20 / 22
20 “歯車“という小説を知っているかい
しおりを挟む
彼はそれ以来、僕の前に現れることはなかった。そう、今このときまでは。
僕は曾右衛門邸の縁側で彼と話したあと、とても奇妙な感覚に襲われた。
精神が崩壊したのかと思うようなこのうえなく怪しい体験をし、彼は慰めの言葉をかけてきたわけでもなく、一方的に好き勝手に喋りかけてきただけだったというのに、そのあと僕の心は急速に平静と安定を取り戻していったのだ。
理由はよくわからないが、「彼」の何かしらが作用し、僕の心に影響を与えたことには間違いなかった。
そして、それから僕は混乱する度に「彼」を求めるようになった。
自らの脳内に獣の着ぐるみを纏った彼の姿を造りだし、自分自身と仮想の対話をさせるようになった。
僕の出す"答え"はいつしか二人の対話から導き出される結論になっていた。
しかし、僕ははっきりと理解はしていたはずなのだ。
所詮、僕は「僕」なのだ、それは一種の独り遊びなのだと・・・。
それが一体どうしてこんなことになったのか。
「一体、どうしてこんなことになったんだ?」
僕は声に出し、質問をしていた。
「何が目的なんだ?」
「僕にだって分からない。目的も特にない。芥川龍之介の“歯車“という小説を知っているかい。ドッペルゲンガーについて書かれている。それによれば僕のような存在が現れると、君は不幸になったりするらしいけどね」
彼はニコリともせずに言った。
「ルナさんや皆に何をしたんだ?」
僕は堪らず一番気になっていることを聞いた。
「何もしちゃいないさ。酔っ払った桃花が、ロウソクの火を消すときに手についたストロベリー・クリームをふざけて竜太郎のほっぺにつけたんだ。それを見てたらなんか面白くなってきちゃって、後ろから思いっきり彼女の顔面にクリームを塗りたくってやった。そしたら、それを合図にケーキの投げ合いが始まったんだ」
僕は目の前が暗くなってきた。
「それで、ほっぺにクリームがついたルナさんがなんか困惑している顔をしてたから、可愛くなってクリームを舐めとってやった。それだけだよ」
「・・・芥川龍之介は最期に随分とまともな小説を書いたんだね。君のおかげでもうだいぶ不幸だよ」
僕は投げやりになってぼやいた。
「なんでさ?」
彼が心底不思議そうな顔でいう。
「みんな、ケーキのドッジボールがやれて楽しそうだったぜ。ルナさんだってきっと照れてただけで怒っちゃいなかったさ」
僕はさっき会ったみんなの態度を思い出してみる。そしてまた混乱する。
「・・・とにかく、勝手なことをしないでくれ。どうすれば君は消える?」
「僕が知るわけがないし、知ってても教えるわけがない。強いて云うならすべては君次第ということさ」
「僕次第?」
「そうさ。さて、君に従う気はまったくないけど、同じ顔の人物が二人いるのが露見したら、大騒ぎになって僕も自由に動けなくなってしまう。また、そのうちに」
彼はそう言い残すと、バスルームへと消えていった。
独りになった僕はベッドへ倒れこんだ。
甘ったるく噎せかえるような、ストロベリー・クリームの香りが僕のシーツに染み込んで、それが幻覚でなかったことを思い返させる。
もう、夜明けだ・・・僕はゆっくりと目を閉じた。
僕は曾右衛門邸の縁側で彼と話したあと、とても奇妙な感覚に襲われた。
精神が崩壊したのかと思うようなこのうえなく怪しい体験をし、彼は慰めの言葉をかけてきたわけでもなく、一方的に好き勝手に喋りかけてきただけだったというのに、そのあと僕の心は急速に平静と安定を取り戻していったのだ。
理由はよくわからないが、「彼」の何かしらが作用し、僕の心に影響を与えたことには間違いなかった。
そして、それから僕は混乱する度に「彼」を求めるようになった。
自らの脳内に獣の着ぐるみを纏った彼の姿を造りだし、自分自身と仮想の対話をさせるようになった。
僕の出す"答え"はいつしか二人の対話から導き出される結論になっていた。
しかし、僕ははっきりと理解はしていたはずなのだ。
所詮、僕は「僕」なのだ、それは一種の独り遊びなのだと・・・。
それが一体どうしてこんなことになったのか。
「一体、どうしてこんなことになったんだ?」
僕は声に出し、質問をしていた。
「何が目的なんだ?」
「僕にだって分からない。目的も特にない。芥川龍之介の“歯車“という小説を知っているかい。ドッペルゲンガーについて書かれている。それによれば僕のような存在が現れると、君は不幸になったりするらしいけどね」
彼はニコリともせずに言った。
「ルナさんや皆に何をしたんだ?」
僕は堪らず一番気になっていることを聞いた。
「何もしちゃいないさ。酔っ払った桃花が、ロウソクの火を消すときに手についたストロベリー・クリームをふざけて竜太郎のほっぺにつけたんだ。それを見てたらなんか面白くなってきちゃって、後ろから思いっきり彼女の顔面にクリームを塗りたくってやった。そしたら、それを合図にケーキの投げ合いが始まったんだ」
僕は目の前が暗くなってきた。
「それで、ほっぺにクリームがついたルナさんがなんか困惑している顔をしてたから、可愛くなってクリームを舐めとってやった。それだけだよ」
「・・・芥川龍之介は最期に随分とまともな小説を書いたんだね。君のおかげでもうだいぶ不幸だよ」
僕は投げやりになってぼやいた。
「なんでさ?」
彼が心底不思議そうな顔でいう。
「みんな、ケーキのドッジボールがやれて楽しそうだったぜ。ルナさんだってきっと照れてただけで怒っちゃいなかったさ」
僕はさっき会ったみんなの態度を思い出してみる。そしてまた混乱する。
「・・・とにかく、勝手なことをしないでくれ。どうすれば君は消える?」
「僕が知るわけがないし、知ってても教えるわけがない。強いて云うならすべては君次第ということさ」
「僕次第?」
「そうさ。さて、君に従う気はまったくないけど、同じ顔の人物が二人いるのが露見したら、大騒ぎになって僕も自由に動けなくなってしまう。また、そのうちに」
彼はそう言い残すと、バスルームへと消えていった。
独りになった僕はベッドへ倒れこんだ。
甘ったるく噎せかえるような、ストロベリー・クリームの香りが僕のシーツに染み込んで、それが幻覚でなかったことを思い返させる。
もう、夜明けだ・・・僕はゆっくりと目を閉じた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる