君に咲く花

有箱

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 朝、単調な音階で名を呼ばれ、日が改まったと知る。
 昼、真横に並んで、ぬくもりを味わう。
 夜、体に刻まれる痛みに、一日の終わりを喜ぶ。

 こんなに単純で簡単に言い表せてしまう日々が、堪らなく愛おしい。
 よく分からない終わりの形なんか、今は見ない。



 エルは帰宅間際、困っていた車椅子の患者を目的地である休憩室に連れてきたのだが、そこで何気なく見た懐かしいニュースに目を奪われていた。
 丁度7年前、エルが病院での勤務を開始し始めた頃、一世を風靡した事件の報道だ。

 ――20歳の少年が一家を惨殺した事件。

 少年は殺人を起こすまでの間、存在を隠され、生活区間を自宅のみに制限され、従者のように仕事を全て押し付けられ閉じ込められていたという。

 昔の、風化させてはならない事件について特集を組んでいた番組の一環だったらしい。その為直ぐに終わってしまったが、エルは引っかかる何かを飲み込む事が出来なかった。



 翌朝も、カノンは違和感に首を傾げていた。
 今日も、傷の味があまりしなかった。

「それ」

 カノンは、シンの服の袖に付いた血を指差していた。じわりと滲んで模様を描いている。
 シンは袖部分を見遣ると、不思議そうに声を落とした。

「…カノンの…だけど」
「あっ、そうか、ごめん変な事言ったね」

 カノンは、笑顔の仮面を被った。
 違和感の正体について、はっきりと分かったのは分かったのだが納得がいかない。

「…疲れてる?」
「うん、そうかも。ごめん今日もお皿と洗濯物頼める?」
「うん」

 ここ最近、傷の加減が明らかに浅くなっている。傷の範囲も以前より狭くなった。
 比例してシンが自傷に走っていると考えたが、一見しただけでは分からなかった。



 シンはカノンが去ると、家事に手を付ける前にシャツの袖を捲くった。
 包帯に、赤い血が滲みだしている。丁度カノンが目を留めた部分だ。
 悟られてしまっただろうか、と冷や汗が一筋落ちる。

 シンは、上手く乗り切れた筈だと自分を慰め、包帯を解く。そしてから、新たな傷を刻むと共に、強く強く真っ白な包帯を巻きつけた。



 カノンは寝転がりながら、部屋の窓を開いていた。
 遠く遠くに海が見える。境界線の見えない、広い海だ。どこまでも続く、海。
 その先には、知らない世界が待っているんだろう。

 1度で良いから、行ってみたかったなぁ。

 何気なく脳内に現れた感情の中身に気付き、カノンは自嘲気味に笑った。

 感じる。多分、このまま外の世界を見る事は無いと。新しい世界に、行く事は無いんだと。
 カノンは傷ついた左手の平に、そっと寂しげなキスをした。



 夜、豆電球の灯りも外からの月明かりも無い真っ暗な部屋で、シンとカノンは横向きになり、軽く抱き合う形で身を寄せ合っていた。

「………シン、変な話してもいい?」

 ぽつり、零れた不安げな声に、得体の知れない怖さが込み上げる。

「…嫌…」
「はは、だよね」

 取り繕う気の全く無い笑声を耳にし、シンは恐怖しながらも訂正を加えた。

「……嘘、良いよ」
「……辛くなったら、直ぐに血見せてあげるから」
「…うん」
「……あのねシン、…僕が死んでもシンは生きてくれるよね?」

 カノンの発言が死を前提に置いている事に対し、まず声を失う。それと確定済みの内容にも。

「何でそういう事言うの」
「もしもの話だよ、もしも」

 互いに近付きすぎて、表情が見えない。平凡な声色だけでは読み取り辛い。


「………カノン」

 闇の色は変わらないまま時間だけが経過して、シンがその名を呼んだ。
 頭上から降り注ぐ声は、相変わらず色が無い。

「寝よう」
「えっ?」

 回答を堂々放棄され、呆気に取られてしまう。

「眠い、また明日」

 勇気を振り絞り切り出した、深刻な話題をあっさりと流してしまうシンらしさに、少し残念になりながらも自然と唇が綻んでいた。

「……えっと、じゃあ、血…」
「…今日は要らない、でもこうさせて」

 シンは背中側から、シャツと肌の間に優しく指先を潜らせ、手の平を背中に宛てた。
 温かな温度が、直に伝わってくる。

「おやすみ」

 指先に軽く力を込められて直接感じる感触に、カノンは不安感を飲み込む。

「………うん…おやすみ…」

 言いながらカノンも、腰から背中へと手の平をするりと移動させる。腰部分にあった布が少し皺を寄せた。



 その日、シンは眠らなかった。眠る振りをしながらも、悪夢の気配に怯え徹夜を選択した。

 シーツの中で温度をあげ、夜間中保持されるぬくもりを、ずっと手の平に留めながら。
 カノンの質問の答えを、探しながら。



 エルは可能性に戦慄いていた。
 裏腹に朝日は眩しく、開かれた窓から差し込めている。

 目の前にあるのはパソコンだ。個人的に所有している新型の物だ。
 エルは、自宅で調べ物をしていた。

 勿論、昨日のニュースについての気掛かりを解決する為だ。しかし、触れなければ良かったと後悔する。

 その後も、後悔に付き纏われながら好奇心のみで検索を続けていたが、確信までは辿り着けず、出勤時間が訪れてしまった。

 その為エルは朝食も取らず、急いで車へ駆け込んだ。
 脳内を、血塗れのカノンで埋めながら。



 カノンは、恐らくキッチンにいるであろうシンが寝室へ訪れるのを待ちながら、今日もベランダからの景色を見ていた。

 空は晴れ渡り、黒い点程度だったが、遠くに羽ばたく鳥の姿も見える。地上でも天でも、どこまでも青く澄み渡ったグラデーション交じりの青色が続いている。

 結局シンは、答えをくれなかった。
 所謂それは、否定を意味する。自分が死んだ後、シンは生きてくれないかもしれないのだ。

 それならやっぱり、自分は死ねない。

 なんて、解決策等ないのに、また新たな課題を見出してしまった。
 シンの足音が聞こえて、カノンは景色を隠すべくそっとカーテンを引いた。



「…昨日、眠れた?」

 箸を持ったカノンの、上目遣いがシンを捉える。シンは頷き掛けて、無理矢理感に気付き、止めた。

「……あんまり…」
「…でも怖い夢とかは見なかったんだね」
「うん」
「…大丈夫?顔青いよ?」 

 シンは黙り込み、一番波を立てない答えを探す。
 大丈夫だと言い張るのも、カノンの心配を引き出すだけに終わるだろう。

 事実、現段階で眠気や体のふら付きがシンを襲っていた。いつからか、よく心の不調に加えて体の不調にも見舞われるようになった。
 勿論、カノンほど酷くは無いが。

「……あんまり調子、良くないけど大丈夫」
「……そう、無理しないでね」

 カノンは憂いを宿したが、潔く不調を認めた所為かあまり悩ましげな雰囲気は醸されなかった。

「眠くなったら、寝る」
「そうしよう」

 それどころか、安堵を含んだ笑顔まで乗せてくれた。
 食事を再開させる姿を目に映し、ほっと一息吐く。どうやら、最善の台詞を選べたらしい。

「ご飯終わったら、先寝てて」
「…分かった、お皿とか置いておいても良いからね」
「それは出来る」
「ありがとう、じゃあ先ベッドに居るね」

 シンは自身も食事を再開させつつ、目を伏せて料理を見るカノンの美しい顔立ちを眺めていた。
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