造花の開く頃に

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12月1日

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[12月1日、木曜日]
 数々の疑問に対する、祖母の答えは簡単だった。
 暮らしている時の話については、思い出話も含んでいた為それなりの長さはあったが、譲葉の気持ちを引き出す為の方法や付き合い方などは、想像に反してさらりとしていた。

 まず、気持ちを引き出すための術は、やはり自分の気持ちを正直に伝える事にあるらしい。
 自分が譲葉に求める事から大好きの気持ちまで、良い辛い事や恥ずかしい事も含めて、様々な気持ちを全て言葉にするように努めたとの答えだった。

 付き合い方については、気持ちを伝えた上で譲葉の行動を尊重して、見守る事が殆どだったらしい。
 だが、もし無理しすぎたりした場合は、愛を持って諭すのも必要だと言っていた。

 そして、譲葉の両親に起こった事故についてだ。
 これはまるで、答え合わせだった。
 事故は母親と父親が、二人で譲葉を迎えに行く際に起きたらしい。
 譲葉は、事故を経験してさえいなかったのだ。
 原因は些細な不注意だったが、被害は大きく、その事故で相手ドライバーも亡くなったらしい。

 そして譲葉の脚についての答え、これが一番衝撃的だった。聞いてしまっても良かったのかと後悔一歩手前にある。
 譲葉は一度、瀕死の重傷を負っているらしい。
 その原因は、苛めにあるということだ。
 詳しくは祖母も分からないらしく、明確な内容は聞けなかったが、病院で見た譲葉は酷い有様だったという。
 それが原因で脚に後遺症が残り、感覚自体を殆ど無くしているのだそうだ。

 やはり、譲葉はほぼ感覚のない状態で歩いていたのだ。そこに至るまで、大変な苦労だっただろう。
 その頃はまだ両親は健在で、その数年後に亡くなったといっていた。

 想像通りだった部分もあったが、はっきりとした部分を含めて、やはり譲葉は可哀想だと思ってしまった。
 彼を思えば、自分の悩みなどちっぽけだとも感じる。とは言え、そう考えた所で痛みは凄まじいままだが。

 譲葉ともう一度、前向きな気持ちで向き合おう。真っ直ぐ彼と向き合って、少しでも良い、家族の欠片を手に入れよう。
 月裏は、相変わらずの恐怖感を持ちながらも、会社へと足を進めた。

 もちろん、仕事場での心無い言葉は痛かった。楽になりたいとも思った。
 しかしそれ以上に、本当の気持ちや隠し事を打ち明けたいと疼いている。
 珍しく、月裏は急いていた。譲葉の元に向かいたいと逸っていて、早歩きをしてしまう。
 病院に入って迅速に事を勧めて、医師同伴の元、譲葉の部屋へと向かう。

「譲葉くん、迎えに来たよ」
「月裏さん、お疲れ様」

 扉の先の譲葉はマスクをしていたが、顔色は著しく良くなっていた。最後に見た時のイメージが付き纏っていた分、安堵感は大きい。

 深夜祖母から聞いた幾つもの話が、ずらりと脳に並ぶ。
 華奢でどこか儚く、寂しい色の瞳の奥に隠れた、悲劇の人生をここで断ち切ってあげたい。
 せめて今からは、幸せを感じさせてあげたい。

「………家に帰ろうか」

 月裏は自分に成せる、最高の笑顔を湛えて見せた。
 譲葉は僅かに不思議そうな顔を見せたが、直ぐに何時も通り冷静になった。

「あぁ」

 医師の指示を仰ぎ、処方箋を受け取り、二人は電車にて自宅に帰ってきた。
 譲葉に先に敷居を跨がせて、月裏は後で超える。

「………譲葉くん、ごめんね」

 後ろ姿に投げると、ゆらりと髪を揺らし、譲葉が振り向いた。今更なんだと言っているようにも見える。

「……どうした?」
「……あの、えっと、この間の事、なんだけど……」

 月裏自身、今更告げても呆れられるだけでは無いか、との不安が渦巻いてはいた。
 けれど、ちゃんと話さなければ。譲葉に隠し事をして欲しくないのなら、まず自分が手本にならなくては。

「……あの、腕……触らないでって言ったやつ……あの……」

 左腕に手を添えてみたが、震えてしまう。三重に重なった衣類の下の、深い傷口を思い描く。

「……じ、つは、……凄い傷があるんだ……」

 どきどきと鼓動がなる。緊張を反映した冷や汗も流れ出す。
 後は見せてしまえば、それで理想の結末は迎えられる。
 ―――けれど、袖を捲くれない。

「…………月裏さん、来てくれ」
「へっ」

 譲葉は付いて来いと命ずると、一目散に奥の部屋に入った。月裏は左手首に添えていた右手を離し、予測不能の譲葉に付いていった。

 無人だった部屋は冷えていた。外気よりは暖かいものの、それでもまだ寒い。
 譲葉はベッドに腰掛けると、第一にコートを脱いだ。
 月裏は日頃の行動に、訳の分からないまま目を遣りながらも、横目で見て暖房のスイッチを入れる。

「……えっ」

 次なる譲葉の行動に、月裏は目を見張ってしまった。
 着ていた服を、脱ぎ始めたのだ。
 相変わらず、傷だらけの肌をしている。白に際立つ痣や切り傷が多数あって、見ているだけで凄惨さが分かる。

「……月裏さん、俺にも傷がある」

 そう言いながら譲葉が腰を回し、背中部分を傾けた時、月裏は声を失ってしまった。
 斜め目線で、しかも半分ほどしか見えないが、まるで模様みたいに繋がった切り傷が背中じゅうに刻まれていたのだ。深く濃い傷跡が。

「……なんで……」
「分からない」

 その一言で、3つの点が繋がった。
 祖母から聞いた譲葉の大惨事と、悪夢の原因にもある記憶から消えた苛めの話。そして深く痛々しく刻まれている傷跡は、全て同じ出来事について言及している。

「……うぅ……」

 月裏は、あまりの衝撃と譲葉の過度な優しさに、堪えきれず泣いてしまった。
 最近の涙もろさといったら、甚だし過ぎて情けない。ここは堪えなくてはならない所だと、分かっているのに泣いてしまうなんて。

 あまりにも痛々しい傷だったため、月裏は思わず目を逸らしてしまった。
 多分、傷跡の披露を躊躇っていた自分の為に、同じだから大丈夫だと見せてくれたのだろう。
 しかし、傷の原因は思い出せないほどの悲惨な一件にあるのだ。心のどこかでは惨めさや苦しさをまだ持っているはずだ。
 それなのに、迷う事無く見せてくれた。

 譲葉が、新たな服を着直す仕草が、横目で見える。
 自分の為だけの優しさに圧されて、月裏は左手首の袖に手を添えた。

「…………譲葉くん……僕の傷……」

 だが、指先は震えてそれ以上の行動に移る事ができない。

「…………ごめん、知ってる」
「えっ」

 意識が奪われて、自然と震えが止まる。視点を上げると、譲葉が真っ直ぐに両目を見てきた。

「前に病院で見てしまったから、傷の事は知ってる」

 可能性は考えていたが、やはり知られていたのだ。全く分からないくらいの自然体を貫いてくれていて、気付かなかっただけで。
 いや、今回の件がなければ、多分一生気付かないままだっただろう。

「だから、無理しなくて良い」

 間接的な¨見せなくても良い¨との言葉に、掬われた気持ちが膨らんだ。
 同時に、弱さの塊である自分への嫌悪感も。

「……またいずれ、月裏さんが大丈夫だと思ったらその時で良い」
「…………うん……、うん……」

 いつか、傷跡が過去だと呼べる時が来たら。思い出として過去に置いていけるくらい、古い物と割り切れたら。
 傷跡の完治は見込めない。だから、気持ちが変化するしか、過去のものにする方法は無い。

「…………おやすみ月裏さん。あ、別の部屋に行ったほうが良いか」
「……いいや、僕が別の部屋に行くから大丈夫」
「そうか、お休み。また明日」

 譲葉は話を早めに終わらせる為か、いそいそとベッドに潜り込んだ。
 月裏は譲葉の体が収まったのを確認すると、豆電球の灯りのみを残し、主な部分を消して退室した。

 背中の傷が、記憶に焼きついている。
 苛めの代償として残った傷だとしたら、あまりにも酷すぎる。極論にはなるが、殺されかけたとしか思えない。
 熱に魘され、縋りついてきた譲葉から零れた言葉が自然と脳裏から引っ張り出される。震える体で抱きついて言い放った、状況に合わない言葉だ。
 やはり、何か恐ろしい事があったに違いない。

 想像が膨らむばかりで事実は全く見えないが、隠していたい傷を晒させてしまった事に変わりは無いのだ。
 強要ではなく、譲葉が自ら行動した結果ではあるが、それでも申し訳なさは止まらない。
 月裏は袖を捲くって、傷跡を見詰めなおす。
 客観視するなら、譲葉の体にあったものよりは随分と軽いレベルだろう。
 傷が素肌に馴染んだその腕を、強く叩きたくなったが堪えた。
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