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【2】
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◇
「お忙しい所、お時間ありがとうございました」
明灯は丁寧に感謝を述べると、目の前の歩に座りながらお辞儀した。
「こちらこそ、毎度来てもらって申し訳ない」
この流れは、時間的にもあまり余裕のない歩の事を知った明灯の提案から始まった。
「いいえ、それよりも鈴夜くん大丈夫ですか?」
「え?」
唐突に切り出されて反射的に声を作ってしまったものの、直ぐ至った理由を理解する。
「今日お休みだったみたいなので」
先ほど部屋に来た時、席が空いていたからだろう。
「…ああ…どうだろうか、二日間位話していなくて…」
その前に見た表情も、笑顔を浮かべながらも曇っていた気がする。
「でも彼も可哀想ですよね」
「そうだなぁ…」
「…傷ついていないと良いんですが…」
一瞬、言葉に違和感を覚えたが、どこかで事故をしたと聞いたのだろうと直ぐ消し去る。
「…ああ」
「早く復帰出来ると良いですね」
「そうだな、心配してくれてありがとう」
歩は鈴夜の代わりに、明灯に向かって笑った。その顔を見た明灯も、にっこりと微笑み返した。
◇
遠い扉の向こうから、微かに声が聞こえる。
はじめは何を言っているのか分からなかったが、暫くして漸く、それが自分の名を呼んでいるのだと分かった。
「岳くーん、おーい岳君いるー?」
目覚めた岳は、自分が冷たい床の上で横になっている事に気付いた。頭が割れるように痛い。
気を失う前、急にくらくらときたのは覚えていた。だが、その後からの記憶がすっかりない。
気絶は、よくある事ゆえ冷静ではあった。
今は何時だろうか、自分はどれだけ気を失っていたのだろうか。痛む頭を、左手で抱えながら考え込む。
「岳くーん」
改めて呼ばれている事を自覚した岳は、出来るだけ頭痛を酷くしないようにと、ゆっくり状態を起こした。
…この声は確か。
一度聞いたきりだったが、印象が強いその人物を岳はよく覚えていた。
対応しなければと思い立ち上がろうとしたが、体が付いてゆかずよろける。酷い貧血状態に陥っているようで、どこか息苦しさも感じた。
このままでは死ぬかもしれない。
岳は得体の知れない恐怖に駆られて、本能のまま必死に玄関を目指した。
◇
暗い世界だ。後ろから誰かに追いかけられる感覚を、もう何度も味わっているが恐怖は全く薄れない。
無意識の中で走っていると、目の前に蹲る人影を見つけた。
凜が泣いている。体操座りをした体勢で、顔を足の間に埋めて。
鈴夜は思わず立ち止まってしまった。だが、後ろの感覚は早い速度で自分に近付いてくる。
凜の向こう側の黒い空間から、銃を手にした手が出てきた。そして自分の後ろからも。
ここで走って凜の許へ手を伸ばせたら、凜を救えるかもしれないのに。自分も逃げられるかもしれないのに。
恐怖に足が竦み、動く事ができない。発声も出来なくて、声を使って阻止する事も叶わない。
嗚呼、夢だと分かりながらも動けないなんて、自分は。
目の前で凜が撃たれる姿を、鈴夜は涙目で見ていた。そして自分が貫かれたところで、やっと目覚めた。
「鈴夜!…大丈夫…?」
目の前の、冷や汗を浮かべながらも安堵する淑瑠を凝視する。放心しながら見詰める。
鈴夜は、自分の額に汗が滲んでいるのが分かった。斜め上には、進行形で滴る点滴が見えた。
酷い悪夢だった。
だが、光景を実際に目の当たりにしてはいないだけで、悪夢での出来事は実際に現実で起きた事件なのだ。
無意識の中そう考え現実に帰った瞬間、急に気分が悪くなってきた。吐き気がし、呼吸もなんだか苦しい。
「…鈴夜?」
「…苦しい…」
表情を歪める鈴夜を見て、体調の悪化を把握した淑瑠は、直ぐにナースコールを鳴らした。
静かな部屋に、ノックする音が聞こえた。だが淑瑠は扉を振り返らず、目の前で点滴を施されて眠る鈴夜を見詰めていた。
医師の見解では、鈴夜は精神的に相当参っているらしい。
淑瑠は、自分ではどうにも出来ない現実に小さく溜め息をついた。
返事をしなかったからなのか、もう一度ノックが響く。さすがに申し訳なくなり、淑瑠は漸く返事をした。
すると、扉の向こうから現れたのは志喜だった。
「えっ…!」
「ん?」
淑瑠は目を見開き志喜を見たが、志喜の方はいつも通りの軽い笑顔を浮かべていた。ただ、なぜ驚かれたのかが分からず、不思議そうにもしていた。
志喜の視線が鈴夜に移動して、弱ったその姿を捉えた。
「…水無さん、どうかしたんですか?」
「…えぇ、体調を悪くしてしまって…」
淑瑠は志喜に見覚えがあった。
この黒髪に顔付き、おまけにこの変わったイントネーション、間違いはないだろう。
だが志喜の方は、言葉を交わした上でも気付いた様子はなかった。
「そうですか…」
志喜は悲しげな声のトーンで発音し、肩を落とす。
「見舞いに来て下さったんですか?」
淑瑠は、鈴夜と接点等無いと思っていた志喜が、なぜここに顔を出したのか少し気になってしまった。
「ああ、まぁ、あと話したい事もありまして」
志喜は理由を素直に告げると、悪意も裏も無さそうな笑顔で続けざまに言葉を残した。
「水無さん起きたら、また来ますって伝えといてもらえますか?」
「分かりました」
淑瑠は、志喜が鈴夜に害を加える存在ではないと考え、心から素直に申し出を受け入れた。
「お忙しい所、お時間ありがとうございました」
明灯は丁寧に感謝を述べると、目の前の歩に座りながらお辞儀した。
「こちらこそ、毎度来てもらって申し訳ない」
この流れは、時間的にもあまり余裕のない歩の事を知った明灯の提案から始まった。
「いいえ、それよりも鈴夜くん大丈夫ですか?」
「え?」
唐突に切り出されて反射的に声を作ってしまったものの、直ぐ至った理由を理解する。
「今日お休みだったみたいなので」
先ほど部屋に来た時、席が空いていたからだろう。
「…ああ…どうだろうか、二日間位話していなくて…」
その前に見た表情も、笑顔を浮かべながらも曇っていた気がする。
「でも彼も可哀想ですよね」
「そうだなぁ…」
「…傷ついていないと良いんですが…」
一瞬、言葉に違和感を覚えたが、どこかで事故をしたと聞いたのだろうと直ぐ消し去る。
「…ああ」
「早く復帰出来ると良いですね」
「そうだな、心配してくれてありがとう」
歩は鈴夜の代わりに、明灯に向かって笑った。その顔を見た明灯も、にっこりと微笑み返した。
◇
遠い扉の向こうから、微かに声が聞こえる。
はじめは何を言っているのか分からなかったが、暫くして漸く、それが自分の名を呼んでいるのだと分かった。
「岳くーん、おーい岳君いるー?」
目覚めた岳は、自分が冷たい床の上で横になっている事に気付いた。頭が割れるように痛い。
気を失う前、急にくらくらときたのは覚えていた。だが、その後からの記憶がすっかりない。
気絶は、よくある事ゆえ冷静ではあった。
今は何時だろうか、自分はどれだけ気を失っていたのだろうか。痛む頭を、左手で抱えながら考え込む。
「岳くーん」
改めて呼ばれている事を自覚した岳は、出来るだけ頭痛を酷くしないようにと、ゆっくり状態を起こした。
…この声は確か。
一度聞いたきりだったが、印象が強いその人物を岳はよく覚えていた。
対応しなければと思い立ち上がろうとしたが、体が付いてゆかずよろける。酷い貧血状態に陥っているようで、どこか息苦しさも感じた。
このままでは死ぬかもしれない。
岳は得体の知れない恐怖に駆られて、本能のまま必死に玄関を目指した。
◇
暗い世界だ。後ろから誰かに追いかけられる感覚を、もう何度も味わっているが恐怖は全く薄れない。
無意識の中で走っていると、目の前に蹲る人影を見つけた。
凜が泣いている。体操座りをした体勢で、顔を足の間に埋めて。
鈴夜は思わず立ち止まってしまった。だが、後ろの感覚は早い速度で自分に近付いてくる。
凜の向こう側の黒い空間から、銃を手にした手が出てきた。そして自分の後ろからも。
ここで走って凜の許へ手を伸ばせたら、凜を救えるかもしれないのに。自分も逃げられるかもしれないのに。
恐怖に足が竦み、動く事ができない。発声も出来なくて、声を使って阻止する事も叶わない。
嗚呼、夢だと分かりながらも動けないなんて、自分は。
目の前で凜が撃たれる姿を、鈴夜は涙目で見ていた。そして自分が貫かれたところで、やっと目覚めた。
「鈴夜!…大丈夫…?」
目の前の、冷や汗を浮かべながらも安堵する淑瑠を凝視する。放心しながら見詰める。
鈴夜は、自分の額に汗が滲んでいるのが分かった。斜め上には、進行形で滴る点滴が見えた。
酷い悪夢だった。
だが、光景を実際に目の当たりにしてはいないだけで、悪夢での出来事は実際に現実で起きた事件なのだ。
無意識の中そう考え現実に帰った瞬間、急に気分が悪くなってきた。吐き気がし、呼吸もなんだか苦しい。
「…鈴夜?」
「…苦しい…」
表情を歪める鈴夜を見て、体調の悪化を把握した淑瑠は、直ぐにナースコールを鳴らした。
静かな部屋に、ノックする音が聞こえた。だが淑瑠は扉を振り返らず、目の前で点滴を施されて眠る鈴夜を見詰めていた。
医師の見解では、鈴夜は精神的に相当参っているらしい。
淑瑠は、自分ではどうにも出来ない現実に小さく溜め息をついた。
返事をしなかったからなのか、もう一度ノックが響く。さすがに申し訳なくなり、淑瑠は漸く返事をした。
すると、扉の向こうから現れたのは志喜だった。
「えっ…!」
「ん?」
淑瑠は目を見開き志喜を見たが、志喜の方はいつも通りの軽い笑顔を浮かべていた。ただ、なぜ驚かれたのかが分からず、不思議そうにもしていた。
志喜の視線が鈴夜に移動して、弱ったその姿を捉えた。
「…水無さん、どうかしたんですか?」
「…えぇ、体調を悪くしてしまって…」
淑瑠は志喜に見覚えがあった。
この黒髪に顔付き、おまけにこの変わったイントネーション、間違いはないだろう。
だが志喜の方は、言葉を交わした上でも気付いた様子はなかった。
「そうですか…」
志喜は悲しげな声のトーンで発音し、肩を落とす。
「見舞いに来て下さったんですか?」
淑瑠は、鈴夜と接点等無いと思っていた志喜が、なぜここに顔を出したのか少し気になってしまった。
「ああ、まぁ、あと話したい事もありまして」
志喜は理由を素直に告げると、悪意も裏も無さそうな笑顔で続けざまに言葉を残した。
「水無さん起きたら、また来ますって伝えといてもらえますか?」
「分かりました」
淑瑠は、志喜が鈴夜に害を加える存在ではないと考え、心から素直に申し出を受け入れた。
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