殺人兄弟は死を知らない

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語るは嘘の声①

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 奥の角部屋にて、窓の前に椅子を置く。それを机代わりに、画材を設置した。緑の鉛筆を手に取る。しかし、最初の一本が中々引けない。

 ここは森の中らしく、全方向を木々に防衛されていた。そのせいで景色は緩くしか動かず、色を求める目に退屈を見せた。

 しかし、僕には絵くらいしかない。他の退屈凌ぎも幾つか試みたが、全く惹かれなかった。

 その点、メーアは勉強家で知識欲も深い。ゆえに多くの活字を楽しむことができた。

 本は世界の真実を知る術である――そう理解はしている。しかし、どうしても受け付けなかった。メーアがいなければ、僕の頭は幼子のままだっただろう。

 教わる側に立つことに、劣等感を抱く日もある。しかし、それ以上に尊敬していた。

 木々が心地良さげにリズムを取っている。それが妙に羨ましく、リフレッシュも兼ね窓を開けることにした。柔らかく涼しい風が、室内に生気を運び込む。

 深呼吸したところで窓枠から影が飛び出した。普段ない気配に心臓が驚く。
 現れたのは、メーアくらいの少年だった。風に溶けそうな声が、窓から入ってくる。

「何してるの?」

 すぐさま掟が過り、あるはずのない出来事に困惑した。彼くらいの子どもは、本来家にいるはずなのに。

「そ、外に出てもいいのか?」
「あ、やっぱここ君ん家《ち》の森だった? まぁバレなきゃ問題ないでしょ。それより名前何て言うの? 俺はテレ」

 掟破りをあっさり認めた少年は、悪人ではないかのように笑う。しかも、堂々と名前まで明かしてきた。その態度に、困惑が一層加速する。

「よく外に出てるのか……?」
「もちろん。色々な場所へ行くよ。孤児だから自由なんだ」

 更には新情報まで開示され、何がなんだか分からなくなった。
 疑問と言えばメーアだ。孤児と掟について、あとで訊ねてみよう。

「折角だし、少し話そうよ」

 と考えたのも束の間、提案され迷う。彼が悪人か善人か、分からない以上危険かもしれない。
 しかし、考慮した上で好奇心に飲まれた。時には自力で回答を探してみよう――そう理由付けし、窓の隙間を広げた。
 
 その日は声をほとんど封印し、話を聞き続けた。彼の口から飛び出すのは、嘘の束でしかなかった。
 しかし、話術が錯覚させるのか、全てが想像を刺激した。



「あー! どうしても兄さんみたいに上手くいかない!」

 血塗れの人間の前、メーアが嘆く。背後の父親が、溜め息混じりに『もっと練習が必要だな』と呟いた。
 何度も繰り返す失敗に、背中が憂鬱を乗せている。

 そんな中、僕の脳はあの新鮮な経験で満ちていた。とは言え仕事中だ。心まで飛ばしたりはしない。

「どうしたら兄さんみたいに出来るんだろう。五分でってことだったのに長引いちゃったー」

 頬の返り血を伸ばしながら、メーアが振り向く。目の前の女は、布ありでも分かるほど、顔に苦痛を貼り付けていた。

 僕たちも、反撃やミスで怪我をする。ゆえに、同情はしないが、痛みを理解することはできた。
 ゆったりとした殺しを完遂する度、こうはなりたくないとも思う。

「まぁ、これで確り正しい人間に戻れるんじゃないのか? な、父さん」

 目配せすると父親が踏み出す。メーアに見向きもせず、女を無造作に抱えた。

「バトンタッチだな。シャワーを浴びてリビングで待っていなさい」

 リビングにて、固定の配置で腰を落とす。本を抱えて座ったメーアだが、すぐは開かなかった。

「そうだ。今日はどこを描いてたの? 見せて」

 問いかけに対し、なぜか一瞬体が固まる。正体が後ろめたさだと気付き、回答に迷った。

 話を聞いただけだ。しかも窓のレールを境界線にもしている。悪いことは一切ない。けれど。

「今日は描いてないんだ。描くものが決まらなくてさ。ほら、同じ景色ばかりだろ」
「それもそうだね。今度また家具の配置変える?」

 笑いながら、メーアは本のちょうど中央辺りを開く。あっさり嘘を吐いた自分が、少し恐ろしくなった。

 テレに危険を感じたら、突き放すつもりではある。だから、敢えて話すことでもない――ということにした。

「そうだな。メーアは今日、その本読んでたのか? また難しそうな……」

 視界の先、ページの全てを文字が塗り潰している。しかも、やはり所々認識不可になっていた。

「うん。あのね、悪いことしても理由によっては罰にならないんだってー」
「そうなのか」

 声音化された情報が、昼間のテレと結び付く。もしかすると、彼はリスクがないと判断し、森に入ったのかもしれない。

「ていうことは、ここに来るのは本当に悪い人なんだね!」

 ここで父親が現れ、大嫌いな勉強会が始まった。
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