秘密と自殺と片想い

松藤 四十弐

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宵月と香月君と紅根と友達

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「自殺した同級生のこと知ってる?」
 俺がそう宵月に聞いたのは、十二月三十日のことだった。両親ともに年末年始とお盆は忙しいという彼女の家には、俺と宵月の二人しかいなかった。
 ベッドにもたれ、こたつに並んで入っている俺たちは、外から見えればとても中の良いカップルに見えるだろう。だが、彼女にとって俺は動くアクセサリーであり、俺にとって彼女は外見のいい女体でしかなかった。もちろんお互いにそんな本音を出すことはない。いや、彼女が俺をアクセサリーだと思っているというのは、俺の想像でしかない。もしかしたら、本当に俺を好きなのかもしれない。そして彼女も、俺が本当に彼女を好きだと思っているのかもしれない。もし、俺の想像が本当だとして、それをお互いに声に出したらどうなるだろうか。……なんとなくだが、一気に白けた関係になる気がする。台本を読みながら芝居をするのは、誰にとっても面白くないだろう。
 宵月は、一瞬、目を丸くしてこちらを見た。そして、テーブルに置かれた紅茶をじっと見つめた。
 俺は、彼女の言葉を待った。部屋の空気は少し変わったが、時が止まったかのような印象はない。
「うん……知ってる」宵月は優しく言った。
 知ってるか。なるほど。君とあいつは繋がっているのか。それは、ただの同級生としてか、それとももっと深い関係があるのか。
 俺は性的衝動とは違う興奮を覚えていた。
 「この前、あれ見てさ」俺は本棚にある卒業アルバムを指差した。「一緒の中学だったんだなって」
「うん」
「俺たち友達だったんだ。あいつがいなくなってから、高校がつまらなくなったよ。……なんであいつ死んだのかな」
「分からない」宵月は首を振った。「私たち、そこそこ仲は良かったんだよ。でも、高校に入って、夏休みが終わったらメールの返事が返ってこなくなったの」
 たしか香月君も同じようなことを言っていたな。
「あいつと仲良かったんだ。意外だな」
「どうして?」
「だって、あいつ、仲のいい女の子いそうになかったから」
「うん。あんまりいなかったかも。私くらいだったかなあ……。一年の頃、一緒でね。日直が一緒だったり、班が一緒だったり、優しくしてくれたから」
 一年の頃、一緒だったか。香月君と同じか。
「みんなの前ではあんまり話さなかったけど、結構メールとかしてたんだよ」
「今もまだメール残ってるの?」
 宵月は首を振った。
「携帯変えたから、もうないの」
 俺は部屋にある大きな二つの本棚を見た。ハードカバーとたくさんの文庫本がそこに収まっていた。
「あ、そうだ」宵月は何かを思い出したかのように、こたつから出た。「小説貸してあげる」
「うん」と俺は言ったが、読みたくはなかった。文章は日記だけで十分だ。
 宵月は本棚の前にいくと、膝立ちになった。今日は、彼女が好むスカートではなく、ジーンズを履いていた。
「読みやすいので頼むよ」
「うん。でも、ヒロは難しいのでも読めるよ。頭良いし」
 ヒロくんから、ヒロに格上げかい? それとも君の支配下に登録されたのかな。
「あいつにも何か本は薦めたの?」
 少しだけ部屋から音が消えた。外の世界からもタイミングよく何も聞こえない。宵月は手を動かしながら、何かを考えているように見えた。
「ううん。……あまり興味なさそうだったし、何も」
 確かに友達は本に興味がなさそうだった。部屋にも新しい三冊の文庫本と教科書以外に本らしきものはなかった。友達はどうやって、あの三冊の小説の情報を得たのだろう。
「ヒロはミステリ小説好き?」
「ああ、たぶん。でも読んだことないや」
「じゃあ、短編集がいいかな」
 俺は部屋の時計を見た。午後2時を少し過ぎたところだった。
 宵月が本を持って戻ってくると、俺はそれを受け取り、パラパラとめくった。文庫本をいくらめくっても出てくるのは文字ばかりだった。つまり、俺は他のことがしたいのだ。
 部屋はほんのりと温かい。こたつの熱気が外に漏れているのか、人間が二人いるとこんなにも温かいのか。
「ちょっと横になっていい」
「えー」
「昼寝がしたいんだよ。ただそれだけ」
 じゃあいいよと、宵月は俺の肩を叩いた。
 俺は彼女のベッドに潜り、目を閉じた。だが本当は眠くなんてなかった。ただ友達のことを考えたかった。
 宵月と友達の関係が少しだけ分かったが、それが何に繋がるのか、または何にも繋がらないのか分からない。香月君と宵月、そして友達は三角関係にはならない。なぜなら紅根がいるからだ。では、四角関係にはなるだろうか。なったら、それが何なのだ。四人の間に何かトラブルがあったとは思えない。紅根は宵月のことがあまり好きではないようだったが、憎いと思うほど深い付き合いではないような気がする。
 トラブルといえば、夏休みが終わってからのことがあったな。香月君と宵月はそのあたりから友達からメールが返ってこなくなったと言っていた。俺はどうだろうか。そんなことはない。彼が死ぬまで、メールは届き、返ってきた。では、友達が意図的に宵月と香月君との関係を絶ったのだろうか。……何のために? そしてなぜ?
 俺の左腕に柔らかいものが当たった。同時に違う空気が布団の中に入ってきた。
「私も眠くなってきた」
 宵月はそういって、俺に体を押し付けた。人がゆっくりと考え事をしているときには、とても邪魔な体だ。
 俺は彼女を抱き寄せ、横向きになった。彼女も横向きになり、俺の胸に背中を当てた。俺は手をお腹にまわした。
 ふと、元彼女のことが頭をよぎった。彼女はいま何をしているのだろうか。誰かとデートでもしているのだろうか。いや、まさか。おそらく夏目冬子たちと遊んでいるのではないだろうか。きっとそうに違いない。黒い毛先がくるりと天然パーマで、猫のような彼女。
 そんなことを考えていると、自然に眠気が襲ってきた。宵月の柔らかい匂いと共に、俺は夢の中へと吸い込まれていった。

 こたつのテーブルの上で何か鳴っている。ああ、これは携帯電話の呼び出し音だ。俺のか、それとも宵月のものか。
窓の外が薄暗くなっている。今は四時か、四時半くらいだろうか。
 俺は宵月を起こさないように、ゆっくりとベッドから降りた。そして、こたつテーブルの上で鳴っている俺の携帯電話をとった。どうやら紅根からの電話のようだ。
 とるべきか、とらざるべきか。そんなことを考えたのは「もしもし」と言ったあとだった。
「あ、寝てた?」
 紅根の声はいつものように聞きやすい。
「ああ……でも大丈夫」
「進展は?」
「進……」ああ、理由のことか。「あったといえばあったな。でも、何も分からないままだよ。本と……」
「本と?」
「いや、また後で電話する」
俺はちらりと宵月を見た。寝ているようだが、あれこれ聞かれては困る。
「電話って何時頃?」
 こいつも随分と焦っているんだな。なぜだ?
「……なぁ、何をそんなに焦ってるんだ?」
「焦ってるって?」
「進展のことさ」俺はテーブルに肘をつけ、宵月の寝顔を見ながら小声で言った。「こう言っちゃ何だが、いくら早く突きとめても、誰が助かるわけでもない。俺たちはもう……助けられない」
「そうでもないと思う」紅根はきっぱりと言った。「少なくとも私は助かる。彼の死の理由を知れば、私は……」
 紅根の声が少し震えた気がした。
「私は?」
「知りたいの。早く。色褪せさせたくないの、彼を」
 だが、時間は何もかも色褪せさせるじゃないか。
「強烈な記憶として残したいの」紅根は続けた。
「強烈な?」
「もっと、激しくて、色鮮やかで、死ぬまでずっと頭の片隅に残って」
 そんなことをすれば、苦しむのは君だろう。どうした、紅根。
「連織君」
「なに?」
「私、彼を本当に愛してるの。彼がどんなふうになっても愛してるの」
 愛してる。高校生の使っていい言葉だろうか。俺にはよく分からない。他の言葉に変えられるような気がしてならない。
「だから」
「だから?」
「だから、早く! だから早く、彼の全てを教えてよ!」
 紅根はそう叫んで、電話を切った。俺はというと耳から携帯電話を離さずに、宵月を見ていた。
 紅根の叫びを聞いても、俺は恐ろしくならなかった。驚いたといえば、驚いたが、心臓を掴まれはしなかった。ただ、誰もが何かを抱えているのだなと、少し悲しくなった。そして、それが好意を持っている人だというのが、俺の義務感を揺さぶった。
 俺はベッドに移動して、宵月の頭を撫でた。
「実季。聞きたいことがある」宵月に反応はない。「なぁ、実季。お願いだ。俺の友達を助けてくれ。起きてるんだろ?」
 宵月が薄く目を開けた。瞬きは一度しかしなかった。
「うーん。どうしたの?」
 彼女には、嫌なところをさらけ出してもらわなければならない。俺に、それをさせることができるだろうか。
「紅根って知ってるか?」
「紅根? ……紅根さん?」
「そう。中学の頃同級生だったろ。体が少し大きい」
「あー、うん。体は少しじゃなくて、かなり大きかったけど。それがどうしたの?」
 俺はどこから、どう話を繋げればいいか考えた。だが、いい順序が浮かばない。
「あいつと、死んだあいつと紅根は仲良かった?」
「えー、ううん。よく知らない。紅根さんの話したことないかも」
「じゃあ、あいつが香月君と仲が良かったの知ってる?」
 少し間が出来た。だが宵月は目線を外さずに俺を見ていた。
「……うーん、知らないなぁ」
 香月君が誰なのか聞かないということは、君はやっぱり香月君を知っているわけだ。
「香月君と君はどういう関係だったの?」
 宵月の瞳が少し大きくなった。
「……どういうこと?」
「そのままの意味だよ」
「紅根さんから聞いたの?」
「何を?」
「……何かを」
 俺は首を振った。
「正直に教えてくれ。それで君を嫌いになったりしない。俺は君を愛している。俺は何があっても、君と別れたくない」
 もちろん嘘だが。
「愛してるって」と宵月は軽く笑った。
 そして、起き上がり、ベッドの上に座った。
「逆に、教えて。私の何を知っているの?」
「君はとても可愛い。そして可愛らしい。加えて、美人だ。趣味が読書で、俺とは違う高校に通っている。あいつとわりと仲が良かった。……それだけだよ」
「じゃあ、なんでそこに、香月君が出てくるの?」
「俺は香月君を知っている。そして、俺は彼に君のことを聞いたことがある。通っている高校に、とても可愛い。そして可愛らしい。美人な女の子がいないかって。でも、彼は教えてくれなかった。知らないと嘘を吐いただけだった。でも、それは不自然な嘘だった。そして、君は俺に『お金を拾ってくれた方ですか?』と聞いてきた。俺はそのことを香月君にしか話していない」
「それで?」
「そこで俺は彼と君が知り合いだと確信した。そして、彼が君のことを好きなんだろうなとも思った。……でも、どんな関係だったかは知らない。だから教えて欲しい」
「ただの友達だけど」
「本当に?」
「本当に」
 俺はまだ踏み込まなければならないのだろうか。できるなら、何も起きて欲しくないが。
「じゃあ、俺がこのことを香月君に聞いても問題ないわけだね」
「……何? 何か怒ってる?」
 俺はちっとも怒っていない。言葉に感情がこもっているのは君の方だろう。
「いや、ただ俺は知りたい」
「何で?」
「あいつからメールの返信が返ってこなくなったのは、夏休みが終わった頃。そのことを俺は、香月君と君から聞いた」
「何? 何なの?」
 彼女から怒気を感じる。俺はそういったものが苦手だ。
「つまり、単刀直入に言うと」ああ、くそ、言うしかないのか。「なぜあいつが自殺をしたのか、俺はその理由を調べている。香月君と君が、それに関係しているんじゃないかと思っている」
 宵月は数十秒、何も言わずにこちらを見ていた。
「……もしかして、そのためにここにいるの?」
 俺は大きく首を振った。
「それは一番の理由じゃない。それが理由だったら、とっくの昔に聞いてる。第一、俺はそんなことで、君と付き合ったりしない。君が好きだから告白した」
「……じゃあ」宵月は少し座る場所をずらした。「なんで今、それを聞いてきたの?」
「……友達を助けてほしいから」
「何? 嫌な夢でも見た?」俺の膝に手を置きながら宵月は言った。
「違う。助けて欲しいのは紅根だ」
「紅根さん?」
「そう」
「なんで?」
 言うしかないのか? でもそれは俺のことではない。紅根のことだ。まだ待とう。
「紅根が助けを求めているからだ」
「紅根さんと彼、何か関係があるの?」
 そうなるよな。やはり言うしかないのか。
「……あいつと紅根は、恋人同士だった」
 宵月はしっかりと俺の目を見ている。俺もその可愛らしい目に吸い込まれそうになりながら、視線を合わせ続けた。俺は、嘘はついていない。そう目で伝えた。
「……それ、本当に?」
「ああ、本当だ」
「彼がそう言ってたの?」
「いや、あいつからは何も聞いてない。紅根から聞いたんだ」
「……へぇ」
 宵月は俺の膝に置いていた手を、腿に持っていった。
「彼と紅根さんが恋人……、ねぇ、それ本当?」
「ああ、俺はそう聞いている」
「それ、本当に本当? 証拠は?」
 証拠……。ああ。
「あいつが死んでから、俺、あいつの家に行ったんだけどさ。部屋を見せてもらったんだよ。紅根も付き合ってた頃に、部屋に行ったことあるみたいで、CDがたくさんあること知ってた。部屋が綺麗に片付いていることもね」
 宵月は何も答えなかった。ただ視線をどこかへ向けて何かを考えているようだった。
 俺は唾を飲んだ。宵月の声が穏やかなものになるよう願った。
「で、香月君と実季の関係だけど」
「……付き合ってたよ」実季は体を俺に寄せた。
「どのくらい付き合ってたの?」
「……うーん」
「どうしたの?」
「ううん、何でもない。たったの四ヶ月間だよ」
「いつ別れたの?」
「えー? うーん。十二月入った頃。あー、うーん。……ごめん。私もヒロと同じくらいのときに彼と別れたの」
「俺と同じ頃?」
 何の話だ?
「うん。私たちが付き合う少し前の話」
 ああ、ああ、確かに言ったな。彼女と別れたという作り話を。しかも、宵月に『私も彼氏と別れたの』と言わせたいがだけのために。
「ああ、すっかり忘れてたよ。……実季に『前見よう』って言われたからな」
 宵月は恥ずかしそうに笑って、俺の腕を叩いた。
「でも、彼と紅根さんが付き合っていたって本当?」
「ああ、本当だよ」
「そう。……意外だな」
「まあね」俺はその言葉に同意した。
 それから俺は一晩だけ宵月の家に泊まり、大晦日の昼前に家へと戻った。そして、背伸びをしながら部屋の椅子に座り、紅根に経過を報告しようと携帯電話を手に取った。紅根は大丈夫だろうか、そう一息つくと、勉強机に置いてある文庫本が目に入った。
 その瞬間、背筋が凍った。そして、心臓が鳴り始め、血が射精するかのように頭に昇っていった。
 これは俺の想像だ。これは俺の妄想だ。そんなこと現実にあってたまるものか。
 だが、もし俺の考えが事実なら……一体誰が、俺の友達に、こんな小説を教えたのだ!
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