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「ああ、そのほうがいいでしょう」
「よろしいのですか?」
「住み慣れた家から離れるのだから、馴染みのある場所に滞在するのはいい考えだと思います」

 ノーマンは笑顔まで浮かべて全面的に同意した。それはディアが驚くほどである。
 ディアとしては多少の質疑応答があると思ったのだが、ノーマンは懇意にしている孤児院に滞在すると言っただけで了承してくれた。
 尋ねたディアのほうが、そこまで自由にさせてもらえたことに戸惑った。孤児院に行くことすら、父親は快く思っておらず、許されるのは週に一度だけだ。
 それなのに、夫となるノーマンは滞在することすら許してくれる。

「そのようなふうに思ってくださるなんて・・・」

 孤児院の訪問は良家の妻女がおこなう慈善活動の一種だ。子どもの頃に母親に連れられて始めたこの習慣は、あの父親ですら回数制限をしてくるだけで、禁止にはしなかった。
 孤児院にいる時だけは、母親が豹変することなく、ディアは孤児たちと区別なく扱われた。その為、ディアの母親が訪問していた時期に孤児院に在籍していた孤児たちはディアを支援者であるバートラム家の娘ではなく、兄弟や仲間のような意識を持っていて、母親の死後も気にかけてくれている。
 バートラム家では孤独なディアが心から安らげる場所が孤児院だった。

 そんな事情を知らないノーマンは、同居できるようになるまで泊まり込んで孤児たちの世話がしたい、と解釈しているようだ。
 良家の妻女の慈善活動で泊まり込みで何かをすることは、不貞行為の隠れ蓑になると思われているのが一般的な常識なのだが・・・ノーマンは妙に全幅の信頼を置いているようだ。

「貴女がやりたいことなのでしょう?」

 部屋探しの件でもそうだが、ノーマンは基本的にディアの意思を尊重しているようだ。
 ただし、ディアは部屋を一緒に探そうと言っていたことより、同居のほうに注意が向いていて頭の片隅にも残っていなかったように、今回の注意は孤児院に滞在できることに向いていて、貴族の言動の裏を読む習性を忘れていた。

「ええ」

 自分の意思を尊重して貰えたことに、ディアの顔も緩む。
 つられたようにノーマンの目元の碧さが濃くなった。彼は視線を室内に巡らせる。

「持っていくものの用意はできていますか?」
「・・・身の回りのものはできています」

 答えるディアの歯切れは悪かった。修道院だから最低限のものしかトランクに入れなかったが、結婚となると、残された母親の嫁入り道具も持って行きたい、と思ってしまう。
 しかし、トランクに入らないものは、いくらノーマンが騎士であろうと、一人で運ぶには大変そうだ。ましてや、複数となると、頼むことすら憚れる。

 バートラム家で義妹に虐げられているディアには従僕に頼むという選択肢はなかった。何か困ったことがあっても、助けを求めた使用人が被害を被るからだ。それ故に使用人からも距離をおかれている。

「それ以外は? 他にも持っていきたいものは、持っていきましょう」

 ノーマンの申し出は願ったり叶ったりだった。

「家具も持って行って、構いませんか?」
「この家の持っていきたいものは全部、持ち出しましょう。借りた部屋に入りきれなかったものは、その時、諦めましょう」

 ノーマンが事もなげに言うので、彼は知り合いに声をかけて運んで貰うのだ、とディアは思った。彼一人では無理でも、複数人でなら運搬も楽そうだ。
 とはいえ、ものには限度がある。
 一体、いくつ持って行こうと思っているのか、ディアは気になった。

「え? 全部ですか?」
「借りるまで部屋の広さはわからないので」

 部屋が見つかるまで、どこに置いておくつもりなのか、ディアは気になった。雨晒しなどとんでもない。
 しかし、置いておける場所など限られている。母方の祖父や伯父の家では、不揃いになった嫁入り道具に気付かれる可能性がある。気付かれたところで、今までディアや母親のことを放置していたので何の意味もないのだが、それでも嫌だった。

「でも、それまでどこにおいておけば・・・?」
「孤児院で預かってもらいましょう。部屋に運ばなかった家具も、そのまま孤児院で使ってもらったら、いつでも見に行けます」
「・・・! そうですね!」

 目から鱗とはこのことだ。
 孤児院は資金難で、足りていない家具も多い。慈善活動で訪れた良家の妻女が通される応接室ですら、金がかけられていない。
 そんなところに使ってもらえるなら、同居先に持っていけない母親の形見も面目躍如といったところだろう。

「持っていきたい家具に目印を付けてくれませんか。私はその間に孤児院に遣いをやって、事情を説明してきます」

 あまりにも都合の良い展開に彼女は警戒心を忘れてノーマンの言葉を夢心地で聞いていた。
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