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サンタヤーナの警句(第二十話)
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二十
「もうっ、今までどこへ行ってたんですかぁっ! 探したんですよっ!」
隆三が戻ったのを見るや、鉾田ななみが凄い剣幕で駆け寄ってきた。時計の針はもう6時半を回っていた。「働き方改革」で以前ほど残業ができなくなったから、時間管理も厳しくなった。
「何度も何度も携帯へ連絡入れたのに、見なかったんですかぁ?」
その語気に押されて慌てて携帯を取り出した。プッシュ通知の大半は身に覚えのない先からの怪しい売り込みだの、以前登録した通販サイトからのお知らせといった類だから、ろくに見もせず片っ端からゴミ箱へ放り込んできた。そんなのが習慣化して、メールの受信に“不感症”になっていた。
画面をスクロールすると、確かに鉾田から繰り返しメールが送られていた。それに不在着信も複数回残っている。喫茶店で井坂と話しながらネットを検索したとき、事前にメールをチェックすべきだったが、まさか自分宛ての連絡なんて予期していなかったのが仇となった。
「スマン、スマン。つい話し込んでいたものだから……」
そんな言い訳など今どき通じないと知りながら、ついつい逃げ口上を打った。
「編集長が吉川さんを別の企画へ引っ張って行っちゃったんですっ!」
女々しい言い訳に対する鉾田の宣告は、あまりに残酷だった。
「ええええっ、なっ、何で」--?
まさに寝耳に水の話である。
「羽柴さんが自分ばっかり勝手気ままに行動して、吉川さんのこと、放ったらかしにしてたでしょ?」
そう言われると誠に耳が痛い。まったく返す言葉もない。
「だけどアイツ、自分でいい資料つくってきたじゃないか」
隆三の指示を受けるまでもなく、吉川幸一が原油価格とインフレ率の関係をグラフ化して、このインフレが原油高とは別の要因から起こっている可能性を探って見せたのは、ほんの数日前のことである。隆三はそこに“賃金”という要素をはめ込んで、一つの仮説を立てた。ところが彼は、そのネタを自分で抱えたまま吉川を置き去りにしてしまった。
こういうところが彼の管理能力の欠如として、上層部の不興を買った。それにあの事件が重なって降格の憂き目に遭ったにもかかわらず、三つ子の魂何とやらでまた同じことを繰り返した。
「吉川さん、あのグラフつくったはいいけど、羽柴さんがあれをどう使おうとしているのか、自分はこの先どっちへ行ったらいいのか分からないって、頭かかえていたんですよっ。それなのに、羽柴さんたら、自分ばっかり飛び回ってばかりじゃないですか!」
「……」
入社二年目の鉾田ななみに説教を食らわされ、まったく面目ないとしか返せない。そんな自分がつくづく嫌になった。
「それで手持ち無沙汰そうにしているところへ編集長がやってきて、『おう、何だ手が空いているなら手伝ってくれ』って、こっちもこっちで吉川さんの話なんか聞かないで、連れて行っちゃったんです。もうっ、ワタシ辞めようかな、この会社……」
これは参った。隆三はその一言を思い浮かべるのが精いっぱいだった。もちろんそんなことは口にできない。彼に許された言葉はただひとつ--。
「スマン。本当にすみませんでした」
編集長の木戸康夫は隆三より三コ先輩で、会社の常務取締役でもある。編集部の中で唯一頭の上がらない相手と言えば、木戸しかいない。その木戸の許へ行って、果たして吉川を連れて帰ってこられるだろうか……? イヤーっ、どう考えてもそれは無理そうだ。第一、吉川自身がそれを望まないだろう。せっかく特集を任されたというのに、部下をつけてくれたというのに、早々に三行半を突き付けられたかたちになった。
「僕がもっと早くに言えばよかったんでしょうがね……」
腫れ物を触るような物腰で、副編集長の種村が気を回してくれた。その心配りが自分のダメさ加減を一層浮き上がらせた。
「しかし、企画はもう変更できません。鉾田さんと二人でお願いします」
奥ゆかしい口調で種村が容赦なくそう言った。自業自得なのだから、自分が吉川の穴を埋めるのは当然である。問題は鉾田がこのまま付いてきてくれるか否かだろう。そんな気配を感じ取ったのか、鉾田はこちらが聞くまでもなくこういった。
「もう、嫌んなっちゃった」
「分かった。自分のツケは自分で払うよ」
それは隆三の何気ないひとことだった。すると鉾田ななみが声を荒げた。
「羽柴さんのそういうところがワタシ、大嫌いですっ!」
意表を突かれたのは種村も一緒だった。二人のオジサンを前に、鉾田は泣き叫ばんばかりにこう続けた。
「どうしていつも自分ばかりなんですかっ? なんで独りなんですかっ? みんなでやろうとしないんですかっ? そんなのチームじゃないっ! 吉川さんを取り上げられて当然ですっ! そんなんだったらワタシっ、辞めるっ!!」
そういうが早いか、鉾田はワッと泣き出した。窓の外はすっかり暗がりになっていた。蛍光灯の光が窓ガラスに浮いて見えた。それ以外は何も見えなかった。
「もうっ、今までどこへ行ってたんですかぁっ! 探したんですよっ!」
隆三が戻ったのを見るや、鉾田ななみが凄い剣幕で駆け寄ってきた。時計の針はもう6時半を回っていた。「働き方改革」で以前ほど残業ができなくなったから、時間管理も厳しくなった。
「何度も何度も携帯へ連絡入れたのに、見なかったんですかぁ?」
その語気に押されて慌てて携帯を取り出した。プッシュ通知の大半は身に覚えのない先からの怪しい売り込みだの、以前登録した通販サイトからのお知らせといった類だから、ろくに見もせず片っ端からゴミ箱へ放り込んできた。そんなのが習慣化して、メールの受信に“不感症”になっていた。
画面をスクロールすると、確かに鉾田から繰り返しメールが送られていた。それに不在着信も複数回残っている。喫茶店で井坂と話しながらネットを検索したとき、事前にメールをチェックすべきだったが、まさか自分宛ての連絡なんて予期していなかったのが仇となった。
「スマン、スマン。つい話し込んでいたものだから……」
そんな言い訳など今どき通じないと知りながら、ついつい逃げ口上を打った。
「編集長が吉川さんを別の企画へ引っ張って行っちゃったんですっ!」
女々しい言い訳に対する鉾田の宣告は、あまりに残酷だった。
「ええええっ、なっ、何で」--?
まさに寝耳に水の話である。
「羽柴さんが自分ばっかり勝手気ままに行動して、吉川さんのこと、放ったらかしにしてたでしょ?」
そう言われると誠に耳が痛い。まったく返す言葉もない。
「だけどアイツ、自分でいい資料つくってきたじゃないか」
隆三の指示を受けるまでもなく、吉川幸一が原油価格とインフレ率の関係をグラフ化して、このインフレが原油高とは別の要因から起こっている可能性を探って見せたのは、ほんの数日前のことである。隆三はそこに“賃金”という要素をはめ込んで、一つの仮説を立てた。ところが彼は、そのネタを自分で抱えたまま吉川を置き去りにしてしまった。
こういうところが彼の管理能力の欠如として、上層部の不興を買った。それにあの事件が重なって降格の憂き目に遭ったにもかかわらず、三つ子の魂何とやらでまた同じことを繰り返した。
「吉川さん、あのグラフつくったはいいけど、羽柴さんがあれをどう使おうとしているのか、自分はこの先どっちへ行ったらいいのか分からないって、頭かかえていたんですよっ。それなのに、羽柴さんたら、自分ばっかり飛び回ってばかりじゃないですか!」
「……」
入社二年目の鉾田ななみに説教を食らわされ、まったく面目ないとしか返せない。そんな自分がつくづく嫌になった。
「それで手持ち無沙汰そうにしているところへ編集長がやってきて、『おう、何だ手が空いているなら手伝ってくれ』って、こっちもこっちで吉川さんの話なんか聞かないで、連れて行っちゃったんです。もうっ、ワタシ辞めようかな、この会社……」
これは参った。隆三はその一言を思い浮かべるのが精いっぱいだった。もちろんそんなことは口にできない。彼に許された言葉はただひとつ--。
「スマン。本当にすみませんでした」
編集長の木戸康夫は隆三より三コ先輩で、会社の常務取締役でもある。編集部の中で唯一頭の上がらない相手と言えば、木戸しかいない。その木戸の許へ行って、果たして吉川を連れて帰ってこられるだろうか……? イヤーっ、どう考えてもそれは無理そうだ。第一、吉川自身がそれを望まないだろう。せっかく特集を任されたというのに、部下をつけてくれたというのに、早々に三行半を突き付けられたかたちになった。
「僕がもっと早くに言えばよかったんでしょうがね……」
腫れ物を触るような物腰で、副編集長の種村が気を回してくれた。その心配りが自分のダメさ加減を一層浮き上がらせた。
「しかし、企画はもう変更できません。鉾田さんと二人でお願いします」
奥ゆかしい口調で種村が容赦なくそう言った。自業自得なのだから、自分が吉川の穴を埋めるのは当然である。問題は鉾田がこのまま付いてきてくれるか否かだろう。そんな気配を感じ取ったのか、鉾田はこちらが聞くまでもなくこういった。
「もう、嫌んなっちゃった」
「分かった。自分のツケは自分で払うよ」
それは隆三の何気ないひとことだった。すると鉾田ななみが声を荒げた。
「羽柴さんのそういうところがワタシ、大嫌いですっ!」
意表を突かれたのは種村も一緒だった。二人のオジサンを前に、鉾田は泣き叫ばんばかりにこう続けた。
「どうしていつも自分ばかりなんですかっ? なんで独りなんですかっ? みんなでやろうとしないんですかっ? そんなのチームじゃないっ! 吉川さんを取り上げられて当然ですっ! そんなんだったらワタシっ、辞めるっ!!」
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