岐れ路

nejimakiusagi

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8 コーヒー・メーカーやトースターは特別な主人を求めたりしない

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「鈴木 泉」

それが、僕が教習所で同じ車で試験を受けた女の子の名前だ。

同じ教習車で試験を受けて、合格をして、そしてしばらくして二人でビールを飲みにいった。

暑さのまだ残る夏の終わりだったと思う。

液体窒素を使った特別なビール・サーバーで、氷点下までキンキンに冷やしたビールが飲める銀座のカフェに彼女を誘った。

僕はこの日、少しがっかりしていた。

理由は二つある。

その二つの理由はよく考えると相反し矛盾するのだが、とにかく僕を残念な気分にさせたことだけは確かだ。

一つは彼女に付き合っている男性がいたこと。

二つ目は、銀座駅に現れた彼女に会ったときに・・・なんというのだろう。
非常に失礼なことで大変申し訳ないのだが、ときめきのようなものをまったく感じなかったのだ。

なにが原因だったのかはよく分からない。

僕はできれば彼女に尋ねたかった。

君は後ろ姿だけで、僕の男性器を固くした女の子ですよね、と。

ただ、彼女とビールやワインを飲みながらチーズの話しをしたり、バーニャカウダ・ソースに新鮮でカラフルな人参をべたべた浸けるのは、そんなに悪くなかった。

きっと育ちが良いのだろう。
人として好感をもてたのだと思う。

食事が終わると僕は「あまり遅いと君の彼が心配するだろう」と良識のある男性を演じ、駅の改札まで彼女を送った。

そして、そのあと僕は金で女を抱きに行った。

人として好感がもてるのと、その日にどうにかしなければならなかった性的な欲求の解消を求めるのは、当たり前だがまったく別のことなのだ。

これは僕の致命的な欠点だ、と僕は思う。

数種類の欲求を解消するために、数種類の人間を求める。

"特定の誰か"にたくさんのことを求めるようなことはしない代わりに、欲求を解消さえしてくれれば誰でもいいのだ。

これがキッチンならば問題はない。

コーヒーを沸かしたいときは、コーヒー・メーカーに頼めばいいし、トーストを焼きたいときはトースターに頼めばいい。

僕はいつだって僕を唯一の存在として求めてもらうことを必要としていたのだ。渇望しているといってもいい。

しかし、当時の僕はまだ気づいてすらいなかった。その致命的なまでの死角に。

コーヒー・メーカーやトースターは、誰に仕事を頼まれても拒否をしたりしないけれど、その代わりに特別な主人を求めたりしないのだ。

つまり、キッチンでコーヒーやトーストを頼むように人と関わっている僕を、愛してくれる人など誰もいないということだ。

そして厄介なのは理解はしていても未だに僕はそれを止められないでいる。


話しをもとに戻そう。

それは秋というには少し寒く、冬というには少し暖かい11月の終わりだった。

4か月ぶりに僕はまた泉を食事に誘った。

それは格別に意味をもたない誘いだった。

例により、僕はそのとき"横浜のビュッフェ・レストランに食事に付き合ってくれる女の子"を求めていただけだったのだ。

しかし、横浜駅に現れた彼女はなぜかとても素敵だった。

なにがそう魅せたのかは、やはりよく分からない。

いや・・・そうじゃない。

僕はもうそのときには感じていたのかもしれない。

冷たい深海で啜り泣くように小さな、彼女の助けを求める声を。

だから僕は食事のあとで自然に彼女を部屋に誘えたのかもしれない。

だって僕は本来そんなこと器用にできないのだ。

僕はおそらくそういう男なのだ。





























    
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