造花の開く頃に

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12月30日

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[12月30日、金曜日]
 迫る自動車が目の前まで来て、月裏は目覚めた。
 乗り出し見ていたのか、こちらが正面向きであるのに拘らず、視界に堂々と譲葉は入っていた。

「大丈夫か? 気分はどうだ?」
「……ごめん、大丈夫……昨日は世話かけたね……」
「本当に体なんともないか? 痛いとか何も?」
「……うん、大丈夫、本当に驚いただけだから」

 あの後、譲葉に迎えに来てもらって肩を借りて自宅に辿り着き、辛うじてベッドまで行った。そうして疲労した心身は、直ぐに眠りに落ちていった。

「……良かった、安心した……」
「……心配かけてごめんね」
「……いいや」

 譲葉はソファの横に座り込み、体操座りする。懐かしい光景が重なって、当初を思い出した。
 そこに昨夜の感情が滑り込んでくる。繋がりなんてない筈なのに連係する。

 譲葉が来た頃の自分は、正直な話、不慮の事故を羨んでいた。人生半ばで急に人生を閉ざされ、不幸だと思うのが一般的な受け止め方だろう。
 しかし、あの頃の自分は違った。どんな形であれ、死ぬ人間を羨望の眼差しで見ていた。自分だったら良かったのにと考えていた。
 それなのに、いざ直面してみたらこうだ。過去の自分は軽薄だったと突きつけられる。

「…………譲葉くん、お腹空いた?」
「…………どうした?」
「……早速、話しないかなって……」
「……あぁ、分かった」

 敢えて切り出してはみたが、いざ話すとなると始め辛い部分がある。
 互いに顔を背けていて表情は見えない。互いが何を考えているかも分からず、タイミングを伺う事もできない。

「……月裏さん、もう少しで全部思い出せそうなんだ」
「えっ」

 静寂を切り裂き零された台詞に、月裏はつい身構えてしまった。また発作を起こさないか怖くなる。

「…………今は薬飲んでるし大丈夫だ」

 譲葉は読心術でも持っているのだろうか。そう思うくらい的確に突かれ、月裏は一瞬絶句した。

「……月裏さん、俺ちゃんと自分の過去と向き合いたい。……怖いけど、でも逃げたくない……」

 改めて表明された決意は、固く強い物に感じられた。
 自分ならば、辛い過去を消してしまいたいと思う。それなのに、譲葉は真っ向から挑もうとしている。

「……なんで? って聞いても良い?」
「月裏さんが頑張ってるからだ」

 一瞬の迷いもなく言い切られた理由に、月裏は反応を示せなかった。過大評価だと心が訴えたが、大きな理由になっているのなら謙遜するのも躊躇われる。
 何度も何度も逃げ出そうとした場面を見ている筈なのに、譲葉はそれでも努力を見てくれていた。
 こんな要領の悪い自分を見て、原動力にしてくれた。

「…………ありがとう……」

 本当は、情けなくて弱虫な自分の評価を、今すぐに取り消してしまいたい。逃げる方向にばかり向いていた、本当の自分が蟠りになっている。

「頑張るね、僕ももっと頑張る」

 けれど、譲葉が認めてくれるなら今から本当になろう。嘘をついているようで心苦しい部分が残るが、塗り替えられるくらい頑張ろう。

「…………じゃあ次は僕の話、急に重いけど良い?」
「構わない、話したい事を話してくれ」
「……昨日事故に遭いかけた時にさ……」

 可笑しな話になるだとか、軽く聞いてくれて構わないだとか、保障の言葉を先頭にくっ付けて切り出す。

「死にたくないって思った」

 数秒しても、譲葉は何も言わなかった。続きを待っているのか、声を失っているのかは分からない。

「……本当に変なんだ、今まで散々逃げ出したいって思っていたのに、本当は死にたくなかったんだ……怖いって思ったんだ……」

 譲葉の座るポジションと、逆方向に寝返りを打つ。
 苦しくて意味も分からず泣いて、死のうと包丁を首に突きつけて、死にたいと直接的な言葉で打ち明けて、譲葉を困らせた。
 それなのに、何時からか心は嘘を吐いていた。

「…………生きたいって思ったんだ」

 文字一つ浮かばない空白の時間が積もる度、緊張感が高まってゆく。
 出していた顔を毛布の中に隠そうとした時、小さな、けれどはっきりとした声が聞こえてきた。

「…………普通の事だ、生きてるんだから」

 咎めないのは知っていた。大体の言葉も想像は出来ていた。しかし、直接聞けるとやはり安堵する。矛盾の塊を受け止めてもらえるのは、嬉しく心強い。

「…………譲葉くん、僕は生きるよ」

 言葉の枷を、己の手にかけた。

「……辛くても苦しくても逃げない、もう絶対に死のうとなんてしない」

 何重にも、何重にも、強引に。
 これから先も、躓く度に心は解放を求めるだろう。自由を得るには死しかないとの極論は、何時まで経っても自分を縛り付けるだろう。
 だけどそれでも、逃げないと約束しよう。
 譲葉が頑張っているから。譲葉が必要としてくれるから。

 一向に返事がなく不安になった月裏は、逆方向に寝返りをうって譲葉を見た。当の譲葉は、体操座りのまま微動だにしない。

「…………やっぱ信じれないかな、指きりでもしとく?」

 否定される前に否定してしまおうと冗談を込めたのも束の間、譲葉は姿勢を崩し振り向いた。
 自然と目が合い、月裏が逸らす。

「信じた」

 はっきりとした語勢で言い切り、譲葉が立ち上がる。そしてそのまま扉へと歩き出した。
 月裏は次なる行動を見ようと、上半身を左肘で支える形で体を浮かせる。

「お腹が空いてきたから食事にしよう」

 空気を壊す発言に、月裏は数瞬の間硬直してしまった。
 しかし段々と笑いが込み上げてきて、振り向いた譲葉の顔を見て笑ってしまった。
 急に笑い出した意味が分からず、目を丸くして不思議がる譲葉を見ながらも、理由は告げずに相槌だけ打った。

 年末休み1日目は、約束通り様々な話をして過ごした。重厚な話題に触れる空気にならず、ほぼほぼ他愛ない話だけで終了した。
 言ってしまえば、あまり実の無い話を繰り返しただけの一日だった。

 しかし、幸福を感じた。
 ただ声を投げ合う幸せを、懐かしく思った。
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