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11.花の香り
◇◇◇◇◇
臙脂色のベルベッドの生地が張られた座り心地の良いソファに、ルネは座っている。マホガニーのテーブルには薄い磁器のティーカップが置かれ、薫り高い紅茶が湯気を立てていた。
ルネの後ろには、従者のロジェが立っている。ロジェは、ルネが王立学園に入ってからすぐにボンボン子爵が護衛も兼ねた侍従として側付にくれた。子爵令息にしては贅沢なことだが、希少なオメガに付加価値を付けるためには必要なことだと子爵に入れ知恵をした貴族がいたらしい。もっとも、ロジェはルネが外出するときだけの従者で、それ以外はボンボンの屋敷で家令の補佐などをしている。
初めての場所でルネが所在なさげにしていると、扉がノックされる音が聞こえた。
「ど、どうぞ……」
ルネの返事とともに扉が開けられ、銀色の髪に濃い青色の瞳の美しい男……、アントワーヌが優雅な動作で部屋に入って来た。
「ルネ、待たせたね。ここの入り口はすぐにわかったかい?」
「はっはい。僕についている人……えっと、ロジェが知っていて」
「ああ、そうだった。では、行こうか。部屋を用意してもらっているから」
「えっと、はい……」
アントワーヌが腕を差し出すと、ルネはその肘にそっと手を添える。二人はそのままその部屋を出て、案内をする店の者について毛足の長い絨毯の上を歩いていく。
「このお部屋じゃなかったの?」
「いや、ここは待ち合わせのために用意されている場所だ。もう少し広い部屋をとってあるから、そこでゆっくりすると良い」
「なんかすごい場所だね。僕、こんなところ初めてだから緊張してしまって」
「大丈夫だよ。わたしに任せておいておくれ」
アントワーヌは優しい顔で微笑みながらルネの質問に答える。ルネは少し頬を染め、可愛らしい顔で微笑みをアントワーヌに返した。
アントワーヌがルネを招待したのは、貴族や平民の富豪が秘密裏に会合をする場所だ。約束をしていない誰かと顔を合わせることのないよう、店側で来客を調整して案内することになっている。密談や秘密の逢瀬に使われるが、秘密を守るという保証もついたその料金はそれなりに高く、使用する者は限られている。それでも店の商売が成り立つ程度には、秘密の会合というのは行われているわけだ。
「こちらでございます」
案内人が廊下の突き当りにある扉を開けると、そこには大きなソファとティーテーブルが置かれている。先ほどの待合よりはかなり大きく、ゆったりとした設えになっている。部屋の中にはティートロリーも準備されており、自分の従者が湯を沸かして茶を供せるようになっているようだ。
「承知した。では、時間になったら合図を頼む」
「かしこまりました。どうぞごゆっくり」
アントワーヌが案内人に心づけを渡す。案内人は心得たというような薄い笑みを浮かべてその場を去った。
「さあ、中へ入ろうか」
アントワーヌはそう言って、物珍し気に部屋の様子を見まわすルネの背中を押した。頷いて部屋に足を踏み入れるルネから、ふわりと甘い花の香りがした。
晩餐に間に合う時刻に帰ったアントワーヌは、屋敷の中が落ち着かない様子であることに気づいた。
「何かあったのか?」
「アントワーヌ様、お帰りなさいませ。あの……、フロレル様が王宮でもめ事に巻き込まれたようでして」
「義兄上が? 王宮でもめ事だと?」
アントワーヌが自分を迎えに出た侍従に質問すると、思いがけない答えが返って来た。アントワーヌは急いでフロレルがいるという家族の談話室に向かう。
談話室のソファには、左頬にガーゼを当てたフロレルが座っていて、シャルロットが寄り添うようにその隣にいた。
「フロ……義兄上! 顔に怪我を……!」
「ああ、アントワーヌ、フロレルは王妃殿下に扇で叩かれたのよ」
「王妃殿下ですって……?」
シャルロットが言う王妃に叩かれたという事実がよく呑み込めないまま、アントワーヌはフロレルの前に跪き、手を握って顔を覗き込んだ。
「義兄上、痛みは……」
「今は痛みがあるけれど、王宮の侍医によると跡は残らないだろうと言われている。王妃殿下が非力だったのが不幸中の幸いだったようだ」
フロレルの気丈な様子に安堵すると同時に、アントワーヌは王妃に対する憤りを覚える。
「いったい、何があったのですか?」
「フロレルが王宮でオランジュ教授の授業を受けている時に、王妃が部屋に乱入して暴力を振るったのだよ」
「は……?」
アントワーヌが感情を抑えて聞いたことに、これまで黙っていたジョゼフが答えてくれる。ジョゼフが詳しく語る王宮での出来事に、アントワーヌは更に驚愕し、王妃の行為に怒りを深めた。
フロレルに言いがかりをつけて、暴力を振るったとしか思えない。
もちろん王妃に対して怒っているのはアントワーヌだけではない。穏やかなシャルロットも怒りをその目に宿している。そしてジョゼフの濃い青の瞳が昏く煌めいているのは、王妃への報復を考えているのだろう。
「とにかくフロレルは、当分王宮へは行かせない。学園も休ませる。後のことは、晩餐が終わってからだな」
「そうね。アントワーヌは湯あみをして着替えていらっしゃい。それから晩餐にしましょう」
「はい。義母上」
ジョゼフの言葉を引き継ぐように話したシャルロットの言葉で、アントワーヌは自分が外出から帰って来た衣服のままであったことを思い出した。
「ふふ、アントワーヌ。貴方何か異質な花の香りがするわ。フロレルがこれ以上疲れないように、綺麗になっていらっしゃい」
「あ……」
シャルロットはにこりと笑ってそう言うと、フロレルを伴って部屋を辞した。
「アントワーヌ、失敗したな……」
シャルロットとジョゼフの言葉にアントワーヌは言葉をなくして青褪めた。
臙脂色のベルベッドの生地が張られた座り心地の良いソファに、ルネは座っている。マホガニーのテーブルには薄い磁器のティーカップが置かれ、薫り高い紅茶が湯気を立てていた。
ルネの後ろには、従者のロジェが立っている。ロジェは、ルネが王立学園に入ってからすぐにボンボン子爵が護衛も兼ねた侍従として側付にくれた。子爵令息にしては贅沢なことだが、希少なオメガに付加価値を付けるためには必要なことだと子爵に入れ知恵をした貴族がいたらしい。もっとも、ロジェはルネが外出するときだけの従者で、それ以外はボンボンの屋敷で家令の補佐などをしている。
初めての場所でルネが所在なさげにしていると、扉がノックされる音が聞こえた。
「ど、どうぞ……」
ルネの返事とともに扉が開けられ、銀色の髪に濃い青色の瞳の美しい男……、アントワーヌが優雅な動作で部屋に入って来た。
「ルネ、待たせたね。ここの入り口はすぐにわかったかい?」
「はっはい。僕についている人……えっと、ロジェが知っていて」
「ああ、そうだった。では、行こうか。部屋を用意してもらっているから」
「えっと、はい……」
アントワーヌが腕を差し出すと、ルネはその肘にそっと手を添える。二人はそのままその部屋を出て、案内をする店の者について毛足の長い絨毯の上を歩いていく。
「このお部屋じゃなかったの?」
「いや、ここは待ち合わせのために用意されている場所だ。もう少し広い部屋をとってあるから、そこでゆっくりすると良い」
「なんかすごい場所だね。僕、こんなところ初めてだから緊張してしまって」
「大丈夫だよ。わたしに任せておいておくれ」
アントワーヌは優しい顔で微笑みながらルネの質問に答える。ルネは少し頬を染め、可愛らしい顔で微笑みをアントワーヌに返した。
アントワーヌがルネを招待したのは、貴族や平民の富豪が秘密裏に会合をする場所だ。約束をしていない誰かと顔を合わせることのないよう、店側で来客を調整して案内することになっている。密談や秘密の逢瀬に使われるが、秘密を守るという保証もついたその料金はそれなりに高く、使用する者は限られている。それでも店の商売が成り立つ程度には、秘密の会合というのは行われているわけだ。
「こちらでございます」
案内人が廊下の突き当りにある扉を開けると、そこには大きなソファとティーテーブルが置かれている。先ほどの待合よりはかなり大きく、ゆったりとした設えになっている。部屋の中にはティートロリーも準備されており、自分の従者が湯を沸かして茶を供せるようになっているようだ。
「承知した。では、時間になったら合図を頼む」
「かしこまりました。どうぞごゆっくり」
アントワーヌが案内人に心づけを渡す。案内人は心得たというような薄い笑みを浮かべてその場を去った。
「さあ、中へ入ろうか」
アントワーヌはそう言って、物珍し気に部屋の様子を見まわすルネの背中を押した。頷いて部屋に足を踏み入れるルネから、ふわりと甘い花の香りがした。
晩餐に間に合う時刻に帰ったアントワーヌは、屋敷の中が落ち着かない様子であることに気づいた。
「何かあったのか?」
「アントワーヌ様、お帰りなさいませ。あの……、フロレル様が王宮でもめ事に巻き込まれたようでして」
「義兄上が? 王宮でもめ事だと?」
アントワーヌが自分を迎えに出た侍従に質問すると、思いがけない答えが返って来た。アントワーヌは急いでフロレルがいるという家族の談話室に向かう。
談話室のソファには、左頬にガーゼを当てたフロレルが座っていて、シャルロットが寄り添うようにその隣にいた。
「フロ……義兄上! 顔に怪我を……!」
「ああ、アントワーヌ、フロレルは王妃殿下に扇で叩かれたのよ」
「王妃殿下ですって……?」
シャルロットが言う王妃に叩かれたという事実がよく呑み込めないまま、アントワーヌはフロレルの前に跪き、手を握って顔を覗き込んだ。
「義兄上、痛みは……」
「今は痛みがあるけれど、王宮の侍医によると跡は残らないだろうと言われている。王妃殿下が非力だったのが不幸中の幸いだったようだ」
フロレルの気丈な様子に安堵すると同時に、アントワーヌは王妃に対する憤りを覚える。
「いったい、何があったのですか?」
「フロレルが王宮でオランジュ教授の授業を受けている時に、王妃が部屋に乱入して暴力を振るったのだよ」
「は……?」
アントワーヌが感情を抑えて聞いたことに、これまで黙っていたジョゼフが答えてくれる。ジョゼフが詳しく語る王宮での出来事に、アントワーヌは更に驚愕し、王妃の行為に怒りを深めた。
フロレルに言いがかりをつけて、暴力を振るったとしか思えない。
もちろん王妃に対して怒っているのはアントワーヌだけではない。穏やかなシャルロットも怒りをその目に宿している。そしてジョゼフの濃い青の瞳が昏く煌めいているのは、王妃への報復を考えているのだろう。
「とにかくフロレルは、当分王宮へは行かせない。学園も休ませる。後のことは、晩餐が終わってからだな」
「そうね。アントワーヌは湯あみをして着替えていらっしゃい。それから晩餐にしましょう」
「はい。義母上」
ジョゼフの言葉を引き継ぐように話したシャルロットの言葉で、アントワーヌは自分が外出から帰って来た衣服のままであったことを思い出した。
「ふふ、アントワーヌ。貴方何か異質な花の香りがするわ。フロレルがこれ以上疲れないように、綺麗になっていらっしゃい」
「あ……」
シャルロットはにこりと笑ってそう言うと、フロレルを伴って部屋を辞した。
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