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19 SEE YOU AGAIN
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「やあ」
お面の下の顔も、ストロベリー・クリームまみれだったので、所々判別しづらくはなっているものの、毎日見ている自分の顔が判らないはずがない。
不思議と僕は冷静さを保っていた・・・と思いたかったが、やはりそんなことはなく彼に図星をつかれた。
「そんなに、驚かなくてもいいだろう。話すのが始めてということでもない」
そう、僕は確かに彼とよく話している・・・何らかの着ぐるみを纏った状態の彼と。
しかし・・・。
しかし、それはあくまで僕のよく見る幻覚なのだ。
いや、それは正確な表現ではないだろう。
幻覚であったのでさえ、あの日の一度きりだ。
夕暮れの曾右衛門邸。
竹林が風でざわざわと音と葉を散らす。僕は胡座を組んで縁側で煙草を吹かしている。
泉を失った、最初の日だ。
ディナーの予約がないのは幸いだった。
ランチをよく正気で乗り切ったものだと感心する。
前日、家に帰ってきたのは深夜0時過ぎだった。
眠ることができなかった。
煙草の火を絶やすことができなかった。
ベランダで二人が写っている写真を燃やした。
朝まで所有している映画の思いつく限り残酷なシーンをループして流し続けた。
なぜ自分がそんなことをしているのか理解できなかった。
とにかく、ボロボロの肉体と精神で朝を迎えた。
僕の好きな小説家の言葉に「人間の最大の武器は習慣と信頼だ」というのがある。
きっとこの言葉は正しい。
たぶん、「信頼」という武器をうまく使えなかったことで、僕は瀕死の重症を負った。
しかし「習慣」のおかげでそんな状態でも同じように出勤し、ランチの営業を乗り切った。
やることがなくなると自動的に手が煙草へと伸びる。
空白を埋めるのにも、思考に靄をかけるのも、煙草の煙というのはこれ以上なく適している。
定まらない焦点で眺めている竹林のざわめきが、心なしか先程より大きくなった気がした。
風じゃあない。
動物かな、と思考が働きだしたときには、それは半分以上の姿を現していた。
ところで・・・皆さんはハクビシンをご存知だろうか。
狸やアライグマに似た動物で、自然の残るこの辺りでは、彼らによる被害が多発している。一度だけ曾右衛門邸の営業中に、彼らを間近で見たことがあるが、その姿に不気味な印象を抱いた覚えがある。
悪魔のような巨大な尾と、はっきりそれを獣を認識させる目付き。彼らの最大の特徴は眉間にある白線なのだそうだが、そんなことはどうでもよくなるほどの悍ましさがあった。
竹林から現れたのは、まさにその獣だったのだ。
しかし、そのときの僕はやはり正常ではなかったのだと思う。なぜならそれをハクビシンだと認識しただけで、状況を形成する明らかな異常さを異常だと感じることができなかったからだ。
彼は二足歩行をしていた。
そして、獣臭い息を撒き散らしながら僕に話しかけてきた。
「やあ。随分と酷い表情をしてるじゃあないか」
「やあ・・・初対面で随分と失礼なんだね。
君は顔だけじゃなく全体的に酷いよ。臭うし、毛深いし、無礼だ」
「君だって煙草臭い。昨晩から一体どれほどの量を喫ったんだ?」
「うるさいな。いま、人と話す気分じゃあないんだ。ほうっといてくれないか」
「人じゃあないさ、獣だよ」
そう本人は訴えたが、よく観察すると彼は獣そのものではなく、ハクビシンの毛皮、もしくは精巧に作られた着ぐるみを纏っている人間のようだった。
一体どういう状況なのだろう。
「獣は人の気持ちなんて気にしない。君がどういう状況だろうが、気分だろうが、自分のしたいときにしたいことをする」
「そいつはひどいね」
「老夫婦が長い歳月をかけてやっと実らせた作物だろうが、ようやく結ばれた鼠のカップルの初めて産まれた子供だろうが、襲えるタイミングがあれば喰らう」
「最低だね」
「ねえ、本当に君はそう思うのかい。僕らは本能に従って生きているだけだよ。そして、それをしてるからといって神様に罰を与えられたりはしない。生物として駆逐されたりもしていない。つまり僕らがしていることは普通のことなんだよ」
「それは・・・君が獣だからだよ。人間はちがうさ」
「そうだといいね」
「・・・」
「さて、そろそろ行くよ。あまり長居はできないんだ。いつかまた会う日まで。SEE YOU AGAIN」
彼はそう言い残すと竹林のなかへと消えていった。
一体、今のは何だったのだろう。
彼が消えた瞬間、夕暮れどきだったはずの曾右衛門邸は、急に暗さが増し、闇に包まれ、夜になった。
僕は「習慣」という武器に動かされ、閉店の仕事に取り掛かった。
お面の下の顔も、ストロベリー・クリームまみれだったので、所々判別しづらくはなっているものの、毎日見ている自分の顔が判らないはずがない。
不思議と僕は冷静さを保っていた・・・と思いたかったが、やはりそんなことはなく彼に図星をつかれた。
「そんなに、驚かなくてもいいだろう。話すのが始めてということでもない」
そう、僕は確かに彼とよく話している・・・何らかの着ぐるみを纏った状態の彼と。
しかし・・・。
しかし、それはあくまで僕のよく見る幻覚なのだ。
いや、それは正確な表現ではないだろう。
幻覚であったのでさえ、あの日の一度きりだ。
夕暮れの曾右衛門邸。
竹林が風でざわざわと音と葉を散らす。僕は胡座を組んで縁側で煙草を吹かしている。
泉を失った、最初の日だ。
ディナーの予約がないのは幸いだった。
ランチをよく正気で乗り切ったものだと感心する。
前日、家に帰ってきたのは深夜0時過ぎだった。
眠ることができなかった。
煙草の火を絶やすことができなかった。
ベランダで二人が写っている写真を燃やした。
朝まで所有している映画の思いつく限り残酷なシーンをループして流し続けた。
なぜ自分がそんなことをしているのか理解できなかった。
とにかく、ボロボロの肉体と精神で朝を迎えた。
僕の好きな小説家の言葉に「人間の最大の武器は習慣と信頼だ」というのがある。
きっとこの言葉は正しい。
たぶん、「信頼」という武器をうまく使えなかったことで、僕は瀕死の重症を負った。
しかし「習慣」のおかげでそんな状態でも同じように出勤し、ランチの営業を乗り切った。
やることがなくなると自動的に手が煙草へと伸びる。
空白を埋めるのにも、思考に靄をかけるのも、煙草の煙というのはこれ以上なく適している。
定まらない焦点で眺めている竹林のざわめきが、心なしか先程より大きくなった気がした。
風じゃあない。
動物かな、と思考が働きだしたときには、それは半分以上の姿を現していた。
ところで・・・皆さんはハクビシンをご存知だろうか。
狸やアライグマに似た動物で、自然の残るこの辺りでは、彼らによる被害が多発している。一度だけ曾右衛門邸の営業中に、彼らを間近で見たことがあるが、その姿に不気味な印象を抱いた覚えがある。
悪魔のような巨大な尾と、はっきりそれを獣を認識させる目付き。彼らの最大の特徴は眉間にある白線なのだそうだが、そんなことはどうでもよくなるほどの悍ましさがあった。
竹林から現れたのは、まさにその獣だったのだ。
しかし、そのときの僕はやはり正常ではなかったのだと思う。なぜならそれをハクビシンだと認識しただけで、状況を形成する明らかな異常さを異常だと感じることができなかったからだ。
彼は二足歩行をしていた。
そして、獣臭い息を撒き散らしながら僕に話しかけてきた。
「やあ。随分と酷い表情をしてるじゃあないか」
「やあ・・・初対面で随分と失礼なんだね。
君は顔だけじゃなく全体的に酷いよ。臭うし、毛深いし、無礼だ」
「君だって煙草臭い。昨晩から一体どれほどの量を喫ったんだ?」
「うるさいな。いま、人と話す気分じゃあないんだ。ほうっといてくれないか」
「人じゃあないさ、獣だよ」
そう本人は訴えたが、よく観察すると彼は獣そのものではなく、ハクビシンの毛皮、もしくは精巧に作られた着ぐるみを纏っている人間のようだった。
一体どういう状況なのだろう。
「獣は人の気持ちなんて気にしない。君がどういう状況だろうが、気分だろうが、自分のしたいときにしたいことをする」
「そいつはひどいね」
「老夫婦が長い歳月をかけてやっと実らせた作物だろうが、ようやく結ばれた鼠のカップルの初めて産まれた子供だろうが、襲えるタイミングがあれば喰らう」
「最低だね」
「ねえ、本当に君はそう思うのかい。僕らは本能に従って生きているだけだよ。そして、それをしてるからといって神様に罰を与えられたりはしない。生物として駆逐されたりもしていない。つまり僕らがしていることは普通のことなんだよ」
「それは・・・君が獣だからだよ。人間はちがうさ」
「そうだといいね」
「・・・」
「さて、そろそろ行くよ。あまり長居はできないんだ。いつかまた会う日まで。SEE YOU AGAIN」
彼はそう言い残すと竹林のなかへと消えていった。
一体、今のは何だったのだろう。
彼が消えた瞬間、夕暮れどきだったはずの曾右衛門邸は、急に暗さが増し、闇に包まれ、夜になった。
僕は「習慣」という武器に動かされ、閉店の仕事に取り掛かった。
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