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20.望むこと、望むもの
しおりを挟む「お父様、お呼びと聞きました」
「ああ、可愛いフロレル。話があるのだ。少し時間をもらうよ。さあ、座りなさい」
「はい、お父様」
ジョゼフは寛いだ様子でフロレルを自分の応接室に迎えた。フロレルがジョゼフに勧められるままゴブラン織りのソファに座る。
「フロレル、喉を潤してから話をするとしよう」
「はい、いただきます。」
ジョゼフの指示に従って、侍女がジャスミンと矢車菊の香りの紅茶を供する。フロレルが手に取った薄い磁器には赤い薔薇の花が描かれ、金色の縁取りが施されていた。優雅に紅茶を飲む美しいフロレルの姿を見て、ジョゼフは思わず笑みを零す。
フロレルは、ジョゼフにとってはいくつになっても可愛い大切な息子だ。
紅茶を飲み終えたところで、ジョゼフは本題を切り出した。
「シャルル殿下との婚約が解消される。王命を白紙にする手続きが終わるのは、内閣府の議会承認を受けた後だ。議会開催の予定を考えれば、卒業式の前には解消になるだろう」
「……! ありがとうございます、お父様。わたくしは、王命を白紙にできるとは、思っても見ませんでした」
ジョゼフの言葉を聞いたフロレルは、喜びに顔をほころばせる。フロレルは、ジョゼフが自分の願いを受けて婚約をなくすように国王に働きかけてくれていることはわかっていた。特にフロレルが、王妃から暴力を受け、シャルルから暴言ともいえる言葉を受けた後からのジョゼフは、積極的に動いてくれていたのだ。とはいえ、王命をそんなに簡単にひっくり返すことはできないのではないかともフロレルは思っていた。
「いや、そうだな。実は破棄にしても良いほどのことがあったのだ。しかし、王家の立場を考えて穏便に済ませることにした。現時点では、ということであるが」
「現時点では穏便にということは、今後状況が変わる可能性があるということでございますか? いったい何があったのでしょうか」
ジョゼフの言葉から推測できるのは、穏便に済ませることで王家に貸しを作るほどの出来事があったということだ。だから王命を白紙にすることができたのだと。
フロレルは何事があったのかと、首を傾げる。
「何があったのかは、アントワーヌに聞けばよい。あの子が調べていることだからね」
ジョゼフはそう言うと、新しい紅茶を淹れるよう侍女に命じた。熱い紅茶を一口飲んだジョゼフは、口を開く。
「さて、フロレルはこれからの身の振り方を考えなければならなくなった。何か望むことがあるかい?」
「はい、望むことがございます」
フロレルは、天文学と古代語の研究に取り組みたいとジョゼフに明かした。フロレルがオランジュ教授から託された文書にある古代語による天文の記述は奥が深く、研究の価値が高いこと。そして、フロレルの持つ天文の知識をさらに深めてそれを読み解いていきたいと考えていることを語る。
その熱心な様子を、ジョゼフは目を細めて見つめていた。
「ショコラ公爵家を継ぐのはどうかな?」
「お父様、申し訳ありません。ショコラ公爵家は予定通りアントワーヌを継嗣としてお立てになってください。彼が継げばショコラ公爵家は安泰でしょう」
「そうか。では、この屋敷で研究を続けなさい。わたしもシャルロットも、フロレルが跡継ぎでなくてもずっと一緒にいてくれるのであれば嬉しい」
ジョゼフは、王命が白紙となることで可愛い一人息子と過ごす時間が増えることを喜ぶ己の番のことを考えて笑みを深めた。しかし、フロレルはその言葉を聞いて首を横に振った。
「いえ、わたくしは領地の別邸で生活できればと思います。アルファのアントワーヌが継嗣となって配偶者を迎えるのに、オメガがいては邪魔になるでしょう」
「フロレルが邪魔になるなどと、ショコラ公爵家にとっては有り得ないことだ」
「お父様、アントワーヌは望む方と婚姻を結ばせてやってください。そのためにも、わたくしはこの屋敷を離れた方が良いと思うのです」
決意を込めたフロレルの金色の瞳をジョゼフの濃い青色の瞳が捉える。ジョゼフはその色をしばらく見ていたが、やがてため息を吐いて視線を下ろした。
「フロレルは、アントワーヌが自分の望む相手と婚姻するのが良いと思うのだね。……その意志は変わらないかい?」
「はい、アントワーヌが望む方を配偶者に迎えてください」
再びフロレルを見つめたジョゼフは、まるで決意を促すかのように低い声で質問を投げる。フロレルはジョゼフと目を合わせたまま、それに諾と答えた。
「わかった。アントワーヌは彼が望む相手と婚姻を結べるように手配しよう。フロレルもそれに協力するように。いいね」
「承知しました。お父様、ありがとうございます」
アントワーヌは自分の望む者と婚姻する。
フロレルは胸の奥がつきんと痛むような気がしたが、それはただの寂しさなのだろうと思う。
幼い頃から一緒に遊んだ可愛い従兄弟。いなくなってしまった可愛いアンヌ。
現在のアントワーヌという青年は、ショコラ公爵家の継嗣に相応しい上位アルファだ。
いつまでも過去の可愛いアンヌに拘っている自分は、多分彼に置き去りにされたように思っているのだろう。だから寂しいのだろうと、フロレルは自分を納得させた。
フロレルが部屋を辞した後、ジョゼフはコーヒーを淹れさせる。そしてそれを口にしながら、フロレルとの会話を思い出して口角を上げた。
フロレルは誠実で賢い息子だ。しかし、ショコラ公爵家のような魑魅魍魎を相手にする家の継嗣になれば、その善良さ故に神経をすり減らしてしまうだろう。
アントワーヌはショコラ公爵家の継嗣に向いている。顔だけでなく思考傾向もアントワーヌはジョゼフに似ていた。
ショコラ公爵家はこれからも安泰であることだろう。
そして……
「アントワーヌが『望む方』と婚姻させてやってくれ、か……」
ジョゼフは独り呟くと、喉の奥で笑った。
フロレルは、ジョゼフの愛しい番シャルロットの産んだたった一人の可愛い息子だ。幸せになってほしいとジョゼフが願うのは至極当然のことだ。
王命で結ばれた婚約が、フロレルにとって良いものであれば良かったのだ。たとえジョゼフから見たシャルルが愚鈍な男であっても、フロレルを大切にしてくれれば良かった。
しかし王妃とシャルルはフロレルの能力を搾取することしかしなかった。
そして、ジョゼフにとっては、許しがたいことが起きた。
だから、これは当然の結果なのだ。
これから起きることも、当然のことなのだ。
それはジョゼフにも、アントワーヌにもそれぞれが望むものをもたらすこととなるだろう。
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