黒兎は月夜に跳ねる

小狐丸

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三十一話 対ブガッティ男爵軍

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 ブガッティ男爵は悲壮な覚悟でブラッディーロータスを迎え撃つ事を決意する。

 ルトール伯爵や国への救援要請は聞き入れられなかった。

 ブガッティ男爵は切り捨てられた事を悟る。

 なんて事はない。今まで散々切り捨ててきた側の人間だったが、今度は自分が蜥蜴の尻尾になっただけだ。

「傭兵はどうであった?」
「は、はい。既に相手がブラッディーロータスと知られているようで、なかなか人が集まりません」
「クソッ! どうして儂だけがっ!」

 ブガッティ男爵が人の集まりはどうだと聞くも、返ってきた応えは望んでいたものではなかった。

 既にブラッディーロータスがブガッティ男爵に天誅を下す事は知れ渡っていて、その上で雇われるのはブラッディーロータスの力に懐疑的な愚か者か、盗賊と大差のない素行の悪い傭兵だけだった。

 ブガッティ男爵家の私兵すら逃げ出し始めている現状、質は兎も角一人でも多く集める必要があった。

「兎に角、この地点で迎え討つぞ」
「は、はい」

 ブガッティ男爵が地図を取り出すと、国境を超えた平原を指差す。

 ブラッディーロータスのメンバーが十人も居ないのは誰でも知っている。

 そこで数の有利を活かせる場所で迎え討つ事を選んだ。

 これが普通の戦争なら正しい戦略ではある。

 大群が寡兵に対する時には、包囲殲滅は正しい選択だし、それに適した場所で迎え討つのは硬い戦略だ。

 寡兵よく大軍を破るというのは、軍人にとって憧れるのかもしれないが、伏兵も難しい広い平原で、寡兵が大軍を破るというのは困難だ。

 ただし、それは常識的な範疇に入る者の場合に限られる。

 地球とは違い、この世界にはバケモノと呼ばれる存在が実在する。

 数の暴力など障害にすらならない、個で軍を圧倒する英雄とその仲間たちが存在する。


 ブラッディーロータスと一戦交えようと指示を出すブガッティ男爵だが、その裏で密かに私財をかき集め、家族を屋敷に残して逃走する準備をしていた。

 家族を屋敷に残すのは、逃走すると思わせないため。

 この大陸の何処に行っても、ブガッティ男爵にとって安全な土地はないだろう。だからブガッティ男爵は、東の大陸へと渡るつもりだった。

 ブラッディーロータスも東の大陸までは追い掛けはしないだろうと、淡い期待を抱くブガッティ男爵。

 確かに東の大陸まで逃げれるのならブガッティ男爵にも助かる可能性は出て来るだろう。

 それが可能なら…………






 カーマイン王国とロナルディア王国の国境付近、この先に兵士が待ち伏せているのが気配で分かる。

『マスター、この先300メートルに四百人の兵士が陣を張っています。それとブガッティ本人は居ないようです』
「ご苦労さん。あとは馬車の護衛を頼む。矢や魔法が流れて来るかもしれない。その辺も頼む」
『馬車とリル嬢の安全は、我にお任せください』

 馬車から降り立った俺たちの元にタナトスが戻って来て、待ち伏せするブガッティ男爵勢の詳細を報せる。

「ブガッティ男爵は居ないようだね」
「ああ、夜逃げだろうな」

 師匠が予想通り過ぎて面白くないという顔で聞いてきた。

 ブガッティ男爵が逃げ出すのは想定内だ。

 ここを手早く殲滅してからタナトスと俺で追う予定だ。

「ふんっ、儂ら相手に数が少なくないか?」

 黒い革鎧の上に黒い外套を羽織って手に戦斧を持つガンツさんが不満そうだ。

「いきなり本気じゃダメですよガンツ」
「そうだぜガンツの兄貴。一瞬で終わっちまうぜ」

 俺のとは違い形は普通の黒いロングコートを着たバルカさんと黒いショートジャケットのザーレさんがそれぞれの得物を持って前に出て来た。

 バルカさんは背丈程もある長杖。

 ザーレさんはゴツイメイスだ。

「これだけのメンバーが揃ったのは久しぶりですね」

 パメラさんは黒い修道士ぽい服に短剣を二振り腰にしている。

「じゃあ、予定通り一人だけ生かして後は殲滅でいいよ」

 師匠のその言葉で皆んなが歩き始める。

 俺も胸のペンダントを握り込む。

 次の瞬間、俺の顔に黒ウサギの仮面が装着される。

 さあ、蹂躙の時間だ。

 少し前を歩く師匠たちの背中には、血塗れの蓮の華があしらわれている。勿論、俺の背にも。


 師匠を真ん中に、間隔を開け横一列になり歩く俺たちの前に分厚い横陣を敷くブガッティ男爵の兵達が居る。

「いや、責めて包囲殲滅がしたいなら鶴翼に陣を張れよ」
「鶴翼ってのは、翼を広げて包み込む陣かい?」
「ああ、そうだよ」

 俺が待ち受けるブガッティ男爵の兵達を見て思わず呟いたのに師匠が反応した。

「なる程、個々の戦力に差がない場合は陣の選択も重要になるんだろうね」
「ああ、そうか。個人で一軍を撃破するようなのが居る世界で、細かな戦略は無意味だな」

 大軍で対抗出来ない個の力なんて、悪夢としか言えないよな。


 距離が100メートルに差し掛かった時、ブガッティ男爵兵から大量の矢と魔法が降り注ぐ。

 俺たちはそのまま歩き続ける。

 矢と魔法が歩き続ける俺たちの前で障壁により全て跳ね返される。

 これはバルカさんと俺が展開した魔法の障壁だ。

 本当ならバルカさん一人で十分だけど、俺も練習を兼ねて魔法障壁を張っている。

「さて、最初はバルカ、私、シュートで少し減らそうかね」
「減らし過ぎるなよイーリス」

 師匠が魔銃フラガラッハを抜きそう言ったので、俺も腰からレーヴァティンを抜いた。

「では、ほどほどの威力でいきましょうかね」

 バルカさんも杖を掲げる。

 初撃は師匠のフラガラッハだった。

 敵の魔法障壁をものともせず撃ち破り、数人が吹き飛ぶ。

 バルカさんも魔法を放ち数を減らして行く。

 俺もレーヴァティンを数発撃つと、数人纏めて撃ち抜く威力に俺自身が少し驚く。

「前に出るぞ!」
「俺たちに当てるなよ!」

 ガンツさんとザーレさんが突撃を開始した。

 俺もレーヴァティンをホルスターに戻すと、炎の魔剣となった巨大な剣を取り出し肩に担ぐ。

「じゃあ、俺も前に行って来る」

 そう師匠とバルカさんに告げて走り出す。

 一瞬でガンツさんとザーレさんを追い抜くと敵が密集している中心へと飛び込み、その場でぐるりと大剣を横に薙ぐ。





 その日、国境付近で布陣するブガッティ男爵が召集した兵達は、黒いコートや外套、ローブを見に纏った六人を視認すると、体を緊張感で強張らせる。

 ここに集まった兵は、ブラッディーロータスの怖さを知らぬ者達だ。

 そのほとんどが素行が悪く鼻つまみ者だ。

 ブガッティ男爵家に長く仕えた者で、まだまともな思考の出来る人間は、ブラッディーロータスから天誅を下すとの書簡が届いた時点で、ブガッティ男爵家から逃げ出していた。

 まあ、そのまともな人間自体、ブガッティ男爵家には少なかったのだが。


 ルトール伯爵に取り入る為に、数々の後ろ暗い仕事をして来たブガッティ男爵家の人間だ。それなりに美味しい想いをして来た連中である。

 そしてゴロツキ同然の傭兵を含めた四百人で、十人にも満たないブラッディーロータスに、負けるとは考えなかった者も多い。

 国や貴族ほど、現場の奴らはその怖さを理解していなかった。


 距離が100メートルを切った瞬間、打ち合わせ通りに矢と魔法を雨のように降らせる。

「やったか!」

 ブガッティ男爵家の従士長は喜色の声を上げるが、直ぐにその顔が焦りの色へと変わる。

 男はブラッディーロータスを怖れて逃げ出した同僚を馬鹿にしていた。

 貴族家から逃げ出したような奴は、何処の貴族家でも使ってくれない。奴らは馬鹿だと笑った。

 しかしその思いは目の前の光景を見るに、どんどん不安が募っていく。

 数百の矢や魔法がたった六人の相手に擦り傷すら負わせる事が出来ていない。

 間違った選択をしたのは自分の方なのかと思い始めた時、敵の反撃が始まった。

 こちらの魔法使いによる障壁を嘲笑うかのような強力な攻撃で、味方がどんどん減っていく。

 そこに三人の男がこちらに向け駆け出すのが見えた。

 次の瞬間、黒いウサギの仮面を被り、巨大な大剣を担いだ男が、瞬間移動したかのように、味方の中に現れる。

 そして幾つもの重量物が地面に落ちる音が喧騒の中でもハッキリと聞こえた。

 ドチャッ!

 黒ウサギの男が大剣をぐるりと一回転横に薙ぐと、周囲の兵士の上半身がまとめて斬り飛ばされたのだ。

 戦斧を振り回すドワーフと、ロングメイスを振り回す男が暴れ出すと、加速度的に兵士の数が減っていく。

 その間もピンポイントで法撃が飛んで来る。

 四百人集めた筈の、負ける筈がないと思っていた自分達が、迫る死の気配に思考停止してしまう。





 大剣を一振りして血を吹き飛ばす。

「ふぅ、大した事なかったな」
「まったくだわい。暴れ足りんな」
「ああ、愚かな奴らだ。何とか出来ると思ったのか……」

 ガンツさんとザーレさんが返り血まみれでやって来た。

「汚れを落とすよ」

 俺は自分を含めてガンツさんとザーレさんにも浄化の魔法をかける。

 そこに師匠とバルカさん、パメラさんが合流する。

 パメラさんは近接戦闘で乱戦の中で暴れていたが、その割にまったく返り血で汚れていないのは、自分で浄化をかけ綺麗にしたのもあるが、返り血を浴びない技術だろうな。

「シュート、ここの後始末は私達に任せて、ブガッティ男爵を追いな」
「了解。直ぐに戻るよ」

 少数逃れた者は放置だ。

 最初から一人は逃す予定だったのが、ちょっと増えただけだ。

 俺は師匠達に死体の始末を任せて駆け出す。

「タナトス!」
『マスター、私が先行して捕捉します』
「頼む!」

 俺がタナトスを呼ぶと直ぐに側に現れ、ブガッティ男爵へと先行する為、再び俺の影へと沈んだ。

 俺は全力で走る。

 ランク6の身体能力に、ナノマシンで強化され、魔力とオーラで更に身体強化されたスピードでブガッティを追う。

 やがてタナトスがブガッティを捕捉した事が、眷属との繋がりにより分かる。

 位置が判れば五分とかからない。


 やがて馬を酷使しながら走る馬車を見つけた。

『マスター、馬を殺しますか?』
「いや、そうだな。ゆっくりと停止するよう誘導してくれ」
『御意』

 タナトスが馬車の馬を殺して止めるかと聞いて来たが、流石に馬に罪は無い。

 タナトスに闇魔法で馬を操って馬車を止めて貰う。

 俺は音をさせる事なく馬車の天井へと飛び乗る。

 やがて馬車がゆっくりと停止する。

 馭者の男がパニックになり、必死に馬へと鞭を入れるが、突然その場で崩れ落ちる。

「何事だぁ!?」

 ブガッティ男爵が馬車から顔を出す。

「ご機嫌ようブガッティ男爵」
「ヒッ、な、何者だぁ! 儂をブガッティ男爵と知っての狼藉かぁ!」
「いや、ブガッティ男爵って、最初から呼びかけてるだろう」

 パニックになっているブガッティ男爵は、見るに耐えない狼狽えぶりだ。
 その間に馬車の中に同乗している奴らはタナトスが眠らせている。

「く、黒ウサギ!? ま、まさかっ、貴様がヒュドラのアジトを壊滅させたのかっ!」
「ああ、なら次は分かるよな」
「ひっ、た、助けてくれ! 命だけはっ、命だけ……」

 ブガッティ男爵が全てを言い終える前に、俺はグルカナイフを一閃し頸を飛ばした。

「見苦しい。タナトス、馭者の男と中の男にブレインジャックだ。クズならそのまま始末だ」
『御意』

 結局、タナトスの闇魔法で調べた結果、馭者の男は今回雇われただけだったので、そのまま朝まで寝てもらう。
 一方の馬車に同乗していたのは、ブガッティ男爵の側近と護衛が二人。こいつらは散々主人であるブガッティ男爵と同罪のクズだったので、ここで始末した。

「さて、教会への寄付もたんまり頂いたし、リルが待ってるから早く戻ろうか」

 一応、馬と馭者が魔物や盗賊に襲われても寝覚が悪いので、時限式の結界を張っておく。

 ルトール伯爵はオートギュール伯爵が政治的に攻撃するだろう。俺たちの仕事はこれで終わりだ。

 さあ、ホームに帰ろう。



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