逃避行

水叉 直

文字の大きさ
2 / 8

美合にて

しおりを挟む
「降りるか? なんか飯でも食べようや」
 突然目の前に現れた朱音と名乗る女優の鈴木桜花。彼女を後部座席に乗せて車を走らせた男は、「美合」と書かれた看板の立つサービスエリアに車を停めた。太陽が完全に沈み切った中でのサービスエリアの光は、虫だけでなく多くの車を吸い寄せる。
 男が朱音を乗せたのは浜松の海岸通り。高速道路の料金所をくぐったのを見届けて眠った朱音は、男が声をかけた今の今まで、完全に眠り込んでいた。
「どこ?」
 起きたばかりの声とは思えない程、芯の通った声で尋ねる朱音に、男は「美合」という地名を伝えた。
「どこかわかるか?」
「うん、昔ロケで来たことがある。小さな地方のテレビ番組」
 時間の流れすらも越えるほどに遠い目をした朱音は、固まった体をほぐすためか伸びやかに体を捻った。
「あそこにおったのも撮影か何かか?」
 男の雑な言い方でもその場所が特定できるほどに、二人が出会ってからの時間は短い。
「そうね、夏のシーンを撮ってたの。だからこんな格好をしてるってわけ」
 白いワンピースには袖が無く、手元にある麦わら帽子がその季節感の無さに拍車をかけている。
「なるほどな」
「さすがにこの格好じゃ目立つよね。私は車で待ってるよ」
「俺の替えでもいいんやったら着るか? 後ろに積んでるけど」
「えっ?」
 朱音は喉から飛び出そうになった言葉の代わりに唾を飲み込む。
「そうね、お願いしようかしら」
「わかった、ちょっと待っとき」
 男が一度外に出る。そのまま車の後ろへと回ると、バックドアを開いた。
 積んであったキャリーケースから、厚手のパーカーと男物のズボンを取り出して朱音へと手渡す。
「これでいいか?」
 朱音は首を縦に動かし、男から差し出された衣類を受け取る。
「ありがと、しばらく借りるね」
「それは別にいいけど、この車カーテンとか付けてないんよな。どこかトイレで着替えてくるか?」
 そう尋ねる男に朱音は質問を返す。
「周りに人、いる?」
 年末年始の帰省シーズンをとうに過ぎたとはいえ、長距離トラックや夜行バスなど、意外利用する車が多い。
「今はおらんけど」
「そう」
 男の声を合図に、朱音がワンピースの上からパーカーを被る。
「おいおい、ここで着替えんの? 俺、ちょっと先行っとくわ」 
 慌てた男は、開いたままになっていたバックドアを閉めようとする。その動きを朱音の声が止めた。
「待って! サングラスとマスク買っといてくれない? なるべく顔を隠しときたいの」
 話しながらも朱音は既にズボンも掃き終えていた。中に着たワンピースがところどころはみ出している。
「わかったわかった、すぐ戻ってくるわ」
 男はそう言うとバックドアを閉め、建物内に入っているコンビニエンスストアへと向かっていった。
「さすが芸能人様。それも大女優ときたら、こんなサービスエリアで顔をさらすこともできひんか」
 悪態のような賞賛を白い息と共に寒空に吐き出す。土産物屋やフードコートが集まる建物は、ひと際強い輝きを放っていた。
「えーと、サングラスっと。別にどれでもいいよな。後はマスクやな」
 大して迷うことなくマスクとサングラスを手にした男は、その二つを年老いた店員に手渡す。
「おっ、また助っ人外国人いれるんか。今年こそ頼むで」
 天井から吊られたテレビモニターに、男が贔屓にしている球団のスポーツニュースが流れてくる。その画面上部に現れたのは、男にとっていちばん身近なニュースだった。
『ニュース速報。女優の鈴木桜花が失踪』
 事実だけを伝える無機質な白い文字。普段なら一目見ただけで数分後には忘れてしまう男だったが、その時ばかりは画面から目を逸らすことが出来ないでいた。
「千四百二十円です」
 店員が金額を告げる声で我に返る。財布を開いた男は、その大きい口の部分からお札を二枚取り出した。
「これでお願いします」
「はい、ありがとうございます。えーっと、お釣りが五百八十円になります」
 男は手渡されたお釣りをそのままポケットに突っ込むと、品物が入った袋を手に取り素早く体を反転させる。
「何バタバタしてるの?」
「うおっ」
 男が振り向いた先に立っていたのは、まさに先ほど流れてきたテロップの本人だった。朱音はパーカーのフードを深くまで被っている。
「あれを見ろ」
 朱音のフードを更に深く被らせた男は、さっきまでテロップの出ていたテレビを指差す。
「何?」
 朱音が画面を見上げた時にはもうテロップは消えており、画面にはスポーツニュースが流れているだけだった。
「ねえ、何なのよ」
「バカ、あんまりジロジロ見るな」
 男は朱音の袖を引っ張る。
「何よ、あんたが見ろって言ったんじゃない」
 不平を漏らす朱音の言葉には答えず、男はそのまま建物の外へと朱音を連れて行った。
「ねえ、待って。ねえってば!」 
 朱音は男の手を振りほどくと、フードの奥からでも伝わる鋭い眼光で男のことを睨みつける。
「いきなりなんなのよ! 説明してくれないとわからないじゃない! 何? 私のことがニュースになってたりでもしたの?」
 朱音の声がだだっ広い駐車場を駆け巡る。男は朱音の両肩に手を置くと、その目を真っすぐに見返した。
「ああ、ニュースになってた。『鈴木桜花失踪』ってな」
「嘘、そんなわけない。あるはずがない」
「嘘なわけあるか。とりあえず、すぐにここを出るぞ」
 男に手を引かれるままに、今度は朱音もおとなしくついていく。車に戻るやいなや、男は買ったばかりのマスクとサングラスを取り出した。
「これ付けとけ。捕まったら、俺は誘拐犯か?」
 話しながら男は既に車のエンジンをかけている。朱音は未だに信じられないと言った様子で男の声に従い、特に返答することは無かった。二人を乗せた小さな車は、まばゆい光を放つ建物を後にして暗闇の中へと発信する。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる

九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。 ※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。

処理中です...