ガチケモナーは猫耳男子を許せない

某千尋

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32 解けていく心

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 翌日、ついに馬車はギュスターブ侯爵家の領地に入り、日が翳ってきた頃には屋敷に到着した。歴史ある侯爵家の屋敷は荘厳な造りをしており、柱の意匠ひとつとっても計算尽くされた高い芸術性を誇っている。
 ここにソフィアとウィルフレッドはいない。今どこにいるのか、ユージーンは知らない。

「おかえりなさいませ、旦那様、ユージーン坊ちゃま」

 馬車を出迎えたのは老齢の執事。ユージーンは目を見開く。

「……まさか、ペーターか?」

「ええ、ええ。覚えていてくださいましたか。ペーターでございます坊ちゃま。このペーターが残っていれば坊ちゃまに寂しい思いをさせることなどありませんでしたのに、まったく旦那様が余計なことをするから」

「ペーター!」

「いいえいいえ、言わせていただきます。なにもかも間違えたと、きちんと坊ちゃまに謝ったのですか」

「……ああ」

「それはようございました。旦那様のせいで坊ちゃまはこちらに帰ってすらこないんですから。こんな立派になった坊ちゃまに会うことなく召されてしまうところでした」

 胸元からハンカチを取り出したペーターは目尻に滲む雫をそれで拭う。ペーターはもともとタウンハウスを仕切っていた家令だった。しかし、ソフィアの輿入れと入れ替わりで領地の屋敷に配置換えされてしまった。

「私はソフィア様の輿入れに反対しておりましたからね。飛ばされてしまいました」

 他にも反対していた者はいたのですよ、ことごとく飛ばされましたが、と続ける。

「…………」

 眉間に皺を寄せたクライスは、気まずそうに目を泳がせている。

「さあさあ、お疲れでしょうからどうぞ中へ」

 思いがけぬ再会になにも言えずにいると、扉が開けられ中に通される。そして目を丸くする。

「やあユージーン、よくきたね」

 玄関の先にいたのは先代侯爵夫妻だった。
 好々爺然とした先代侯爵は目尻を下げて嬉しそうにユージーンを眺める。

「ユージーン、挨拶はどうしたのですか。まったく、一体誰が礼儀を躾けたのでしょう」

 その隣に立つしゃんと背筋が通って凛とした佇まいの貴婦人は、皺が入ってもなお美しい顔を少し歪めて叱責する。

「こらヴェロニカ、あんなに楽しみにしていたのにそんな憎まれ口を叩いて。ユージーンに嫌われてしまうよ?」

「きらっ……そんな……」

 先代侯爵に嗜められたヴェロニカは、絶望した顔をしてユージーンを見る。

「ご無沙汰しております、ユージーンでございます。大旦那様、大奥様におかれましては」

「そんな他人行儀な挨拶はやめてくれ。小さい頃みたいにおじいちゃまって言ってくれないと」

「それは……お祖父様、私はもう幼子ではありませんから」

「うんうん。さあユージーン、夕飯まで少しあるから、お茶でもしようじゃないか」

 そのままあれよあれよとサロンに案内されソファに収まると、眉を下げた先代侯爵が口を開く。

「ユージーン、私の馬鹿息子も謝罪したかもしれないが、私からも謝罪させてくれ。すまなかった」

 ユージーンはこれに目を丸くして頭を振る。

「いえ、お祖父様が謝るようなことは……」

「いや、私だけが馬鹿息子を止めることができたんだ。あの女との結婚も反対したんだが、そのせいでクライスと険悪になってしまってね。せめてユージーンだけでもこっちに引き取ればよかった」

「私は義理の母とはうまくいきませんでしたから、実際にあの女と結婚してしまった後は……結婚を反対していた義理の両親が口を出すのはよくないだろう、と余計な口を挟みました」

 祖父母二人がしょんぼり肩を落とすものだから、ユージーンは慌てて否定する。

「いえ、それならば私も……二人に手紙でも書けばよかったんだと思います……」

 そうだ、助けを求めればよかったんだ。なぜ、その考えに至らなかったのだろうか。
 ユージーンは改めて当時を思い起こす。
 周りが全員敵にしか見えなくて、自分を気にかけてくれる人なんていないと決めつけて。それこそ学院の寮に入ってからなら手紙くらい邪魔されることなく書けたはずなのに、そんなことに思いも至らなかった。

 小さい頃に会ったきりで、義母が家に来てからは祖父母と交流がなかった。まさか自分を案じていたとは思ってもいなかったのだ。

「……私たちも、なにかあれば頼ってきてくれるだろう、と楽観視してしまった。それに、あの女の評判は良かったからね。母を亡くしたばかりなのに新しい母を、ということに反対していただけで、あの女が実際になにかするとは思っていなかったんだ」

 そう、義母は決して悪辣な女ではなかった。それどころか、世間的な評価は真逆だっただろう。実際、ウィルフレッドが生まれるまではユージーンの良き母になろうとしていたと、ユージーン自身も思う。

 ユージーンが、ソフィアを拒絶しなかったら違ったのかもしれない。

 その考えが頭に浮かび、だとすると全部自分のせいなのではないかと胸が抉られる思いがする。

「私が……もっとうまくやっていれば……」

「それは違う。ユージーン、それは違うよ。そこにいる男が一番悪いんだ。そもそも、その男だってなにひとつうまくできていないのに、子供だったユージーンにいったいなにができたと言うんだい」

 先ほどから一言も言葉を発さずむっつりとした顔で座っていたクライスは、気まずそうに目を逸らし。

「……私が悪かったんだ」

 そしてぽつりと呟く。

 それを、そうだそうだと肯定する祖父と深く頷く祖母を見て、ユージーンはじわりと目尻が湿ってくるのを感じた。

 家族の愛には縁がないと思っていた。父には見放され、祖父母は無関心なのだと思っていた。
 父からの手紙を無視していたのも、領地の屋敷に一度もこなかったのも、本当のところは怖かったから。
 ユージーンへの愛が一欠片もないことを突きつけられたくなかったから。期待なんてしていなかったけれど、心の奥底ではもしかしたら、という小さな小さな希望を捨てきれていなかった。それすら打ち砕かれてしまうことが怖かったのだ。

 けれど、違った。
 ユージーンが感じた悲しみも寂しさも虚しさもなかったことにはならない。父のことを許せるかといったらまだ無理だ。祖父母の気持ちを素直にそのまま受け取れるかといったらまだ疑う心もある。
 でも、それでも。

 ユージーンは、かちこちに固まっていた心が解けていくのを感じていた。
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