婚約破棄され悪役令嬢にされました

綾取

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第19話 二つの道

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 婚約破棄の騒動からしばらく。ジュリアンは、いつも少し離れた場所からリディアを見ていた。

 冷たい視線やひそひそ声が彼女に降りかかっても、背筋は折れない。授業では端的に意見を述べ、委員の職務は淡々と果たす。冷ややかに見えるその口調の奥に、正確さと責任感が宿っているのを、彼は知っていた。

 だが、廊下ですれ違ったほんの一瞬、彼女の瞳がかすかに揺れた。疲労を隠しきれない色。
 だが次の瞬間には完璧な微笑で覆い隠される。胸の奥がざわめいた。

 試験前の図書室で、彼女は誰もいない机に貸し出し用の資料を広げ、余白に細かな注意書きと補足を書き込んでいた。自分のためではない。他の生徒がつまずきそうな箇所に印をつけ、参照すべき頁を番号で結ぶ。

 彼女は孤立の中でも、他人のために手間を惜しまない。そんなこと、誰も気づきもしないのに。

 気づけば、足が勝手に動いていた。
 彼女が一人で背負っている重さを、少しでも軽くしたい。力になりたい。そう思った。



 一方、

セドリックの胸には冷たい石が沈んでいた。
 昼の中庭でミレイユが囁いた「リディアの冷淡さ」。それに続いた、廊下で耳にしてしまった会話「殿下には“嫌がらせされた”と言っておけばいい」
 甘い笑顔の下に覗いた冷たい光。過去の自分の言葉が、鈍い刃となって脳裏を往復する。
(俺は、何を見ていたんだ?)

 その時、足音が近づき、廊下の向こうから姿を現したのはジュリアンだった。

「兄上」

 呼びかけられた声に、微かに眉が動く。
 この弟を、今まで自分は“存在しない者”として扱ってきた。
 同じ王の血を引きながらも、側室の子という生まれを理由に、遠ざけることが当然だと信じていたからだ。

 目の前のジュリアンは、ただ静かにこちらを見ている。
 その視線に、かつて感じた劣等感が不意に蘇る。

 ⋯リディア。
 常に完璧で、凛とした彼女。
 自分の隣にいて当然だと思っていたが、同時に、彼女の才覚と冷静さは、王太子であるはずの自分を小さく見せることもあった。
 だからこそ、彼女の弱みを知るかのように振る舞うミレイユの言葉に、安堵を覚えてしまった。

(情けない。あれは、ただの逃げだったのか)

「何の用だ」
 声が僅かに掠れる。

「用というほどのことではありません。ただ兄上が何を思おうと、俺はもう決めています」

「決めた?」

その声音は冷静で、しかし淡々とした中に鋭さがある。
 自分より下だと思ってきた弟が、今は遥かに落ち着いて見える。その現実が、胸を締めつけた。

 ジュリアンの瞳は澄んでいて、まるで自分の迷いを映し出すようだった。

「リディア嬢は僕が幸せにしたい。本人にはまだ伝えていませんが彼女と共に生きたいと、そう思っています」

 淡々と告げられた言葉が、心の奥深くに突き刺さる。
 胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
 セドリックの脳裏に、舞踏会の夜の光景がよみがえる。人々の視線、冷たい宣告。反論せず、ただ立ち尽くしていた彼女の顔。あれは傲慢でも虚勢でもない、深く傷ついた人間の表情だった。
(俺が、踏みにじった――)

 言葉が出ない。王太子として当然だと信じてきた自尊は、薄い殻のように砕けていく。目の前の弟は、揺るがない。自分よりも遥かに静かで、強い。

 長い沈黙ののち、ジュリアンが一礼した。
「兄上が何を選ぼうと、俺は俺の道を行きます」
 踵を返す背に、セドリックは何も返せなかった。

 彼女が自分の婚約者だった日々が、遠い過去のように思えた。
 そして、その隣にいるべきは自分だと信じて疑わなかった驕り。それが音を立てて崩れていく。

 ただ、弟の背が静かに去っていくのを、言葉を失って見送るしかなかった。
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