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サンタヤーナの警句(第四十五話)
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四十五
権田との決裂は即ち、華やかな世界との決別を意味した。
後ろ盾を失った者の言葉なんて、支柱を外したアサガオのようなものだ。自らの重みにすら耐えられず、萎えてへたり込んで色あせて干からびるのが落ちだろう。地上波出演のオファーは皆無となり、替わって“新星”に祭り上げられたのは銀行系シンクタンクを辞めてフリーの経済評論家へと転じた高橋天馬だった。
思えば羽柴隆三という“あだ花”は、ほんのちょっとの間だけ花を咲かせたに過ぎなかった。地上波だけでなく新聞雑誌の主要メディアはこぞって隆三を見捨て、若き希望の星へと乗り換えた。世間はすぐに忘れるだろう。彼が鳴らした何かの警鐘なんて--。彼が語った何かのことなんて--。そして彼という人間がこの世に存在した事実すらも--。
会社にとって隆三は、以前にも増して“腫れ物”となった。“あだ花”が艶やかな色彩を放っていた間は、会社の宣伝にもなるからといってまるで“人寄せパンダ”のようにおだて上げたものの、それらが突如として打ち切られてみると、例の“厄介者”へ向ける視線を浴びせかけたのだった。
確かに一度はメジャーな世界にもてはやされ、そして盛りを過ぎた商売女のように見向きもされなくなった人間をどう扱ったらいいものか、上層部の苦悩も分からないでもない。だがそんな隆三にどう接していいか、最も困惑したのは鉾田ななみだろう。彼女はそんな隆三を“近寄り難い人”と見做して遠ざかって行った。
また独りになった。考えようによってはそれが最も彼らしい在り方なのかも知れない。ただ一部のインターネット放送だけが、引き続き彼を起用してくれたのは幸いだった。そしてほんの束の間“あだ花”となった一連の出来ごとを通じて、彼の中に大きな科学変化が起こっていたのも確かだった。もはや彼は孤独を厭わなかった。恐れなかった。しり込みしなかった。
隆三はその番組を通じて通貨制度改革の“王道”を唱え続けた。
「通貨は人類全体の問題です。通貨覇権を巡ってしのぎを削る時代は終わったのです」--。
ある日の番組で彼はこう発言した。もともと世間の誰しも「お金」は好きだが、「通貨の問題」など考えたことはない。いわんや通貨の何が問題なのかにおいてをや……。
案の定、発言への反応は皆無だった。視聴者からもスタジオの出演者からも。だがほんの一握りだけ、彼のこの発言に危惧の念を抱いた者たちがいた。
すっかり“孤高の人”となった隆三は、生放送を終えて帰宅の途についた。夕闇は夜の暗さに変わろうとしていた。街頭に照らされた通りのイチョウ並木はすっかり色を変えていた。心なしか薄闇が辺りの空気を冷え冷えさせ、乾いた夜の中を車のテールランプが幾筋も流れて行った。
ふと側道に止まっていたバンのスライドドアが開くと、覆面姿の男たちが飛び出し、隆三を羽交い絞めにした。それはとてつもない力で、抗う間もなく口元にハンカチを当てられた。彼が覚えているのはそこまでだった。かすかに記憶にこびりついたものと言えば、身体から力が抜けて重くなるのと意識が遠のいていったことだった。
それからどれほど経ったのだろう--。
あるいは何日も何週間も前のことだったかも知れないし、もしかしたらつい今しがたの出来ごとだったのかも知れない。それはともかく、失った意識を取り戻したとき彼はよだれを垂らしていた。薄ぼんやりと視界が開けると、黒ずくめの屈強な男たちに取り囲まれていた。
ここはどこなのだろう--?
何か見覚えがあるような気がした。ずっと身近にある場所という気もした。目の前にはさらにあり触れたものが床へ据え付けられてあった。
そうだ、これは便器だ--。
朦朧とする意識は細い糸を手繰り寄せ、バラバラになったパーツを一つまたひとつと繋ぎ合わせた。洗面所があった。おむつの交換台があった。身障者用の手すりがあった。
どうやら公園の多目的トイレらしい……。
黒ずくめの男たちは両脇から隆三を抱き起して便器の上に座らせた。ようやく半分ほど意識は取り戻したものの、依然として身体に力の入らない隆三は、男たちのするがままにされていた。男の一人が金属の小箱から注射器を取り出し、針を天井へ向けて空気抜きをした。そして別の男へ合図して隆三の腕を押さえつけさせた。
「薬物の過剰摂取による心臓麻痺」--。
ふと井坂のことが頭をよぎった。そうか--。そうだったのか--。
するとリーダー格の男が前へ立ち、こう言い捨てた。
「余計なことを口走りやがって」
その声には聞き覚えがあった。だが誰なのかを追求する気は起らなかった。
権田との決裂は即ち、華やかな世界との決別を意味した。
後ろ盾を失った者の言葉なんて、支柱を外したアサガオのようなものだ。自らの重みにすら耐えられず、萎えてへたり込んで色あせて干からびるのが落ちだろう。地上波出演のオファーは皆無となり、替わって“新星”に祭り上げられたのは銀行系シンクタンクを辞めてフリーの経済評論家へと転じた高橋天馬だった。
思えば羽柴隆三という“あだ花”は、ほんのちょっとの間だけ花を咲かせたに過ぎなかった。地上波だけでなく新聞雑誌の主要メディアはこぞって隆三を見捨て、若き希望の星へと乗り換えた。世間はすぐに忘れるだろう。彼が鳴らした何かの警鐘なんて--。彼が語った何かのことなんて--。そして彼という人間がこの世に存在した事実すらも--。
会社にとって隆三は、以前にも増して“腫れ物”となった。“あだ花”が艶やかな色彩を放っていた間は、会社の宣伝にもなるからといってまるで“人寄せパンダ”のようにおだて上げたものの、それらが突如として打ち切られてみると、例の“厄介者”へ向ける視線を浴びせかけたのだった。
確かに一度はメジャーな世界にもてはやされ、そして盛りを過ぎた商売女のように見向きもされなくなった人間をどう扱ったらいいものか、上層部の苦悩も分からないでもない。だがそんな隆三にどう接していいか、最も困惑したのは鉾田ななみだろう。彼女はそんな隆三を“近寄り難い人”と見做して遠ざかって行った。
また独りになった。考えようによってはそれが最も彼らしい在り方なのかも知れない。ただ一部のインターネット放送だけが、引き続き彼を起用してくれたのは幸いだった。そしてほんの束の間“あだ花”となった一連の出来ごとを通じて、彼の中に大きな科学変化が起こっていたのも確かだった。もはや彼は孤独を厭わなかった。恐れなかった。しり込みしなかった。
隆三はその番組を通じて通貨制度改革の“王道”を唱え続けた。
「通貨は人類全体の問題です。通貨覇権を巡ってしのぎを削る時代は終わったのです」--。
ある日の番組で彼はこう発言した。もともと世間の誰しも「お金」は好きだが、「通貨の問題」など考えたことはない。いわんや通貨の何が問題なのかにおいてをや……。
案の定、発言への反応は皆無だった。視聴者からもスタジオの出演者からも。だがほんの一握りだけ、彼のこの発言に危惧の念を抱いた者たちがいた。
すっかり“孤高の人”となった隆三は、生放送を終えて帰宅の途についた。夕闇は夜の暗さに変わろうとしていた。街頭に照らされた通りのイチョウ並木はすっかり色を変えていた。心なしか薄闇が辺りの空気を冷え冷えさせ、乾いた夜の中を車のテールランプが幾筋も流れて行った。
ふと側道に止まっていたバンのスライドドアが開くと、覆面姿の男たちが飛び出し、隆三を羽交い絞めにした。それはとてつもない力で、抗う間もなく口元にハンカチを当てられた。彼が覚えているのはそこまでだった。かすかに記憶にこびりついたものと言えば、身体から力が抜けて重くなるのと意識が遠のいていったことだった。
それからどれほど経ったのだろう--。
あるいは何日も何週間も前のことだったかも知れないし、もしかしたらつい今しがたの出来ごとだったのかも知れない。それはともかく、失った意識を取り戻したとき彼はよだれを垂らしていた。薄ぼんやりと視界が開けると、黒ずくめの屈強な男たちに取り囲まれていた。
ここはどこなのだろう--?
何か見覚えがあるような気がした。ずっと身近にある場所という気もした。目の前にはさらにあり触れたものが床へ据え付けられてあった。
そうだ、これは便器だ--。
朦朧とする意識は細い糸を手繰り寄せ、バラバラになったパーツを一つまたひとつと繋ぎ合わせた。洗面所があった。おむつの交換台があった。身障者用の手すりがあった。
どうやら公園の多目的トイレらしい……。
黒ずくめの男たちは両脇から隆三を抱き起して便器の上に座らせた。ようやく半分ほど意識は取り戻したものの、依然として身体に力の入らない隆三は、男たちのするがままにされていた。男の一人が金属の小箱から注射器を取り出し、針を天井へ向けて空気抜きをした。そして別の男へ合図して隆三の腕を押さえつけさせた。
「薬物の過剰摂取による心臓麻痺」--。
ふと井坂のことが頭をよぎった。そうか--。そうだったのか--。
するとリーダー格の男が前へ立ち、こう言い捨てた。
「余計なことを口走りやがって」
その声には聞き覚えがあった。だが誰なのかを追求する気は起らなかった。
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