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第四章政略
第四章第四節(奉天総領事1)
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四
関東軍の三宅光治参謀長は二十日午後四時、片倉大尉を連れて総領事館を訪ねた。
「貴殿が発した撫順の中隊に関する電報が中央で思わぬ反響を呼び、軍の作戦に多大なる支障をもたらした……」
三宅は無粋なほど単刀直入に要件を切り出し、奉天総領事を難詰した。
「あれはただ……、そんな噂があるということを中央へ報告したまでで……。決して何か深い意図をもってのことではありません。参謀長もご承知の通り、ここのところ当地には不穏な空気が漂い、種々雑多な噂が乱れ飛んでいました。現地の情報を中央に送るのは、小官の務めに過ぎない」
三宅が放った一撃をかわさんとばかり弁解につとめた総領事だったが、その態度はいかにも開き直ったようで、“尊大”とすら見えた。
「ふむ、しかし軍は平素から様々な事態を想定して、各種の訓練を繰り返してきた。貴殿も言う通り、昨今当地の情勢が険悪化するに従い、なおさら軍としても訓練に熱を込めていた折柄……」
見え透いた言い訳を述べ立てる官僚を「一刀両断!」とばかり、三宅の語気は強くなった。
「報告は結構だが、軍に事実の確認もせず東京へ打電したとあっては、風説を流布したに等しいのではないだろうか?」
“風説の流布”呼ばわりされたとあっては官僚の自尊心が黙っていない。だが林は“面従腹背”といった体で慇懃無礼な態度に徹した。
「撫順守備隊の行動は、そうした平常の訓練の一環にすぎなかった。それが貴殿の告げ口によって……、軍の計画が台無しになったと言っても過言ではない!」
軍事へのアレルギーが昂じて、「安全保障」の重要性が解らなくなってしまった現代日本人には違和感のある会話だが、安全保障こそは主権国家の存立を支える礎である。「自由」も「権利」も「平和」も「経済の繁栄」も「文化」ですら、国が安泰に存立していればこその賜物であって、安全保障が損なわれれば人々の“幸せ”は土台から失われてしまう。
もともと「軍事」と「外交」は車の両輪の関係にある。もっと言えば「外交」で決着すべき問題が容易に片付かないときにはじめて「軍事」が出てくる。それではと言って、一度作戦行動に入ってしまった軍隊を外交の場へ引き戻せるかというと、それは一層容易なことではない。だからこの場合、林の方が分は悪い。
自分の言葉にエスカレートした三宅は、さらにサディスティックに林を締め上げんとした。
「そればかりではない。作戦中の板垣参謀へ電話をかけてきて、やれ『東北軍閥軍は無抵抗だ』などと口走り、事実も確かめずにこれも東京へ垂れ流した」
「しっ、しかしそれは……、外国の領事からも連絡があって……、国際問題に発展してはという……」
「そんな戯言を真に受けて外交が成り立つのか! 張学良が根も葉もない虚言を弄したことなど、北大営の戦跡を視察すれば一目瞭然ではないかっ!」
しどろもどろとなった林はハンカチを取り出し額の汗をぬぐった。必死に弁明に努めるものの、さっきまでの尊大さはすでに痕跡をとどめなかった。三宅はとどめを刺すように言い放った。
「はなはだ迷惑だっ!」
三宅に一喝された林は「降参!」といった体で、「誤解の元となるような公電はただちに取り消すよう、あらためて電報を発信する」と約束した。
果たして約束は履行されたのだろうか--。
総領事が東京へどんな電報を送ったか、確認を取るため三宅は二十四日、片倉を総領事館へ赴かせた。応対した林は再び尊大な総領事に戻っていて、直接これには答えず「明日、あらためて軍司令官に陳謝する」と語ったという。
ところがその後も林は、奉天市政の問題や発券銀行である官銀号の営業再開などを巡って何かと本庄司令官へ横やりを入れてきた。三宅は十月二日、再び片倉を連れて談判に行く。
「約束が違うではないかっ!」
この日も三宅の怒号が飛んだ。林は上目遣いで参謀長を見ると、口をもごつかせながらいつもの弁解を並べ立てた。
「ごっ、誤解なさらないでください。小官は決して軍の不利となるようなことをするつもりなどありません」
「ではその証拠を見せていただこうではないかっ」
すると林は部厚い電報の綴りを持ってきて、「どうぞご覧下さい」と開いて見せた。
「小官の真意がこれでお分かりでしょう。外相からの訓示は外交上の体面からくるものに過ぎません。当然、軍には極力協力するつもりです」
関東軍の三宅光治参謀長は二十日午後四時、片倉大尉を連れて総領事館を訪ねた。
「貴殿が発した撫順の中隊に関する電報が中央で思わぬ反響を呼び、軍の作戦に多大なる支障をもたらした……」
三宅は無粋なほど単刀直入に要件を切り出し、奉天総領事を難詰した。
「あれはただ……、そんな噂があるということを中央へ報告したまでで……。決して何か深い意図をもってのことではありません。参謀長もご承知の通り、ここのところ当地には不穏な空気が漂い、種々雑多な噂が乱れ飛んでいました。現地の情報を中央に送るのは、小官の務めに過ぎない」
三宅が放った一撃をかわさんとばかり弁解につとめた総領事だったが、その態度はいかにも開き直ったようで、“尊大”とすら見えた。
「ふむ、しかし軍は平素から様々な事態を想定して、各種の訓練を繰り返してきた。貴殿も言う通り、昨今当地の情勢が険悪化するに従い、なおさら軍としても訓練に熱を込めていた折柄……」
見え透いた言い訳を述べ立てる官僚を「一刀両断!」とばかり、三宅の語気は強くなった。
「報告は結構だが、軍に事実の確認もせず東京へ打電したとあっては、風説を流布したに等しいのではないだろうか?」
“風説の流布”呼ばわりされたとあっては官僚の自尊心が黙っていない。だが林は“面従腹背”といった体で慇懃無礼な態度に徹した。
「撫順守備隊の行動は、そうした平常の訓練の一環にすぎなかった。それが貴殿の告げ口によって……、軍の計画が台無しになったと言っても過言ではない!」
軍事へのアレルギーが昂じて、「安全保障」の重要性が解らなくなってしまった現代日本人には違和感のある会話だが、安全保障こそは主権国家の存立を支える礎である。「自由」も「権利」も「平和」も「経済の繁栄」も「文化」ですら、国が安泰に存立していればこその賜物であって、安全保障が損なわれれば人々の“幸せ”は土台から失われてしまう。
もともと「軍事」と「外交」は車の両輪の関係にある。もっと言えば「外交」で決着すべき問題が容易に片付かないときにはじめて「軍事」が出てくる。それではと言って、一度作戦行動に入ってしまった軍隊を外交の場へ引き戻せるかというと、それは一層容易なことではない。だからこの場合、林の方が分は悪い。
自分の言葉にエスカレートした三宅は、さらにサディスティックに林を締め上げんとした。
「そればかりではない。作戦中の板垣参謀へ電話をかけてきて、やれ『東北軍閥軍は無抵抗だ』などと口走り、事実も確かめずにこれも東京へ垂れ流した」
「しっ、しかしそれは……、外国の領事からも連絡があって……、国際問題に発展してはという……」
「そんな戯言を真に受けて外交が成り立つのか! 張学良が根も葉もない虚言を弄したことなど、北大営の戦跡を視察すれば一目瞭然ではないかっ!」
しどろもどろとなった林はハンカチを取り出し額の汗をぬぐった。必死に弁明に努めるものの、さっきまでの尊大さはすでに痕跡をとどめなかった。三宅はとどめを刺すように言い放った。
「はなはだ迷惑だっ!」
三宅に一喝された林は「降参!」といった体で、「誤解の元となるような公電はただちに取り消すよう、あらためて電報を発信する」と約束した。
果たして約束は履行されたのだろうか--。
総領事が東京へどんな電報を送ったか、確認を取るため三宅は二十四日、片倉を総領事館へ赴かせた。応対した林は再び尊大な総領事に戻っていて、直接これには答えず「明日、あらためて軍司令官に陳謝する」と語ったという。
ところがその後も林は、奉天市政の問題や発券銀行である官銀号の営業再開などを巡って何かと本庄司令官へ横やりを入れてきた。三宅は十月二日、再び片倉を連れて談判に行く。
「約束が違うではないかっ!」
この日も三宅の怒号が飛んだ。林は上目遣いで参謀長を見ると、口をもごつかせながらいつもの弁解を並べ立てた。
「ごっ、誤解なさらないでください。小官は決して軍の不利となるようなことをするつもりなどありません」
「ではその証拠を見せていただこうではないかっ」
すると林は部厚い電報の綴りを持ってきて、「どうぞご覧下さい」と開いて見せた。
「小官の真意がこれでお分かりでしょう。外相からの訓示は外交上の体面からくるものに過ぎません。当然、軍には極力協力するつもりです」
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