造花の開く頃に

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12月11日

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[12月11日、日曜日]
 早朝の日の出前、月裏は声に目を覚ました。
 すぐさま聞こえる方――譲葉を見ると、悪夢を見ているのか冷や汗を纏い呻っていた。
 月裏は度合いが増してしまう前にと、ソファを下り譲葉を揺り起こす。
 はっと目を覚ました譲葉は、また疲れた顔をしていた。

「……大丈夫?」
「…………大丈夫だ。……済まない、起こしたか……」
「……ううん、普通に起きちゃっただけ……何か飲み物でも持ってこようか……?」
「…………すまない……」

 譲葉は、緩やかな速度で起き上がり、毛布を被ったまま座り込む。体が火照っているのか、襟元を摘みはためかせた。

「お茶で良い? いつものやつ」
「……あぁ……行くから待っててくれ……」
「……そう? なら用意してるね」

 笑顔が落ちた。表面上の演技は、気を抜くと直ぐに剥がれてしまう。
 廊下からリビングに渡る道は、灯りをつけても明け方を連想させなくて、まるで帰宅した時から殆ど時が経過していないように錯覚させる。
 それどころか、味わった筈の一日がどこかに消えて、昨日がまだ続いているみたいだ。

 月裏はリビングに着くなり、薬缶に水を入れ火にかけた。
 その際、戸棚が気になったが、敢えて目を背けてコップの収納される反対側へ行った。

 急須にお湯を入れて暫く待機していたが、一向に譲葉がやって来る気配がない。
 味が濃くなってしまわないよう器に注いでいると、漸く譲葉が姿を見せた。新しい服を身に纏っている。

「……まだ洗濯回さない方が良いよな?」

 譲葉から家事の話が出てきて、月裏は一瞬唖然としてしまった。
 他事に気を回せるくらい、平気だと取っても良いのだろうか。
 状態についての臆測は一時保留し、月裏は目の前の質問に答える為、携帯の電源を入れた。
 ぱっと表示された待ち受けに¨AM3:46¨と表示されている。

「……そうだね、早すぎても音が心配だし、もう少ししたらにしようか」

 譲葉が腰掛けたところを見計らい、淡く湯気の立つお茶を差し出す。譲葉は、目礼して受け取った。

「……変な時間に起こしてしまったな……」
「大丈夫、僕が勝手に起きたやつだから気にしないで。……眠かったらまた寝れば良いし……ね?」
「……そうだな」
「譲葉くんも眠れそうならもう一度眠りなよ。買い物の時間はずらせばいいし」
「……あぁ……」

 一口含んで、ほんのりと溜め息を付いた譲葉の瞳が、下向きになっているからか悲しげに見える。
 しかし、励ましも慰めも、今は譲葉を傷つけてしまいそうな気がして出来なかった。

 結局、一服した後、二人は再度床についた。
 譲葉の様子が気になった月裏は、眠る振りだけして譲葉を見ていたが、背中は何も教えてくれなかった。

 いつも起床する時間に合わせて、月裏は布団を抜けた。熱いお湯で湯船を満たし、身を清める。
 入る際、洗濯籠の中で待っている衣類が目に付いたが、許可もなく勝手に仕事に手出しするのも躊躇われ、そのままにしておいた。
 風呂から出るなり、譲葉がまた魘されていないか気にして寝室を覗く。
 すると既に、譲葉はベッドには居なかった。

 風呂中に目覚めたのだろうと、その足でリビングに行くと、案の定譲葉は座っていた。
 座り込み動かない背中に、驚かせない程度の声を掛ける。

「おはよう譲葉くん、お風呂空いたよ」

 譲葉は軽く後ろを振り向いて、濡れた髪を見た。

「……おはよう、行く」

 椅子の背凭れを軸に立ち上がる譲葉を見ながら、今後の日課を軽く巡らせて見た。

「……買い物今日どうする? 行く?」

 一昨日の一件を思い出し、結果そんな質問をしていた。
 外で現場を目にして倒れたのなら、外出に対しての恐怖が張り付いていても可笑しくない。

「……行く……」
「あ、そっか、じゃあ待ってるね」

 だが心配無用だったらしく、月裏は驚きつつも急いで返事した。

 洗濯機の稼動する音が聞こえる。対照的に、風呂場は静かで物音一つない。
 リビングでは、コンポから流れるクラシック音楽が揺らめいている。
 窓の向こうの空は快晴で、雲は多いが晴れ間も見える。
 そんな素晴らしき要素しかない中で、月裏はまた思い悩んでいた。 

 勿論、譲葉の事でだ。
 倒れてから続けざまに二回も、フラッシュバック染みた物を起こしている。偶然だと片付けられそうな回数でもあるが、飼い主を探しに出た日が切欠になって……と考えられるタイミングでもある。
 もし前者であれば悩む必要は無いが、後者であった場合、先の未来まで影響があるかもしれない。

 怖い。自分が怖がっていても仕方がないのに、怖くなってしまう。逃げたくなってしまう。
 目を逸らせない現実があるなら、放り出してしまいたいと弱虫が囁く。
 譲葉に報いると、決めた筈なのに。

 目の前の真っ暗な携帯をちらりと見詰めて、祖母の言葉を改めて記憶から引き出した。

 譲葉の仕事が終わり、二人は決まった流れでスーパーに向かっていた。
 冷たい風と上からの優しい日差しに照らされて、久しぶりの明るい空の下を歩く。人々もちらほらと出てきていて、普段見えない町の生きている姿が見えた。
 譲葉はというと、やはり人を避けるように深く俯いて歩いていたが。

 スーパーに付く頃には、譲葉は見るからに青い顔をしていた。調子が悪いと一目で分かる。
 やはり連れて来るべきではなかったかもしれないと、自分の中だけでこっそり後悔した。

「……大丈夫? 戻ろうか?」
「……いや……戻るのは……」

 態々戻るという手間を惜しんでいるのだろう。だが、大丈夫と断言しない辺り、相当堪えているのが見える。

「……休憩所みたいなところ、あったの覚えてる?」
「……レジの向こうのパン屋さんの近く……」

 大型スーパーであるここには、買った食材をその場で食べられるように、机と椅子がいくつか設置された空間があった。
 人前で食事するのが苦手な月裏は、足を踏み入れた事すらなかったが。

「そう、そこで待ち合わせにしようか? 少しの時間一人ぼっちにしちゃう事になるけど」
「…………分かった、待ってる……」

 譲葉は頷くと、杖をつき歩いていった。
 揺れる後ろ姿が遠ざかるほど、心に蟠りが落ちてくる。
 月裏は、得体の知れない不安感を認めないように、振り切って買い物を始めた。

 買い物に集中できる筈も無く、さっさと食料だけ購入した月裏は、鞄に購入品を詰めると休憩室へ直行した。
 休憩室では、購入した食品を食べている客や、お喋りのため腰掛けている客などが数人群がっている。
 急いで全体を見回すと、一番端の席に譲葉は居た。放心気味に俯いているのが見える。

「譲葉くん、譲葉くん」

 目の前に詰めて二回声を掛けると、驚いたように顔を上げた。

「…………月裏さん、買い物終わったのか」
「うん。待たせたね、帰ろうか」

 不安定に立ち上がる譲葉の体を何気なく支えて、月裏は伺いつつも歩き出す。
 隣で顔に濃い影を浮かべる譲葉が、まるで自分のように思考を暗い場所へ落としているのではないかと心配になり、月裏は態と声を掛けていた。

「まだ寝足りてないのかもね、帰ったらもう一回仮眠とりなよ、ご飯は作るから」
「……そうだな……すまない……」

 君は今、精神不安に陥っているのではなく、ただ単純に体調が悪いだけだ。と無意識に呼びかけるように。

 自宅に戻った譲葉は、早々ベッドに入っていった。
 体に優しい料理を作り、呼びにいった際直ぐに反応し共に食事も摂ったが、それでもまだ不調そうだった。

 ちなみに料理は、譲葉の案を尊重し半分の量しか作らなかった。全て作ってしまっては、必要以上に不安がっていると伝えてしまいそうな気がしたからだ。
 もし体調が戻らず作れそうにないなら、何とか時間を見出して作れば良い、との結論の元決めた。

 その日譲葉はずっと横になっていて、悪夢を警戒した月裏も薬片手に寄り添い続けた。
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