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◆
目覚めると、いつも通りの暗い世界が広がっていた。窓からの光も、電灯の光もない景色。
横を見ると、シンはまだ眠っていた。無表情で、だが静かに寝息を立てて。
カノンはシンが目覚めるまでの時間、家事をする為にキッチンへと向かった。
◇
しかし取り掛かり初めて直ぐ、シンはその姿を見せた。扉をゆっくりと開いて、直ぐに近づいてくる。
「お早うシン、よく眠れた?」
カノンは手に持っていた皿を、定位置に片付ける為に動いたが、シンの腕がそれを阻止した。
皿を挟む形で、柔らかく体が抱かれる。
「お早う、カノン」
「…お早う?」
敢えて抱かれてから言われ、訳もわからず、取りあえずもう一度挨拶をした。
「……シン、どうしたの?」
やっぱり、どこか変だ。昨日と言い今朝と良い、何かが変化している。
「なんでもない」
低く単調な声は、いつものシンだ。
変わらない雰囲気にカノンは安堵し、わざと考える事を止めた。
◇
問題に向き合わずとも時間は経過するし、日常は簡単には壊れない。
◇
「はい、これどうぞ」
カノンはエルから差し出された、プレゼントとしては物珍しい物体に瞠目する。
「…えっと、ありがとう」
その手には、枝ごと手折られた桜があったのだ。白めの花びらが振動により、何枚かひらひらと舞っている。
「来る途中に見かけまして、つい」
「…あぁ、なるほどね、もう桜咲いてるのか」
カノンは、何気なく窓を見遣る。しかし景色はカーテンに隔てられていて、桜は愚か、空の色さえも見えない。
春といえば、昔を思い出す。
「今が見頃みたいですよ、良かったら見に行きますか?」
「……うーん、シンと行くから良いよ」
エルの誘いは有り難かったが、カノンは一人シンを残すのが心配で、素直に断りを入れる。
「そうですか、分かりました」
エルは、少し寂しげに微笑んでいた。
◇
「診察終わりましたよ」
リビングに入室したエルの表情は、暗めだ。解答を何と無く踏まえつつも、違う答えを期待して尋ねる。
「……どう?」
「……分かってるでしょう?」
しかし、期待は溶けた。
伏せた目を上げたエルは苦笑いしていて、その瞳に愁いを含ませている。
「………今まで見逃してきましたが、やはり止めた方が良いです」
初めて聞く直接の制止要請が、事の重大さを物語る。
「……………カノンくんの事が好きならば、努力してみてください…」
その声色が、台詞が、どこから来ている物なのかシンは分かった気がした。
「……シンくんも大変でしょうけど」
残った言葉は、シンの中には留まらなかった。
◇
暫くしてからだったが、恒例通り、シンがカノンの居る寝室へとやってきた。
しかし目線は直ぐにカノンの手の中の桜に行き、伸ばされた両腕はゆっくりと下りる。
「エルさんが持ってきてくれたんだよ」
「…良かったな」
「…久しぶりに、桜見に行かない?」
案の定、シンは黙り込む。カノンも駄目もとで発言していた為、残念さは残るが想像通りだと笑った。
「ごめんごめん、じゃあここでお花見しよう」
「…お菓子作る」
カノンは見詰めた桜越し、聞こえた声に顔を上げたが、既にシンは部屋を出ていた。
◇
それぞれ違う部屋にいながらも、巡らせている内容は似たものだった。
桜といえば春、春といえば出会いに繋がる。
カノンは、手折られて尚美しく咲く桜を見ながら、およそ3年前の出来事を思い出していた。
カノンがはじめてシンを見たのは、倒れて運ばれた先の病院だった。
施設暮らしだったカノンは中学の卒業と同時に、反対を押し切り違う町での一人暮らしに踏み切った。
病弱さが、周りの人間に迷惑を与えているのが嫌で仕方が無かったのだ。しかも、心を許せていない人間に。
買い物中に酷い貧血に見舞われて、搬送された先の病院の中庭、何の実も付けていない木の陰に隠れて自傷していたシンを見つけた。
その時期が丁度桜の時期で、人々は皆、満開の桜に見惚れていた記憶がある。
その日は声をかけなかったが、その後も何度か見詰める内に、何時の間にか気になる存在へと化していた。
シンから、目が離せなくなっていた。
他人の――所謂自分の血に効果があると知ったのは、唯怪我をした時に丁度隣にいて、表情から気付いただけの平凡なきっかけがある。
◇
シンはシンで、カノンが同棲を求めてきた時の事を思い出していた。知り合う内にカノンが時々家にやってくる事はあったが、ある日突然一緒に住みたいと言ってきたのだ。
その頃には既に、肩代わりし傷をカノンが受け持つようになっていた。依存している部分があった。
因みに理由としては、カノン曰く一人暮らしが辛くなったからとの事だ。
利害が一致した事で素直に受け入れてしまったが、時々これで良かったのかと過去を振り返り見てしまう時がある。
◇
花びらがひらひらと落ち、床の上で横たわる。
カノンはまだそう遠くは無い物の、感覚的に懐かしくなった時代を懐古しながら、指先で花びらを摘んだ。
――――この、少し歪んでいてとても不安定な、けれどどうしてか愛おしい生活が、出来るだけ長く続けばいいと願う。
◇
シンは宣告した通り、スウィーツ制作の為玉子を泡立てながら、閉ざされ、布に隔てられた窓を見据えていた。
屋外では今、もう桜が咲いている。枝に付いた桜の花弁だけで、既に満開だと分かる。
もう、こんなにも時間が過ぎたのに、まだ自分は動けないままだ。
「シン、何作ってるの?」
「カノン」
横へ向けていた視線を後方のカノンへと映すと、カノンはいつもの美しい笑顔を浮かべていた。
「気になって来ちゃった、あと桜水に差しときたくて」
「あぁ、コップで良いか」
「うん、大丈夫」
シンは混ぜていた手を止め、ボールごと泡だて器を置くとコップに水を汲む。
差し出すと大事そうに、枝の先端を水へと沈めた。
「………桜、行く?」
「えっ?」
「…人、居ないとこ…」
シンはカノンを直視できずに、菓子作りを再開させる事で視線を自然と逸らした。
「………ううん、いい。行きたくない訳じゃないけど言ってみただけだから」
しかし返ってきた答えが意外で、直ぐに視線を再度カノンへ移行する。
カノンは相変わらず、綺麗な顔をしている。
所々にある赤い傷跡が、白さを映えさせている。
「…そう…」
シンは不意に湧き上がった感情を、否定しつつも抗う事が出来なかった。
「……カノン」
「なに?」
「……噛みつきたい」
「いいよ」
シンはボールを置くと、直ぐにカノンの元へと向かった。
目覚めると、いつも通りの暗い世界が広がっていた。窓からの光も、電灯の光もない景色。
横を見ると、シンはまだ眠っていた。無表情で、だが静かに寝息を立てて。
カノンはシンが目覚めるまでの時間、家事をする為にキッチンへと向かった。
◇
しかし取り掛かり初めて直ぐ、シンはその姿を見せた。扉をゆっくりと開いて、直ぐに近づいてくる。
「お早うシン、よく眠れた?」
カノンは手に持っていた皿を、定位置に片付ける為に動いたが、シンの腕がそれを阻止した。
皿を挟む形で、柔らかく体が抱かれる。
「お早う、カノン」
「…お早う?」
敢えて抱かれてから言われ、訳もわからず、取りあえずもう一度挨拶をした。
「……シン、どうしたの?」
やっぱり、どこか変だ。昨日と言い今朝と良い、何かが変化している。
「なんでもない」
低く単調な声は、いつものシンだ。
変わらない雰囲気にカノンは安堵し、わざと考える事を止めた。
◇
問題に向き合わずとも時間は経過するし、日常は簡単には壊れない。
◇
「はい、これどうぞ」
カノンはエルから差し出された、プレゼントとしては物珍しい物体に瞠目する。
「…えっと、ありがとう」
その手には、枝ごと手折られた桜があったのだ。白めの花びらが振動により、何枚かひらひらと舞っている。
「来る途中に見かけまして、つい」
「…あぁ、なるほどね、もう桜咲いてるのか」
カノンは、何気なく窓を見遣る。しかし景色はカーテンに隔てられていて、桜は愚か、空の色さえも見えない。
春といえば、昔を思い出す。
「今が見頃みたいですよ、良かったら見に行きますか?」
「……うーん、シンと行くから良いよ」
エルの誘いは有り難かったが、カノンは一人シンを残すのが心配で、素直に断りを入れる。
「そうですか、分かりました」
エルは、少し寂しげに微笑んでいた。
◇
「診察終わりましたよ」
リビングに入室したエルの表情は、暗めだ。解答を何と無く踏まえつつも、違う答えを期待して尋ねる。
「……どう?」
「……分かってるでしょう?」
しかし、期待は溶けた。
伏せた目を上げたエルは苦笑いしていて、その瞳に愁いを含ませている。
「………今まで見逃してきましたが、やはり止めた方が良いです」
初めて聞く直接の制止要請が、事の重大さを物語る。
「……………カノンくんの事が好きならば、努力してみてください…」
その声色が、台詞が、どこから来ている物なのかシンは分かった気がした。
「……シンくんも大変でしょうけど」
残った言葉は、シンの中には留まらなかった。
◇
暫くしてからだったが、恒例通り、シンがカノンの居る寝室へとやってきた。
しかし目線は直ぐにカノンの手の中の桜に行き、伸ばされた両腕はゆっくりと下りる。
「エルさんが持ってきてくれたんだよ」
「…良かったな」
「…久しぶりに、桜見に行かない?」
案の定、シンは黙り込む。カノンも駄目もとで発言していた為、残念さは残るが想像通りだと笑った。
「ごめんごめん、じゃあここでお花見しよう」
「…お菓子作る」
カノンは見詰めた桜越し、聞こえた声に顔を上げたが、既にシンは部屋を出ていた。
◇
それぞれ違う部屋にいながらも、巡らせている内容は似たものだった。
桜といえば春、春といえば出会いに繋がる。
カノンは、手折られて尚美しく咲く桜を見ながら、およそ3年前の出来事を思い出していた。
カノンがはじめてシンを見たのは、倒れて運ばれた先の病院だった。
施設暮らしだったカノンは中学の卒業と同時に、反対を押し切り違う町での一人暮らしに踏み切った。
病弱さが、周りの人間に迷惑を与えているのが嫌で仕方が無かったのだ。しかも、心を許せていない人間に。
買い物中に酷い貧血に見舞われて、搬送された先の病院の中庭、何の実も付けていない木の陰に隠れて自傷していたシンを見つけた。
その時期が丁度桜の時期で、人々は皆、満開の桜に見惚れていた記憶がある。
その日は声をかけなかったが、その後も何度か見詰める内に、何時の間にか気になる存在へと化していた。
シンから、目が離せなくなっていた。
他人の――所謂自分の血に効果があると知ったのは、唯怪我をした時に丁度隣にいて、表情から気付いただけの平凡なきっかけがある。
◇
シンはシンで、カノンが同棲を求めてきた時の事を思い出していた。知り合う内にカノンが時々家にやってくる事はあったが、ある日突然一緒に住みたいと言ってきたのだ。
その頃には既に、肩代わりし傷をカノンが受け持つようになっていた。依存している部分があった。
因みに理由としては、カノン曰く一人暮らしが辛くなったからとの事だ。
利害が一致した事で素直に受け入れてしまったが、時々これで良かったのかと過去を振り返り見てしまう時がある。
◇
花びらがひらひらと落ち、床の上で横たわる。
カノンはまだそう遠くは無い物の、感覚的に懐かしくなった時代を懐古しながら、指先で花びらを摘んだ。
――――この、少し歪んでいてとても不安定な、けれどどうしてか愛おしい生活が、出来るだけ長く続けばいいと願う。
◇
シンは宣告した通り、スウィーツ制作の為玉子を泡立てながら、閉ざされ、布に隔てられた窓を見据えていた。
屋外では今、もう桜が咲いている。枝に付いた桜の花弁だけで、既に満開だと分かる。
もう、こんなにも時間が過ぎたのに、まだ自分は動けないままだ。
「シン、何作ってるの?」
「カノン」
横へ向けていた視線を後方のカノンへと映すと、カノンはいつもの美しい笑顔を浮かべていた。
「気になって来ちゃった、あと桜水に差しときたくて」
「あぁ、コップで良いか」
「うん、大丈夫」
シンは混ぜていた手を止め、ボールごと泡だて器を置くとコップに水を汲む。
差し出すと大事そうに、枝の先端を水へと沈めた。
「………桜、行く?」
「えっ?」
「…人、居ないとこ…」
シンはカノンを直視できずに、菓子作りを再開させる事で視線を自然と逸らした。
「………ううん、いい。行きたくない訳じゃないけど言ってみただけだから」
しかし返ってきた答えが意外で、直ぐに視線を再度カノンへ移行する。
カノンは相変わらず、綺麗な顔をしている。
所々にある赤い傷跡が、白さを映えさせている。
「…そう…」
シンは不意に湧き上がった感情を、否定しつつも抗う事が出来なかった。
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「なに?」
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