風紋(Sand Ripples)~あの頃だってそうだった~

宗像紫雲

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第十四章上海事変

第十四章第四十四節(広東派)

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                                               四十四

 都合の悪いことには口をつぐむ--。
 これもまた“独善家”のひとつの習性である。

 「九カ国条約とグアム要塞との間には何らのバーターも存在しなかった」という日本側の指摘に取り合わず、スチムソン国務長官はまたまたユニークな発言でボロを出した。
 法律家の価値観はどこまでも書面の上を離れない。だから第九師団の植田師団長が第十九路軍へ「二〇キロ撤退するよう」迫ったことに、スチムソン長官は「自軍は退かずに相手方へのみ撤退を迫るのは、民国の主権を侵すものだ」といって憤慨した。アメリカの“平和主義者”や国際聯盟の理事たちも、これまで以上に険悪な視線を投げかけてきた。
 この議論がいかに滑稽であるかは、極東の大陸に起こる出来ごとはどこまでも俗人的だという“現実”に目を向けたときにはじめてわかる。

 第十九路軍は広東派の陳銘枢ちんめいすうが部下の蔡廷楷さいていかい蔣光鼐しょうこうがいに編成させた部隊で、将兵もみな広東出身だ。
 もとはと言えば陳は親蒋介石しょうかいせきで、本章第十四節に書いたように蒋介石に忠誠を誓う軍勢だった。だがそれはちょっと前までの話で、前年夏の「第三次囲剿いそう戦」が頓挫すると、陳は蒋介石の指導力に疑問を抱き反蒋派へ転じたのだった。

 その年の十月に南京政府と広東政府の和平交渉が進展すると、広東側は妥協の前提条件として第十九路軍の京滬けいこ※移駐を要求し、満洲事変の責任を問われて立場の危うくなっていた蒋介石もやむなくこれに応諾した。同年十一月上旬には移駐を完了している。
 ※京滬=現在この言葉は北京と上海という意味に使われるが、この当時は南京と上海を指した。「滬」は上海の意味。

 その後、満洲事変の詰め腹を切らされるかたちで蒋介石は下野し、年末には孫科そんかおよび陳友仁ちんゆうじんら広東派が南京政府乗っ取りに成功する。その間第十九路軍は終始、孫、陳等を武力的に支える支柱として京滬方面に居座り続けた。
 ところが孫も陳も南京政府を維持できず、政府は再び蒋介石派が実権を握る。下野した孫や陳等は対日融和策に偏りがちな蒋介石への“嫌がらせ”をする目的で、上海方面から盛んに対日絶交を唱えた。

 従って上海事変の背景となった排日排日貨に関しても、日本の朝野は「国民党の仕業」と叫んだが南京側は「広東派の策動だ」と言い続けた。だから北満の馬占山ばせんざん将軍のときとは異なって、南京政府は上海事変を「広東派が十九路軍を使嗾し惹起させたもの」と等閑視した。

 こうした素性と現状を踏まえ、第九師団は第十九路軍との「停戦交渉」は現実的でないと判断した。それ故に「租界及び居留邦人に対する緊急重大なる危険に顧み同軍の危険区域撤退を要求」したのだった。
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