64 / 122
11月23日
しおりを挟む
[11月23日、水曜日]
「おはよう譲葉くん、体調平気?」
「おはよう月裏さん、全然大丈夫だ」
レンジの中の食べ物が回っている。3日前、譲葉が制作した料理だ。
譲葉が席に着くのと同時に、背後で火にかけていた薬缶が音を立て始めた。反応し、立ち上がる。
「お茶飲むでしょ?」
「あぁ」
棚から取り出した2つのカップを、落とさないように注意深く運んだ。
結局、分からない事を残したままで、会話は終了し保留された。
両親の死を電話で聞いたと言う発言や、コップを落とした際に発作染みた物を起こしたのはなぜか。など、疑問は残る。
だがそれはその内、時期が来たら尋ねる事にしよう。
今は譲葉と、行ける範囲での幸せな未来を歩いてゆこう。
月裏は湯気を避けながら、急須にお湯を注いだ。
勿論、職場に対してまで、前向きに捉えられるようになった訳ではない。
駅に着いた時から、極端な話自宅を出た瞬間から、恐怖に苛まれて逃げ出したくなる。
昨日欠勤してしまった分の皺寄せや、他人の目が恐ろしい。しかし、欠勤を後悔はしていないつもりだ。
月裏は心の中で、しきりに自分を励まして、会社への道を進んだ。
だがやはり、一度職場に足を踏み入れれば心は苦しさに泣くし、上司の罵倒を浴びれば絶望も顔を見せ始める。
死のイメージも、勝手に浮かんでは消える。
だが、譲葉と出会った頃の¨どこに居ても気が休まらない¨といった不安は今は殆ど無くなった。
たった2ヶ月半経過しただけだが、それでも生活は十分なくらい変化した。
いや、生活自体は一切変化していないが、生活に対しての感じ方が変わった。
苦痛から来る鼓動の速さを抑える為、目線が背いているのを横目で確認し、そっと手を当てる。
生きていて良かった。苦しいけど、生きていて良かった。
月裏は、絶望の中にいながらも湧いてくる気持ちに、自分自身不思議になりながら鼓動を聞き続けた。
付近の、とは言え遠くの方に位置する山だが、白い薄化粧を纏っている。暫く職務をこなして、朝日が昇り始めてから気付いた。
もう直ぐ、この街にも雪が降る。
そう言えば、譲葉はマフラーと手袋を買っただろうか。
月裏は思い出して、多分まだだろうなと予想した。
夜間、帰宅時に体の冷えを覚えた。コートを纏いながらも上ってくる寒気に、帰宅の足が速くなる。
流れるようにポストを開き、何通かの書類を掴んで階段を駆け上がる。
最近では珍しく、扉から灯りが見えた。
「……譲葉くん、ただいま……?」
控え目に扉を開くと、譲葉が床に正座したまま月裏を見た。
「おかえり、お疲れ様」
コートを身に纏った譲葉は、スケッチブックと色鉛筆を持っている。久しぶりに見る姿だ。
「……どうしたの?」
「やっぱり花が描きたくて描いてた」
そう言うと直ぐに、色鉛筆をケースに仕舞い込み、スケッチブックを畳んだ。今日は絵の具も使おうと思っていたのか、絵の具も傍らに置いてある。
それらの画材を一気に持って立ち上がろうとした譲葉が、僅かにバランスを崩した。
月裏は玄関に立ったまま、前のめりに体を支える。
「……すまない」
「いっぱい持ちすぎちゃったね」
「……あぁ」
「言ってくれれば持つからね」
「……分かった、すまない」
持ち直した譲葉は、動かず直立している。
月裏は不思議に思いつつも、とりあえず靴を脱いだ。
一歩家内に踏み入ると、譲葉も横に並び歩き出す。
ふわふわと髪を揺らして、壁に手を宛て歩く譲葉の首筋の傷が目に映る。
直ぐに、譲葉から打ち明けられた¨いじめ¨が浮かんだ。前に病院で見た腕の傷も、もしかしたら苛めによるものだったのだろうか。
確かに事故にしては可笑しな傷もあったが、虐めだったら酷すぎる。
「じゃあ、着替えてから行くね」
「ああ、先にベッドに入ってる」
奥まで行って、各々違う部屋に入った。
月裏は着替える為に、コートを脱ぎ、スーツを脱ぎ、シャツを脱ぐ。すると直ぐに、数日前に刻んだ濃い傷跡が目に付いた。その他にもある、今以上薄まらないと分かる傷も。
これらの傷に付いて打ち明けたら、譲葉はどんな顔をするだろう。
軽く想像した結果、受け容れてくれる様子が容易に見えた。だが、受け容れてくれると分かってしまっては、尚更見せられない。
この傷だけは、一生隠し通そう。
月裏は現実に帰って来た感覚に襲われて、密かに溜め息を付いた。
どうか、気持ちがまた暗くなってしまいませんようにと、明日に願いを馳せながらも。
「おはよう譲葉くん、体調平気?」
「おはよう月裏さん、全然大丈夫だ」
レンジの中の食べ物が回っている。3日前、譲葉が制作した料理だ。
譲葉が席に着くのと同時に、背後で火にかけていた薬缶が音を立て始めた。反応し、立ち上がる。
「お茶飲むでしょ?」
「あぁ」
棚から取り出した2つのカップを、落とさないように注意深く運んだ。
結局、分からない事を残したままで、会話は終了し保留された。
両親の死を電話で聞いたと言う発言や、コップを落とした際に発作染みた物を起こしたのはなぜか。など、疑問は残る。
だがそれはその内、時期が来たら尋ねる事にしよう。
今は譲葉と、行ける範囲での幸せな未来を歩いてゆこう。
月裏は湯気を避けながら、急須にお湯を注いだ。
勿論、職場に対してまで、前向きに捉えられるようになった訳ではない。
駅に着いた時から、極端な話自宅を出た瞬間から、恐怖に苛まれて逃げ出したくなる。
昨日欠勤してしまった分の皺寄せや、他人の目が恐ろしい。しかし、欠勤を後悔はしていないつもりだ。
月裏は心の中で、しきりに自分を励まして、会社への道を進んだ。
だがやはり、一度職場に足を踏み入れれば心は苦しさに泣くし、上司の罵倒を浴びれば絶望も顔を見せ始める。
死のイメージも、勝手に浮かんでは消える。
だが、譲葉と出会った頃の¨どこに居ても気が休まらない¨といった不安は今は殆ど無くなった。
たった2ヶ月半経過しただけだが、それでも生活は十分なくらい変化した。
いや、生活自体は一切変化していないが、生活に対しての感じ方が変わった。
苦痛から来る鼓動の速さを抑える為、目線が背いているのを横目で確認し、そっと手を当てる。
生きていて良かった。苦しいけど、生きていて良かった。
月裏は、絶望の中にいながらも湧いてくる気持ちに、自分自身不思議になりながら鼓動を聞き続けた。
付近の、とは言え遠くの方に位置する山だが、白い薄化粧を纏っている。暫く職務をこなして、朝日が昇り始めてから気付いた。
もう直ぐ、この街にも雪が降る。
そう言えば、譲葉はマフラーと手袋を買っただろうか。
月裏は思い出して、多分まだだろうなと予想した。
夜間、帰宅時に体の冷えを覚えた。コートを纏いながらも上ってくる寒気に、帰宅の足が速くなる。
流れるようにポストを開き、何通かの書類を掴んで階段を駆け上がる。
最近では珍しく、扉から灯りが見えた。
「……譲葉くん、ただいま……?」
控え目に扉を開くと、譲葉が床に正座したまま月裏を見た。
「おかえり、お疲れ様」
コートを身に纏った譲葉は、スケッチブックと色鉛筆を持っている。久しぶりに見る姿だ。
「……どうしたの?」
「やっぱり花が描きたくて描いてた」
そう言うと直ぐに、色鉛筆をケースに仕舞い込み、スケッチブックを畳んだ。今日は絵の具も使おうと思っていたのか、絵の具も傍らに置いてある。
それらの画材を一気に持って立ち上がろうとした譲葉が、僅かにバランスを崩した。
月裏は玄関に立ったまま、前のめりに体を支える。
「……すまない」
「いっぱい持ちすぎちゃったね」
「……あぁ」
「言ってくれれば持つからね」
「……分かった、すまない」
持ち直した譲葉は、動かず直立している。
月裏は不思議に思いつつも、とりあえず靴を脱いだ。
一歩家内に踏み入ると、譲葉も横に並び歩き出す。
ふわふわと髪を揺らして、壁に手を宛て歩く譲葉の首筋の傷が目に映る。
直ぐに、譲葉から打ち明けられた¨いじめ¨が浮かんだ。前に病院で見た腕の傷も、もしかしたら苛めによるものだったのだろうか。
確かに事故にしては可笑しな傷もあったが、虐めだったら酷すぎる。
「じゃあ、着替えてから行くね」
「ああ、先にベッドに入ってる」
奥まで行って、各々違う部屋に入った。
月裏は着替える為に、コートを脱ぎ、スーツを脱ぎ、シャツを脱ぐ。すると直ぐに、数日前に刻んだ濃い傷跡が目に付いた。その他にもある、今以上薄まらないと分かる傷も。
これらの傷に付いて打ち明けたら、譲葉はどんな顔をするだろう。
軽く想像した結果、受け容れてくれる様子が容易に見えた。だが、受け容れてくれると分かってしまっては、尚更見せられない。
この傷だけは、一生隠し通そう。
月裏は現実に帰って来た感覚に襲われて、密かに溜め息を付いた。
どうか、気持ちがまた暗くなってしまいませんようにと、明日に願いを馳せながらも。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
【完結】知られてはいけない
ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。
他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。
登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。
勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。
一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか?
心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。
(第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)
麗しき未亡人
石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。
そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。
他サイトにも掲載しております。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる