サンタヤーナの警句

宗像紫雲

文字の大きさ
18 / 46

サンタヤーナの警句(第十八話)

しおりを挟む
                                                  十八

「羽柴さんがどんなスタンスでインフレに切り込むつもりかは知らないが、日本は原材料輸入への依存度が高いから、基本的にインフレの“輸入国”だ。これに反してアメリカや昔のイギリスのような基軸通貨国は、インフレを“輸出”する国なんだよ。経済のグローバル化が進んだ世界で、インフレは日本国内だけでは完結しない。この点だけはしっかり押さえておけよ」
 賃金と物価の関係、そしてインフレをあおる“心理”の作用まで一気にたねを明かした井坂は、また新しい命題を投げかけてきた。

 日本はインフレの輸入国で、アメリカは輸出国--。
 日本のインフレが原材料価格の高騰に起因するものだというのは疑いを入れない。自分も為替の動向には十分注意を払っているつもりだ。しかし井坂は輸入価格の上昇とは正反対の「円高説」などを唱えだした--。
「さっき言いかけた円高説だけど、いったい何を根拠にそう思うんだい?」
 差し当っての宿題が片付いたから、仕掛りになっていた「円高説」の真意を聞いてみた。

「誤解を与えたかも知れないけど、俺は何も“円高”がどうこう言うつもりはないんだ。ただ足元で日銀へ政策変更を求める圧力が高まっているのを気にしている。この種の雑音が却って投機の動きを引き寄せて、相場を搔き乱すトリガーとなりはしないか心配しているんだよ」
 井坂は単なる“円高説”ではない何かを考えている。果たしてそれは、自分の特集に関係することなのだろうか?
「どういうこと? それ?」
「日頃目にするドル円レートとは別に、『実質実効為替レート』というのがある。貿易の量や物価の水準を勘案してはじき出す、文字通り“通貨の実力”を表す指標なのだが、これをもとにテクニカル分析をしているアナリストがいる」
 そういえばFXトレードも当たり前になったから、随分と詳しい人がいるんだろうな。自分なんかが下手なこと書いたらきっと火傷するに違いない。
「そういうのを参考にすると、羽柴さんの言った通り円安はまだまだ進む余地があると言ってもおかしくなはない。まあほとんどがマーケットの“ポジショントーク”だがね……。それはともかく、いま本当に気にすべきなのは……」
 今回もまた、井坂は何かのチャートなりグラフを頭に描きながら話をしている。隆三の手許にはそれが無いから何とも応じ兼ねる。

「投機筋が円安をあおった後には必ず短期の資本移動が起こって、ドルが暴落するということなんだ」
 ドルの暴落というのは、急激な円高と同義ではないか。それならなぜ、井坂は敢えて“円高説”を撤回したのだろうか。

「だけど……、ドルが売られる理由って何なの? 今の円高は日米金利差だけでなく、原油高や円安で日本の貿易赤字が膨らんだ結果だという話もあるじゃないか。片やアメリカは、7月の貿易黒字が過去最高を記録したってニュースもあったし……。そうした『ファンダメンタルズに目を向けるべき』という論者もいるぜ……」
 隆三は聞きかじりの情報を総動員して、井坂の真意に迫ろうとした。すると井坂は「待ってました」とばかりに目を輝かせた。

「うん、その通り。ファンダメンタルズなんだよ」
「……?」
「そうだなぁ……、何というか……。ファンダメンタルズにも“枝葉”と“幹”がある--ということだと思うね」
 井坂はここを先途と、弁舌一層滑らかに温めてきた持論を展開した。
「もしファンダメンタルズを“貿易収支”という一点に絞るなら、その論者の言うことは正しい。だが俺に言わせれば、それはあくまで“枝葉”の話に過ぎないのさ」
「と、いうと?」
「だって今年のアメリカ経済って、マイナス成長じゃん」
「えっ、ウソっ……。ホント……?」

 アメリカ経済は調子がいいって、みんなが口を揃えて言っているじゃないか。マイナス成長だなんて……、またまた変なことを言い出すな……。怪訝けげんな顔をした隆三へ、井坂は自信たっぷりにダメを押した。
「本当さ。ウソだと思うなら、調べてみればいい」--。
「ちょっと待って、いま調べるから」
 隆三はすぐさまスマホを取り出して、「アメリカ」、「GDPマイナス」で検索してみた。
 するとジェトロのレポートが出てきて、「2022年1-3月期のアメリカのGDP成長率はマイナス1.6%、4-6月期はマイナス0.9%で、2期連続のマイナス」と書かれていた。さらに検索すると、ジャネット・イェレン財務長官が「労働市場が堅調だから、これは景気後退ではない」と発言した報道にも行き当たった。その発言通り、失業率も失業保険の申請件数も高まっていないという。

「ふふっ、笑っちゃうね」--。
イェレン長官のコメントを聞いた井坂は噴き出した。
「アメリカの労働参加率は依然として回復していないのだから、恒常的な人手不足の状態にある。そんな状態で失業率の話なんてしたってしょうがないじゃないか。むしろそうした人手不足が賃金を押し上げ、却ってインフレ圧力を高める要因になっているんだから」
 そう言うと自分のスマホをいじくって何かのサイトを探し当てた。
「これが……、アメリカの労働参加率を長期にわたって表すグラフさ。商務省の公表データを基にセントルイス連邦銀行がサイトに上げている」



「1965年まではジェンダーの壁があって参加率は6割に満たないが、そうした壁が取り払われるにつれて徐々に上昇していく。それが67%くらいのところで頭打ちになるから、これが社会構造に照らした本来の参加率なのだろう……」
 グラフの左半分には公民権運動やウーマン・リブ運動など「人権の確立」を巡る、気高い闘いの歴史が刻まれていた。
「ところが2000年代に入ると、一転してこれが下降しはじめる。はじめはいわゆる『ITバブル』崩壊の時期に該当するのだが、ここで何があったかはまだ確かめていない。はっきり言えるのは2008年の『リーマン・ショック』後の下降線なんだ。これ、なぜだと思う?」
「かなりのペースで下がっているね」
 自分の余計なひと言でまた話が横道へ逸れてしまった。本街道へ戻るには、取り敢えずこの話を完結させねばならない。

「失業保険」--。
 そう言って井坂は謎解きの答えを明かした名探偵のような得意顔をしてみせた。
                 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

 【最新版】  日月神示

蔵屋
歴史・時代
 最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。  何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」 「今に生きよ!」  「善一筋で生きよ!」  「身魂磨きをせよ!」  「人間の正しい生き方」  「人間の正しい食生活」  「人間の正しい夫婦のあり方」  「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」  たったのこれだけを守れば良いということだ。  根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。  日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。  これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」 という言葉に注目して欲しい。  今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。  どうか、最後までお読み下さい。  日月神示の予言については、私が執筆中の「神典日月神示の真実」をお読み下さい。    

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

処理中です...