シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜

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第十一章 シンデレラの結末

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 黒縁眼鏡に、所々白髪が混じった短い髪の毛。痩せていて、いつも疲れきったように猫背になっている。

 昔はもっと覇気があったし、筋肉質でよく笑っていた。お母さんが死んでから、まるで人が変わってしまったように見える。

「別に、なんでもないよ。それより、お父さんの体調はどうなの?」

 慌てて頬に流れていた涙を拭って、作り笑顔を浮かべる。

 お父さんは、私がいなくなったあと、全ての家事をやらなければいけなくなり、体調を崩していた。

 継娘がランチ後の私を見つけて駆け寄ってきたとき、『お父さんが倒れた。あんたのせいよ』と耳元で囁かれた。

 心配な気持ちは当然あったけれど、だからといって実家に戻ろうと決断することはできなかった。

 実家から出ることが、私の最大の目標だった。それに、大翔という夫の存在もある。

 でも、私には関係ないと割り切ることもまた、できなかった。

 継娘の言葉は、いつまでも私の頭に残り続けた。仕事をしているときも、大翔と一緒にいるときも、いつも頭の中で継娘の嫌味な声が反復していた。

 継娘の言葉に負けて、引っ張られ、実家に戻ることは物事の解決にはならないと自分に言い聞かせていた。冷静に考えろと何度も自分を奮い立たせた。

 執拗なまでに追いかけてくる継娘の魂胆も腹が立ったし、ここで実家に戻ったら彼女たちの思うつぼだ。……そう思っていたのに。

 数日後、お父さんが突然私の前に現われた。

 会社終わり、タクシーを待つ私に声をかけてきたのだ。

『捺美』

『お父さん……。倒れたって聞いたけど、大丈夫なの?』

『倒れてはいない。ただ、少し体調が悪いだけだ』

 そうは言ってもお父さんの顔は青白く、前より痩せてしまったように見えた。

『あの、私……』

 結婚したの。報告しなくてごめんなさい。でも、幸せに暮らしているから。

 そう伝えようと思ったのに、お父さんは私の言葉に被せるように残酷な言葉を吐いた。

『捺美、帰ってきなさい』

 その言葉は、必死に逃れようとしていた私の身体を鎖で強く締めつけた。

 抗うこともできず、ただ命令に従うロボットのように、お父さんの命令に従う。

 いつもそうだ。継母や継娘の言葉は反抗することができるのに、お父さんの言葉に歯向かうことができない。

 そして私は、実家に戻った。

 継娘は『お父さんが倒れた』と言っていたけれど、実際は疲れで横になることが増えたということだった。

 あの子はいつも物事を自分に都合よく書き換える。お父さんが倒れたと言った方が、私にインパクトを与えると思ったのだろう。

 実家に戻った私に、最初にやれと言われたのが、大翔との離婚だった。

 どこで情報を得たのか、家族はみな、私が会社の御曹司と結婚していたことを知っていた。そして、案の定、結婚には大反対だった。

 継母と継娘は、私が幸せになることを単純に望んでいないから反対する気持ちはわかる。でも、お父さんまで反対するとは思っていなかった。

 私がどんなに大翔のことを良く言っても、お父さんは納得しなかった。

 父親に結婚の報告もしてこない男に娘をやることはできないという言い分だった。あまり感情を表に出さない人だけれど、この件については本気で怒っていた。

 結婚式にも呼ばなかったことに、傷ついているらしい。それは、私が頼んだからだと言っても、お父さんの怒りは収まらなかった。

『離婚しろ』の一点張りで、聞く耳を持たなかった。

 実家に戻るという選択をした時点で、離婚になることはある程度予想がついていた。継娘から接触を受けたとき、実家に戻る決断をしなかったのは、大翔と離婚したくなかったことが一番大きい。大翔と、離れたくなかった。

 でも、実家に戻るということは、離婚することを了承したのと同じようなことだ。離婚したくないのなら、実家に戻らなければいい。それなのに私は、実家に戻ってしまった。

 もう、覚悟を決めようと思った。そうして、離婚届に記入してテーブルの上に置いて、黙って家を出てきたのだ。

 そして今、私は奴隷のような生活に戻った。

 自分から天国から地獄へと降りたようなものだ。自分でも、どうしてそんな選択をするのかわからない。

 ただ、やっぱりお父さんは私にとって特別で、血の繋がった肉親なのだ。捨てることなんてできない。

「体調はとても良くなった。捺美が戻ってきてくれたおかげだ」

 私の問いに、お父さんはうっすら笑顔を浮かべて言った。

 私が泣いているのを見ていたはずなのに、それには触れない。私の涙なんて、お父さんにはどうでもいいのかもしれない。

「そっか、それなら良かった」

 力のない声で言った。私はお父さんになにを期待しているのだろう。

「ずっと家にいなさい。父さんが捺美を養うから」

「ずっとこの家に? 私の自由は? 幸せは?」

 珍しく私はお父さんに意見した。嫌われたくなくて反論することさえできなかったのに、大事にされていないと感じて、思わず口に出してしまった。

「なにを言っている。お前の幸せはここだろ」

 お父さんの言葉がショックで、しばらく声が出てこなかった。

「本当に、そう思っているの?」

 震える声で訊ねる。すると、お父さんは真っ直ぐに私の目を見つめて言った。

「当たり前だ」

 ああ、そうか。お父さんも、継母や継娘と一緒なんだ。

 私のことなんて見えていない。ここが、私の幸せな場所だと信じて疑わない。どんなに私が辛く苦しんでいても、彼らは罪悪感さえ芽生えない。

 彼らは自分たちが酷いことをしているなんて思いもしない。それが彼らにとっての常識で、正義で、生き方なのだ。なにを言ったって理解されることはない。

 むしろ、幸せな場所を提供しているのに、なにを我儘言っているのだと私を責める思考に至る。

 ああ、そうか。私はなにをお父さんに期待していたのだろう。

 お父さんはもう、変わってしまっていたのだ。お母さんが死んだときに、優しかったお父さんもいなくなってしまっていた。わかっていたのに、ずっと気がつかないふりをしてきた。一人になるのが怖かったから。お父さんは私のことを愛していると思っていた。

 もう、駄目だ。足元から自分が崩れていくような錯覚。

 もう頑張れない。私は一人だ。ずっと、ずっと前から一人だった。

 終わりにしよう、なにもかも。頑張る理由がなくなってしまった。




「社長、見つけました。捺美さんが失踪する日、タクシー乗り場で捺美さんに話しかけている人物が防犯カメラに映っていました」

 社長室でデスクに座って仕事をしていると、高城がそう言って入ってきた。

「タクシー乗り場? 仕事帰りか?」

「はい。捺美さんの義理の母親と姉はマークされていたので社内に入れませんでしたが、お父様はノーマークでした。それに、スーツ姿だったので、取引先の社員と思われたのか周囲に溶け込んでおり、報告にも上がってきていませんでした」

 会社には毎日、たくさんの取引先が出入りしている。私服女性は目立つが、スーツ姿の中年男性だと溶け込んでしまう。

「やはり、父親がトリガーだったか」

「そのようですね。二人は少し会話をしたあと、一緒にタクシーに乗っています」

 そして、捺美は実家に戻った。実家から出たいとあんなに願っていたにも関わらず。実の親子との絆はそれほど深いということか。いや、絆というより、呪縛か。

「父親は、常識的な人だと思っていたが、そうではなかったのか?」

「卸売業の会社で主任をしています。社内での評判は悪くないですよ。ただ、奥様が亡くなられてから人が変わったように静かで大人しくなったようです。それまでは快活によく笑う社交的な人だったそうですが、現在は飲み会などにも出席しないですし、世間話などに混ざろうともしないそうです」

「たしか、現在の奥さんとの出会いは鍼治療で、施術者と患者の関係だったそうだな」

「ええ、奥様が亡くなられて心身が衰弱していたお父様は、近所の鍼灸院に行ったそうです。そこで施術していたのが奥様で、通ううちに愛が芽生えた、といえば聞こえはいいですが、そこの鍼灸院はスピリチュアル系の怪しい店という評判だったそうです。お父様は知らずに入店し、すっかり洗脳されてしまったというのが本当のところでしょう」

「心に傷を負った者は洗脳されやすいからな。捺美の母親は癌で亡くなったのだよな?」

「はい、捺美さんが小学一年生の頃ですね。発覚してからあっという間だったそうです」

 その一年後、俺と捺美は出会うことになるのか。

 捺美はまったく覚えていないようだが、俺にとっては生涯忘れることのできない出会いだった。

「それはそうと、捺美の実家に張り込ませている探偵から報告はないのか? 捺美は一度も外に出ていないのか? 買い物とかどうしているのだろう」

「ネットスーパーを利用しているそうです。家の中の様子は見えにくく、宅配業者は食材の入った段ボール箱を玄関の中にまで入れてあげているそうなので、捺美さんの姿を確認することはできていないそうです」

「そうか、捺美は一体、いつまで家の中に引きこもるつもりだ……」

「家族が出したがっていないのかもしれませんよ。ようやく引き戻したのですから」

「本当に胸糞悪い」

 今すぐ実家に行って、捺美を救い出したい。でも、捺美が拒否する可能性も高い。どうすれば……。

「あ、ちょっと待ってください。捺美さんの実家を張っていた探偵から電話が……」

「すぐ出ろ!」

「はい、え……捺美さんが?」

 固唾を飲んで、探偵と電話で話している高城を見つめる。捺美が、どうした?

 嫌な予感がして、胸がざわつく。

 電話を切った高城が困惑した表情を浮かべながら報告する。

「捺美さんが一人で家から出てきたそうです。どこに向かっているのかはわからず、とにかく追いかけるとのことです」

「捺美!」

 気がついたら身体が勝手に動いていた。財布と携帯だけ持って、社長室から飛び出る。

「社長、捺美さんがどこに行くかわかるのですか⁉」

「わからんっ!」

 高城が呆れかえっているのが背中越しに伝わってきた。

 なんだか嫌な予感がする。じっとなんてしていられなかった。

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