32 / 48
鳥取編
しおりを挟む
1993年、夏の終わりの鳥取は、穏やかな海風が街路樹の葉を優しく揺らす季節だった。鳥取砂丘の金色の砂が、午後の陽光にきらめき、遠くから見るとまるで波のようにうねっている。名家・佐藤家の長女、綾子は、そんな砂丘の麓に立つ古い茶屋の縁側に腰を下ろし、扇子で顔を仰いでいた。二十歳を過ぎたばかりの彼女の着物は、白地に淡い青のフリル模様が施され、リボンのような帯飾りが風に軽く舞う。質の良い絹が肌に沿って柔らかく、鳥取の柔らかな日差しを優しく反射していた。「綾子姉さん、遅くなってごめんなさい。父上が急に、茶の湯の稽古を……」駆け寄ってきたのは、佐藤家の次女、美穂。十八歳の彼女は、姉とは対照的に、ピンクのワンピースに白いリボンを腰に巻き、フリルの裾が砂埃を優しく払う。姉妹は鳥取の名家に生まれ、幼い頃からこの砂丘で遊んだ。父は地元の米商人で、末裔を自負し、伝統を重んじる家系だ。だが、1993年の今、鳥取は変わり始めていた。東京から新幹線の話が囁かれ、砂丘の向こうに広がる日本海は、遠い世界の予感を運んでくる。二人は茶屋の主、大吾郎に声をかけられた。三十歳手前の彼は、茶屋の跡取りで、がっしりした体躯に素朴な笑顔が印象的だ。幼馴染みとして、佐藤家と古くからの付き合い。大吾郎の着物は質素だが、袖口の刺繍が細やかで、鳥取の職人らしい手仕事の美しさを湛えている。「お嬢さんたち、いつもの緑茶でいいかい? 砂丘の風が強い日だ、熱いのが体に染みるよ」彼の声は低く、波のように穏やかだった。綾子は扇子を畳み、大吾郎の顔をちらりと見た。幼い頃、彼はいつも砂丘で姉妹を守るように走り回った。あの頃の大吾郎は、ただの遊び相手だったのに、今は違う。綾子の視線に、大吾郎の頰がわずかに赤らむ。「大吾郎さん、最近、米の仕入れで米子まで行ってるんですって? 父上がおっしゃってましたわ。忙しいのに、ありがとうございます」綾子の言葉は柔らかく、フリルの着物のように軽やかだ。彼女の心には、大吾郎の頼もしさが、静かな波のように寄せては返す。美穂は隣で頰を膨らませ、茶碗を手に取った。「大吾郎お兄ちゃん、姉さんばっかり褒めないでよ。私だって、昨日、梨の収穫を手伝ったんだから! 二十世紀梨、今年は甘くて……」彼女の声は明るく、リボンが弾むように揺れる。美穂の目は、大吾郎をまっすぐに見つめ、姉の視線を意識しながらも、負けじと輝く。大吾郎は笑って茶を注ぎ、「美穂ちゃんの梨、俺も食べたよ。砂丘の砂みたいに、さらっと甘いな」と返す。その言葉に、美穂の頰が綾子の扇子のように広がる。三人は縁側に並び、砂丘を眺めた。風が砂を運び、遠くの海が青く輝く。鳥取の空気は、潮の香りと土の匂いが混じり、名家の令嬢たちを優しく包む。大吾郎の話は、米の値上がりや、来年の祭りの準備に移る。綾子は静かに聞き、時折、大吾郎の手に触れそうな距離で茶碗を置く。美穂は身を寄せ、姉の袖のフリルを指でいじりながら、大吾郎の言葉に割り込む。「お兄ちゃん、秋になったら、一緒に砂丘を散策しようよ。星空が見える夜に……」その瞬間、綾子の目がわずかに曇った。姉妹の絆は固いが、大吾郎の存在が、その間に細い糸を張る。大吾郎は二人の視線を感じ、茶碗を置いて立ち上がった。「よし、じゃあ、砂丘を少し歩こうか。風が心地いいよ」彼の背中は広くて、鳥取の大地のように安定している。三人は茶屋を後にし、砂の坂を登る。綾子の着物の裾が砂に触れ、フリルが優しく舞う。美穂のリボンが風に翻り、大吾郎の袖が二人の肩に軽く寄り添う。砂丘の頂で、海が広がった。夕陽が砂を橙に染め、日本海の波が遠くで囁く。綾子は大吾郎の横に立ち、「大吾郎さん、この景色、ずっと変わらないでほしいわ」と呟く。美穂は反対側から手を握り、「私たちも、ずっと一緒に……ね?」大吾郎は二人の手を交互に見、静かに頷いた。「ああ、約束だ。鳥取の砂のように、揺るがないよ」風が三人の髪を乱し、フリルとリボンが絡み合うように舞う。1993年の夏、三角の影はまだ、砂に優しい足跡を残すだけだった。名家の令嬢と茶屋の青年の物語は、鳥取の柔らかな光の中で、静かに息づいていた。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる