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37.不甲斐ない
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ショコラ公爵邸へ帰還したアントワーヌは、すぐにジョゼフとシャルロットへの面会を申し込んだ。いつもの家族の談話室ではなく応接室で話をすることになったのは、正式な報告をするという体裁を整えるためだろう。
少人数用の応接室でアントワーヌとフロレルは、ジョゼフとシャルロットの対面に座り、伴侶となり番となる約束をしたことを報告した。
「まあまあ、フロレルとアントワーヌが婚姻を結ぶことになってうれしいわ。おめでとう」
「ふむ、お互いの了承があるのならこれ以上のことはない。婚礼は1年程度後になるかな。佳き日を選ぼう」
「お父様、お母様、ありがとうございます」
「ありがとうございます。義父上、義母上」
シャルロットとジョゼフの笑顔には、フロレルとアントワーヌが結ばれることの喜びが見て取れる。もっとも、ジョゼフの腹の中には、喜びの気持ちとはまた別のものがあるのだが、アントワーヌはそれに気づかないふりをして笑顔を返した。
晩餐の後、アントワーヌはジョゼフと談話室で向かい合って話をしていた。
「婚姻の約束までは、無事にできたようだな」
「はい、喜びで胸がいっぱいです」
「胸がいっぱいか……。しかし、アルファとしては足りないものがあるのではないか?」
「それは……」
ジョゼフはアントワーヌに意味ありげな笑みを向けると、コーヒーを口にした。アントワーヌはジョゼフが発した「アルファとしては足りないもの」と言う言葉に眉を寄せた。
ジョゼフは、アントワーヌのその表情を見て留飲を下げる。
ジョゼフ自身は可愛い息子のフロレルが、アントワーヌと婚姻を結ぶことに異論はない。むしろ、アントワーヌこそが、オメガのフロレルをこの世で最も大切にしてくれるアルファだと思っている。
しかしフロレルが大切にされるのは当然として、そこに幸せになってほしいという願いが積み重なるのはジョゼフにとっては自然なことだ。
「今の状況は、わたしとシャルロットにとっても足りないものがある。フロレルがただお前の望みをかなえて満足していても、わたしたちは満足しない。フロレル自身が、自分を幸せだと思えるようにしてもらわねばな」
「承知しております」
フロレルにはオメガとしてアルファに愛されるだけではなく、オメガとしてアルファを愛するという感情も味わってほしいとシャルロットはジョゼフに話していた。
オメガとしてアルファに愛されるだけがフロレルにとっての幸せではないと、ジョゼフは思っている。実際に、フロレルは古代語の研究をして天文に親しむだけで幸せになれるのではないかと、ジョゼフは考えていた。
しかし、自分の大切なオメガであるシャルロットの望みはかなえてやりたい。フロレルに、オメガとしてアルファに愛される幸せを味わわせたいという望みを。
それはアルファの本能だ。
ジョゼフは、目の前にいるアントワーヌならフロレルを幸せにできるだろうと考えながら、ウイスキーを入れたコーヒーを飲み干した。
◇◇◇◇◇
「フロレル、そろそろ休憩しませんか?」
「ああ、アントワーヌ、ちょうど一段落ついたところだよ」
アントワーヌはフロレルの部屋を訪れて、休憩を促した。フロレルがソファに座るのを確かめてから、アントワーヌはその隣に寄り添うように腰をかける。
ふわりと漂うフロレルの香りを肺に吸い込み、アントワーヌは幸福感を感じていた。
アントワーヌは、シャルロットからフロレルと観劇をしたりカフェデートをしたりして気持ちを盛り上げるのだとアドバイスされていた。ところが現在、古代語の翻訳が佳境に入っているフロレルにとっては、外出する時間が惜しいのだ。
そのままでいればフロレルとアントワーヌは、これまでの一線を引いた距離のままで過ごすことになってしまいそうな雰囲気であった。
そもそも、フロレルはアントワーヌに家族としての情を持ってはいるが、恋情は持っていないのだからそれは仕方のないことなのである。
アントワーヌにとっては、望ましくない状況だ。
そこで、アントワーヌが婚約者としてともに過ごす時間を増やしたいとフロレルに要望したため、このように休憩を共に過ごすことになったのだ。
家でお茶を飲む時間をともにすることさえ要望しなければかなわない状況のアントワーヌは、シャルロットに「不甲斐ない」などと言われているのだが、そのようなことはフロレルには知る由もない。
「翻訳はあと一週間ほどでオランジュ教授に提出できそうだ。そうしたら、アントワーヌが言っていたようにデートを楽しむ時間が取れると思うのだけれど」
「フロレル、わかりました。楽しいデートになるように企画しますよ」
「今度は、わたくしも一緒に考えよう」
「フロレル……」
アントワーヌはフロレルからのうれしい話題の微笑むとその額にキスをした。
「では、オランジュ教授のところに翻訳を持っていくよ。すぐに帰って来るから」
「フロレル、やはり一人では心配です。わたしもついて行きます」
「大丈夫だよ。アントワーヌは、今日の執務を済ませておいてよ。帰ってきたらデートの企画を考えよう」
「……わかりました。いってらっしゃいませ」
フロレルは翻訳した原稿を持ち、同行したがるアントワーヌを宥めるようにその頬にキスをした。
アントワーヌは、フロレルが望まないならと仕方なく一人で馬車で出かけるフロレルを見送ったのだ。
なぜか、出かける前のフロレルの笑顔を見て不安が心に影を差した。しかし気のせいだと思いなおしたアントワーヌは、踵を返して執務室へと向かう。
この後、不安に従って、フロレルに同行すれば良かったとアントワーヌは悔いることになるのだが。
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