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6.夜の闇
しおりを挟むその日の晩餐の後、珈琲を飲みながら、アントワーヌはジョゼフに顛末を報告した。座り心地の良いゴブラン織りのソファでくつろいだような姿勢を取りながらも、ジョゼフの眼光は鋭い。
「義兄上が発言を求められた時には、焦りました」
「フロレルは既に、子爵令息に嫌がらせをした人物が特定されていると知っていたからな。側近たちが殿下を止められなければ、婚約者である自分が止めなければと思ったのであろう」
「面目ないことでございます……」
「まあ、今回はフロマージュの息子とガレットの息子も役に立たなかったのだから、仕方なかろう。フロレルに感謝すると良い。」
アントワーヌからフロレルの行動と事の成り行きを聞いたジョゼフは薄く微笑み、ブランデーとクリームを入れた珈琲を口に含んだ。
「しかし、アントワーヌ、これからはもっと先回りして状況を読んで行動するように。ショコラ公爵家の継嗣として相応しい行動を心得よ」
「かしこまりました、義父上……」
ジョセフは銀色の髪に濃い青の瞳をしていて、アントワーヌと同じ色を持っている。色合いだけでなく、ジョゼフとアントワーヌは面差しも似ている。二人は伯父と甥なのであるから不思議なことではない。そう、傍からはジョゼフとフロレルが並ぶよりも親子らしく見えるのだ。
とはいえ、見た目だけショコラ公爵に似ていても何にもならない。アントワーヌはそう考えて、気を引き締める。
「ところで、例の事業の進捗はどうなっている?」
「はい、エクレア伯爵家が新たに参入することになりました」
「なるほど。南の要所の一族か。良いところの協力が得られたな」
「具体的には……」
満足気に頷くジョゼフにほっとしながらも、気を抜くことはできないとばかりにアントワーヌは話を続けた。ショコラ公爵家の富を、そして影響力を高めるためには力を惜しんではならないのだ。
ショコラ公爵家は、シュクレ王国の中でも権勢を誇る有数の公爵家である。その名に相応しい行動をしてこそ、ショコラ公爵の継嗣として認められるのだ。対応を誤れば簡単に生家に戻され、新しいショコラ公爵の継嗣候補が自分の席に座ることになるだろう。そうなれば、自分の人生は永遠の夜の闇に閉ざされてしまう。
そう、アントワーヌが望むものを得るためには、相応の努力が必要だ。自分がショコラ公爵家を更に大きくしていく気概がなければ認められない。金箔を貼った磁器のカップで珈琲を味わう自分によく似た男を見つめながら、アントワーヌは覚悟を新たにした。
カフェテリアでの騒ぎがあった二日後、教員室前の掲示板には、二人の男爵令嬢が学園の秩序を乱した咎により停学処分になる旨の告知が貼り出されていた。
ベータである二人の男爵令嬢は、たかがオメガの子爵令息が王子殿下を始めとした高位貴族の令息たちと仲良くしていることが許せなかった。貴族では尊ばれる希少なオメガも、平民では差別対象である。平民にはアルファが少ないためか、希少なオメガを「役立たず」として蔑む傾向が強いのだ。平民に近い感覚を持つ男爵家に生まれた二人は、オメガに対する差別意識からルネに対する嫉妬と憎悪を募らせたのだろう。
だから、少しばかりルネに嫌な思いをさせるだけのつもりだったのだ。そうして彼女たちは、ルネが高位貴族に取り入る性格の悪いオメガだと噂を流し、机の中にあったものを隠し、挙句の果てにはロッカーの中まで漁って私物を壊し、焼却炉へ投げ入れ、教科書を切り裂いた。
学園の処分は停学であるが、窃盗と器物損壊の罪で警察騎士団にも話は通っている。成年前であるため重い罪にはならないにしても、二人の男爵令嬢は、今後社交界で生きていくことは困難になる。
このまま退学をして、修道院に預けられることになるのだろうと下級貴族の学生たちは噂した。
「彼女たちも、馬鹿なことをしたものだ」
貴族の端くれであれば、それを隠蔽する手段も持たないのに犯罪に手を染めるなど馬鹿馬鹿しいと思わなかったのだろうか。ましてや自分自身の手を汚すなどとは考えられない。
それも、オメガへの差別などという貴族には許されない意識を露わにして。
フロレルはそんなふうに考えてしまう。
そして、初等科の子どもが行うような嫌がらせをする十五歳の貴族令嬢がいるなどとは想像していなかった自分の視野の狭さをフロレルは恥じた。
フロレルは自室の部屋の窓を開け、天体望遠鏡で空を眺める。これも広い空の一部分だけを見る視野の狭い行動なのかもしれないなどと思って、自嘲するような笑いが漏れた。
シャルルとの交流が激減してからは、こういう時間が取れるようになった。それはフロレルにとっては、密かな喜びであった。
『お前に魅力がないからシャルルの歓心を得られないのよ。オメガのくせにアルファを引き寄せられないなんて、恥ずかしいと思いなさい!』
第三学年になった当初に王妃がフロレルに浴びせてきた言葉をふと思い出した。
あの時期のフロレルは、王宮へ行くたびに王妃から責められていた。シャルルの心をつなぎ留められないのは魅力がないフロレルが悪いなどという言葉とともに、オメガであることを蔑まれた。
王妃はベータで、アルファとオメガのことについてはよくわかっていないことは、日頃の言動からも伺える。王妃の母国であるラッテ王国では、王侯貴族でもアルファは大切にされるが、オメガに対しての差別意識があるということは周辺国では知られたことだ。しかし、王族であった以上、ラッテ王国を出たときにそのような態度をとってはならないという教育も王妃は受けているはずなのだが。
アルチュールは幼い頃から堂々としていて、診断前から上位アルファであろうと思われていた。しかしシャルルは頼りなく、アルファかベータかわからないと言われていたのだ。十二歳の第二性の診断でアルファとされた時、王妃は狂喜乱舞したという。伝聞であるから不確かな情報ではあるが、王妃の性格を思えば事実であろうとフロレルは考えている。王妃は、ショコラ公爵家の後ろ盾欲しさにオメガであることを理由にしてフロレルを婚約者にと求めた。
オメガに対する差別意識が強いにもかかわらず。
どうして彼女の欲のためにフロレルが犠牲になる必要があるのか。
とにかくフロレルは王妃がオメガであることを理由に自分を蔑んだ時点で、彼女のことは見切りをつけた。
そして現在、王妃はフロレルに大きな態度を取れなくなってきているのだ。それは、シャルルが連絡なく茶会を欠席するという最低限の礼儀を欠いた行動を取るばかりか、学園で子爵令息を寵愛しているという話が既に王宮でも噂として広まっているからである。当然ジョゼフも、国王に適切な申し入れをしている。醜聞のある第一王子を立太子させるためには、ショコラ公爵家の後ろ盾が必要なのだ。それなのに王妃もシャルルもその子息を蔑ろにしている。
「さて、彼らはどうするつもりなのかな。そしてわたくしはどうするべきだろうかね」
詮無きことを考えるのをやめて、再びフロレルは天体望遠鏡を覗き込む。今夜の空は澄んでいて、星がよく見えた。
「このまま永遠に夜が続いて、星を眺めて生きていられたらいいのに……」
星の世界に思いを馳せながら、フロレルは呟いた。
夜明けを迎えることなく、夜の闇の世界に閉じ込められたいと。
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