水彩画の名前にちなんで

松藤 四十二

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ボスコ「ブルーノと共に」

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 ブルーノという同室のバックパッカーは、いつも赤ら顔だった。酒に酔い、陰気な顔は見たことがない。誰とでも話し、誰かと話したがっていた。
「この世には、いくつものボスコがある」
 ブルーノは突然にそう言った。
 声をかけられたアジア人の彼は、二段ベッドの上段で本を読んでいた。初対面の挨拶以来のコミュニケーションだった。
「どこと、どこに? それはなんだ?」
 母国語から目を離し、拙い英語で彼は聞いた。
「イタリアにもあるし、俺の国にもボスコというレストランがある。たぶん、きみの国にもあるよ。ボスコが」
 彼は頷き、二個目の質問の答えを待った。
「で、そのボスコだけど、ただの地名だよ。貴族か、何かの言葉の転移か、そもそも意味がないか、何もわからないけど昔から、そんな理由で付けられた地名。もしくは、それにちなんだ何かの名前だ」
「で、それがどうしたの?」
 友だちでもない、一期一会の同室者がいきなり声をかけてくるなんて、それこそ理由があるのだろうと彼は思った。
「ここでもボスコを見つけたんだ」
「はぁ」
「だから、行ってみないか?」
「きみは、さけによっていて、いまはよるだけど?」
「見つけたんだよ。この前の道を西に真っ直ぐ行って、でかい椰子の木の生えた家を左に曲がって、しばらくすると右にあるんだ。ボスコが」
 彼は眉を顰め、困惑を隠さなかった。
「ボスコってなんだ。なにをみたんだ?」
「ボスコはボスコだよ。看板にボスコって書いてあるからさ」
 彼は首を振り、別の物語へ視線を落とした。
「俺は行くよ。そして、なんで本なんて読んでるんだよ。ここはお前の国じゃないんだぜ?」
 そう言うと、ブルーノは出ていった。彼は気にせず、そのまま本を読み、眠くなった頃に寝た。

 翌朝、彼が目覚めてもベッドの下の段は空だった。荷物もなく、ブルーノが帰ってきていないことがわかった。
 夜を楽しんだのか、それとも事件か事故に巻き込まれたのか。彼は不安に思ったが、それを確認する術はない。
 彼は宿を出て、目の前を道路を渡ったところにある、日焼けした腕のようなサンドイッチを出す店に入った。
 小麦肌の恰幅のいい六十代のおばあさんに、ハムサンドを頼み、練乳の入ったコーヒーを頼んだ。
 外のテーブル席に座ると、程よい冷たさの風が彼を包んだ。
 サンドイッチが来ると、彼はかぶりつき、コーヒーを飲んだ。
 それを見ていたおばあさんが現地の言葉で、何かを言って、彼はただ微笑んだ。
 そういえば、と思い彼はボスコとブルーノについて聞いてみた。
「ボスコというみせしらないか。ブルーノというおとこがいった」
 おばあさんは、首を横に振った。そして、ボスコという単語の入ったセンテンスを口に出し、店の中へ戻った。
 知らないのか、危険な場所なのか、彼にはわからなかった。しかし、なんとなく、行ってみようと考えた。ブルーノのことが、気になった。
 彼は教えてもらった通りに西へ歩き、大きな椰子の木のある家を左に曲がった。しばらく歩くと、シャッターの降りた建物に人が寄りかかって座っているのが見えた。近づくと、それがブルーノで、近くの看板に青い文字でボスコと書かれているのもわかった。一緒に、三つの山々が描かれていた。
「だいじょうぶか?」
 彼はブルーノを揺さぶった。すると、眩しそうに目を開けて、顔を手で洗うように拭いた。
「大丈夫。大丈夫。寝てただけ」
「なにしてたんだ?」
「ボスコに行ってたのさ。ここだよ、ここがボスコだ」
 彼は親指を立てて、後ろのシャッターを指差した。
「わかる。なにがあった?」
「ボスコは凄い場所だ。何があったって、すげよ。これを見てくれ」
 ブルーノは、そう言って立ち上がり、ポケットからくしゃくしゃ地図を出して、広げた。この辺りの地図のようだった。
「いろんなやつに聞いたが、この辺りや、この街には、まだ他のボスコがあるみたいだ。確認したのは三つ。ここと、ここと、ここ。そして、俺は気付いた」
「なにを?」
「このボスコと、このボスコと、ここのボスコを線で繋げると、きれいな二等辺三角形になる」
「それが?」
「そして、その三角形の真ん中には何があると思う?」
 彼は首を振った。
「ボスコだ。きっと、ここのボスコはすごいボスコだ」
 彼は頭を振った。もしかしたら、薬でやられている男を心配していたのかもしれないと思った。
「俺はとにかく、他のボスコにも行ってみる」
「ボスコになにがあるんだ?」
「行ってみればわかる。お前も来い」
 彼は首を振った。
「来るんだ。本の中には、何もない。ボスコには、ある。お前が欲しているものが。海外に何をしにきたんだ。愛国心を探しに来たのか? 違うだろ?」
「くすりはやらない」
「違う。俺も薬なんてやらない。とにかく、来るんだ。いや、行くんだ。ボスコへ。一人でもいい。ボスコへ行くんだ。もしくは、誰かと、行くんだ。俺でも、誰でも、とにかく、ボスコへ」
 熱く語るブルーノの言葉に引っ張られたのか、彼の心が僅かに動いた。頭の中にあった本が閉じられ、それがスイッチになったのか、扉が開いた感覚があった。
「ボスコへいって、どうするんだ」
 それでも、念の為と、彼は聞いた。
「ボスコで、新しいボスコを探すんだ。その途中に、何かがある」
「きのうのよる、なにがあった?」
 ブルーノは遠くを見ながら、記憶を呼び起こした。
「一枚の絵があって、人がいた。その人と、俺は一晩中話した。その人は物語を話してくれた。酒を飲み、煙草を吸い、たまに筆を取って。一枚の絵は、未完成だった。その続きを、その人はボスコで描くのだと言っていた。そのボスコは世界中に点在していて、今日もどこかのボスコで、その人は描いている。その人は一人ではなくて、他にもいる。とにかく、絵を描いて、話を聞いたり、話したりする。俺は一人だが、一人じゃないと思う」
 ブルーノのが何を言っているのか、わからない。ただ、ボスコに何があるのか、彼は確かめたいと思った。
「きけんだとおもったら、にげるからな」
「それでいい。俺はのめり込むから、きみは冷静にボスコを見ていてくれ。そこに何もなかったのなら、それはそれでいい」
 彼は頷いた。そして、二人はボスコへと向かった。
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