サンタヤーナの警句

宗像紫雲

文字の大きさ
42 / 46

サンタヤーナの警句(第四十二話)

しおりを挟む
                 四十二

「春日君とは役所時代からの関係でね」--。
 権田は初対面の挨拶も抜きに、隆三が聞きそびれたままになっていた春日哲也の素性を、こともなく明かした。

 なるほど、あの事務所は財界と霞が関をつなぐ地下通路の役割を果たしていたのか--。春日ほどの見識を持ち、また隠然とした影響力を匂わせながらも世間の片隅にひっそりと身を潜めている理由の一端が見えたような気がした。差し詰め春日は昭和の時代に暗躍したと言われる“フィクサー”という訳だな。まだ居たんだ、そういうのが……。
「あの頃はよく国際会議などへご一緒させていただきました」
 権田に対する春日の口ぶりから二人は霞が関時代の先輩後輩、もしくは上司部下の関係にあったことがうかがえた。

 先付、煮物腕、造り、焼き物に箸休め……。食リポ系の動画ではあんなに美味しそうに見えたのに、一生に一度でいいから食べてみたいと思っていたのに……。いざ目の前に並んだ憧憬しょうけいの品々のどれひとつを口に運んでみても、緊張がまさってまったく味わえなかった。

「我々の現役時代と言えば、長年続いた日米貿易摩擦がいよいよ高じて“経済戦争”という様相へと激化した頃だった」
 権田は往時の記憶を呼び覚ますように、遠い目をしながら語り始めた。
「あちらさんに言わせれば、日本はアメリカへ多くのモノを売っておきながら、少ししかアメリカ製品を買わないから不均衡が起こるのだそうだ。こちらは良いものを作れば自然と売れると言い返す--。すると先方は日本の閉鎖性だ、参入障壁だと言って『大店法』を押し付けてきた結果、地方にシャッター街をつくったのはあんたも覚えているだろう」
 権田は当時を思い起こしながら忌々いまいましそうに渋面をつくった。

「近年は日本の産業競争力が低下して矢面に立つこともめっきり少なくなったが、お隣さんとの間で起こった制裁関税の応酬は、決して対岸の火事ではない。いつまた矛先が向かって来るとも限らない」
 権田は見た目の傲慢さに似合わないナイーブさで大国間の揉め事の余波に身構えた。
「さんざん学習を重ねたアンタなら今さら繰り返して言うまでもないが、ブレトン・ウッズ体制は金為替本位制という構造的欠陥を孕んだままスタートしたが、アメリカの圧倒的な経済力と軍事力に支えられて戦後復興に大きく寄与したことは間違いない。そして冷戦が起こってヨーロッパへ多額の軍事援助をせねばならなかったから、大量の金が流出したのも必要悪だ。そしてヨーロッパ経済が息を吹き返すと、そこにアメリカ製品の有力な輸出先が現れると同時に自国市場もヨーロッパの製品に侵されることとなった。そう考えると戦前のポンドと同じく基軸通貨国が担う負担には同情の余地がないでもない」
 戦後の通貨体制については何度も何度も繰り返し読んだし話を聞いた。それでもなおまた、相手がどんな認識を持っているのか確認しておきたい。

「ヨーロッパ諸国は貿易で得た経常黒字を次々と金へ兌換するよう要請したからアメリカの金の残量は見る見るうちに減少し、1960年には必要額を下回るほどになりました」
 先輩の話を引き取ったのが春日だった。黒服の秘書は黙ったまま権田の空いた盃に酒を注いだ。
「この頃から『ドルの危機』が叫ばれ、通貨制度の在り方を巡る議論も活発に交わされるようになったのはご存じですよね。議論百出、百家争鳴ひゃっかそうめいでしたがこれと言った決め手を欠いたまま、ただ虚しく時だけが過ぎて行きました。あとは羽柴さんもご案内の通り、ニクソンショックに変動相場制と--嘘に嘘を重ねた結果、貿易のひずみはますます大きくなって、それが二国間の実質的な“戦争”へと発展していきました」
 最後の“取り”は俺に残せとばかり、今度は先輩の権田が再び話し出した。

「すべての間違いは通貨制度にあった。だがアメリカはそう易々と基軸通貨の『発行特権』を手放さないだろう。唯一の機会が訪れるとすれば、いずれどこかで起こるドルの崩壊を待つしかない。そして我々は、そう遠くない先にそのチャンスがやってくると見ているのだ」
 そう言って盃を一気に飲み干して隆三の顔をしっかと見た。
「そのときは、君に手伝ってもらうよ」

 そこまで言うと権田は秘書へ目配せし、部厚い封筒を隆三の前へ置かせた。中身が何であるかは封筒の形状から察せられた。
「取っておきたまえ。税務署の足はつかないカネだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...