造花の開く頃に

有箱

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9月18日

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[9月18日、日曜日]
 アラームも鳴っていないのに、5時頃はっきりと目覚めてしまった。
 いつもこうだ。もっと眠っていよう、と頭で思っても、決めても、癖なのか起きてしまう。
 勿論、睡眠時間は足りていないので、漏れる欠伸は止まらない。
 それでも、何もせずただ天井を見るのが嫌で、月裏は譲葉を起こさないように、そっと部屋を後にした。

 改めて、祖母からの手紙を読み返す。
 一度目はすんなりと受け容れた¨難しい子¨との記述に、違和感を覚えた。
 第一印象としては、物分りが良くよく出来た強い子、との好印象を受けたが、何が難しいのだろうか。足が不自由だから、世話が、だろうか。
 年老いた祖母なら感じても無理は無い、と結論づく。

 手紙の文章から、再度頼りにされている自覚を持った月裏は、出来るだけ譲葉に不自由な思いをさせないようにと、一週間分の洗濯物を洗濯機に放り込み、スイッチを押してから早速、食事の準備に取り掛かることにした。

 ――準備と言っても、まずは買い物からである。
 朝から晩まで仕事をしている月裏には、買い物へ行く暇や体力さえ無く、休日になって漸く赴く事が出来る。
 偶然、徒歩で行っても苦にならない位の近場に、なぜか24時間営業しているスーパーもある。

 月裏は、キッチンと一体になったリビングの机の上に、置き書きだけして早々に家を出た。

 一連の物音を、譲葉は聞いていた。近所を配慮してか、物音は小さかったが。
 祖母の、優しい顔が浮かぶ。
 唯一、自分に飽きず構い続けてくれた彼女だったが、もしかしたら、言わなかっただけで嫌になってしまい、離れる為に施設に入ったのではないだろうか。 
 
 譲葉は、そんな事を考えてしまっていた。しかしそこに、否定の感情は無かった。それで間違いないと受け入れ、飲み込む何時もの自分がいる。
 小奇麗な顔立ちで、細い目を更に細くして、控え目に笑う男、月裏。
 まだ正体の知れない人間と、共にこれから暮らしていかなければならない。世話にならなければならない。足が不自由な所為で、一人では生きられないから。

 月裏だって面倒だと、重荷だと、感じているに違いない。きっと彼もその内、自分に嫌気が差すだろう。
 追い出されたなら、その時は素直に受け入れ、家を出よう。生きる手段が、見つからなくても。

 譲葉は近い将来を想像し、一人頷く。
 繋がりも無く、不意に現れた暗い過去により、酷い嫌悪感が心を支配した為、忌まわしげに動かし辛い足を睨んだ。

 料理内容を組み立てながら、スーパーを歩く。早朝のこの時間帯に毎回だが客は居らず、ほぼ貸しきり状態に近いと言っても良い。
 なぜ客のいない時間まで開けているのか、最初は疑問になったが、解答を得ずとも差し支えなかった為、疑問を放棄した。

 今まで通りの、自分の為の一週間分の食事に加え、譲葉の分の食事も必要になる。
 祖母に一人暮らしを打ち明けた時、栄養豊かな食事だけは欠かさないようにと、耳にタコが出来る位主張された。それが原動力となり、ずっと料理を続けている。今では、欠かせない生活の一部だ。
 月裏は続けざまに、懐かしい過去の記憶を回顧した。

 帰宅してリビングに入ると、直ぐに譲葉の後ろ姿を見つけた。椅子に座って、じっとしている。

「おはよう、譲葉君」
「……おはよう」

 振り向き、相変わらず笑顔の無い顔で月裏を見る。しかし、月裏の方が視線の合致を拒んでしまい、絡む事は無かった。

「…今からご飯作るから待ってて…」

 二つの膨れ上がったエコバックを机に置き、中から幾つかの食材を取り出す。
 食材は、肉や魚もあるが、基本野菜が多めだ。

「……すまない」
「だ、大丈夫だよ」

 謝罪の中に明らかな警戒心が垣間見えて、無意識に月裏も緊張の糸を伸ばす。
 膨らむ不安を振り解こうと背を向けて、キッチンの戸棚の定位置にある、フライパンと包丁を取り出した。
 だが料理中も、背中に視線がくっ付いているような気がして、料理に集中できない。
 月裏は一つの案を閃き、コトリと包丁を置いた。

「…そうだ、お風呂入りなよ、シャワーでも浴槽でも良いよ」

 譲葉は一瞬黙ったが、直ぐに頷いた。

「…分かった、借りる」
「案内するね」

 笑顔でその背を誘導するも、譲葉の表情に安らぎは一切見えなかった。

 風呂場まで行って譲葉が服を持参していないのを思い出し、一番小さい物を探して脱衣所に置いておいた。

 やはり、一人の空間は休まる。こうして、包丁がまな板を叩いている音が、気持ちを落ち着ける。
 しかし不安だ。やはり、どれだけ考えても不安になる。上手く暮らしてゆく自信が無い。

 譲葉を子ども扱いする訳ではないが、仕事の時間が長く、その姿を見ている事も、構う事も、恐らく殆ど出来ないがそれで大丈夫なのだろうか。
 張り詰めているであろう気持ちを、解いてあげる事など自分に可能なのだろうか。

 それ以前に、自分の心が耐えられるかが心配だ。自覚できる位の緊張感が、いつまで続くのか怖くなる。
 考えていると、段々鼓動が早くなり冷や汗が浮かんでくる。
 思わず、手に持っていた包丁を手首へと移動させようとして、後方から声が聞こえた。

「…お先です」

 反射的に野菜の方に振り下ろして、何も無かったフリをする。

「あ、…っと、もうちょっと待ってて」

 振り向くと、明らかに大きい服に着られているような姿の譲葉が立っていた。濡れた髪が、綺麗だ。

「…そこ、座ってて良いから」

 服を探していた時間分、料理の制作が遅れて、まだ工程が残っている。
 月裏は視線を気にしながらも、手早く、慣れた手付きで完成させていった。

 食事する姿勢も、とても綺麗だ。適量を口に運び、ゆっくりと味わっている。警戒心からかまだ表情は無いが、模範的な食事姿勢に魅入ってしまいそうになる。

「なにか変か」
「えっ?ううん、美味しいかなーって」

 ついつい、思ってもいない事を尋ねてしまう。
 自分好みの味付けが、他人の口に合うかなんて分からないのに、不味い事を聞いてしまったと後悔する。ここで本音を言う人間なんか、殆ど居ないだろうに。

「美味しい」

 取り繕わせてしまったか、と心苦しくなった。
 不図、肩にかかったタオルと落ちた襟の狭間の素肌に見えた、古い傷跡が目に付いた。
 恐らく事故の傷だろう。月裏は、視線に気付かれる前に直ぐ逸らした。

 尋ねたい事がたくさんあった筈なのに、目の前に他人を置いて食事する事自体が月裏にとっては試練で、それに立ち向かっている内に、思考の主立った位置から消え去っていた。
 食事時こそ最適のタイミングだ。と考えていた分もあって、その後時間が出来ても、何も尋ねる事が出来なかった。

 夜、昨日よりも早く床に就いて月裏は、一つだけ譲葉に告げておかなければならない、と脳内に置いていた事柄を口にした。

「あの、急なんだけど、僕日曜日以外は朝から晩まで仕事なんだ、だから一人にする事になるんだ」
「構わない、気にしないでくれ」

 昨日同様、背を向けた譲葉の表情は一切分からない。故に、本当に平気なのか、建前で作り出した即答なのか、全く読めない。

「…ご飯も作ったやつ冷凍庫の中にあるから、好きなの温めて食べて」
「分かった」

 しかし分かった所で、何も出来ないのが現状だ。それならば気付かない方が良い、と本心に向き合う事を退けた。

「…もしアラームで起こしたらごめんね、おやすみ」
「大丈夫だ、おやすみ」

 豆電球の点す、薄暗い橙色の明かりだけが、空間を彩った。
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