ZODIAC ORDER the over world 第二部

桂圭人

文字の大きさ
1 / 4

第一章 沈黙胎処理章

しおりを挟む
六恋仏が消えてから、二ヶ月が過ぎていた。
世界は確かに「元に戻りつつ」あった。
ロンドンの街角にはカフェのテラスが戻り、パリのセーヌ川沿いでは画家たちが再びキャンバスを立てている。東京の雑踏も、まるで何事もなかったかのように流れ続けていた。
ただ、一つだけ違うことがあった。
誰も、「あの仏」のことを口にしなくなったのだ。
ベルリン旧市街のアパート。
スコルノは窓辺に立ち、街を見下ろしていた。
午後の柔らかな光が、彼の細い指先を照らす。手にしているのは十九世紀の詩集。彼は古書修復師として、こうした傷んだ本を蘇らせる仕事をしていた。

「……今日も、静かだ」

呟いた瞬間、胸の奥に微かな痛みが走る。
最近、よくあることだった。医者には行っていない。行く理由がない。これは身体の病ではないと、彼自身が分かっていた。
それは別の何か。
三年間、胸の奥に閉じ込めてきた“何か”が、限界に近づいているという警告だった。
部屋は質素だった。
整然と並ぶ修復道具。壁一面の本棚。そして机の引き出しの奥には、一枚の写真がしまわれている。
少し照れたように笑う若い女性。
スコリス──彼の妹だ。
暗部〈星影回廊〉に入る前、最後に一緒に撮った写真だった。

「……スコリス」

彼は引き出しを開け、写真を取り出す。

「お前は、ちゃんと消えたのか?」

妹がゾディアックオーダーに属していたこと。六恋仏との戦いで重要な役割を果たしたこと。そして、おそらくはもういないこと。
それらは知っている。だが、確証だけがなかった。
オーダーからの連絡はない。死は公表されず、ただ手紙が来なくなっただけだ。

「約束通りだな。何も語らない、って約束」

写真を胸に当てた、その瞬間──
鋭い痛みが胸骨の裏側を掻きむしった。

「……くっ」

作業台に手をつき、浅く息を吐く。
窓の外では、夕暮れが街を染め始めていた。
同時刻。
ゾディアックオーダー本部、地下三百メートル。
セイ=モクマは、監視室の暗闇でスクリーンを見つめていた。
無数の感情波動グラフが流れる中、一つだけ異常な波形が脈打っている。

「対象No.4376。感情凝縮度、89%」

声は無機質だった。

「卵形成カウント、71時間経過。残り一時間以内」

スクリーンに映るのは、スコルノのアパート。
個人情報、行動履歴、健康データが淡々と並ぶ。
モクマの視線が一行で止まった。

〈関係者:スコリス(蠍座・故人)/続柄:実妹〉

「……スコリスの兄か」

眉が、わずかに動く。
六恋仏事件の報告書は読み込んでいた。スコリスの役割。彼女の中に残った「余韻」。そして、誰にも語られなかった兄の存在。

「妹が沈黙を選び、兄もまた沈黙を選んだ」

モクマは立ち上がる。
黒いコートが静かに揺れた。装備は最小限。短剣《サイレント・ファング》、感情抑制剤、概念固定器。

「処理条件。胸腔内破壊可能時間まで、残り58分」

彼は監視室を出た。
この任務は記録に残らない。詳細を知る者は、上層部でも三人だけだ。
廊下ですれ違ったリブリウスが、足を止める。

「モクマか」

「……」

軽く会釈し、歩みを止めない。

「また、出るのか?」

「任務です」

「そうか……気をつけろ」

言葉を飲み込み、リブリウスは背中を見送った。
地下駐車場へ向かうエレベーターの中。
モクマは自分の胸に手を当てる。
微かな違和感。だが、無視する。
処理者は他者を処理する存在だ。自分の問題は、最後でいい。

「対象No.4376……スコルノ」

呟く。

「君の沈黙は、もう限界だ」

日没直後。
スコルノのアパート前。
モクマは影から現れ、ドアの前に立つと、そのまま闇に溶けた。
次の瞬間、室内にいる。

「──!」

振り返ったスコルノは、一瞬の驚きのあと、すぐに理解した表情になる。

「……来たんですね」

「ああ」

「ゾディアックオーダーの方でしょう。妹の」

「私は直属ではない」

一歩、距離を詰める。

「へびつかい座処理者、セイ=モクマだ」

「十三番目……」

「表には出ない星だ」

スコルノの手が胸に触れる。

「痛みは?」

「……あります」

「胸骨の裏。鋭い痛み」

息が止まる。

「あなたの中に『卵』が育っています。語られなかった恋愛感情が凝縮した、沈黙胎です」

スコルノの顔色が変わる。

「……妹です」

かすれた声。

「守れなかった。何もできなかった」

涙が落ちる。

「それが愛ですか?」

「分かりません。でも……彼女が、すべてでした」

彼は手紙を差し出した。
そこには、スコリスの筆跡。

『兄さん、もし私が何かを生み出してしまったら
あなたが処理してくれるよね』

モクマの胸が、わずかに疼く。

「……時間がない」

「お願いします」

スコルノは背を向けた。

「妹に……会えるなら」

一閃。
《サイレント・ファング》が胸腔を貫き、硬質な破壊音が響く。
卵は砕かれ、概念は分解された。
同時に、心臓が止まる。
スコルノの表情は穏やかだった。

「……会えたか」

呟き、モクマは遺体を静かに横たえる。
写真を一枚、内ポケットにしまう。

「沈黙を選んだな。二人とも」

夜の街を歩きながら、モクマは胸に手を当てる。
疼きは、確かにある。

「……私も、いつか」

端末が振動する。
〈新規対象検出〉
彼は画面を消した。
仕事は終わらない。
沈黙が選ばれる限り、卵は生まれる。
報告書を送信し、椅子に沈み込む。
写真を見る。

「どうして、笑える」

自分の引き出しには、語られない記憶がある。
彼は開けなかった。
朝の街、カフェの窓越しに、恋人たちが笑っている。
モクマは目を逸らし、歩き出す。沈黙を殺す者は、声を上げない。
朝日が、彼の影を長く伸ばす。
孤独で、真っ直ぐな影。
彼は多くの卵を砕いた。次に砕くべきは、自分の中のそれかもしれないと、初めて悟った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...