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1)5年前①
しおりを挟む5年前――
庭のクロッカスも咲き始め、冬の間に植えたチューリップやムスカリも春はまだかと蕾が膨らみ始めた頃、何ヶ月かぶりにようやく兄が帰ってきた。
隣の諸侯と手を組み、ずっとくすぶっていた先住遊牧民との争いに決着がついたようだ。
「意外にしぶとくてね。たくさんの怪我人が出て大変だったよ。」と医師として従軍していたアルベルは珍しく少し疲れた様子で微笑んだ。
「そうそう、君にお土産があるんだよ。」
アルベルはそう言うと、後ろのドアが開き騎士に連れられて1人の男の子が入ってきた。
ユーリアより身長が少し小さく、体は長い間ご飯を食べていないのではないかと思うほど痩せ細っていた。身体中ドロドロで服もボロボロ、遊牧特有の漆黒の髪も伸び放題だった。だけどよく見ると、黒い髪の隙間から見える瞳は蒼く澄んでいた。
「年の近い友達が欲しいと言ってただろう?」
「お兄様、ありがとうございます。……でもまさか男の子だなんて。」
「男の方が君の馬や剣の相手もできるだろう。この子にはホルンの養子となってもらうつもりだ。ホルンには後継ぎがいないからちょうど良かったんだ。」
男の子の隣に立つ騎士ホルンは、今は亡き父の下で古東西戦争を戦ったあとも我が一族を守ってくれている。妻はいるが、なかなか子供を授かることはできないようだった。
「うれしくないのかい?」
翠がかった瞳がユーリアを見て妖しく光る。
ユーリアはとびきりの笑顔で答えた。
「もちろん嬉しいですわ。」
パッと男の子の方を向き挨拶をした。
「初めまして。ユーリアと言います。仲良くしてね。」
「……。」
彼は何の関心もないようで、下を向いたままこちらを向くこともなかった。
それがイザークとの出会いだった。
ついこないだ仲間と争い、負け、挙げ句全てを奪った相手と仲良くするなんて正気の沙汰ではない。
だが、兄が自分の近くに他人をわざわざ連れて置くなんて、何か意味があるとしか思えなかった。私みたいに何かに役に立つと思ったのだろうか。
どちらにせよ兄は私とイザークが仲良くすることを望んでいる。ならそれに応えるのが当然のことだった。
「イザークおはよう。」
「……。」
「今日は何をするの?」
「……。」
「困ってることはない?」
「……。」
「また何でも聞いてくださいね。」
「……。」
3ヶ月経ったが、全くもって関係に進捗はなかった。言葉を交わすどころか、目も一度も合ったことがなかった。
変わったことと言えば、彼の身なりくらいである。髪は整えられ、身だしなみも小綺麗になった。体にも少し肉がつき、少し褐色がかった肌は滑らかだ。
彼は不思議と気品さを感じる佇まいだった。
「違う策を考えねば……。」
ユーリアは焦っていた。仲良しになるのは無理でも、会話はできる程度にはなりたかった。暇さえあればストーカーのようにイザークに付き纏っていた。
彼は普段、屋敷の小間使いとして働き、空いた時間に父となったホルン様と稽古をしてる日もあれば、1人で鍛錬している時もあった。
やっぱり誰とも口を聞かなかったが、反抗的な態度はなく、ただ従順に与えられた仕事を黙々とこなしていた。
ユーリアはその日の勉強を終え、急いで屋敷裏にある雑木林を覗いた。彼が1人の時はいつもここで木刀を振っていた。
「しめた。」
ユーリアはこの時を待っていたとばかりにいつものドレスではなく、こざっぱりしたスパッツにブーツを合わせ、木刀を片手にこの場に来ていた。
ジリジリとした日差しが青々と茂る葉っぱを焼くのではないかと思うほど暑い日だった。
「剣のお相手してくださらない?」
イザークはこちらを見ることもなく、まるで何も聞こえてないかのように木刀を振り続けてる。汗は顔を伝い、ポタポタと下に落ち、土に幾重もの染みを作っていた。
いつもだったらここで引き下がっていたが、今日の作戦は違った。ユーリアは気持ちを落ち着かせるように一つ息を吐いてから言った。
「イザーク、これは命令よ。私の剣の相手をなさい!」
イザークはぴたっと動きを止め、眉間に皺を寄せながら、明らかな嫌悪感を持ってこちらを見た。彼の瞳をまっすぐ見たのはこれが初めてだった。ゆらゆらと怒りが瞳に宿っていたが、やっぱり深淵の海を思わせる色で綺麗だった。持っていた木刀を下ろし、体をこちらにゆっくりと向けた。
「……お嬢様がお望みなら。」
――――――
2人は木刀を持って向き合った。木刀といえど、思いっきり戦ったら大怪我をするが、ユーリアにも少しは腕の覚えがあった。
ユーリアが先手を取って、素早くイザークの喉元を突く。その剣先をいなし、イザークはひらいた胸元に切り掛かる。ユーリアは寸前のところでかわし、後ろへ下がるが、さらにイザークは前に進み出でさらに攻撃を加える。
ユーリアはしゃがみ、イザークの胴を狙うが、これも彼は太刀で防ぐ。
一進一退の攻防が続いた。
試合が長引くにつれて、明らかにユーリアの息が荒くなる反面、イザークは何の変わりもなかった。
ガッ。
イザークがユーリアの手首に放った一撃が木刀を手から落とす。すぐに拾おうとするが、上からイザークは大きく木刀を振りかぶった。
「何をやってる!!」
声の主はイザークの木刀を力強く握り、2人の試合を止める。
「あ、ルメール……。」
ルメールはユーリアの剣の師範代で、シュナイ家に雇われている騎士の1人だ。亜麻色の髪は襟足で結び、細く肩下まで伸びている。スレンダーな背格好で、顔も甘いが剣の腕は確かだ。しかも真面目で優しいため、屋敷の女性たちに人気がある。
ルメールは険しい形相でイザークを睨む。
「君は小間使に過ぎないのに何をしたのかわかってるのか……?」
「……。」
「このことはホルン様にもお伝えしておく――」
「ルメール違うのよ!私が無理矢理けしかけたの。彼は何も悪くないわ。むしろ正々堂々と勝負してくれました。」
「ですが、私が止めなかったらとんでもないことになってましたよ。」
「後生だから、お兄様やホルン様に言わないで。」
「しかし……。」
「お願い…………。」
ユーリアは両手でを組み、頬を赤く染め、目を潤ませた。
「……ふう。分かりました。」
ルメールはユーリアの涙を指で拭い、頬をさすった。
優しく微笑みながら、
「言いませんが、アルベルン様は勘がいいお方なので、隠し通せるかわかりませんよ。」
そしてイザークに振り向き、
「今回はこれで終わりとするが、次はないよ。」
と睨みつけた。
「さあ行きましょう。」
ルメールはユーリアに微笑みながら、肩に手を置きその場を後にする。
ユーリアが肩越しにちらっとイザークを見ると、見たくないものを見せられたと言わんばかりに、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見ていた。
関係はさらに悪化したように見えた。
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