あてつけ

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あてつけ

「まどか様。高遠様よりのお手紙です」

 女は懐かしい人物からの手紙を受け取るとすぐに封を開けた。
 あれからもう、二十年。
 高遠の名は女にとっては火傷の痕のようなものだった。治っても、天候の悪い日には鈍い痛みがあるような、そんな存在だ。
 かつてはあれほど愛しく、自分も名乗ると思っていた姓。
 しかし、女の愚かさからそれは失われた。
 愚かすぎる三人の男女は一つのあてつけから運命を滅茶苦茶にしてしまったのだ。
 苦い気持ちのまま手紙に目を通し始めた女の表情は読み終えた時には笑顔になっていた。

「あの子が結婚したのね・・・」

 もう、二十年も経っているのだ。
 すべてを狂わせた存在が結婚したとの知らせに女は涙を流す。
 狂わされた運命の下に生まれてきたのかもしれない娘。
 自分たちの愚かさから生まれてきた娘。
 運命に逆らった代償を命で贖うことになった両親。
 女は自分を赦す時期が来たのだと気付かず、実の両親を知らずに育った不幸な娘の結婚の知らせに涙を流す。



 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



 外資系高級ホテルの花婿控室は一種独特な雰囲気に包まれていた。
 結婚を祝おうとする気がない二人・・の訪問者に花婿は歪んだ笑みを浮かべて見せる。

「ようこそ、お出でくださいました。それぞれの思いは違いましょうが、僕の結婚を止めることだけは一致したようだね」
「どうしてもこの結婚は止めてくれないの? 私はあなたを愛しているのよ。あの女なんかよりもっともっと。あなただってそうでしょう、満?」

 元恋人だった女の哀願に花婿は頷く。

「ああ、そうとも。僕はまどかを愛している。確かに愛しているよ、香よりもずっと。香なんか目じゃないくらい、愛しているとも」

 花婿の肯定に元恋人は喜ぶ。

「それなら、この結婚を止めて、やり直しましょう。あの女には家のしがらみも何もないもの。すぐにやり直せるわ」
「残念ながらそれはできない」

 花婿は苦しげな表情をする。
 彼は罪を犯した。
 いくら腹を立てたとは言え、愛している女を捨てて、他の女と付き合うなどしてはいけなかったのだ。

「どうして? 私も満も愛し合っているのよ? どうして、やり直せないの?」
「・・・」

 元恋人は花婿の白いタキシードにしがみ付き、揺さぶる。
 愛する女の問いかけに花婿は返答を迷った。
 花婿は元恋人に告げたくなかった。
 このままそっとして、罪を背負ったままにいさせて欲しかった。
 元恋人が誘惑してくるのだったら抗えなかったかもしれない。それほど愛していた初恋の相手だった。だが、彼は元恋人を裏切った。
 元恋人が許せなくて、器の小さな自分が裏切らせた。
 元恋人を捨てたのも、あの女と付き合ったのも、全部、あてつけだった。
 元恋人と、ここの部屋にいるもう一人への。
 花婿はこの部屋に入って来てから一言も発していないもう一人に視線を向ける。花婿を見ていたもう一人の視線とはすぐに合った。
 どちらも目をそらさなかった。

「・・・」

 花婿は元恋人に揺さぶれるままだったが、しっかりともう一人の人物の目を見ていた。彼がその人物と目を合わせなくなったのは学生時代だった。それ以来のことだった。
 その人物といつも比較され続けた花婿はどんどん卑屈になっていった。
 元恋人だけ。元恋人以外は媚びへつらう人間しか花婿の周りに残らなかった。
 そして、花婿は歪んでいった。歪みに歪み、元恋人にすら告げられぬほど歪んでいって、とうとう後戻りができないほどの事態を引き起こした。
 花婿が引き起こしたトラブルはいつもこの人物が解決していた。だから、この部屋にいるのだろう。
 今回の馬鹿げた結婚を止める為に。
 だが、花婿はそんなことをさせるつもりはなかった。
 それだけはさせる気はなかった。
 いつにない強い意志を感じさせる花婿の目に、もう一人の人物は小さく溜め息を吐く。
 それは花婿が初めてその人物に勝ったと実感した瞬間だった。

「結婚の直前で気が変わるのも恋愛結婚なら普通にあることだ。今、結婚を止めても誰も文句は言わないから、止めるんだ、満」

 兄のほうから口を開かすことができたことに、そしてこれから告げることに花婿は酔っていた。
 元恋人には告げたくなくても、いつも勝てなかったこの兄に勝てることは花婿にとって特別だった。
 まだそれほど比較されないうちは良かった。
 彼らの両親は兄の優秀さを褒め讃えもしなければ、弟の馬鹿さ加減を貶しもしなかった。しかし、容姿は良くても、中身が優秀な兄と平凡な弟は家族以外からいつも比較されてきた。
 兄と弟の年齢がそれほど離れていないからこそ、その違いは顕著だった。

「まったく! まどかはいつも困ったことがあると兄貴を頼るんだ?! 兄貴兄貴兄貴兄貴・・・もう、うんざりだ! 僕と付き合いだしてもその癖は一向に直らない! もう、兄貴と付き合ってしまえよ! 付き合っていると告白しろよ!」
「満。私、そんなつもりはなくて・・・」

 元恋人は幼い頃からの癖で花婿の兄を頼っているに過ぎなかった。
 三人でいる時は花婿が何かを考案し、しでかし、花婿の兄がいつも尻拭いをしてくれていた。花婿とその元恋人に困ったことがあれば、いつも花婿の兄が何とかしてくれていた。

「兄貴だってまどかに頼られるとすぐに気安く引き受ける! 僕じゃなくて兄貴を頼るのは何故だ?! 本当に僕はまどかの恋人なのか?! まどかは兄貴と付き合っていて、僕に惚気ているんじゃないかと何度も思ったよ!」
「そんなわけないだろう、満。私が弟であるお前の物に手を出すはずはないじゃないか」
「そうだとも。正しくてお偉い優秀なお・兄様・・。だけど僕は違う。お・兄様・・と違って下劣で役立たずで駄目な僕は完璧なお・兄様・・が恋に落ちた相手を喜んで奪う。大切なものでも弟の恋人だからと見ているだけのお・兄様・・とは違う。どうせすぐに飽きて、まどかのところに戻るとたかをくくって見ている兄貴とは違うんだよ!」

「はじめは兄貴とまどかへのあてつけだった。兄貴が気に入るような美人だったし、僕だって自分がまどかのところに戻るのはわかっていた。僕は香に恋なんかしていない。だけど。だけど、香はとても良い子だった。兄貴が好きになるのもわかる、とても良い子だよ。元々の顔が良いというのもあるかもしれないけど、内面から滲み出した優しさがあの子を美人に見せているんだろうな。あの子は兄貴を見ても、兄貴に紹介しても僕への態度は変わらなかった。あの子は僕が何でもできるような目で見てくれる。僕ができなかったとしても失望して兄貴を頼ったりはしない。責めもしないんだ。どうしてかって聞いたら、『自分にもできないことを僕ができないからって、責める資格は誰にもない』って、そう言ってくれるんだ。そんなことを言ってくれるあの子と一緒にいたら僕は幸せなんだ。兄貴は優秀だから何でもできるし、香以外でも大丈夫だけど、僕はそうじゃない」

 花婿の背筋をゾクゾクとした快感が駆け抜ける。その目にはもう、元恋人は映っていない。
 彼女に告げたくなかったことももう、どうでもいい。
 兄をやり込めることができれば、兄を凹ませてやることができれば、それで良い。
 それだけしかなかった。
 長年、兄に抱えていた劣等感が花婿を歪ませ、狂わせていった。花婿の傍にいた元恋人の存在もまたそれを加速させていた。
 花婿は彼女を愛していたが、憎んでもいた。もしかすると、兄に対して劣等感を抱く原因は彼女に在ったのかもしれない。
 しかし、そんなことはどうでもいい。
 花婿は兄を罰したいだけだった。
 兄も元恋人も罰したかった。
 自分も罰したかった。
 罪がないのは花嫁だけだった。
 騙されているのにも気付かず、幸せそうに彼を見上げ、彼に全幅の信頼を寄せる眼差しを向けていた彼女だけだった。
 あてつけに付き合っていたことを知らない彼女だけが罪がない。

 さあ、メインディッシュだ。

「それに――香のお腹には僕の子どもがいる」

 泣き崩れる元恋人など花婿はどうでもよかった。
 愛している、愛し合っている相手だが、彼を傷付ける存在でもあった。彼を痛め付け、傷口に塩を塗り、苦しみに悶える様を気遣うデリカシーの欠片もない女性だった。
 しかし、幼馴染で初恋の相手だった。
 それでも、彼は赦せなかった。
 まどかはいつものように兄に何とかしてもらえばいいが、香はそうではない。
 香は彼を傷付けなかった。誰とも比較せず、彼だけを見ていてくれた。
 そんな香とあてつけで付き合ったのは彼だ。傷付けられていることを香が気付いていないのなら、そのままにしてあげればいいことで、一々、兄が出しゃばって傷付ける必要はないのだ。

「子どもと香は私が引き受ける。だから、お前はまどかと――」

 かつての弱い歪んだ花婿なら、兄の申し出を受けていただろう。
 しかし、可能性を信じる花嫁の信念に花婿は救われていた。

「嫌だね。香はとても良い子だよ。僕は香に償う必要はあるけど、僕は香を幸せにする義務がある。それに、あてつけで付き合って、できた子どもだからいらないなんて思わせたくない。僕には香や子どもを失望させたくない。香にとっては良き夫、生まれてくる子どもには良き父親、僕はそう思われたいんだ。だから、兄貴が代わりに父親になってくれる必要もない。このことは香には言わないでくれよ。香を幸せにしておきたいんだ」

 花婿は愛する女性よりもまだ見ぬ我が子や自らが犯した罪を償うほうを選んだ。
 子どもに良い父親だと思われたい。子どもの母親に良い夫だと思われたい。
 いつかは母親以外の人間のように彼を馬鹿にするようになるかもしれない。しかし、母親同様に自分を世界の中心のように見てくれるかもしれない。
 花婿はそれでも我が子とその母親を選ぶ。その選択をする強さは我が子の母親からもらったものだ。

 花婿が控室を出て行くのを誰も止められなかった。
 その控室では花婿の愛する女性の泣き声だけが響いている。



 花婿は罪を償わなければいけない。
 とても甘美な償いを。
 自分の愛する女性を捨てて、自分を肯定してくれる、自分を信じてくれる相手と共にいて、幸せにする償いを。
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