注意点を挙げるとするならば『決して餌を絶やしてはいけない』ってことかしら?」

 『蟲姫』は唇に手を当てたまま上を見上げ、少し惚けるように首を傾げる。

「『餌』……ですか?」

 ミゾレは警戒した様子で『蟲姫』の出だす単語に注視し、そして尋ねる。
 『蟲姫』にはまだ残された『噂』がある事を思い出していた。
 『ソレ』がある以上、彼女の事は完全に信頼する訳にはいかないのだ。

「アナタに対し『怒り』をぶつけようとする度に『抑蟲』はその『怒り』を喰らう。だけど、そうする毎にアナタの父親の内部に溜まる『負』は少なくなっていく筈よ。」

 『蟲姫』はそこまで語ると、何を思ったか『抑蟲』の背を指で二回つつく。

≪キャハハハハハハハハハ!!≫

 すると再び『抑蟲』は喚き、その鳴声はミゾレの耳に鳴り響く。

「蟲が餓えない程度に『怒り』を与える。」

 『蟲姫』の口角が上がり、先程までの穏やかなモノとは違う邪悪な、獲物を睨む蛇の如き眼差しが眼前の少女を捉える。

「つまり対象……アナタの父を定期的に『怒らせる』ってことよ。」
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