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47.吐息が触れる
「処方薬が合わなかったようですね。新しいお薬を処方いたしますので、しばらく様子を見ましょう」
医者はフロレルの診察をして、緊急に症状を抑える薬を投与してから、新しい処方薬を届けさせると言いおいて帰って行った。
「発情期か……」
フロレルは憂鬱そうにそう呟くと、ベッドに沈み込むように横になった。
学園に通っていた頃のフロレルは、オメガホルモンを調整するためにかなり強い薬を使っていた。王子の婚約者であるオメガが、学園内で発情期になってしまっては大事になるからである。貴族のオメガは、学園に通っている間は強めの薬を服用し、結婚前になると薬を変えていくことが多い。
現在のフロレルの症状は、結婚に向けて穏やかに発情期が迎えられるようにするために変えた薬によるものである。つまり、発情期が顕現してきたということなのだ。
「婚約者のアントワーヌ様と発情期を過ごすのも、症状を軽減させる方法のひとつでございますよ」
医者の残して言った言葉を思い出したフロレルは、誰に見られているわけでもないのに目を泳がせ、掛布の端を握りしめながら頬を染めた。
シュクレ王国では、成人しているアルファとオメガの婚約者同士が結婚間近の時期に発情期を共に過ごしても非難されることはない。もちろん、王族であれば婚姻まで純潔であることを求められるが、フロレルとアントワーヌはすぐにでも籍を入れられる状況なのだから、世間から祝福される状況であるといえる。ましてやアントワーヌはフロレルを愛していて、早く婚姻を結びたいと思っていることを隠してはいない。
結局は、迷いがあるフロレルの気持ちをアントワーヌが尊重してくれているから、未だ婚約者と立場のままでいるのだ。
フロレルには、自分がパネに嫉妬心を抱いたのではないかというジョゼフからの問いかけへの答えが未だに見つからずにいる。もう一度アントワーヌに絡むパネの姿を見ればわかるのではないかと思ったこともあったが、あのカフェへ足を運ぶことがなくなってしまい、その機会は得られずに日々を過ごしてしまったのだ。
とはいえ、フロレルはここに至るまで自分の気持ちにそれほど向き合わないでいたともいえる。古代語の研究と領地経営の補佐の日々は、考え事をするゆとりがない程度には忙しかったのだ。いや、フロレルは無意識に、考え事をしないようなゆとりのないスケジュールを組んでいたのだろう。
フロレルは、婚姻を結べばその相手と体を繋げるのは当然のことと考えていたはずだった。しかしフロレルは、ここへきて急にアントワーヌと発情期を共に過ごすと想像するだけで、ベッドの上を転がりたくなるほど恥ずかしくなってしまうのだ。
フロレルはそのような態度は自分らしくないと思いながらも、どう表現して良いのかわからない感情を持て余していた。
そしてフロレルは、体調が整うまでの数日間、自分のアントワーヌに対する気持ちを考え続けなければならない羽目に陥ったのであった。
「フロル、体調が戻ってきたら、天文館へ行かないか?」
体調が悪くなって以来、フロレルは屋敷に籠っていた。新しい薬の効果が安定的であると思えるまでは、外出を控えていたのである。そんなフロレルにとって、アントワーヌからの天文館への誘いはとても魅力的なものであった。
アントワーヌもフロレルが発情期を迎えるための投薬がうまくいっていないとなれば、なかなか側近くで過ごすことができなかった。ホルモンバランスが不安定なオメガがアルファとともにいるのは良くないだろうと考えたからだ。
ようやくフロレルの状態が安定してきたと聞いたアントワーヌは、いそいそと天文館へのデートのお誘いをかけたのである。
「天文館……、行きたい……」
フロレルがふわりと笑みを浮かべてそう答えるのを聞いて、アントワーヌはプラネタリウムを貸し切りにしようかという衝動に駆られる。
この美しい笑顔を、自分だけのものにしたい。
アントワーヌはそう思って心の中で葛藤した。
もちろん、そのようなことをしてもフロレルが喜ばないのをアントワーヌは知っているので、実行に移すことはなかったが。
フロレルとアントワーヌの婚姻式は、十か月後に決まった。アントワーヌはそれまでにフロレルの心を手に入れたいと思っている。
アントワーヌは、ジョゼフから婚前に発情期を共に過ごすことの許可を受けている。もちろん、フロレルの承諾があればということになる。
しかし、アントワーヌはその前に心を通わせて、まずはキスをしたいと思っている。
まるで思春期の少年のようである。
腹黒いアントワーヌもフロレルの前ではただの恋するアルファでしかない。
「ではフロル、お手をどうぞ」
「ありがとうアンヌ。外へ出るのは久しぶりだ」
フロレルはアントワーヌのエスコートで馬車に乗り、久しぶりに外出をした。
新規開業のレストランで昼食を食べてから、天文館へ行ってプラネタリウムを楽しんだ。二人は手を繋いで学芸員の解説を聞きながら、満点の星空を眺めて密かに星について語り合う。
やがてプラネタリウムの天空が、夜明け前の濃い青の空に陽が昇り始め、空が金色に染まり始めた。
「フロル。この空は、フロルの瞳の色だね」
「アンヌ」
呼びかけに反応するようにアントワーヌの方を向いたフロレルは、彼の顔が思ったより近くにあるのに驚いた。フロレルの唇にアントワーヌの吐息が触れる。
「フロル……愛している」
「ん……」
フロレルはその黄金の瞳を閉じて、アントワーヌの唇が自分の唇に重なるのを受け入れた。
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