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サンタヤーナの警句(第十一話)
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十一
「あ~っ、もうっ」
鉾田ななみがパソコンへ向かってむしゃくしゃしたように毒づいた。
「値上げ、値上げって。どこもかしこも値上げばかり……。これじゃあ、ただの値上げ商品一覧で終わっちゃう……」
打ち合わせのときはまだ気づいていなかったが、値上げラッシュは想像以上だったようだ。隆三か吉川かのどちらかを指名したのではなく、反応してくれた方へ話しかけるように苛立ちを紛らした。
「だからさ、この間の『値上げしたくてもできない』ってのがあったろ? そうした先もだんだん値上げへ傾いていくだろうから、そんな声を拾っていけばいいんだよ」
「街の声はもう結構ひろったんですけど、何かもう単調なんですよね……。『ギリギリまで頑張ってきたけど』とか、『お客さんに迷惑をかけたくない』とか……。あと、消費者の側で言えば『困るけど仕方ない』とか、『物価が上がってもお給料が上がらない』とか……」
「そういえばニューヨークなんかすごいらしいね」
吉川がネットのニュースを引き合いに出した。
「平均時給が32ドルだってさ。1ドル143円で換算したら4576円だぜ。芸能人がアメリカに行ってハンバーガー屋で5千円掛かったってのがニュースになってたけど、1時間で4500円も稼げるなら無理ないよな」
「日本なんかやっと1時間当たりの最低賃金が900いくらでしょ? 安くなっちゃいましたよねぇ」
若い世代がそう言ってしみじみと日本の貧しさを噛みしめている。隆三が二人くらいの年代だった頃は、世界中どこへ行っても「日本人は金持ち」という顔をしていられた。それも今は昔--。
バブル時代の話に花を咲かせたところで、彼らが耳を貸す訳もない。だいたい“観光立国”なんていって世界中から観光客がやってくるのを誇らしげに迎えていた頃からおかしかったのに気づくべきだった。観光客っていうのはそもそもコスパのいいところへ集まるものだ。その時点で日本は“安い国”になっていたということなのだ。
「あっ、そうそう。インフレとは直接関係ないんですけど……」
鉾田が街の声を拾うなかで耳にしたことを付け加えた。
「だいたいみなさん、人手不足が深刻だって頭を抱えていましたね」
「人手不足ねぇ。もっと若い頃に経験したかったなぁ。もう俺なんか引退だしな……」
「あら、シルバー人材ってもてはやされてるんじゃないんですか?」
鉾田は新聞やテレビの話を素直に受け売りにした。
「そんなの嘘々。君が入社してくる前に退職した先輩が言ってたけど、退職前の一年かけて次の仕事を探し続けたんだけど、結局見つからなかったんだって。もう何百という給食サイトに登録したんだけど、ダメだったってさ……。そうして退職してから半年後にようやくアルバイトに毛の生えたような仕事にありつけたんだって。ハガキをもらったよ……。高齢者の再就職なんて、世間が言うほど楽じゃないようだよ……」
隆三はほどなく迎える定年後の生計を思いやると気が沈んで仕方がなかった。かと言って、将来が嘱望される若手をそんな沈没船に巻き込む訳にもいかないから、気を取り直すようにこう仕向けた。
「まあしかし、君たちにはまだまだ前途があるからな。日本の賃上げもいよいよ本格化するってことかな……」
「給料上がりますかねぇ? それ、賛成!」
鉾田がいつもの屈託ない笑顔で周囲を和ませた。
「ハハハハ……。ン? 賃上げ?……」
隆三が何か思い当たったように急ぎパソコンへ向かった。
「あった……」
ゴソゴソ検索をした上で、ある記事を探り当てた。そして謎が解けた探偵のように、したり顔で言った。
「そうだっ、賃金だよ。賃金っ」--。
「あ~っ、もうっ」
鉾田ななみがパソコンへ向かってむしゃくしゃしたように毒づいた。
「値上げ、値上げって。どこもかしこも値上げばかり……。これじゃあ、ただの値上げ商品一覧で終わっちゃう……」
打ち合わせのときはまだ気づいていなかったが、値上げラッシュは想像以上だったようだ。隆三か吉川かのどちらかを指名したのではなく、反応してくれた方へ話しかけるように苛立ちを紛らした。
「だからさ、この間の『値上げしたくてもできない』ってのがあったろ? そうした先もだんだん値上げへ傾いていくだろうから、そんな声を拾っていけばいいんだよ」
「街の声はもう結構ひろったんですけど、何かもう単調なんですよね……。『ギリギリまで頑張ってきたけど』とか、『お客さんに迷惑をかけたくない』とか……。あと、消費者の側で言えば『困るけど仕方ない』とか、『物価が上がってもお給料が上がらない』とか……」
「そういえばニューヨークなんかすごいらしいね」
吉川がネットのニュースを引き合いに出した。
「平均時給が32ドルだってさ。1ドル143円で換算したら4576円だぜ。芸能人がアメリカに行ってハンバーガー屋で5千円掛かったってのがニュースになってたけど、1時間で4500円も稼げるなら無理ないよな」
「日本なんかやっと1時間当たりの最低賃金が900いくらでしょ? 安くなっちゃいましたよねぇ」
若い世代がそう言ってしみじみと日本の貧しさを噛みしめている。隆三が二人くらいの年代だった頃は、世界中どこへ行っても「日本人は金持ち」という顔をしていられた。それも今は昔--。
バブル時代の話に花を咲かせたところで、彼らが耳を貸す訳もない。だいたい“観光立国”なんていって世界中から観光客がやってくるのを誇らしげに迎えていた頃からおかしかったのに気づくべきだった。観光客っていうのはそもそもコスパのいいところへ集まるものだ。その時点で日本は“安い国”になっていたということなのだ。
「あっ、そうそう。インフレとは直接関係ないんですけど……」
鉾田が街の声を拾うなかで耳にしたことを付け加えた。
「だいたいみなさん、人手不足が深刻だって頭を抱えていましたね」
「人手不足ねぇ。もっと若い頃に経験したかったなぁ。もう俺なんか引退だしな……」
「あら、シルバー人材ってもてはやされてるんじゃないんですか?」
鉾田は新聞やテレビの話を素直に受け売りにした。
「そんなの嘘々。君が入社してくる前に退職した先輩が言ってたけど、退職前の一年かけて次の仕事を探し続けたんだけど、結局見つからなかったんだって。もう何百という給食サイトに登録したんだけど、ダメだったってさ……。そうして退職してから半年後にようやくアルバイトに毛の生えたような仕事にありつけたんだって。ハガキをもらったよ……。高齢者の再就職なんて、世間が言うほど楽じゃないようだよ……」
隆三はほどなく迎える定年後の生計を思いやると気が沈んで仕方がなかった。かと言って、将来が嘱望される若手をそんな沈没船に巻き込む訳にもいかないから、気を取り直すようにこう仕向けた。
「まあしかし、君たちにはまだまだ前途があるからな。日本の賃上げもいよいよ本格化するってことかな……」
「給料上がりますかねぇ? それ、賛成!」
鉾田がいつもの屈託ない笑顔で周囲を和ませた。
「ハハハハ……。ン? 賃上げ?……」
隆三が何か思い当たったように急ぎパソコンへ向かった。
「あった……」
ゴソゴソ検索をした上で、ある記事を探り当てた。そして謎が解けた探偵のように、したり顔で言った。
「そうだっ、賃金だよ。賃金っ」--。
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