造花の開く頃に

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11月23日

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[11月23日、水曜日]
「おはよう譲葉くん、体調平気?」
「おはよう月裏さん、全然大丈夫だ」

 レンジの中の食べ物が回っている。3日前、譲葉が制作した料理だ。
 譲葉が席に着くのと同時に、背後で火にかけていた薬缶が音を立て始めた。反応し、立ち上がる。

「お茶飲むでしょ?」
「あぁ」

 棚から取り出した2つのカップを、落とさないように注意深く運んだ。
 結局、分からない事を残したままで、会話は終了し保留された。

 両親の死を電話で聞いたと言う発言や、コップを落とした際に発作染みた物を起こしたのはなぜか。など、疑問は残る。
 だがそれはその内、時期が来たら尋ねる事にしよう。
 今は譲葉と、行ける範囲での幸せな未来を歩いてゆこう。
 月裏は湯気を避けながら、急須にお湯を注いだ。

 勿論、職場に対してまで、前向きに捉えられるようになった訳ではない。
 駅に着いた時から、極端な話自宅を出た瞬間から、恐怖に苛まれて逃げ出したくなる。
 昨日欠勤してしまった分の皺寄せや、他人の目が恐ろしい。しかし、欠勤を後悔はしていないつもりだ。

 月裏は心の中で、しきりに自分を励まして、会社への道を進んだ。
 だがやはり、一度職場に足を踏み入れれば心は苦しさに泣くし、上司の罵倒を浴びれば絶望も顔を見せ始める。
 死のイメージも、勝手に浮かんでは消える。

 だが、譲葉と出会った頃の¨どこに居ても気が休まらない¨といった不安は今は殆ど無くなった。
 たった2ヶ月半経過しただけだが、それでも生活は十分なくらい変化した。
 いや、生活自体は一切変化していないが、生活に対しての感じ方が変わった。

 苦痛から来る鼓動の速さを抑える為、目線が背いているのを横目で確認し、そっと手を当てる。
 生きていて良かった。苦しいけど、生きていて良かった。
 月裏は、絶望の中にいながらも湧いてくる気持ちに、自分自身不思議になりながら鼓動を聞き続けた。

 付近の、とは言え遠くの方に位置する山だが、白い薄化粧を纏っている。暫く職務をこなして、朝日が昇り始めてから気付いた。
 もう直ぐ、この街にも雪が降る。
 そう言えば、譲葉はマフラーと手袋を買っただろうか。
 月裏は思い出して、多分まだだろうなと予想した。

 夜間、帰宅時に体の冷えを覚えた。コートを纏いながらも上ってくる寒気に、帰宅の足が速くなる。
 流れるようにポストを開き、何通かの書類を掴んで階段を駆け上がる。
 最近では珍しく、扉から灯りが見えた。

「……譲葉くん、ただいま……?」

 控え目に扉を開くと、譲葉が床に正座したまま月裏を見た。

「おかえり、お疲れ様」

 コートを身に纏った譲葉は、スケッチブックと色鉛筆を持っている。久しぶりに見る姿だ。

「……どうしたの?」
「やっぱり花が描きたくて描いてた」

 そう言うと直ぐに、色鉛筆をケースに仕舞い込み、スケッチブックを畳んだ。今日は絵の具も使おうと思っていたのか、絵の具も傍らに置いてある。
 それらの画材を一気に持って立ち上がろうとした譲葉が、僅かにバランスを崩した。
 月裏は玄関に立ったまま、前のめりに体を支える。

「……すまない」
「いっぱい持ちすぎちゃったね」
「……あぁ」
「言ってくれれば持つからね」
「……分かった、すまない」

 持ち直した譲葉は、動かず直立している。
 月裏は不思議に思いつつも、とりあえず靴を脱いだ。
 一歩家内に踏み入ると、譲葉も横に並び歩き出す。
 ふわふわと髪を揺らして、壁に手を宛て歩く譲葉の首筋の傷が目に映る。

 直ぐに、譲葉から打ち明けられた¨いじめ¨が浮かんだ。前に病院で見た腕の傷も、もしかしたら苛めによるものだったのだろうか。
 確かに事故にしては可笑しな傷もあったが、虐めだったら酷すぎる。

「じゃあ、着替えてから行くね」
「ああ、先にベッドに入ってる」

 奥まで行って、各々違う部屋に入った。
 月裏は着替える為に、コートを脱ぎ、スーツを脱ぎ、シャツを脱ぐ。すると直ぐに、数日前に刻んだ濃い傷跡が目に付いた。その他にもある、今以上薄まらないと分かる傷も。
 これらの傷に付いて打ち明けたら、譲葉はどんな顔をするだろう。

 軽く想像した結果、受け容れてくれる様子が容易に見えた。だが、受け容れてくれると分かってしまっては、尚更見せられない。
 この傷だけは、一生隠し通そう。

 月裏は現実に帰って来た感覚に襲われて、密かに溜め息を付いた。
 どうか、気持ちがまた暗くなってしまいませんようにと、明日に願いを馳せながらも。
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