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序
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月の綺麗な夜だった。
魔女集会の帰り道、際立った水音に足を止めたのは、紅瞳に金髪の美青年だ。黒と臙脂のリバーシブルのマントを纏った彼は、由緒正しい悪魔貴族の生まれだった。
音を立てた水場のことは知っている。切り立った崖の真下にある――この辺りの人間が時々、口減らしに子供を捨てている所だ。
(勿体ないなあ)
量は少ないが、子供は美味しい血をしている。金髪の悪魔は肉には興味がなかったけれど、多分肉も美味しいだろう。捨てて殺してしまうくらいなら食べてしまえばいいのにと思いながら、悪魔は少し考え込んだ。
いつもなら、捨てられたものを拾いに行ったりはしない。けれど今夜は、少し気分が塞いでいた。可愛がっていた弟を、亡くして間もない夜だったので。
「……生きてるかだけでも、見て来ようかな」
もし本当に捨て子なら、寝ている間に崖から落とされて、打ち所が悪ければそのまま死んでしまう。むしろ生き延びた分、溺死だったり失血死だったり餓死だったり、苦しい時間が待っている。
弟の死因は、どれでもない。誰のせいでもない、ただの寿命だった。一族で一番身体が弱かった弟が、順当に一番最初に死んだだけ。それでも悪魔は寂しかったので、今夜は気紛れを起こしたのだ。
旅鳥がひと時の休息を得る程度の役にしか立たないだろう。綺麗でもなければ潤沢でもない泉に、確かに子供の姿がある。遠目にもぴくりとも動かないその子供は死んでいるように見えたが、まだ泉の中の岩に掴まって浮いていた。
「やあ、生きているね。不運な子」
こっちにおいで、と。悪魔が囁けば、風もないのに泉に波が立った。
言いつけに従った水が、瀕死の子供の身体を攫い、悪魔が佇む縁まで押し流す。無造作に、ひょい、と。子供の身体を抱え上げた悪魔は、ふふ、と。甘い声で笑った。
「嵐に打たれたカラスみたいだ」
ずぶ濡れの黒髪、泥にまみれた粗末な服。もしも弟に少しでも似ていたなら、もっと悲しくなってしまっただろうから、似ても似つかない子で悪魔は嬉しかった。
濡れた体は冷え切っていて、頭からは血が流れている。赤子を抱くようにその子を抱いて、血と水と泥に高価な服を躊躇いなく汚しながら、悪魔は嫣然と微笑んで囁いた。
「さあ、可哀想な子。それでもまだ生きたいと思うのなら、何か話してごらん。声が出せないのなら、他の手段でも構わないから」
さあどうぞ、と。促してはみたものの、腕の中の身体はぐんにゃりと脱力し切っている。もう手遅れかなと悪魔は思っていたけれど、冷たい子供は予想に反して、ぐっと懸命に瞼を持ち上げた。
ありふれた黒髪に似合わず、その目は希少な紫の目で。魔女や目玉好きの悪魔に売れば高値になったのになあ、と。悪魔は人間の無知を残念に思った。
「てん、し……さま」
そうして、震える声で呟かれたそんな一言に、悪魔は久し振りに驚いて目を丸くした。
それが最後の力だったのか、事切れるように脱力して目を閉じた子供を抱いたまま、微かな声でくすくすと笑う。
「ふふ、残念。……私は悪魔だから、君を神様の所には連れて行かないよ」
その代わりに、と。口にしながら、悪魔は魔法の力で子供を包んだ。
水気を弾いて、泥を払って。ついでに頭の怪我も、随所の骨折も治してやる。あとは過労と栄養失調だが、こちらは気長に行けばいいだろう。
「お城にお部屋を用意して、温かくして、美味しいご飯をあげようね」
人間は何を食べるんだったっけ、と。笑いながら、可愛い捨て子を腕に抱えて、気晴らしの散歩を終えた悪魔は足取り軽く住処へと戻った。――目を覚ましたら、真っ先に、名前を訊こうと楽しみにしながら。
魔女集会の帰り道、際立った水音に足を止めたのは、紅瞳に金髪の美青年だ。黒と臙脂のリバーシブルのマントを纏った彼は、由緒正しい悪魔貴族の生まれだった。
音を立てた水場のことは知っている。切り立った崖の真下にある――この辺りの人間が時々、口減らしに子供を捨てている所だ。
(勿体ないなあ)
量は少ないが、子供は美味しい血をしている。金髪の悪魔は肉には興味がなかったけれど、多分肉も美味しいだろう。捨てて殺してしまうくらいなら食べてしまえばいいのにと思いながら、悪魔は少し考え込んだ。
いつもなら、捨てられたものを拾いに行ったりはしない。けれど今夜は、少し気分が塞いでいた。可愛がっていた弟を、亡くして間もない夜だったので。
「……生きてるかだけでも、見て来ようかな」
もし本当に捨て子なら、寝ている間に崖から落とされて、打ち所が悪ければそのまま死んでしまう。むしろ生き延びた分、溺死だったり失血死だったり餓死だったり、苦しい時間が待っている。
弟の死因は、どれでもない。誰のせいでもない、ただの寿命だった。一族で一番身体が弱かった弟が、順当に一番最初に死んだだけ。それでも悪魔は寂しかったので、今夜は気紛れを起こしたのだ。
旅鳥がひと時の休息を得る程度の役にしか立たないだろう。綺麗でもなければ潤沢でもない泉に、確かに子供の姿がある。遠目にもぴくりとも動かないその子供は死んでいるように見えたが、まだ泉の中の岩に掴まって浮いていた。
「やあ、生きているね。不運な子」
こっちにおいで、と。悪魔が囁けば、風もないのに泉に波が立った。
言いつけに従った水が、瀕死の子供の身体を攫い、悪魔が佇む縁まで押し流す。無造作に、ひょい、と。子供の身体を抱え上げた悪魔は、ふふ、と。甘い声で笑った。
「嵐に打たれたカラスみたいだ」
ずぶ濡れの黒髪、泥にまみれた粗末な服。もしも弟に少しでも似ていたなら、もっと悲しくなってしまっただろうから、似ても似つかない子で悪魔は嬉しかった。
濡れた体は冷え切っていて、頭からは血が流れている。赤子を抱くようにその子を抱いて、血と水と泥に高価な服を躊躇いなく汚しながら、悪魔は嫣然と微笑んで囁いた。
「さあ、可哀想な子。それでもまだ生きたいと思うのなら、何か話してごらん。声が出せないのなら、他の手段でも構わないから」
さあどうぞ、と。促してはみたものの、腕の中の身体はぐんにゃりと脱力し切っている。もう手遅れかなと悪魔は思っていたけれど、冷たい子供は予想に反して、ぐっと懸命に瞼を持ち上げた。
ありふれた黒髪に似合わず、その目は希少な紫の目で。魔女や目玉好きの悪魔に売れば高値になったのになあ、と。悪魔は人間の無知を残念に思った。
「てん、し……さま」
そうして、震える声で呟かれたそんな一言に、悪魔は久し振りに驚いて目を丸くした。
それが最後の力だったのか、事切れるように脱力して目を閉じた子供を抱いたまま、微かな声でくすくすと笑う。
「ふふ、残念。……私は悪魔だから、君を神様の所には連れて行かないよ」
その代わりに、と。口にしながら、悪魔は魔法の力で子供を包んだ。
水気を弾いて、泥を払って。ついでに頭の怪我も、随所の骨折も治してやる。あとは過労と栄養失調だが、こちらは気長に行けばいいだろう。
「お城にお部屋を用意して、温かくして、美味しいご飯をあげようね」
人間は何を食べるんだったっけ、と。笑いながら、可愛い捨て子を腕に抱えて、気晴らしの散歩を終えた悪魔は足取り軽く住処へと戻った。――目を覚ましたら、真っ先に、名前を訊こうと楽しみにしながら。
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